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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


□■□■ 葬師を倒せ!<1> ■□■□


「はーいはいはいはーい!! みんな、注目して欲しいんだよ!!」

 ヘブンズドアの一角、比較的ビジターが集まる酒場の一角。酒以外の飲み物もあるので未成年者も多く、また、ビジター以外の客も多くたむろするその店。
 カウンターの上に仁王立ちになっている少女が張り上げた声に、一同がまたかと苦笑を漏らす。だがそんな気配に気付かず、少女――綺葉堂葵は、白衣を翻しながら声を張り上げる。

「えーとね、第三セフィラ棟攻略ツアーに行く人を募集中、なんだよ! 葬師がゲートの内部に行ってるときを狙う予定、いっぱいトラップが仕掛けてあると思うから、そーゆーのを回避できる人が良いんだよっ! 報酬は、えっと……何も出せないけど、お茶とお菓子は保障! なんか電子部品とか見付かったら、横領も許可! お願いするんだよー!!」

 おー!!
 冷やかしの客達が盛り上がる。
 葵はにっこり、笑みをばら撒く。

 第三セフィラ棟はジャンクケーブの一角にある廃施設である。いつの間にか住み着いていた、凶暴陰険高慢鼻持ちならないなまっちろ青年・葬師が仕切るようになってからは、その四階以上が閉鎖されていた。もっとも彼が住み着くまではタクトニムによって閉鎖されていたのだから、その内部は正に謎である。
 研究者としてやってきている葵が興味を惹かれるのも無理は無いのだろう。自分の任務に一生懸命で、しかしそれがまるで実を結ばない――そんな葵を、ビジター達は愛していた。

 もちろん、飽きない玩具として。

 一方店の外、ゲートから帰ってきたばかりの葬師は彼女の巨大な声を聞きながら、うんざりと頭を抱えていた。まったくどうしてこうも懲りないのか、そしてアホなのか。頭が良いのも嘘のような気がしてきたが、まあいい――。
 遊んでやろう。

■□■□■

「丁度良いな、前回は色々と世話になったし、その仕返し……もとい、お返しをしてやるのも一興だ。しかし本当にあいつは、一体何をそんなに隠しておきたいのだろうな」

 階段で四階に到達した最初の一歩目と同時に、呂白玲はぽつりと呟く。辺りが静かな所為か、その声は妙に響いて中々消えない。

 セフィラの探査や葬師の生態に興味を持ってやって来たは良いものの、葵はどうやら殆ど一歩目でトラップに掛かるのが常らしい。情報も何もあったものではないのだからとにかく行ってみなければどうにもならないだろう、彼女は葵の部屋で簡単な結論を出してすぐさま階段へと向かっていた。どうやら各フロアに階段は一箇所ずつ、かつエレベーターは全て使用不能と言うのだから、通路は一つである。その一点を守られてしまえば打つ手は無いが、逆転、そこさえ突破できればどうにでもなる。ゲート破りと原理は同じだとの考えが、白玲にはあった。
 ビジターとして複数のタクトニムに応戦できるようにもなったのだし、以前とは違う実力を葬師に示しておく良いチャンスだとも思ったのだが、さてはて葵を守りながら進めるやら――保護者のような心地で彼女はフロアを見渡した。コンクリートが部分的にむき出しになっている壁や剥げたタイル。こんなところで一人篭っているのがいつものことなのだとしたら、寂しくは無いのだろうか。……否、あの男にそういう感覚は無いのかもしれない。本人の前で言えば笑われそうなことだ。

 質問とも取れる独り言に、葵がうーん……と声を漏らして考え込む。ぴよぴよと、本日はツーテールにされた赤毛が揺れていた。歩く度にひらひらと白衣の裾が揺れる。少し歩けばやがて、廊下の真ん中に何かが積み上げられているのが見えた。近付くとそれが、巨大なマットのようなものなのに気付く。一部分が凹んでいて、まるで腰掛ける為のくぼみのようだった。
 その周りにはぽつぽつと、生活用品が点在している。小さな古い冷蔵庫、屑籠代わりらしい巨大なペーパーバッグ。薄汚れたボールは多分、飼っているらしいイタチのものなのだろう。ここが生活空間なのかと思うと、あまりにも寂れているのに正直驚く。

「何を隠したいのかって言うか、何を守りたいのかって感じにも、思えるんだよ。こんなとこに陣取ってたら動けなくて、寂しいだけなんだよ」
「確かに、ここまで凝縮された暮らしだとは思わなかったな……何が楽しいんだ、あいつは」
「わかんないんだよ。ちなみにここの部屋に他の道具もしまってある」
「本当にここで暮らしてるんだな!」

 葵が手近のドアを開けると、そこには服やらバスタブやら洗濯機やらが設置されていた。汚れてはいるがそれなりに使えそうなシンクまで設えられてある。下手をするとギルドの寄宿小屋よりも勝手が良いのかもしれない、どこから電気ガス水道を引いているのかは謎だが。ここであのコートを漂白しているのかと思うと何故だか笑える。
 葵は軽く髪の先をいじりながら、白玲を見る。

「何もかも捨てて閉じ篭りたいって思ったこと、私には無いんだよ。だから葬師が何でこんなにしてまで塞ぎたいのか、わかんないんだよ」
「私も、そういう感情とは無縁だったな。そこまでして隠したいもの、いや、守りたいものかもしれないが――俄然興味はそそられる」
「だよだよっ」

 くす、と少しだけ意地悪気に笑った白玲に、葵もまた笑みを漏らす。二人は山のように積み上げられた巨大なマットの脇をすり抜けて、いざ、探索へと――

「ふぎゃ!?」
「ッげ」

 踏み出した一歩が、何か極細のラインに触れる。その感覚を訝るよりも先に、降って来たネットに気が付いた。最初からトラップなんて聞いていない、白玲は咄嗟に背負っていた弓を取り出し矢を番え、放つ。すぐさま意識を集中し、矢を操った。弾道に視点を移行させ、矢先の刃でネットを切り裂く。どうやら特殊な繊維でなかったらしいそれは簡単に裂け、四分割されてばさりと彼女達の上に落ちた。白玲は身体をするりと抜けた網に、ほうっと溜息を吐く。見れば、葵は頭を押さえて蹲っていた。諦め、良すぎ。

「あ、ああれれ? ひ、引っ掛かってないんだよ?」
「ふっ、私の矢に掛かればこんなもの……」
「でも白玲ちゃん、『げっ』とか言ってたんだよ」
「空耳だ幻聴だ吹聴だ」
「吹聴違うよ!」
「と、兎も角進むぞ! 一歩踏み出しただけで止まっていては探索など出来んからな!」

 二歩目を慎重に踏み出し、白玲は改めて気配を伺う。慣れていない場所なので不自然な箇所を見付けるのも難儀だ、矢を弓に番えて何時でも放てるようにしておくぐらいのことはしておかねばならないだろう。死ぬような仕掛けはいくらなんでも無いだろうと踏んではいるが、油断から怪我でもしてはを堪ったものではない。以前よりも腕は上がったのだから、それを見せるためにも――

 五歩目のタイルが沈む、と同時に床が抜けた。

「ひゃ」

 弓に番えていた矢が放たれる、だが対象物が無いのではただそれは飛んで行くだけだ。落とし穴なんてどうやって作ったんだ、見れば下はどうやら三階の廊下らしい。落ちても大した怪我にはならないだろうが、と、白玲の身体が引き寄せられる。一緒に落ちた葵の腕が、彼女を引き寄せていた。そのサイバー化された指先から極細のワイヤーが放たれるが、引っ掛けられる場所など――それは白玲の放った矢に絡みつく。彼女は咄嗟に、矢を飛ばした。

「ううわわわ!!」
「ッ、ふう……危なかった」
「う、腕が抜けるんだよ、脱臼なんだよっ! 頑張ったのに、頑張ったのにー!」
「大丈夫だ、死にはしない! しかしサイバーと言うのは便利だな、カラクリ仕掛けのようにギミックが付けられる……助かった。まったく、十歩も行かんうちに第二撃とは警戒が過ぎる。どうなっているのかいよいよ気になって来たぞ」
「……そう、だね」

 一瞬陰鬱そうな表情を見せる葵を訝りながらも、白玲はきょろりと辺りを見回すのに余念が無い。立て続けに二つトラップがあったのだから、少しぐらいは静かになっていてもよさそうだが、相手があの陰険ではその期待も若干薄まると言うものだ。葵を自分の後ろに付け、白玲は慎重に脚を進める。浮いたタイルや天井、壁にも注意を払うが、やはりそれらしい仕掛けは見付けられない――プロか、何者だ。弓を握り締め、ゲームに挑むようなどこか気安い緊張感を覚えながら、白玲はゆっくりと踏み出す。脚を軽く乗せ、何も無いと確認してから、タイルを一つ一つ渡っていく。

 初めてセフィロトにやって来た日以降も、葬師と顔を合わす事は度々あった。酒場であったりゲートであったり、迷い込んだジャンクケーブであったり。子供扱いや身長をからかわれることが大半だが、それでも嫌いではない。と、思う。
 かと言って好ましいと思っているわけでもないから、こうして忍び込んでいるわけだが。張られたピアノ線に気付き、白玲は脚を止めた。落ち着けばこの程度どうと言うことも無いが、二番煎じのトラップと言うのは大概何かの仕掛けをカムフラージュするものだろう。首を回して視線を巡らせば、案の定、天井の亀裂からスコープが覗いていた。おそらくは赤外線、床まで垂直に下ろされ、何かが引っ掛かるとトラップが発動する仕掛けなのだろう。
 葵に天井を示し、ラインを避けながら、ピアノ線も跨ぐ。気を付ければこの程度、ぐらり。

 ……ぐらり?

「……白玲ちゃん、今何だかすごく嫌な音がしたんだよっ」
「私も凄く嫌な手ごたえと言うか、足ごたえを感じた」
「って言うか、何か近付いてくる音がするんだよ」
「背後から激しく、するな」
「……………」

 ごごごごごごごごごごごご。

 恐る恐る二人は、背後を振り向く。
 何故に。
 何故に、何故に。

「な、なんで室内で大岩が転がってくるんだよーッ!?」
「むしろあれ潰されたら死ぬだろう、確実にご臨終だろう!? 殺す気満々のトラップじゃないかぁああ!!」
「って言うか逃げなきゃだよ、潰されちゃうんだよー!!」
「待てこら先に逃げるな葵!!」
「白玲ちゃん足遅いよ、リーチ短いよ!」
「うるっさいー!!」

 背後に迫り来る大岩から逃げるという切羽詰った状況にも拘らず、会話を交わしている余裕はあるらしい。ばたばたと懸命に走るが、いかんせんリーチの差があった。葵は女性にしては長身で必然的に脚が長くリーチもあるが、白玲は小柄である。やばい、追い付かれる。と言うかどこまでついてくるものなんだこれは。一直線に続く廊下では終わりなど望めないではないか、他のトラップが仕掛けられていないのには助かるが、それにしたってこの大岩をどうにかしないことには――白玲は壁を見る。片面は窓に面していて、もう片面はドアが続いていた。部屋があるのだろう、空間が、この直線とは違った空間が。エアポケットとは少し違うが、逃げ込めるスペース。シェルター。
 逃げ込めればあるいは。その後にこの大岩がどこへ行くのかは感知したところではないが、走らせれば先のトラップの有無は掴めるだろう。回避出来れば良い鉄砲玉に出来るのだ、些か巨大すぎるだが。

「葵ッ少し早く走れ!」
「は、走ってるんだよ!」
「もっと早くだ、それでドアを開けろ、入ったら私を引き込め!」
「がッ頑張るんだよ!」

 葵が走りながら壁に向かっていく、丁度良さそうなドアの一つに体当たりをする。内向きだったらしく、その身体はすんなりと室内に入った。突き出された腕が白玲を引く、大岩が僅かに服を掠める感覚に冷や汗を掻きながら、彼女もまた部屋に引き入れられる。
 ごごごごご、音を立てながら、岩が通り過ぎていくのを鼻先に見た。
 死んでいる、確実に死んでいる。こけたりしたら確実に死んでいた、殺す気満点のトラップだろうが。どうなってるんだあの吊り目。ぜぇぜぇと二人で息を吐き、五体満足なことを確認して、ほぅっと溜息を吐く。見渡せば、会議室のような部屋だったが――何かあるだろうか、一歩踏み出した彼女の眼にちらりとした光が入る。
 壁には赤外線発生装置が埋められている。位置としては足元に近い。何かが触れると発生するトラップの、気配、いや待て何が――

 ずずずずずずッ、という気配と共に、天井が落ちてくる。

「ッだから、絶対殺す気だろうあいつは!!」
「ひ、酷いんだよ葬師ー!!」

 吊り天井とは、益々を持ってどうやって仕掛けたのだか判らないトラップだ。むしろ確実に人を殺す仕掛けじゃないか、入り口付近にあった可愛らしいものとは程度が違う。あの辺りに引っ掛かるのは葵のような初心者で、こちらは玄人用だとでも言うのか。そんな事を考えている場合でもない。
 逃げようとドアを見れば、いつの間にかシャッターが下りていた。これでは体当たりで開けることもできないだろう、少なくとも短時間では――じりじりと天井は落ちてくる、葵は既に身体を屈めている。何処か出口、巡らせた視線の先にガラス窓が見付かる。隣室を覗くようなそれは、何かの実験を監視するためのものだろう――白玲は矢を番え、五本を纏めて放つ。一本はガラス窓に向け、他の四本は部屋の四隅に向けた。
 ぎし、と天井が矢に邪魔されて止まり、ガラスが割れる。強化済みの二重ガラスだったが、鋼の矢に耐えられるほどのものでもない。白玲は急いで葵の腕を引く、矢も天井が相手ではそう持つまい――窓に飛び込むのと金属の折れる音は、ほぼ同時だった。

 ぜぇぜぇと息を吐き、小さな実験スペースの中を見回す。今度こそ何も仕掛けられていない、と、思う。窓にシャッターを掛けなかったところから、おそらくは用意された脱出ルートなのだろうと知れるが、落とし穴ぐらいは警戒しなくてはならないだろう。矢を構えながら警戒していると、そんな彼女の気も知らず、葵がぴょんっと立ち上がって戸棚に駆け寄った。
 そこにはぎっしりと、革表紙の書籍が収められている。

「あ、こら葵ッ!」
「……旧世紀のエンサイクロペディアだよ。こっちは科学の本だね、へぇ……元素の周期表だ。大学でもあんまり見たこと無いんだよ、きちんと埋まってるものなんて。こっち、は……辞書? 何語だろ、稀少言語かな。私もラテン語は範囲外だよ」
「…………」
「ああ、こっちは漢字だね。中国系かな。ふうん、色々、あるみたいだよ……」

 学者や識者という人種は、頭の螺子が緩んでいる。集中力が偏り、そのベクトルが一度一方向を向いてしまえば、それを矯正することは難しい。それがどんなに無意味であっても一度興味を持ってしまったら最後なのだ、それが自分の研究対象に向かったとすれば、こちらの言葉など聞こえはしない。ブツブツと口元で呟き続ける葵の姿に溜息を吐き、白玲は、戸棚を見上げた。
 雑多な書籍類が収められ、知っている言語も知らない言語もある。広東語や北京語、ロシア語ならば範疇内だが、他となると殆ど判らない。かつての共通語と言うことで英語ぐらいはマスターしているが――彼女は背表紙を追う。
 辞書、技術書、百科事典。雑多に収められているそれらには統一性が無く、いかにも適当に詰めたように見える。実験部屋に百科事典を置く必要などないだろう――ふっと、彼女は本の後ろに何か仕掛けがされているのに気付く。何かは判らないが、おそらくは。
 本を取ろうとした葵の手を止め、屈ませる。

「うー? 白玲ちゃん?」
「葵、あれはなんだ? 本を取ることで発動するトラップの類と見えるが」
「うーうーうー……えーっと、ケーブル? 本で何かを押さえてるみたいな感じだよ、ラインが……ああ、ピアノ線が出てるね、気付かなかった。えーと、上に……」

 天井を見上げる。
 タライがセットされていた。

「……人を馬鹿にしてるんだよ?」
「放っておいたら引っ掛かっていたんじゃないか?」
「えぅ」
「さて、他の部屋に向かうか。通路のトラップはあの大岩が粉砕してくれただろうからな、少しは楽に歩けるだろう」

 白玲は葵の白衣を引っ張り、部屋を出た。

■□■□■

「時に葵、お前は葬師のことをどの程度知っている? フロアは違うと言えど、同じ場所で生活をしているのなら、何か判るんじゃないのか?」
「うー? えーとえーと……赤薙ちゃんのことは大事にしてるみたいだよっ。あと、甘党みたい? それと、なんて言うか頑固で――」
「そう言う事じゃなくて、何かこう、経歴や素性のようなものとか。例えばあの名にしろ、本来のものではあるまい?」
「うー、葬師ってば何にも言わないんだよ、そういうこと」

 トラップのチェックをした資料室の中、本に向かっている葵の言葉に白玲はふうんと頷く。
 ビジターの中には、自分の素性を語りたがらない者も確かに多い。だが名前ぐらいは明かすものだ、それが偽名であるにしろ。だがギルドで聞いた所に寄れば、葬師はそれすらもしていない。たまにビジターを募ってセフィロトに乗り込む時にも、自分の名は教えなかったのだと言う。誰が言い出したのか、葬師という字名が付いてからはそれを使用しているようだが、本人が自分から明かした情報は皆無なのだと言う。
 葵の言う、甘党やらペットを大事にするやらは、話さなくても見ていれば判ることだ。何も明かさない、何か後ろめたいことがあるのか。それとも、何もかも捨てたのか。

 彼女も師の元に弟子入りした際に、本来の名前とは別に現在の名前を与えられた。だがだからと言って両親に与えられた名を捨てたわけではない。身内にその名で呼ばれることは何と無いくすぐったさを持つし、その名も自分の名だから気に入っている。名前と言うのは愛情だ、生まれて最初に与えられる、形を持った愛情。だから捨てたくは無い、二つの名前は並列で、彼女のものだ。どちらで呼ばれることが多いとか、どちらを名乗ることが多いとか、そういうものは比較の対象にならない。そもそも比較などしては、名付けてくれた、愛してくれた人々に対して失礼と言うものだろう。
 それでも名を捨てるのだとしたら、それは一体何故なのだろう。辛うじて読めそうな本を取り、白玲は思考する。あの男が何を考えているのか、思考する。

「うー……本ばっかりで、データが殆ど無いんだよ。結局このセフィラで何をしていたのかが判らないと、ちょっと面白くないんだよー」
「言語を探しに来たのだから、それでも良いのではないのか? さっきの、ラテン語だったか……その本一冊でも、まあ収獲ではあるだろう」
「でも、このセフィラが何の施設だったかが判れば、もしかしたら葬師が閉鎖してる理由も判るかもしれないんだよ」
「……研究成果の独り占め、か」
「もしくは隠滅、だよ」

 考えられない可能性では、ない。
 何冊かの目ぼしい本を抱え、葵はずり落ちたニーソックスを上げる。それなりに細い脚だが、片方はサイバーらしい。かすかに覗いたのは繋ぎ目のような傷、仲間のビジターで見慣れているそれ。すっぽりと覆い隠すように、葵はそれを上げる。
 廊下に出れば、飛び出たトラップでいっぱいだった。落とし穴に槍襖、ネットにタライに自動小銃の跡。一体どれだけトラップを仕掛けていたんだか、何をそこまで守りたいのか。隣の部屋に脚を進め、ドアを開ける。降って来た黒板消しを避け、矢を放って隅々を探り罠の有無を確認してから、踏み出す。

「まあ私はあんまり興味は無いんだけれどね、研究とか。本当、言語が何か見付かりさえすれば、それが万々歳だよ」
「それは同感だな。葬師の方には興味が多少は――と?」
「う?」

 部屋に設置されていた机の引き出しを何となしに開けた白玲は、そこに妙なものを確認する。いや、妙と言うほどではない、ただの筆記具や文房具の類だ。だがそれは時を経ている気配が無く、最近作られたもののように新しい。何かを入れているらしい小さな紙の袋には、マルクト内のショップのロゴが入っていた。
 比較的新しいもの、と言うことは、もしかするとここは――白玲と葵は改めて室内を眺める。よく見れば他の部屋よりも埃を被っている気配が無く、生活感めいたものが多少あるように思えた。デスクライトのスイッチを入れれば、それも点く。

「葬師の、部屋――なんだよ?」
「らしいが……なんとも、質素だな、それは」

 壁際の本棚には学術書ばかりが納められ、机の上は綺麗に整頓されている。あるのはそれだけで、何の娯楽も色もない部屋だった。無機質なほど白い装束を纏っている彼には似合いかもしれないが、それでも、まるで。

「……監獄みたい、だよ」

 葵がぽつりと言葉を漏らす。
 確かにここはどこか、独房めいていた。
 何を楽しむことも剥奪された、ように。

 白玲は何か無いかと、引き出しを開けていく。何も無い。筆記具とノート。ノートにあるのは、何か判らない言葉で書かれた文字の羅列。何か無いか、何か。何を探していたわけでもないが、それは、出て来る。
 ひどく古びた写真だった。
 映っているのは三人。一人は葬師、らしい。幾分若い、と言うよりも幼い様子で笑みを浮かべて立っている。傍らには彼よりも少し背の低い男性、クセッ毛なのか乱れた茶色の髪をして人懐こそうな笑みを見せていた。そして二人の前には、同じく茶色い髪にクセッ毛の少女が微笑している。白玲と同じか、少し下程度の年嵩。彼女はふっと、思い出す。
 似ていない妹。
 写真を引っ繰り返せば、やはり知らない言葉で何かが綴られていた。白玲は、葵に解読を頼もうと振り向いて、そして――

 どどどどど、と言う轟音に気付く。

「な、何ッ」
「なんなんだよっ?」

 慌てて廊下に出れば、ほんの十数メートルの所に。
 水が、迫っていた。

「室内で水責めってどーやってッ」
「むしろ逃げるぞ葵、早くッ」
「ど、どこにどうやって、もがッ」
「うわわッ」
「わ、私泳げないのにだよッげほ、うわぁああッ」

 飲み込まれ、二人は押し流される。
 写真は、水の中に逸れた。

■□■□■

「ひ、酷い目に遭ったんだよー……」
「それは、私の台詞だッ……」

 げほ、と水を吐き、白玲は溜息を吐く。押し流されて出た先は浅い池になっている場所だったが、一体全体どうやってあの男はトラップを作っているのだ。問い詰めたい、小一時間問い詰めたい。びしょびしょの白衣を肌に貼り付けてそれでも本を離さなかった葵が、ばしゃりと水音を立てて身体を起こした。

「えうー……ともかく、今回の収獲はあったんだから、大分進んだんだよっ。白玲ちゃん私の研究室でお風呂使ってくと良いんだよ、お茶もちゃんと出すんだよっ!」
「そうさせてもらう、……ッくし!」
「あーあー、風邪引いちゃうから早くだよッ!」

 葵が急かす声に、白玲は急ぐ。
 そして、ほんの少し考えた。
 セフィラと葬師の謎は、中々深いらしい。


■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

0529 / 呂白玲 / 十五歳 / 女性 / エスパー


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 再びお目に掛かります、ライターの哉色です。今回は葵側シナリオにご参加頂きありがとうございました、さっそくお届け致しますっ。必ず失敗という微妙ネタながら、こっそりとこれから色々な謎を明かして行く予定なので、またお付き合い頂ければ幸いです。トラップの細かい指示のお陰でスムーズに書き進められ、調子に乗って随分長くなってしまいましたが、少しでもお楽しみ頂けていればと思います。それでは失礼致しますっ。