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<東京怪談ノベル(シングル)>


運命の行路

 何故走るのか‥‥なんて馬鹿げた事を聞くモンじゃない。俺から『走る』事を取ったら何が残ると言うのか。この稼業の者達は皆、同じ様な台詞を吐き、死ぬまで走る続ける。愛車が棺桶になるってのが、ありふれてはいるが理想の死に方‥‥なのだと言う。

 この時代は未来からどのように呼ばれるのか判らないが、少なくとも過去の輝かしい栄光を取り戻す事は出来ない暗黒の時代だろう。叡智は忘れられ、人道は廃れ、自然は牙をむき、そして機械達は創造主である人に襲いかかる。治安は言葉だけのものとなり流通のシステムは消えた。しかし、だからこそ俺の様な者達が必要とされ台頭する。依頼されれば『何』であろうとも、『どのような手段を用いても』目的地に運ぶ。それが俺の仕事だ。

 車内は静かであった。仲間には弱々しい電波を拾ってラジオをかける奴もいるし、胡散臭いジャンクを組み立てて音楽を流す奴もいる。けれど、どれも俺は好きじゃない。仕事を『ながら』でやるつもりはないからだ。磨いたフロントグラスから見える荒野は素っ気ないが雄大で美しかった。かつてはびこり過ぎた人間は数を減らし、地球はやっと自浄機能を回復してきているかのかもしれない。あの地球規模の災厄を『審判の日』と呼ぶのが定着してきているが、本当にそうなのかも知れない‥‥と、神を信じているわけでもないのに思う。人間の過去の歴史は否定されたのだ。
「ねぇ‥‥道もないのに大丈夫なの?」
 俺の愛する静謐を破ったのはまだ幼い声だった。あえて無視をする。
「ねぇ〜お話してもいいでしょう? それとも話したら迷子になっちゃうの?」
「なわけないだろう」
 つい、俺は言葉を返してしまった。極力関わりを持たずにいようと思っていたのにだ。けれど視線は少しも変えない。けれど視界の端に、そいつは俺の態度に感じるところがあったのか、黙って前へ向き直るのが見えた。チャイルドシートなどないこの車の助手席に座るまだあどけない子供‥‥多分、7歳か8歳だろう。それが今回の仕事の積み荷‥‥運ぶべき『物』だった。

 好きか嫌いかと問われれば、多分俺は答えない。けれど、やはり人間を運ぶのは苦手な部類になるだろう。VIPを護送するというのはまだ経験がないが、商品としての人間を運ぶのは初めてではない。妖艶な若い女だったこともあるし、屈強なオールサイバー達だったこともある。けれど子供は初めてだ。こんな時代に甘い奴だと笑うだろうか。だが、この子供を待ち受けているだろう未来を思うと俺は冷静でいられなくなる。だから、出来るだけ係わりたくない。

 漆黒の闇夜でも雲はある。それが少しずつ際だち始めていた。もうすぐ夜明けくるのだ。車を降りて小休止していた俺達だが、その子供が空を指さして声をあげた。
「あーほら、星だよ。キラキラしてる」
 少しずつ闇の濃度が薄れだした東の空に明るい星があった。
「ねーおじさん。あの星見える? ねぇなんて名前か知ってる?」
 子供は振り返って俺を見上げてくる。
「‥‥おじさん、は止めろ」
「だって、僕おじさんのお名前知らないモン。なんて呼んだらいいの? お兄ちゃん?」
 でっかい目玉が俺をまっすぐに見上げてくる。だから子供って奴は苦手だ。どうしてそんな目で俺を見る? 昨日初めてあった俺を信じちゃいけない。弱いなら、もっと警戒し、もっと用心深くならなきゃ生きていられない。そんな簡単な事も知らない無垢な子供。苦い過去が俺の心の奥深くを焦がす。
「洋平‥‥だ」
「よーへい? そっか。僕はね‥‥」
「あの星は金星だ」
 子供の名前を聞きたくはなかった。俺は遮るように星の名を告げた。明けの明星、美の女神の名を持つ星は、明け染めし空にあって、なお明るく燦然と輝く。
「そっか。金星って名前なんだ。きれいだよね。シスターが神様はお空にいるって言っていたけど、あれが神様なのかなぁ?」
 子供はじっと空の星を見る。あどけない顔をこれ以上見ていたくなくて、俺は車に向かった。
「‥‥そろそろ行くぞ」
 視線を足元に向けたまま俺は言う。しかし‥‥返事がない。まだあの子供は感傷に浸っているのだろうか? 顔をあげた。
「‥‥っち」
 俺は軽く舌打ちをした。なんて奴だ。甘ちゃんなのは俺の方だ。子供はさっきまでの場所にはいなかった。懸命に白みつつある東の方角へ走る小さな背中が見える。だが、俺にとってこれは『仕事』だった。積み荷を紛失するわけにはいかない。全力で走り始めた。子供が振り返る。泣きそうな顔だった。どんなに必死に走っても、大人と子供では勝負にならない。俺の左手は子供の肩を掴んだ。
「離せ!」
 子供は身体を反転させて俺の手を振り払おうとする。しかし、この左手を払える訳もなく、バランスを崩して転倒した。
「おい‥‥」
「やだー! 離せ!」
 抱き上げようとする俺から逃れようと、子供は手足をバタつかせ激しく抵抗した。顔は涙と砂でぐちゃぐちゃだ。
「おれ死にたくないよ。やだよ、やだよ。助けてよー」
 子供は大声で泣き叫んだ。朝の赤い光が俺と倒れた子供を照らし、長い影を大地に刻んだ。

 ひとしきり泣いた後、子供は俺に連行されるようにして車に戻った。それ以降、俺はその子供の声を聞いていない。目的地に着き、相手に引き渡された後、チラリと視線があったが、それはゾッとするほど冷たく暗い目だった。あの子供は俺を、そして周囲の大人全てを恨んだだろう。あの目を、俺は忘れないだろう。

 人は俺を信頼出来るいい仕事をする奴だと評価する。それなりに馴染みも増え、顧客の様なものもある。それは俺が仕事で結果を出してきたからだ。その実績の中にあの子供の暗い眼差しがある。だからあれは仕方の無い事だ。俺の仕事は人助けじゃない。慈善事業で『コロがしてる』わけでもない。俺はまだ弱い。この世界の常識や力に対抗し、超然と生きるには、悔しいけれどまだ弱い若造なのだ。胸の奥に残る痛み‥‥これだけは偽る事は出来ないけれど、それを抱えて平然と生きてみせる。
 ここは神の裁きにより救いのなくなった世界。人はより強くなければ、生きてゆくことも出来ない世界なのだから。