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第一階層【オフィス街】逃げろ!
たくさん寄れば文殊の知恵
ライター:斎藤晃
【Opening】
おい、下手な所に触るなよ。ここは、元々会社関係のビルなんでな、セキュリティシステムが完備されていたらしいんだ。
もっとも、長い間放っておかれたせいで、たいがい壊れちまってるんだが、時々セキュリティがまだ生きてる事が‥‥
て、鳴り始めたな。お前か?
まあ良い、逃げるぞ。この警報に呼ばれて、すぐにタクトニムがうじゃうじゃやってくるって寸法だ。
良いから走れ! こうなったらもう、部品回収なんて後回しだ。敵はもうすぐ其処まで来てるぞ!
【Prologue】
「もう、最近の若い子ときたら・・・」
彼……いや、彼女……いや、何だろう。
長い髪を可愛らしくピンク色に染めて、同じくピンクのうさぎの耳の付いたヘアーバンドを付けている。谷間は見当たらなかったが胸囲は3桁を軽く越えてるだろうか、それ故にやたら細く見えるくびれた腰、それからプリティーなお尻を、ピンクのフリルとリボンの付いたメイド服で愛らしく包んで、彼女…でもなく、かといって彼、というには多少の抵抗を感じつつ、何と評していいのやら、とにかくソレは、憤懣やるかたないといった風情で、そのゲートをくぐっていった。
「メイドの何たるかを全然わかってないんだから」
ぶつぶつぶつ。
ソレは、メイドという職業にこれ以上ないくらいのプライドを持っているらしい。が、故に、今時の若いメイドたちのいい加減な仕事っぷりが目に付くのだった。
ソレは、怒りに任せて突き進んで行った。
そして、ソレを、止める者はいなかった。
タクトニムの流出を防ぎ、日夜ヘルズゲートの前で入門者のチェックを行っている屈強なガードマン達でさえ、うっかり声をかけそこなったのである。
彼らは無言で、ソレを、見送ったのだった。
だって迂闊に声をかけて襲い掛かられたら怖いじゃないか、とは屈強なガードマン達の言い分である。
さすがは『うさ耳メイド』。
タクトニムに襲われても迎撃の用意はあるが、『うさ耳メイド』に押し倒されたら対抗手段はないらしい。
ガードマン達をも震え上がらせて『うさ耳メイド』は怒りに身を任せたまま直進していった。
――さぁ、来い、タクトニム。このやり場のない怒りを受け止めなさい!
【1】
「これだ……」
薄暗いオフィスで早川・セトは感動に酔った声で呟いた。
まるでお宝を見つけたようなキラキラお目々である。
たとえ世界中の人間がそれを否定したって、彼にとってそれはお宝以外のなにものでもなかったろう。彼はそこにかかる薄埃を指先でついーっと拭いてみせた。
『楽々年賀状印刷インクジェットプリンタ』
それは正に彼が、この世の果てまででも捜し求め歩くであろうものである。
事の起こりは数時間ほど前に見た雑誌に掲載されていた何ちゃら占いという怪しげな占いによる。
『楽々年賀状印刷インクジェットプリンタ』を手に入れると恋愛運上昇。
この一文でここ、ヘルズゲートのこっち側にあるオフィス街のビルの6階まで来ちゃったのである。
セトは今にも小躍りしそうなノリでインクジェットプリンタを小脇に抱えた。
さすがは年賀状用、小型化されていて意外と軽いし嵩張らない。これを持って帰れば、間違いなく恋愛運上昇。世の女の子たちはみんな自分を振り返るのだ。
想像しただけで鼻の下がいつもの5倍(当社比)くらい伸びてしまう。
目は既に明後日の方を向いちゃったりして、彼は居もしない女性の幻影を追いかけていた。現実などすっかり視界の外だ。
だから床に落ちていたバナナの皮の存在にも全く気付かなかった。
いや、そもそも何故こんなところに真新しいバナナの皮があるのか。
セトは力強くそれを踏みしめ、大いに滑った。
バランスを崩して咄嗟に身を支えようと壁に手を付く。
何とか転ばずにはすんだが、手の付いた先がちょっと悪かった。
そこはただの壁ではなかったのである。
手を付いた瞬間、鼓膜を破るくらいの大音量で非常ベルが鳴り始めた。
警報が鳴って駆けつけるのが警備会社の人々や消防署の人々、なんてのは審判の日以前の話である。審判の日を経た今、このセフィロト塔内の、更にヘルズゲートの中なんて場所で駆けつけてくるのはタクトニムくらいのもんである。
セトは大慌てで非常ベルの周りのボタンを押してみたが鳴り止む気配はない。むしろ、心なしかボリュームが上がってるような気さえする。
こうなったら急いでこの場所を離れるのが得策だろう。
しかしちょっとばかり遅かったらしい、向かいかけた階段に人間ではありえない大きさの影が見えた。反射的に踵を返して別の階段を捜しかけたが、そちらにも巨体の影が映る。
「うげっ」
万事休すかと辺りを見渡した。
パーティションで気付かなかったが傍に人影がある。
一瞬タクトニムかとセトは身構えた。世の中には人の形をしたタクトニムも存在するのだ。
しかし、青空を思わせる髪にパイロット用のゴーグルを付けた男の、その髪と同じ色をした目と合った。
瞬間、男がニヘラと笑う。
ちょっと頬を引きつらせて。
それはとても何か言いたそうな目だった。
たとえば「何してんだてめぇ!」みたいな。
いや転んだのは事故だから、と咄嗟に言い訳したくなるような視線に、しかしセトは口走らない。互いにそれどころではなかったからだ。
とりあえずタクトニムじゃない。それだけで充分である。
刹那、セトもその男も一目散に駆け出していた。
2人の居た場所にタクトニムが投げたと思しき机が飛んでくる。
2人はそれをかわして傍らにあった空調設備という名札のかかったドアの向こうへ飛び込んでいた。
【1+2】
駆け込んだ空調設備室は大きな配管が縦横無尽に走っている、とても部屋とは呼べない空間だった。何しろトイレの掃除道具入れぐらいのスペースに直径30cmぐらいの配管が何本も所狭しと走っているのだ。
しかも狭苦しいだけでなく、ドアを閉めてしまうと真っ暗なのである。
その中で男が2人、配管の隙間にすし詰め状態だ。
この中にタクトニムが潜んでいたら2人は間違いなくあの世への一歩を踏み出していただろうが、幸いにも奴らは潜んではいなかったようである。
「狭いとこで動くなよな」
青い髪と目をした男――フルーク・シュヴァイツが窮屈そうに身じろぎしながら小声で言った。
「しょーがねーだろ」
フルークの声のする方をセトが睨みつける。暗闇の向こうにかろうじて人の気配を感じながら。
「ってか、これ邪魔。何抱えてんだよ」
フルークが肘にあたる箱のようなものを押しやった。
セトは大事そうに箱を両手で庇う。
「恋愛運上昇アイテムだ」
何のことやら。
「捨てろ」
「やだね」
セトの即答にフルークは小さく肩をすくめた。
とはいえ、この体を動かすにも心許ないスペースの一体どこに捨てる場所があるのやら。やだね、以前の問題だろう。
「くそ。暗くて何も見えねーな。あんた何か灯り持ってないの?」
「持ってない」
あまり愛想がいいとはいえないフルークの問いかけに、セトの返事も同じくらい素っ気無い。
ちっ、使えねぇな、などとフルークは内心で愚痴ってみたが、自分も何も持ってないのだから他人の事をとやかく言える筋合いではないだろう。
すると、ライターを点けるようなジャッという音がして、その場がほんのり明るくなった。
「!?」
セトとフルークはほぼ同時に心の中でだけ2mほど飛び退った。実際には数ミリが限度の狭い場所だ。
2人の間にロウソクのようなものを持って1人のティンガロハットをかぶった男が膝を抱えて座っている。
ちょこん、と。
体はちっとも、ちょこんというサイズではなく、どちらかといえばたくましいのに、そのがっしりとした体を配管の隙間の狭い場所に押し込んで小さくなってるのだ。その姿が、何とも2人の心臓によろしくなかった。揺れる炎に照らし出されたおやじの顔が、またホラーである。
無意識に生唾を飲みこんで2人は早くなった鼓動を抑えるように自分の胸に手をあてると、男をまじまじと見やった。
どうやら幽霊とかではなさそうだ。
「いつからいたんだ?」
セトが恐る恐る尋ねた。
「「これは……」のあたりからじゃ」
男が、わざわざその時の様子を再現するかのように目を輝かせて答えた。いやもしかしたらセト達と合流できた事に感動しているのかもしれない。なにぶん彼は、押しも押されぬ迷子だったのだから。J.B.ハート.Jr、迷い込む場所にもほどがある。
「最初からかよ……」
どこか疲れたようにセトが大きく息を吐いた。
ともすれば、JBが感動してるのは、合流ではなく、気付いてもらえたことの方か。
「それ、なんだ?」
フルークがJBの手に持っているロウソクのようなものを指差して聞いた。
「これは、マジックランプじゃ」
JBが意気揚々と、握っていた部分を見せるようにして答える。
「マジック…ランプ?」
「油性マジックにはアルコール系インクが使われておるからな、こうやって書くところの部分に火を点けるとロウソク代わりになるんじゃよ」
怪訝に首を傾げフルークにJBが油性マジックで作った即席ランプのからくりを自慢げに説明した。
セトとフルークがなるほどと感心する。
「2人も持つか?」
そう言って、JBはポケットの中に手を突っ込んだ。どうやらまだ油性マジックを持っているらしい。確かにオフィスビルのフロアに所狭しと並ぶデスクの上のペンスタンドには、必ずと言っていいほど油性ペンがささっていただろうが、パソコンのICカードではなく油性マジックを失敬しているあたり、この男、ちょっと侮れないかもしれない。
しかし、JBが取り出したのは油性マジックではなかった。
「バナナ?」
セトが、半ば呆気にとられたようにJBの手にしているものを指差した。その黄色いものは間違いなくバナナである。
「おぉ、間違えた。これは我輩の非常食じゃ」
慌ててJBがバナナをポケットに戻した。
「って、あのバナナの皮!?」
セトがある事に気づいて声をあげる。
「ん? 何のことじゃ?」
JBはとぼけた様に首を傾げてみせた。
「貴様が犯人か……」
セトはぷるわなと握り拳を振るわせた。込み上げてくる何かと戦っているようだ。彼はつい先ほど、真新しいバナナの皮に滑って転んだのである。それがそもそも現在の状況を作っていた、と言っても過言ではない。
「男がいちいち細かい事にこだわるな。ハゲるぞ」
JBがセトの肩を、元気付けるようにポンと叩いた。
「うるさい! 黙れ!」
人が気にしてる事を……とまでは続けずにセトがいきり立つ。
JBに今にも掴みかかりそうな形相の、もしかしたらここが空調設備室の中じゃなかったら、胸倉を掴んで唾を飛ばしながら文句を言っていたかもしれないセトに、半ば呆れ顔でフルークが仲裁に入った。
「まぁまぁ、今更言ってもしょーがねーって」
確かにそれもそうなのである。
数分後――。
「どうやらタクトニムは行ったみたいじゃな」
天性の滅多に当たらない勘をフルに発揮してJBがドアの向こうを窺いながら言った。
「一時はどうなるかと思ったぜ」
JBの勘の鋭さなど全く知らないフルークが、やれやれと言った態で安堵の息を吐く。
「とっととずらかろうぜ」
セトも続いた。
「何、あんた勝手に主導権握ってんだよ」
嫌そうな口ぶりで、だが意外にも目には笑みを滲ませてフルークが言った。
「別に、どうでもいいから早くここを出たいだけだ」
狭いし熱いし埃っぽい。何より男どもと密着状態なのが尚更よくない。それは全員同じ気持ちである。
「じゃぁ、とっとと出るか」
そうして3人は空調設備室を出た。
丁度、彼らから見て、扉で出来た死角から巨大な影が伸びている。
恐る恐るそちらを振り返ったら、背は高い方であるセトのはるかに頭上から、底光りしそうなどろりとした目が3人を見下ろしていた。皮膚を全て剥ぎ取ったかのような剥き出しの筋肉繊維に誰もが息を呑む。
彼らの前には異形のモンスター、ケイプマンが立ちはだかっていた。
「……誰がタクトニムは行ったって?」
頬を引きつらせてセトが言った。
「どうやら気のせいだったみたいじゃな」
JBがまるで他人事のようにシレッと答えた。
「とにかく逃げろ!」
フルークの言葉と共に3人はケイプマンの振り上げた腕を潜り抜けるようにして駆け出した。
そこら中の机やロッカーを倒しながら全速力で走る。
幸いにも、ケイプマンの知能はさして高くなかったようで、道を塞ぐと多少なりともその足は遅くなった。
「あんたさ、その荷物。何か武器とか持ってねーの?」
あくまで他力本願を貫こうというのか、フルークが走りながらセトに尋ねた。視線は、セトが背負ってる大きな袋に注がれている。
「あぁ、そうだ。いっぱい調達してきてたんだ」
セトが思い出したように呟いて、走りながら背負い袋の中を器用に片手で漁るとハンドガンを取り出し後方に構えた。
狙いをさだめて撃つ。
しかしトリガーを引いて出てきたのは意外にも音速で飛ぶ弾丸ではなく、透明な球だった。
「何!? シャボン玉!?」
「この非常事態に何の冗談だ!?」
セトの驚愕にフルークが怒鳴る。しかし一番驚いたのはセトの方なのだ。
「俺のが聞きたい! あんの店主め……」
セトは愛想のよさそうな武器屋の店主の揉み手を思い出して、憎憎しげに呻いた。
「本当に、なんもねーのかよ?」
フルークがセトの袋を奪って中を覗き込む。
「お、これ、使えんじゃん?」
グレネードランチャーを取り出してフルークは一つ口笛を吹いた。早速ケイプマンに向かって撃ちこむ。
しかし発射されたのはグレネード弾ではなくトリモチ弾だった。
ケイプマンがトリモチのネバネバに動きを止める。
「あんたまさか、ここにある武器って……」
みなまで言う必要はなかったろう、セトが別の銃を構えると水が噴水のように飛び出した。
「おぉ、見ろ。扇子の先から水が噴水のようだ」
どこか壊れたようにセトが笑う。
「ってか、その扇子どっから出した?」
フルークは脱力ぎみだ。
「お正月らしくていいねぇ」
「お正月っていつの話しだ。1人で現実逃避してんじゃねーよ」
フルークが呆れたように言った。
「とにかく、三十六計逃げるに如かず、じゃ」
トリモチ地獄から脱したかのようにケイプマンがこちらへ一歩踏み出すのを見てJBが言った。
3人は再び走り出す。
階段を駆け下りた。
「ってか、さっきから楽そうに階段下りてんじゃねーぞ!」
セトが二段飛ばしで階段を駆け下りながら、傍らのフルークに言った。
「別にどうやって降りようと俺の勝手だろ」
フルークはまるで宙を駆ける様に階段を下りていた。何とも軽やかな足取りである。彼には飛行能力があった。落ち着いて考えてみれば非常ベルが鳴った時も、彼はこの特殊能力で窓から逃げる事も出来たのである。それをしなかったのはセトと目が合ってしまったからにほかならなかった。
「腹が立つんだ!」
などと理不尽に喚くセトにフルークは舌を出した。とはいえ一緒に走ってやる義理まではない。
「ここは男らしく走れ!」
どうやらセトは八つ当たりしたいお年頃であるらしい。
尻の軽さでは誰にも負けないセトであったが実際に飛ばれては敵わない。尻に見えない水素入りの風船を付けてはいたが、さすがに空までは飛べなかったのである。吹けば飛ぶような財布の軽さではお互い大差なかったのに。
「それより、さっきの銃……ちょっと見せてくれんかの?」
JBがセトに擦り寄るように声をかけた。
セトがインクジェットプリンタを見つけた時のようなキラキラお目々である。
トレジャーハンターJBは、トレジャーに目がないのだ。しかし貝塚に過去の人々の生活を思い描いてはロマンを感じる自称考古学者にとって、トレジャーとはどうやら古き時代を物語るゴミの山も含まれていたらしい。とすれば彼のトレジャーは、微妙に一般のそれらとはずれていたとしても頷ける話だろう。だからPCの基盤ではなく油性マジックだったのか。
彼はセトの背負い袋に宝の匂いを感じ取ったようである。
しかしセトは背負い袋の中を見せてやったりはしなかった。
はっきり言って、そんな場合ではなかったのである。
追いかけてくるケイプマンから逃げるため階段を駆け下りるのが精一杯だった。
【1+2+2】
4階から3階への踊り場に人影が見えた。
黒くて長い髪にもロングのレザーコートにも見覚えがある。とりあえずタクトニムじゃない。
「おや? セトさん……何をそんなに慌ててるんですか?」
何とも呑気な口ぶりでシオン・レ・ハイが声をかけてきた。
オフィスビルの火災用非常ベルは基本的に押された階の上の階全てと、すぐ下しか鳴らないように出来ている。そして災害の規模に合わせ、管理センターがビル全体に警報を鳴らすか、アナウンスで済ませるかを判断するのだ。だから4階にいたシオンには警報が届かなかった。
しかしそんな事は誰も知った事ではない。
声をかけられた方は完全無視でシオンの傍らを駆け抜けていった。彼と一緒に走っていた他の2人も振り返りすらしない。
3人の背を見送りつつ首を傾げていたシオンだったが、階上から聞こえてくる足音に上を振り替えって得心がいった。
「あぁ、だから走ってたんですね」
などとのんびり納得している場合でもない。タクトニムが追いかけてきているのだ。
とりあえずシオンもセト達の後を追った。
「何でだろう……?」
ふと、セトが走りながら呟いた。とても沈うつとした顔だ。
「何がです?」
セトに追いついて並んで走っていたシオンが尋ねた。
「男ばっかり集まってくる……」
背中におどろ線を背負ってセトがぼやく。
「男ばっかりだと何か問題でもあるんですか?」
「大ありだっつーの。俺は女の子の方がいい!」
力を込めて言い切ったセトに、からかうようにJBが声をかけた。
「タクトニムの中にはメスの奴もいるんじゃいか?」
「…………」
嫌な想像をしてセトはげんなりした。
女性の姿をした人型タクトニムを思い出したのである。しかし、追いかけられるなら異形のタクトニムより彼女達の方がいくらか気分は晴れるかもしれない。
と、その足が、この期に及んでふいに止まった。
「お?」
JBが怪訝に足を止める。車は急に止まれないシオンが行き過ぎて引き返してきた。
「どうした?」
フルークが宙に浮いたまま尋ねる。
「この恋愛アイテムを使う時が来た」
セトは静かに答えると、階段から離れ3階のフロアへと歩き出した。
「は?」
呆気にとられつつ3人は顔を見合わせる。
フルークが後を追い、他の2人も首を傾げつつその後に続いた。
そこに1人の女性が立っていた。
セトの嗅覚もすごいものだ。
何となく他の3人は感心してしまう。
フルークにも負けず劣らずの青い髪を後ろで束ねバレッタでまとめたその女性はセトに気付いて、なんとも上品な身のこなしで一礼してみせた。
「まぁ、初めまして、わたくしナンナ・トレーズと申します」
深々。
その女性――ナンナ・トレーズが穏やかに笑った。寒い冬を忘れさせるかの如く暖かな陽だまりを思わせる。
「初めまして。俺は、早川セト。こいつらは……その愉快な仲間達だ」
セトが言った。
女なら一瞬は目を止めてしまうようなナンパな微笑である。内心で彼は、キマッタぜ、と思ったかもしれない。
「そりゃないだろ」
フルークがセトの頭をはたく。
「まぁ、後ろの皆さまも?」
ナンナが少しだけ表情を曇らせて、シオンらの更に後ろを見やって聞いた。
思わず後ろを4人が振り返る。
「や! あれは、別!」
セトは両手を振って否定した。
「タクトニムってやつだ」
フルークが続ける。
「危険だからお嬢さんは近づいちゃいけねーぜ」
セトがナンナの肩を掴んでフロアの奥へと促す。
「はい。でしたら、わたくしも微力ながらお力添えしたく思います」
「いや、お嬢さんはいいよ」
「いいえ。わたくしにお任せ下さい。救援を呼びますわ」
そう言ってナンナは徐にそこにあったボタンを押した。
せっかく鳴り止んだ警報が再び鼓膜を打つかのように思われたが、予想に反して警報は鳴らなかった。だがそれは、幸いにもセキュリティが切れていたからではない。防犯ベルは音を立てず、しかし確実に警備センターに届いていたのである。
「わ! 何しやがんだ!」
フルークがその事に気づいて声をあらげた。
「後は救援を待つだけですわね」
おっとりとした口調でナンナが微笑む。
「たぶん、駆けつけるのはタクトニムの救援だろうがな」
フルークはその場で頭を抱えたが、セトは大して動じた風もない。さっきさんざん非常ベルを鳴らしたので今更多少タクトニムが増えても変わらない、とでも思っているのだろうか。
いや、違った。
パーティーに女の子が加わった事が問題のようである。
「そうだ。いいもんあったんだ」
会心の笑みでセトは武器のつまった背負い袋を漁った。
「いいもん?」
フルークが首を傾げる。
「このガラクタのつまった袋の中に?」
明らかに疑いの眼差しだ。
「ガラクタ言うな!」
セトがムッとしたようにフルークを睨む。
「すごい武器の山ですね」
横から覗いていたシオンがしみじみ言った。
「エセだけどな」
フルークがボソリと突っ込む。
「ほっとけ」
「エセ?」
シオンが首を傾げるとJBが目を輝かせて言った。
「宝の山だ」
「宝の山……ですか」
今一つ腑に落ちない。
「あった、これだ……」
やっと目的のものを見つけてセトが取り出した。
「まぁ、何ですか? これ、うさぎの耳に見えますけど」
その通り、セトが差し出したのはうさぎの耳のついたヘアーバンドだった。
「おうよ。これをこうやって付ける……」
セトはナンナにうさ耳バンドを付けて満足そうに呟いた。
「かわいいぜ」
しみじみ。
「まぁ、似合ってます?」
嬉しそうにナンナが傍らのフルークを振り返った。
「え? あ、うん。この状況には微妙にそぐわない気もするけどな……」
ナンナの満面の笑みにフルークはぶっきらぼうに答えて、テレたようにそっぽを向いた。心なしか頬が赤い。
「何をいう! これで少なくとも俺のやる気は当社比10倍だぜ」
「じゃぁ、その10倍になったやる気で、あれを倒してきてくれよ」
フルークがそう言ってケイプマンらを振り返った。
だが、その視線はケイプマンまで届かず、別のものに阻まれた。
「どうじゃ?」
茶目っ気たっぷりの笑顔でJBが尋ねた。
口許に人差し指をあて、上目遣いにフルーク達を見つめている。
頭にうさ耳バンドを付けて。
「!?」
「貴様、パーティーの士気下げてどうすんだ!?」
ドカバキ!!
――地獄とは意外に身近に存在するものである。(byJB)
「あのぉ……」
うさ耳バンドを付けた屈強なおやじにフルークとセトが2人がかりで蹴りを入れていると、シオンが、お忙しいところ失礼します、とばかりにおずおずと声をかけた。
「何だ!?」
2人が異口同音でシオンを振り返る。邪魔するな、と目が怒っていた。シオンはおずおずと言った。
「いえ、あの、和んでる場合でもなさそうなんですが……」
確かに和んでる場合ではなかった。
【1+2+2−4】
ケイプマンが3人のコントに付き合う理由も、待ってやる理由もない。要するにそういう事だったのである。
ケイプマンの攻撃が今にも5人に襲いかかろうとしていた。
「わぁ! とにかく、何か武器だ!」
そう言ってセトは掴んだ拳銃の引鉄を引いた。
飛び出したのは花束だった。
「まぁ、素敵ですわ!」
ナンナが嬉しそうに手を叩く。
「おぉ。それ、いいのぉ。我輩に是非くれんか」
JBが言った。
「ただでは、やれねぇな」
セトが答える。
JBは、うーんと唸って、どこから出したのか電卓を叩き始めた。
「これでどうじゃ?」
ってなものである。
「これ、頂けます?」
セトの背負い袋を覗いていたナンナがモーニングスターを取り出して尋ねた。但し、モーニングスターの先に付いてる鉄球は、鉄ではなくゴム製だ。
「おぉ、いくらでも持ってけ!」
太っ腹にセトが答えた。となれば、納得のいかないのはJBだ。
「おいおい」
「うるさい。俺は女の子の味方なんだ」
「よく、この状況でコントがやってられるな」
呆れ顔で突っ込んで、フルークは謎のロケット弾を装填すると再びランチャーを構えた。
「あ、おい、それ……」
セトが何かに気付いて慌てたように手を伸ばす。彼の勘が、それはやばいと訴えていた。何がやばいのか。
「ん? なんだ?」
セトの様子を訝しみつつフルークが振り返った時には既に引鉄を引いた後だ。
ロケット弾はケイプマンの分厚い胸に見事に命中したが、それはただのロケット弾ではなかった。
「はっくしゅん…はっくしゅん」
「ばっ…へーくしっ。風上…へっくし」
このバカ、風上に向かって撃つ奴があるか、と言いたいらしい。炸裂したのはコショウ弾だった。
涙を流しながらくしゃみを続けるセトにフルークが答えた。
「ひゃっへーくしっ……ひらなへーくしん」
だって知らなかったんだからしょうがねーじゃないか、と言いたいが、うまく言葉にならない。
「へーっくしっ…へーくしっ……へーくっし!?」
いきなりパーティー全滅の危機か!? とは、JBの言であったが、誰にも伝わらなかった。
くしゃみだけでなく涙と鼻水も止まらなくて皆しゃがみこんで悶え苦しんでいる。
しかし、誰もがくしゃみに耐え忍んでいる中、1人平然としている者があった。
「どうしました皆さん。大丈夫ですか?」
シオンである。
「ひゃひっ(なにっ)!?」
驚いたようにセトが見やった。
フルークが辛そうに咳き込みながら続ける。
「へーっくしんっ……オールへーくしっ!?(オールサイバーか!?)」
どうやらコショウもオールサイバーには効かなかったようである。
「ひへー! ひまほほ、ひへー!!(行けー! 今こそ、行けー!!)」
セトがオーバーアクションでタクトニムに向けて指差した。
「はぁ……」
何となくセトの言わんとしている事を読み取ってシオンは高周波ブレードを構える。一応、力をつける為、経験を積む為にここへ来たのだから、タクトニムと戦う事はやぶさかではない。
シオンはブレードを手に高機動運動に入ると一気にタクトニムとの間合いを詰めた。
ブレードを振りかざしタクトニムの上腕部に叩き込む。その瞬間、
「あ……」
と、彼は何とも間の抜けた声をあげていた。
着地と同時に踵を返す。
タクトニムに背中を向けたかと思うと彼は高機動運動をそのまま時速100kmという猛スピードでセト達のもとへ駆け戻ってきた。
「電池切れです」
不承不承シオンが言った。
「ひゃひぃ!?」
セトが悲鳴にも似た声をあげる。
そこへナンナが進み出た。
「まぁ、大丈夫ですの? わたくしサイバーは詳しくありませんけど、多少の医療の心得ならございますのよ」
その多少の医療の心得で、鼻の粘膜をカバーし、コショウによるくしゃみの抑制に成功したナンナが言った。
本気の顔だ。
しかし多少の医療の心得で、どうやってサイバーの電池切れを治すつもりなのだろう。
「いや、電池が切れたのはブレードですから」
彼女の天然ボケに気付かないのか、シオンが生真面目に答えた。困惑げに頭を掻いている。
「まぁ。それはちょっとわたくしでも治せませんわね」
ナンナはやっぱり真顔で言った。
サイバーだったら治す気だったんだ……とフルークは内心で呆気に取られる。
「とりあえず、何か武器借りますよ」
そう言ってシオンはセトの背負い袋の中を漁った。
「えへひゃけほは(エセだけどな)」
フルークが突っ込んだ。
「えへひふな(エセ言うな)!」
セトがムッとしたように返す。
お互い喋ってる言葉がきちんと聞き取れてるわけではなかったが、何となく言わんとしてることがわかるらしい。
「これ、借りますね」
そう言ってシオンは拳銃を取るとタクトニムと対峙した。
間合いを取りつつ引鉄を引く。
ジャーと、勢いよく水が出た。
「!?」
どうやら、ただの水鉄砲だったらしい、と彼が気付いた時には手遅れだった……かもしれない。
ケイプマンの豪腕がシオンを襲った。
【1+2+2−4+4】
一方――――。
「ほへほひ、ほへふはん。ほへのふひゃひほはほひへふれはひは(それより、おぜうさん。俺のくしゃみを治してくれないか)」
お嬢様座りで床に座っていたナンナの膝にさりげなく頭をのせて半ばうっとりした顔でセトが言った。
「え!?」
ナンナが驚いてその顔を持っていたモーニングスターではたく。
ゴム製なので大して痛くはなかったろうがセトの頭はナンナの膝から落ちて床にゴンゴンと音をたてて落ちた。
「ひゃへーっくちっ?(大丈夫か?)」
フルークが呆れたようにセトの顔を覗き込む。
しかしセトは、打ち所が悪かったのか、嬉しそうに笑っていた。
「ひょんひゃへーくちっ……ひへへへ(女の子になら殺されても本望さ)」
「ひゃんはへーはだな(何か平和だな)」
その様子を見やりながら、JBがしみじみ言った。
段々、コショウにも慣れてきたような風情だ。
「平和じゃありません」
シオンが水鉄砲でタクトニムと応戦しながら声をあげた。いや、はっきり言ってめくらましにもならない水鉄砲の威力に、どちらかといえば逃げ回ってるだけであったが。まぁ、彼がこの前出会ったビジターキラーに比べたら比較にならないほどノロマなケイプマンである。その上、銃器類を使ってくるわけでもないから、とりあえず避けるのは簡単だった。避け続けるのも意外と簡単だった。
しかし、そうやって1人でケイプマンの気を引き続けているのである。
果たしてその後ろで、こんなに和んでていいものだろうか。
「さすがに、彼だけに事態を任せておくわけにはいかんのぉ」
ナンナの治療を受けたJBは、やれやれと重い腰をあげて自分のポケットから、先ほどのオフィスで拾い集めた携帯電話の充電部を取り出した。
「それで、何をするんだ?」
やっぱりナンナの治療を受けたフルークが尋ねる。興味津々の顔だ。
「まぁ、見ておれ。これでも我輩はサバイバルの教官をしてた事もあるんじゃ」
そう言ってウィンクしてみせるとJBはシオンを呼んだ。
「おい、そこのオールサイバー」
「私の事ですか?」
シオンがケイプマンの蹴りをジャンプしてかわしながら振り返った。
「そうそう。ちょっと力がいるから貸してくれ」
「はい」
答えてシオンは跳躍した。ハエも止まりそうなスピードで蹴りを入れてくるケイプマンの太ももを蹴って。勿論、実際にハエが止まれるようなスピードではないが、高機動運動状態にある彼にはそう見えるのであった。
「これを軽く叩いて壊したら、あのタクトニムに向かって力一杯投げつけよ」
JBが充電部をシオンに手渡して言った。
「はぁ……」
腑に落ちない顔をしつつ、このまま逃げ回ってるばかりでも拉致が開かない事に、シオンは言われた通りに充電器を軽く叩き割ると、それをタクトニムに投げつけた。
それだけで、あろうことかタクトニムが苦しそうにもがいたのである。
「え?」
「今じゃ! 今こそ水鉄砲の威力を見せ付けてやれ」
「はぁ?」
首を傾げつつシオンは水鉄砲を撃った。
タクトニムが更に苦しそうに暴れ出す。
「何が起きたんだ?」
フルークが唖然としながらその光景を見つめて呟く。
肉が焦げたような匂いが彼らの鼻腔をついた。
「昔の充電器に使われとったリチウムイオン電池は水と反応すると800度の高温に達すんじゃよ」
「へぇー」
フルークは感心したように呟いた。
油性マジックのロウソクといい、何げに物知りである。サバイバルの教官は伊達ではなかったらしい。
「つまり体液にも反応するわけですね……」
シオンが焦げた右手の人工皮膚を見ながらぽつりと言った。
「あぁ」
JBは力強く頷いた。だからこそオールサイバーの彼にお願いしたんだ、と言わんばかりで。
シオンはぼんやり思った。
こんな事なら人工皮膚に覆われていない左手で投げるんだった、と。
「とはいえ、どうやら致命傷は与えられんかったようじゃのぉ」
咆哮を迸らせつつこちらを睨んできたケイプマンにJBが困ったように首を傾げて言った。
【1+2+2−4+4+?】
『うさ耳メイド』のらびー・スケールはオフィス街を練り歩いていた。
何故だか行けども行けどもタクトニムと出くわさないのだ。避けられているのだろうか。
これでは、やり場のない怒りも静められなければ、腕試しすら出来ない。
と、傍のビルの上の方から突然警報のような音が聞こえてきた。
誰かに何かあったのだろうか。
何れにせよ、この音を聞いてタクトニムも集まってくるに違いない。
そう考えたらびーは早速ビルの中へと入って行った。
1階のロビーを横切り階段を上る。
3階のフロアーでタクトニムの巨体の背中が見えた。
その先には5人の若者(一部語弊あり)がタクトニムに襲われているではないか。
「大丈夫!? あなた達!!」
声をかけてらびーは彼らに駆け寄ろうとした。
5人が自分の声に気付いたようにこちらを振り返る。
安堵の顔は……しかしそこにはなかった。
明らかに怯えた顔をしている。
タクトニムに襲われているのだ、無理もない。
そう思ってらびーは再び声をかけた。
「もう、だいじょ……げふっ」
言いかけの言葉は彼らが投げつけてきた何かによって阻まれた。
それはどのデスクにも一様に乗っているバインダーだった。
らびーは素直に思った。――なんてコントロールの悪い連中なのかしら。
いくらタクトニムの傍にいるとはいえ、自分も大概大きい方だが、そんな自分もすっぽりおさまるぐらいのタクトニムの巨体をはずして、自分に当てるとは。
しかし、らびーはそれで怒ったりはしなかった。
彼らの中には2人も、うさぎの耳を付けてる者がいるのだ。
自分とお揃いだ。
可愛いものには目がないらびーは何だか嬉しくなってスキップ混じりに近づいた。
「今、助けにっ…がふっ」
最初はペンスタンドだった。次に電話が飛んできた。それからノートパソコンが飛んできて、果てには椅子まで飛んできた。たぶん、次は机だ。
「本当に、コントロールが悪いわね」
らびーは呟きつつ足を止めて、飛んできた机を避けた。
「私がきたから、もう大丈夫よ」
そう言って、傍らでもがいているタクトニムの腕を掴むと背中に担ぎ上げた。
全身をばねにして力任せに投げる。
背負い投げ一本。
オフィスに並ぶ机の上に力一杯叩きつけると、下敷きになった机はへしゃげ、タクトニムはさすがに起き上がってこれなくなった。
「もう安心して。私がみんなをヘルズゲートまで無事に届けてあげるから」
べきばきぼきっ、と何かがへし折れるような嫌な音がフロア全体に広がった。
倒れたタクトニムの太ももに跨って、らびーがタクトニムの足を引っ張ったのだ。普通ではありえない向きに直角に曲がったタクトニムの足に、らびーは満足そうに笑った。
その瞬間、一斉に、いろんなものが飛んできた。
******
誰もが我が目を疑った。
誰もが手で口許を押さえ、込み上げてくるものを必死で堪えた。
ピンク色の髪は、まだいい。それもどうかとは思うが。
髭までピンク色だった。
それだけじゃない。頭から生えた二本のうさ耳もピンク色なら、その身に纏うメイド服もピンク色だ。髪を飾るリボンがかろうじて黒かったが、そんなものは何の慰めにもならない。
そのミニのスカートから生えた筋肉質の太ももは、ナンナのウェストよりも太く見える。もしかしたらあの二の腕も同じくらい太いかもしれない。3桁はゆうに越えるバストに谷間は見当たらなかったが、代わりに髭を付けた愛らしいうさぎが、その逞しい胸元を飾っていた。
「なっ…なんだ、あれは!?」
セトが驚愕に目を剥いた。
「新種のタクトニムでしょうか?」
ケイプマンにもビジターキラーにすら退くことのなかったシオンの腰が引けている。
「何か今、タクトニムを投げたぞ」
フルークは無意識に生唾を飲み込んだ。それでもやけに喉が乾く。迫り来る恐怖に背筋が凍った。
「もしかして、わたくしたちを助けてくださったんじゃなくて?」
1人、ナンナだけが動じた風もなくにこやかに言った。
「いや頭が悪いだけかもしれん」
自らもうさ耳バンドを付け、顰蹙を買ったJBであるが、これには負けた、と思った。何に負けたのかは突っ込むべきところではない。
「タクトニムを襲うタクトニムもいるらしーからな」
セトは頬を引きつらせて後退った。
「あれは視覚的に敵を叩きのめすタイプだな、きっと」
正視出来なくて、焦点をわずかにずらす。それでも鮮明な映像が脳裏に焼き付いてしまっていて、フルークは嫌そうに首を振った。このままでは夢で魘されそうだ。
「ですが、タクトニムのあの巨体を軽々と投げましたよ」
視覚だけではないと言いたいのだろうシオンの言葉に、JBのこめかみを冷たい汗粒が流れ落ちた。
「タクトニム……恐ろしい奴らだぜ」
刹那、野太い声が彼らの元へ届けられた。
「みんな! 大丈夫!?」
…………。
「おい、なんか喋ってるぞ」
短い沈黙の後セトが誰にともなく言った。
うさぎの耳をしたメイド姿の新種のタクトニムの言葉が、自分の使っているのと同じだと気付かない彼である。
「喋る知能はあるのにタクトニムを襲うバカか?」
フルークも半ばパニック状態だ。
誰もがどうしていいかわからず固まっている中、何かに気付いてナンナが駆け寄った。
「まぁ、タクトニムさん。血が出ていましてよ?」
「あ……」
セトが止めるのも間に合わない。
ナンナの声に『うさ耳メイド』が振り返った。
「あら、これくらい大丈夫よ。それより、あなた達、大丈夫?」
と、『うさ耳メイド』が笑った。
「はい。わたくしは、全然」
ナンナが笑みを返して応える。
「お、おい……」
男が4人遠巻きにしている。
「おぜうさん。大丈夫ですかー?」
セトが代表して声をかけた。
「はい。だって、お揃いですもの。悪い人ではありませんわ」
ナンナは4人を振り返って、ふわりと和やかに笑ってみせた。
「いや、お揃いなんて、んな可愛いもんじゃないから……」
【たくさん寄れば文殊の知恵】
らびーが新種のタクトニムかもしれないという誤解は、ナンナのおかげでとけた。とはいえ、何となく皆らびーを遠巻きにしていた。ナンナを除いて。
何やら意気投合したらしいナンナがらびーと親しげに話しているのに、女の子の為なら死ねる覚悟のセトさえも、近づく事を躊躇っていた。
かくして1階のロビーにやってきた彼らである。
出口に立ちはだかる一体のタクトニム。
6人は一斉に臨戦体制に入った。
対抗手段はセトの持っているエセ武器である。
他にもいろいろなくはないのだが、近距離武器が殆どだったからだ。
距離にして10m強といったところか。
「あ、これって、使えんじゃねーの?」
セトの袋を覗いていたフルークがペイント弾を取り上げて言った。
「ん?」
JBが覗き込む。
「油性マジックのインクは燃えただろ」
「なるほど」
フルークの考えている事に気づいたらしくJBはニヤリと笑みを返した。
「よし、手のあいてる者は直接投げるのじゃ」
JBの号令で5人は一斉にペイント弾を投げつけた。
力のないナンナはペイント弾を詰め込んだライフルを使う。
程なくしてカラフルに染まったタクトニム。
「で、どうすんだ?」
ビビットカラーのタクトニムにセトが聞いた。
「後は火を点けるだけさ」
フルークが答える。
「どうやってですか?」
シオンが尋ねる。
「この手榴弾なんかいいんじゃないか?」
そう言って袋の中から手榴弾を取り出したフルークに、セトがすかさず突っ込む。
「普通の手榴弾じゃないだろうがな」
なんせ、ろくなものが入ってない袋である。
「よし、投げるぞ」
「ナンナちゃんは俺が守るからね」
どさくさに紛れてセトがナンナの肩を抱いて床に伏せた。
皆も床に伏せる。
安全ピンを抜き、フルークが手榴弾を投げた。
「うーん。いい眺めだ……」
「ちょっと、やる気出たな」
「俺はもっとチラリズムを大切にして欲しかったな……」
それぞれがそれぞれに感想を述べる。
爆風の代わりにそこに現れたのは女性のヌードの3Dホログラムだった。
「もしかして今ので最後か?」
JBがセトの背負い袋の中を捜して尋ねた。
「あぁ、そういえば手榴弾は一つしか入ってなかったな」
「…………」
残念そうにJBが項垂れる。
その隣で絶句していたらびーが野太い声をあげた。
「不潔よ! みんな不潔だわ!!」
誰もがらびーを見やった。
「…………」
誰もが、あんたに言われても、と内心で突っ込んだに違いない。しかしそれを口に出せる勇者は、この4人の中にはいなかった。
思い出したようにセトがナンナを振り返る。
「おぜうさんは大丈夫なのか?」
「わたくしは見慣れておりますわ」
ナンナは胸を張った。これでも多少医療の心得があるのだ。裸どころかその中身見せられたって平気である。
だが、そういう風には誰もとらなかった。
らびーを除く4人が心の中で一歩弾いていた。
「……燃えませんね」
中味は厳格、自称エレガント紳士なシオンが、3Dホログラムには敢えてコメントを控え、冷静に状況を指摘した。
「まぁ、あれじゃぁな」
フルークが溜息を吐く。
「俺は萌えたけどな」
とは、セトである。
「タクトニムも動き止ってるしの」
「やっぱり、欲情とかするのかなぁ?」
どうにも話しが横道にそれていく面々である。
「そういえば、あんたまだマジック残ってる?」
フルークがJBに尋ねた。
「ん? あぁ」
JBはポケットから油性マジックとライターを取り出した。
それを受け取ってフルークがマジックに火を点ける。
「じゃぁ、俺がちょっくら上から落としてくるわ」
そう言って、マジックを手に宙を飛んだ。
タクトニムの真上から火の点いた油性マジックを落下させフルークは素早く飛び退る。タクトニムはペイントに含まれていた可燃性溶液に引火し見事に炎上した。
******
「やった、かしら?」
「うーん」
「一瞬だったからな」
「一瞬でしたね」
「本当にのぉ……」
6人は天井を見上げた。
天井からスコールのように水が降り注いでいる。
炎と煙にどうやらスプリンクラーが作動したようだった。炎上したのは正に一瞬で、あっという間に鎮火したのである。
「凄い雨ですわね」
「あれだ。トリモチにワイヤー繋いで電気流すとか」
「間違いなく、我々も感電死ですよ」
「だよな……」
これだけ床も濡れてしまっているのだ。
「大丈夫よ。これくらい、私に任せて」
らびーが一歩前へ進み出た。
うさぎ印がトレードマークなのか箒を構えている。それで殴り倒そうというのか。
しかし飛び出したのは一本背負いの方であった。
いやぁ、人生なんとかなるものだ。
【Epilogue】
6人は走っていた。
力の限り走っていた。
後ろから何体ものタクトニムが追いかけてくる。
ビルを出たら外をタクトニムが取り囲んでいたのだ。
さすがに数が多すぎる。
時々振り返って、皆それぞれにエセ武器で応戦した。
らびーがしんがりを務めている。
らびーが威嚇すると何故かタクトニムが一瞬逡巡するからだ。
そうして6人は命からがらヘルズゲートを抜けたのだった。
−End−
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0573】早川・瀬戸
【0295】らびー・スケール
【0375】シオン・レ・ハイ
【0538】フルーク・シュヴァイツ
【0579】ナンナ・トレーズ
【0599】J・B・ハート・Jr.
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
>セト様
コメディ戦闘になってますでしょうか?
>らびー様
惚れました。うちの専属メイドになってください(告)
>シオン様
ギャップを楽しませて頂いてます。運次第はデフォルトですか?
>フルーク様
彼の突っ込みなくして、この物語は完結しなかったでしょう。
>ナンナ様
是非、うさ耳バンドは標準装備してやってください。
>JB様
逃げるので手一杯で孫とひ孫の話しが聞けなかったのが残念です。
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