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<東京怪談ノベル(シングル)>


「やさしいまどろみ」



毎年規則正しくやっては来るものの、どうしても抗えないものはある。
それは、この年末年始にかかる街ののん気さと、休暇気分だ。
他にもゴールデンウィークや夏期休暇はあるし、別段いつも急いで仕事をしている訳でもないので、そういう意味では休暇とそれ以外の境目などない生活だが、それでも、この年末年始だけは特別なのだ。
年も改まったというのに、とクレイン・ガーランド(くれいん・がーらんど)はややはかなげなため息をつく。
ここ1ヶ月ほど、結局何もしないまま過ごしてしまった。
ちょうど年の瀬も押し迫った頃に、仕事をすべて片付けてしまったせいもある。
ぽっかり空いた、魂の休養期間のようだ。
斜めに部屋に差し込んでくる冬独特の白い光が、床に明るく陽だまりを作り、ふとそちらに目をやったクレインは、しばしその場所に視線が釘付けになる。
猫とは、どうしてそんなにも、自分が快適になれる場所を見つけるのが上手いのだろうか。
手触りのよさそうなビロードの黒毛を、のんびりと太陽にさらし、かすかな寝息をたててすっかり寝入ってしまっている。
その様子は、最近の自分の姿のようで、またため息が唇からこぼれた。
自分も同じように、すっかり日も高く昇ったというのに、まだベッドの中だったのだ。
「仕方ありませんよね、こんなに気持ちのいい午後なのですから」
一瞬、声に反応するかのように、ぴく、と片耳を持ち上げ、黒猫はまた元の姿勢に戻る。
寝息のリズムは変わらない。
手触りのいいシーツの波の合間で、クレインは片手を額にやって天井を見上げた。
「今日は何も予定がありませんし・・・たまにはこんなふうに過ごすのも、悪くはないでしょう?」
また、片耳を上げて、黒猫は反応する。
おそらく、聞いていないようで聞いているのだろう。
半分眠りの世界に溶け込みながらも。
クレインもそれを理解している。
だから、枕の上にその銀色の髪を無造作に広げながら、少し笑みを刷いた唇に、優しい言葉を乗せ続けていた。
「こんな日に、心が荒むような出来事に遭うのも嫌ですからね。ここでこうしているのが、きっと一番なのですよ」
自分でも少々言い訳じみているなとは思ったものの、そう口に出してみると、案外気分が楽になった。
それに賛同したのか、クレインの右側の一角に、いつの間にか黒猫が丸くなって納まっていた。
ぱたぱたと、長めの細いしっぽを羽根布団に打ちつけながら、それでも目は閉じたままだ。
やや大儀そうなあくびをひとつして、また眠る体勢に落ち着く。
クレインは、そのしっぽを不意に指先でつまんでみた。
びくりと身体を震わせて、黒猫は心外だと言わんばかりに首を上げた。
「ふふ、気になりますか?」
不意にしっぽを解放して、今度はゆっくりと首の上を撫でてやる。
最初は嫌がるようにあちこちに頭を振っていたが、観念したのか、自分からごろごろと喉を言わせてきた。
黒い毛並みは、先日洗ったので艶やかだ。
かすかに、太陽のにおいがする。
「せっかくの午後ですからね・・・今日はふたりでこうしていましょうか」
音もなく、香りもなく、ただそこにあるのは、あふれんばかりの黄金の光とぬくもり。
そして、小さな、生きる命。
いつしかこの孤独な生活の片隅に、今日の陽だまりのような暖かさを連れてきた黒い使者に、クレインは心の底から感謝していた。
何かを愛しく思う気持ち――――もうとうの昔に失ったと思っていた、柔らかさに満ちたそんな気持ちを、この小さな生き物が思い出させてくれたのだから。
世の中は相変わらず、光にあふれ、やさしさにあふれている。
その目に映すつもりさえあれば、いつでもすぐ側にたたずんでいるのだ。
「・・・あなたに出会ったのも、運命なのかも知れませんね」
既にすべて終わったと思っていたけれど。
クレインは、黒猫をあやしながら、微笑を浮かべる。
「こんな穏やかな日を私に与えてくれて、本当にありがとう・・・」
そんな彼に、黒猫はたった一言、応えるように「ミィ」と、鳴いた。


〜END〜