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□−白い箱庭−□
中間や期末のテストの日は、教師であれど早く帰ることが出来る。高校教師をしているボクこと響月・鈴音もその一人だ。
12・3歳の頃にオールサイバー化した身体は、現在21歳となってもその頃からなんら変わらない。おかげで生徒からは妹扱いさせる始末で、教師としての威厳に多少欠けている。
「あれ…?」
仕事の終わった昼間の街を夕飯の買い物がてら散歩に出る。突然ふっと街並みから人が消えた。
駆け抜けた風にボクは顔を上げると、見慣れた街並みがまったく別のものになっていた。知識としての記憶では、この街並みは水の都ヴェネチアに似ている。
建物はあのヴェネチアに似ているが、ボクが住んでいる街はこんな場所ではなかったはずだ。どうしてこんな所にいるのだろう。
まだ昼間だと思っていたのに、散歩していた事さえも夢なのかもしれない。ボクは自分の頬をつねってみたけど、やっぱり痛かった。
こんな知らない場所で、痛い夢もあるかもしれないと割り切って、目の前に続く道はレンガ造りの一本道を、遠く水音を感じて、こんな所で聞こえた水音にボクは首を傾げたけど、その音が気になって導かれるように先へと進む。
だんだんと水音が大きくなり、眩しさに瞳を閉じるとふっと髪が風に遊ばれ瞼の裏に光が灯った。
閉じた瞳をゆっくりと開ける。
開けた広場。
水音の正体は噴水。
ボクは感嘆しつつ噴水に近づくと、自然とその光景に笑顔が浮かぶ。噴水にそって歩くと、その辺(ほとり)に茶色の髪の背中が見えて立ち止まる。噴水の辺に誰かが座り込んでいる。
(男の子…?女の子……??)
一心に何かを見上げているあの背中は、中性的で細身だけどしっかりしている。彼につられるようにボクも顔を上げた。
「…っ!?」
青いはずの空に、何もない。昼ならば雲と太陽が。夜ならば星と月が輝いているはずの空が、雲などではないペンキで塗ったような一面の白で彩られている。
ボクはあたりを見回すように空を探したけど、どこも真っ白で透けるような青い空は何処にも無い。
『こんにちは』
声からも男の子なのか女の子なのか分からない。
「あ…ごめんなさい。ボク」
『また、迷子だね』
言葉を続けようとしたボクの言葉を遮って、頭の中に声が響く。
口からではなく直接脳に響かせたその声の主は、ボクから背を向けて空を見上げていた顔を俯かせたみたいだった。
『喋らない方が、便利だから』
振り返って、そう風に乗せた声に、ボクは眼を見張ってしまった。だって、その顔の殆どが目隠しで覆われ、表情が分からないのだもの。
「あ、あの貴方は、ボクの事迷子って言った…よね?」
『うん』
「ここ…どこ?」
ゆっくりと噴水に、あの子に近づく。
『ここは、僕の空間。先生は迷いこんだ人。だから、迷子』
「貴方の空間?」
ただ頷いて、そっと上げた腕にボクはつられるように視線を移動させる。
『出口はあそこ。さようなら』
淡々と告げるだけ告げて、また空を見上げている。
ボクは何だかカチンときて、むすっと頬を膨らませると、
「それって、失礼じゃない。ボクに説明するべきでしょ!?どうしてボクがこんな空間に迷い込んじゃったかとか、貴方の名前が何とか!」
ちょっと大人気ない行動をしてしまったかもしれない。もしかしたら見えないだけで、目隠しの下の瞳をぱちくりとさせているかもしれない。でも眼に見える口は変わらず一文字に閉じられている。
「ちなみに、ボクは響月・鈴音。貴方は?」
『…エアティア』
どこかそっけなくて近づきがたい雰囲気を出しているのに、突き放す事もせずテレパスであろうともちゃんと名乗った彼に、ボクはうんうんと頷く。
ん?そういえば、さっき…
「あれ?ねぇエアティアくん、さっきボクの事、先生って言わなかった?」
彼はボクの質問に首を傾げると、
『先生は、先生…でしょう?』
確かに、自分はこれでも高校教師。
生徒達に妹のようにしか見られていなくても高校教師。
あぁ、自分で言ってて虚しくなってきた。
「エアティアくんはボクの事、ちゃんと先生って見てくれるんだね!」
思わずがしっとその手を握りしめ、感涙極まると言わんばかりに、うぅっとすすり泣く。
「うちの学校の生徒ときたら先生の事を妹扱いばっかりして。嫌われてるわけじゃないって分かるから嬉しいけど、やっぱりちゃんと先生として見て欲しいのよ!」
こうやって彼の手を握っていても、まったく何も知らない人が見たら、中のいい兄妹に見られてしまうのだろう。
彼は少し首をかしげ、その無表情な顔で真正面から見つめられる。
『好かれてるなら、いいと思う』
そんな、いきなり極論を突いてこなくてもいいのに……
ボクはうっと口ごもりつつため息を漏らす。教師は生徒に嫌われてはいけない。これは基本。
でも幾ら飛び級で教員資格取ったとしても、高校生とは最低3つも違っているのに、どうして教師として見てくれないのか分からない。
やっぱり見た目がこんなだから先生として見てもらえないのかな。
それでも教師としてはまだ未熟で、人に教える立場の責任に押しつぶされそうになっても先生を続けていられるのは、生徒達が慕ってくれるから。
もしボクが皆と変わらない年齢の容姿で先生をやっていたら、妹じゃなくて友達になっていたのだろうか?もし、年相応の容姿で先生になっていたら……
『僕には、先生が生徒達に妹として見られないようにする事ができる』
「え……?」
見透かしたような、彼の言葉。
『でもそれは、僕が視せる偽り』
「エアティアくん…?」
どうしても言っている意味が理解できなくて、名前を呼ぶ。
ううん、理解できないんじゃない…したく、ない。
21歳としての見た目もちゃんとした大人の女性になりたい自分が、確かに居るから……
『偽りの自分を被って生きるくらいなら、たとえ妹のように見られようともありのままの自分で接したいって、先生は思うでしょう?』
思うでしょう?なんて疑問で聞かなくたって、ボクの心の中なんて貴方は勝手に読んでるんでしょ?
ボクは彼の言葉にくすっと笑って、
「そんなの、当たり前だよ!生徒に嘘つくような先生なんてダメでしょ」
そりゃね、大人の姿のボクに憧れない事なんてないよ。
でもボクは教師なんだ。
ありのままでいる事が、信頼に繋がる事だって分かってるもの。
『さようならだよ、先生』
今まで辺に座ってボクを見ていた彼が、立ち上がってゆっくりと腕を上げる。ボクはその腕の先に導かれるように顔を向けた。
腕の先には、この街となんら変わらない街。
「エアティア、くん……?」
不思議に思って振り返る。
(眩暈…!?)
突然目の前が歪んで足元がおぼつかなくなる。
だんだん視界が狭くなって景色がどんどん遠くなる。
最後に見たのは、ゆっくりとボクに背を向ける彼の姿だった。
「っあ……」
ドンっと肩に何かががぶつかった感覚に、暗転していた視界に一気に光が灯る。
ボクを置いて駆け抜ける雑踏。何時もと同じ街。
やっぱり、アレは白昼夢?
「鈴音せーんせ〜♪」
遠くボクを呼ぶ声。
顔を上げると、大好きな生徒達がボクに向けて手を振っていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0499 / 響月・鈴音 / 女性 / 21歳 / オールサイバー】
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■ ライター通信 ■
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白い箱庭にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧でございます。
鈴音様は生徒達から妹扱いされる事を悩んでいるとなっていましたので、先生と言う立場に誇りを持っているからこそ、実際の年齢と容姿のギャップに対する葛藤を抱いていると解釈し、書かせていただきました。…やはりギャグにはならなかったようです。
それでは、鈴音様がまたエアティアに会いに来ていただける事を祈りつつ……
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