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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


■Signal−穏やかな死−■

「助けて……助けて……」
 真夜中、ベッドの中で、たった今飛び起きたばかりの少女が両肩を掴んで震えている。
 彼女の名前は「相月愛(あいづき まな)」。タイムESP(タイム能力者)である。
 ここ最近ずっと、「自分が血まみれになっている予知夢」しか見ない。イヤだ、死ぬのはコワい。
 愛は本当に、近いうちに「なにか」事故か殺人かによってこの世から消え去ってしまうのだろうか。
「誰か……助けて……!」

 その無意識の、血を吐くような哀しく苦しい思念を受け止めたエスパーは果たしているだろうか。また、何か他の能力や悲鳴を聞いた者はいるのだろうか。
 そして、彼女を助ける者は―――?



 やれやれ、今日も一仕事終わったと夜遅く、プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”所属のシノム・瑛(─・えい)は夜道を歩いていたのだが、ふとその足を止めた。
 誰かの悲鳴───助けて───と、頭の中に響いてくる。
「…………?」
 そこへ、先ほど別れたばかりの仲間の一人が駆けてきた。
「おい、瑛。仕事仕事」
「いや、今テレパスで女の子の叫び声がな」
「多分それと同じ関係。この子を48時間、警護しろって通達」
 瑛に通達書を渡し、去っていく仲間。
 目を通し、瑛はため息をつく。
「ったく……警護だけじゃなくて事件解決もかよ。まず、この相原愛って子の調査だな───って俺だけじゃ足りねえな、人手……」
 瑛はもう一度ため息をつくと、携帯を取り出した。



■動き出した過去■

「依頼人って、このお屋敷───その女の子が重労働強いられてるっていう、お屋敷の……ご主人さんなの?」
 瑛が連絡をもらい、わりと気楽に「その女の子のお手伝いするの? いいよ。プーも昔、似たようなことあったし。まずは依頼人に会いたいな」と引き受けてくれたプティーラ・ホワイトが、驚いたような顔をして瑛を見た。
「ああ。この通達書───依頼書には、そう書いてあるな」
 と、瑛は屋敷を前に、何度も読み返した仲間からの通達書を見てから、大きな屋敷を見上げた。
「シノムさんからの情報によれば、その少女───相月愛さんはエスパーということで迫害を受けている、ということでしたよね。単純に、迫害しているのは雇い主であるこのお屋敷のご主人だとばかり思っていました」
 こちらも、瑛から連絡を受けて手伝いに来てくれたクレイン・ガーランドが、解せぬといった風に眉をひそめて鉄の柵に囲まれた広大な庭、そしてその中の年代ものの屋敷を見上げている。
「とにかく───その依頼主に、会ってみましょう」
 最後に瑛が連絡した瑠璃垣・和陰(るりがき・わかげ)が、カウボーイハットを被りなおし、インターホンを鳴らそうとした、その時。
 突然庭の中から飛び出してきた影が、和陰を襲った。
「!」
 咄嗟に転がって避けた和陰はそこに、牙を剥いている一匹のシェパードを見た。
「ザクロ!」
 わさわさと庭の茂みをかきわけ、年配の眼鏡をかけた男性が門を開けて出てきた。途端、シェパードはサッと彼の脇に走って尻尾を振る。
「ザクロ、この人達は敵じゃない。お客さんなんだ、退治しなくてもいい」
 シェパードのザクロにそう言っておき、彼はこちらを向いた。
「うちの飼い犬が失礼を致しました。私の名はレイン・マクレイ。この屋敷の主です」
 ハッと瑛達は彼を見上げる。とても品のよい、だがどこか翳りのある表情の男性だった。
「じゃ、あなたが愛ちゃんの雇い主で、今回の依頼主?」
 プティーラが小首を傾げて尋ねると、レインは小さく頷き、和陰にお詫びを言い、4人を屋敷の中へと入れた。
 何か考え込みながら庭を通り抜けたクレインが、ぽつりと呟いた。
「ザクロにレイン───赤い実をつける植物に、雨、ですか」
 瑛はちらりと彼を見たが、依頼主に「どうかしましたか?」と振り返られ、
「いや、なんでもないですよ」
 と、作り笑いを返した。



「愛が迫害を受けているのは知っています」
 依頼主は4人をリビングに通し、自分で紅茶を淹れ全員に出して、椅子に座った。
「単刀直入に聞きますが、あなたが迫害しているのでないのなら、愛さんはこの屋敷からほとんど外にも出ないというシノムさんの調査結果が出ています。一体誰が愛さんに迫害を?」
 クレインの言葉を継ぐように、プティーラが口を開く。
「このお屋敷に、あなたと愛ちゃんと、もうひとり。誰かがいる、ってことだよね?」
「ええ。───息子の、ランバートです。息子は17になりますが、ろくに学校も行かず遊び歩いて帰ってきては愛に虐待を続けている───」
 レインの応答に、和陰は冷たい瞳でちらりと見やる。
「すると、あなたは息子さんのしていることを知っていながら、その行為をとめていないのね。それはなぜかしら」
「私も、殺されてしまうからです」
 さらりと、だが重い言葉だった。一瞬4人全員が息を呑み込んだ。
 沈黙を破ったのは、少女の悲鳴だった。
「! 愛ちゃんじゃない?」
 プティーラに続き、瑛、クレイン、和陰と立ち上がる。
 レインが扉を開けると、玄関ホールで、帰ってきたばかりの少年が、黒髪に青い瞳の少女を蹴り飛ばしているところだった。
「エスパーなんか大嫌いなんだよ! テレパスだって? 俺の未来の嫌なこと悉く当てやがって、薄気味悪い、ほっとけよ!」
「ですが、ランバート様、このままではあなたは近い未来どこかの階段から転げ落ちてしまいます。頭を打つ場面がついさっき見えたので、」
「うるせえ!」
 足のかわりに振り上げた拳を、体術に自信のある和陰がぐいと掴む。
「大丈夫ですか」
 クレインが、震えている少女───相月・愛の両肩をそっとつかみ、立たせた。
「愛さんに少し用があるから、借りますよ」
 わざと慇懃にそうランバートに微笑んでおき、瑛は依頼主レインのほうを見、彼が僅かに頷いたのを見届けて、愛に「あんたの部屋に案内してもらえるかい?」と極力優しく尋ねた。
 プティーラが愛の手を取り、微笑んだ。
「だいじょうぶだよ、プー達がついてるから。お部屋、見せてくれるかな?」
 ようやく愛は、歩き出した。



 部屋は、物置のようなものでもない。
 ごく普通の広さの、ベッドつきの部屋だった。
 ただ気になったのは、殆ど家具がない、ということ。
 ふとクレインが、机の上の、伏せられた写真立てに気付く。手を伸ばそうとして、愛の身体が邪魔をした。
 愛は気付いてそうしたのかそうでないのか、ようやく落ち着いたように机の前の椅子に座る。
 プティーラはベッドの上に座りながら、「自分も似たようなことあったよ」と一通り自分の経験を差し障りのない程度話し、
「あと、その予知夢って多分ストレスから来たものだと思うよ。プーの場合、極限突破して焼き殺しちゃったけどね。愛ちゃんがまだ極限じゃないなら、守る手段はふたつ。ひとつは環境を変えること。エヴァーグリーンのシノムなら出来るでしょ。もう一つはプーみたく“壊れ”ること。その場合は、予知夢通り“自滅(自殺)”するんじゃないかな。だから、愛ちゃんに会ってその辺を自覚してほしかったの。それからなら自分から環境を変えようと努力するか、自滅するかが選べるから」
 プーとしては生きてほしいけど、と心の中だけでそれは言葉にした。
 珍しく淋しい笑顔の彼女は、思っていた。
 ───無理は、言えないしね。
 愛は暫く黙っていたが、
「わたし、……わかりません」
 と、小さく震える声で言った。
 そのまま黙ったままでいるので、次はクレインが口を開く。
「予知夢、ということはいずれ自分が直面する事になる出来事の一端であるとは思うのですが、毎夜夢に見るというその内容は全く同じ内容なのでしょうか。コワい気持ちになったその恐怖を思い出して頂くのは心が痛むのですが、愛さんを恐怖から護って差し上げたいと思う気持ちから、理解して頂きたいのです───愛さん。思い出せる範囲で構いませんから、紅く染まった映像に必ずキーワードになる物があると思いますので、愛さんが気に掛かる、又は不思議に思う映像が有れば教えて頂きたいのです」
 そして、一日のサイクルを聞いて、事件に関わる行動に繋がる事が無いのかどうかを確かめたい、と付け加えた。
 愛はぽつりぽつりと話し始めた。
 まず、一日のサイクルは至って単純なものだ。
 朝6時に起きて顔を洗い、レインとランバートの食事を作る。その後、自分の部屋で朝食を取り、ランバートがちょうど出かける時間に屋敷の一部を除いた掃除をし始める。午後の昼食を作り、そのあとは庭の手入れをする。風呂に入らせてもらえるのは夜の10時以降。就寝はいつも大体23時30分頃だという。
「屋敷の一部を除いた掃除って、どこを除くの?」
 和陰が、窓から庭を見つめながら尋ねる。
「旦那さま───レイン様のお部屋の真下にある、ずっと誰も開けていない倉庫です。なんでも、年代ものの大切なワインセラーだとか……」
「ワインセラーは普通、地下等にあるものだけれど」
 和陰が不思議そうに小首を傾げる。
「なんか、におうね」
 プティーラが、考え込む。クレインは愛に近寄った。
「失礼ですが、その写真立て。見せて頂けないでしょうか?」
「あ、は、はい」
 慌てて愛が、伏せてあった写真立てを立てる。
 そこには幼い、5〜6歳の無邪気に笑っている愛が、誰かに肩を抱かれながら立っていた。場所は、この屋敷の庭のようだが、愛の肩を抱いている手の主はちょうど写真の半分が破れているため、分からなかった。
「この写真の、愛さんと一緒に写っているのは誰かしら」
 和陰が、プティーラや瑛と共に覗き込みながら尋ねると、愛は目を伏せた。
「わたし……6歳より前のこと、覚えていないんです……だから、どうして写真が破れているのかも、誰が写っていたのかも、どうしてわたしがそんな風に無邪気に笑っていたのかも……分からないんです……」
 考えていたクレインは、ふと、思いついたように尋ねた。
「そういえば一日のサイクルの中に、あのザクロという番犬の世話は入っていないのですね」
「あ、ザクロのお世話は全て旦那さまがしておられるのです。ザクロ自体、旦那さま以外の人間は寄せ付けなくて───」
「ランバートっていう息子のことも?」
 プティーラが聞くと、はい、と答えが返ってくる。
 その後、レインが用意してくれた、愛の隣の部屋に4人は落ち着いた。
 暫く其々に考えていたが、和陰が呟いた。
「どうやら鍵は、そのザクロっていう犬と……愛さんの過去、そして依頼主であるレイン・マクレイさんにありそうね」



■最強の生物■

 いつも通りなら愛は今夜も夢を見るはず、と瑛が言い、彼の持っている、夢にまでも干渉するテレパスを使って全員に愛の夢を見せることを試みた。
 午前0時丁度。
 愛に集中していた瑛が、自分の手に触れるよう、全員に合図した。
 全員の頭の中に、愛が見ている夢が繰り広げられる。
 血の中で、倒れ臥している愛。
 視界は暗い。夜、なのだろうか。
「あれは」
 クレインが、その夜闇の中に人影を見つけた。
 暗闇に目を凝らしていく───それは、愛を見下ろすレイン・マクレイ。そして愛犬ザクロ。レインは愛に背を向け、自室の真下───倉庫へと歩いていく。
 扉が開かれる───滲む視界は、愛の「夢の中での」意識が切れてきているからだろう。
 開かれた、扉の中には。
「「「「!」」」」
 全員が、目を疑った。
 その途端、愛の悲鳴が聞こえてきて、夢は途切れた。
「ちょっとだけ、『泳がせて』みない?」
 隣の部屋へ行こうと立ち上がるプティーラとクレインに、和陰が思案顔で言う。
 やがて悲鳴は嗚咽にかわり、愛が泣いている気配がする。
 バイブレーターにしていた瑛の携帯が、ポケットの中で振動する。瑛が取ると、資料を送る、との仲間からの電話だった。
 これもまたポケットの中にいつも入れている、仲間からの資料を受け取るための簡易FAXのような、煙草大のケースを取り出し電源を入れると、やがてカタカタと小さな紙に印刷された、夜になるまでに瑛が求めた資料が送られてきた。
 プティーラとクレイン、和陰も覗き込む。
「愛ちゃんのお母さんがレインちゃんの奥さん……ランバートちゃんは愛ちゃんのお兄さん、ってこと?」
「で、愛さんとお母さんとは瓜二つ、ですか」
「母親、相月・紗那(あいづき・さな)のほうは約10年前に行方不明───」
 プティーラ、クレイン、和陰はそれぞれに考え込む。
「そういえばクレイン、この屋敷に入る前、何を考えてたんだ?」
 瑛が顔を向けると、クレインは「あの時は」と視線をこちらに向ける。
「ふと、『雨の日に柘榴はまるで死体への標 雨の雫を頬に伝う柘榴は死体の標』という鎮魂歌を思い出したんです」
「柘榴って、昔から食べると人の味がするって言われてきたのよね」
 和陰が言うと、プティーラも口を開いた。
「レインちゃんがその、クレインちゃんが今言った鎮魂歌、しってて番犬にザクロ、って名前つけたんだとしたら、……なんだかコワい想像しちゃった」
「どんな想像だ?」
 瑛が尋ねると、「愛ちゃんのお母さんの、紗那ちゃんも愛ちゃんが6歳のときにそのザクロちゃんに殺されちゃった、って想像」と、根拠もなにもまだないけどね、と付け加える。
「倉庫を探るなら、今しかないわね」
 和陰が立ち上がる。
「見つからないよう、気をつけないと。あのザクロちゃん、そうとうコワい目してたもん」
 プティーラが後に続く。
「でしょうね。あの身のこなし、相当訓練をつまれた犬なのでしょう」
 クレインが、護身用にいつも所持している軽量銃の弾数を確かめる。
 最後に瑛が、立ち上がった。
「その通り。あの時レインに『敵じゃない』と言われた時の動き。あれは軍隊用に訓練された犬と同じだ。そういう犬は昔から地上最強の生き物と呼ばれてきた」
 くれぐれもザクロには近付かないよう、そしていつでも気配を感じ取れるように、と瑛は忠告し、そっと扉を開けた。



 愛の夢で見た通りに、一同は倉庫の場所へと歩を進める。
「ここだ」
 瑛が扉を開けると───そこには恐るべき数の配線で繋がれた、愛そっくりの、愛より少し年がいった感じの女性が、まるで生きているかのように立たされていた。
「腐臭もない……特殊な方法で保存してあるんだ」
 瑛が調べると、ふと和陰が庭のほう、玄関へ視線を走らせた。
「どうしましたか?」
 クレインが尋ねると、
「今、誰かの声が聞こえたわ」
 と神経を研ぎ澄ませて行く。
 廊下にとりつけられた窓に気付き、プティーラが駆け寄っていく。
「ちょ、ちょっときて!」
 彼女の押し殺した声に、全員が窓に駆け寄り、外を見る。そこには、庭に取り付けられたスポットライトに照らされた、レインに鞭で顔や腕等の目につく場所以外を何度も叩かれているランバートの姿があった。
「お前は! また愛にデザートの残りをやっただろう! あんな場面をあいつらに見られたらどうするつもりだ! お前には昔から、愛を虐待するよう命令してきたはずだ。それが何年経ったら理解できる!」
「ごめん、ごめんよパパ」
 ランバートは抵抗もしない。
「どういうこと……」
 和陰の呟きに、クレインが頭を整理する。
「……私の仮説ですが。
 レイン氏は何かの意図があって、愛さん又はランバートさんも殺す必要があった。でも自分に容疑がかけられては意味がない。愛さんはタイム能力者ですから当然、未来の自分の姿───今も見続けている姿を夢で見ます。そして愛さんが夕方頃ランバートさんに仰っていた『階段から落ちて頭を打つ』のが見えた、というのは恐らくそれもレイン氏によるもので、愛さんが予言してしまって口にしてしまったから、レイン氏は、よりランバートさんに愛さんを痛めつけるよう命令した」
「じゃ、プー達にっていうかシノムに依頼してきたのは?」
「もしかして、レインさんの名をかたった、ランバートさんなんじゃない?」
 和陰の推測に、プティーラはなるほど、と相槌を打つ。
 瑛はまだ鞭の罰を受け続けているランバートを痛々しそうに見つめながら、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「それで俺達のような『ランバートと愛の救い主』がいつやってきてもいいように、ランバートに虐待の命令をしてきたってわけか。しかしそうなると俺達が突然来てもいつかはそうなると予測していたようなあの対応。レインこそ一筋縄じゃいかないな」
 その時、和陰がふと呟いた。
「おかしいわね」
 クレインも、気がついた。
「レイン氏のそばに、番犬ザクロの姿がありません。番犬とは、主人のそばに常に忠実についているものなのでは?」
「ホントだ、いないね」
 プティーラが窓の外に再び目を凝らした時。
 瑛が、カチャリと拳銃を取り出した音がして、一同はいつの間にかそこにいたザクロの姿を認めた。
「訓練をつまれた番犬は、そこらの番犬とはわけが違う」
 瑛は、拳銃をザクロに向けた。
「レインは多分、今夜中に俺達を殺すようにザクロに命じていたんだ」
 瑛の銃弾を見事に避けたザクロが、襲い掛かってきた。



■紅色の夢の果て■

 瑛が咄嗟に上着を脱ぎ、バサッとザクロの視界を遮ると、一番足の遅いプティーラを抱き上げて走り出した。奥には倉庫しかない。しんがりを受け持っていた和陰に、瑛の上着を噛み破ったザクロが襲い掛かる。
「!」
 顔を覆った和陰はだが、次の瞬間拳銃を持っていかれたことに気がついた。
「なんてこと……最初から私達の武器を奪うのが目的だったのね」
「庭へ!」
 瑛が倉庫の右側に、ずっと使われていなかった古い、保護色にまでなっていた裏口を見つけ、クレインから拳銃を借りて蝶番を撃つ。
 そこにはちょうど、池が口を開けて待っていた。
「大丈夫だ、池は浅い!」
 プティーラが濡れないよう抱え上げながら、瑛がばしゃばしゃと数歩、進む。
 そして全員が自分の背後に回ったと確認すると、プティーラを池に降ろした。
「皆、絶対そこを動くな」
「何を言ってるの? こんな池の中じゃ、かえって私達のほうが不利だわ!」
「いえ」
 和陰の言葉に、クレインが静かに口を開く。
「以前、本で読んだことがあるのを思い出しました。昔の戦争で、まだ暗視スコープが発達していないほんの短期間の間、とある国が犬の特殊部隊を組織し、それは大きな成功をおさめたという……」
「よく知ってるじゃないか」
 ちゃぷ、とザクロの前足が池に浸かるのを見ながら、瑛は微笑む。
「その犬達は闇の中に溶け込み、野営中の『敵』を次々に襲って行った。夜の今では、俺達が勝つにはこれしかない」
 じりじりと迫ってきたかと思うと、ザクロは一気に跳躍し、一番前にいた瑛の喉に牙を剥いた。
 途端、走っている間にハンカチを巻いていた瑛の手がその口の中に突っ込まれる。
 そのまま犬を倒し、池の中へ突っ込んだ。
「そっか、犬って攻撃はその牙しかないもんね」
 プティーラが、じゃぶじゃぶともがくザクロを見下ろす。
「そうですね。唯一の攻撃は唯一の弱点とも言えます。シノムさん、ザクロの舌を掴んでいるのですね?」
「ああ」
 クレインの問いに、瑛は頷きもせず答える。
「舌を掴んで水の中に突っ込む。これで数分もすればどんな犬でも死に至る」
 そして、和陰がちらりと、騒ぎを聞きつけてやってきていた愛を見上げた。
「愛さん」
 瑛も顔を上げた。
「わ、わたしの……テレパスに、旦那さまの陰謀、……送ってきたのは……」
「俺だよ」
 愛の震える声に、瑛は答える。その脇腹を狙った鞭に気付き、クレインが上着を脱いで防いだ。
「レイン氏───」
「サンキュ、クレイン」
「いえ」
 自分でも、こんな咄嗟の動きが出来るとは思わなかった。
 レインとそして、脇にはランバートが立っている。
 和陰がレインを睨みつけた。
「どうしてこんな陰謀を?」
 レインは黙っていたが、やがて静かなため息と共に鞭を草むらに落とした。
「話す───全て話すから───ザクロを、殺さないでくれ」
 ぱしゃ、
 その言葉を聞いた瑛が手を離すと、ザクロはぐったりと、かすかな息を整えながら、よろよろと主レインのところへ歩き、どさりと横になった。


 レインは紗那と結婚し、ランバートと愛という二人の子供に恵まれた。
 レインは昔の軍隊について、そして当時のことを論文にする学者だった。
 ところが、研究を進めるうち、戯れに当時の軍隊の作っていた爆弾や備品、拳銃等も作るようになった。不安には思っていた紗那だが、趣味の範囲ならと思っていた。だが決して、幼いランバートと愛を近づけさせなかった。
 レインは次第に孤独になり、自室にばかり篭るようになった。
 だから、───妻、紗那の病気にも気付けなかったのだ。
 紗那の死は、本当に突然だった。
 あっという間に病魔に負け、だが、穏やかな顔で死んでいった。
 その時からだ───レインが「夢」を持ち、ザクロというシェパードを飼い始めたのは。
 母親を「保存」してある倉庫を6歳の時に見つけてしまった愛は、それが原因で超能力に目覚め、かわりに記憶を失った。
 レインの「夢」とは───、


「私の望む夢はただ一つ。
 妻のような穏やかな顔で死にたい、───それだけだった」
 だがそれには、子供達に知られてはならない。
 子供達にまでこれ以上巻き込ませてはならない。
 だから、「自分のESPを使って偽の予知夢を見せ続けた」。
 そう、───ランバートに自分を憎むよう仕向け、愛を「保護」する誰かを呼び寄せるように。
「レインちゃんも、テレパシストだったの……?」
 プティーラの呟くような問いに、レインは俯いている。
 ふと、話を聞きながら庭を見渡していた和陰が、一陣の風にカウボーイハットを整えた。
「きれいなお庭ね……花も緑もこんな季節なのに、たくさんあるわ」
「母さんが」
 ランバートが、項垂れながら口を開いた。
「母さんがずっと、手入れしてた庭だ。愛が6歳の時に死ぬまで、この庭で愛と一緒に遊んでた。時々、俺も一緒にままごとなんかしてた。でも、母さんは死に際、本当に穏やかだった。それは、父さんを心の底で本当に愛してたからなんだ」
「……穏やかな死を望むなら、それでもいいでしょう。ですがレインさん。
 あなたが今死んでも、それは本当に穏やかでしょうか? 私は違うと思います。子供達を遺し、自らの手で死に至るのは穏やかとは思えません」
 クレインが言うと、瑛がちらりと愛を見た。愛は記憶を取り戻したのか、うずくまって泣いていた。
「あの紗那さんと繋がれた配線は、屋敷全体に仕掛けた爆弾か何かだろう。俺はそんなことで本当の安らぎが得られるとは思えない」
 池に浸かりっぱなしだったプティーラが、庭によいしょと上がり、ゆっくりと歩く。夜の風に吹かれて、冬の植物の香りが運ばれてとても気持ちがいい。
「子供さんたちと一緒になんにもウソのない暮らしをして、本当に『その時』がきたら死ぬ───それが、本当の穏やかな死、なんじゃないかな」
 プーはそう思うけど、と言う。
 レインの頬を、涙が伝い、亡き妻の遺した庭の草にまるで露のように落ちた。
「お、───とう、さん」
 たどたどしく、愛が呟きながらレインに近付いていく。泣きながら、抱きしめた。
「愛、……」
 ランバートが何かを言いかけてやめる。伸ばしかけたその手を、引っ込める前に愛に握られた。
 愛は全ての記憶を取り戻した今、ただそうするしか出来なかった。
 ただ、かつて家族だった人間達を抱きしめ、手を握ることしか。
 レインは、呟いた。
「愛、───ランバート。
 私を……赦してくれるかい───」
 こたえはなかった。ただ二人とも、泣きじゃくっていた。
「ザクロを普通の犬に戻す方法を考えることが、必要になりそうね」
 そっと微笑みながら、和陰が言った。



 その翌日、屋敷を後にした4人は、ランバートからの依頼料金の半分だけをもらい、喫茶店に入っていた。
「愛ちゃんはだいじょうぶだと思うな、プーは」
 ジュースを飲みながら、プティーラは言う。
「一度どん底までいった人間は、つよいから」
 陽射しを避けた部分に腰掛けていたクレインが、何故か少し痛む胸をそのままに、ごまかすように微笑んだ。
「プティーラさんは、その歳にして色々なことを学んできたのですね」
「お前はツラそうだな」
 隣でコーヒーを飲んでいる瑛がぽつりとそんなことを言ったが、クレインは聴こえないふりをした。
 和陰が、まぶしそうに太陽を見上げる。
「今頃は、紗那さんもちゃんと土に還って───みんなで庭の手入れでもしているのかしら」
 穏やかな死。
 それは人間全ての望むものなのかもしれない。
 そんなことを思いながら4人は、改めて「生と死」についてそれぞれに思いを馳せるのだった。
 その後、愛は予知夢を見なくなったという。



 ───ねえ、あなた。
 ───この前植えた薔薇の花が、ようやくつぼみをつけたの。
 ───どの季節にも花や植物がいっぱいの、
              穏やかな暖かいおうちにしましょうね───




《完》
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0026/プティーラ・ホワイト (ぷてぃーら・ほわいと)/女性/6歳/エスパー
0474/クレイン・ガーランド (くれいん・がーらんど)/男性/36歳/エスパーハーフサイバー
0540/瑠璃垣・和陰 (るりがき・わかげ)/女性/25歳/エキスパート
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■         ライター通信          ■
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こんにちは、東圭真喜愛(とうこ まきと)です。
今回、ライターとしてこの物語を書かせていただきました。去年の7月20日まで約一年ほど、身体の不調や父の死去等で仕事を休ませて頂いていたのですが、これからは、身体と相談しながら、確実に、そしていいものを作っていくよう心がけていこうと思っています。覚えていて下さった方々からは、暖かいお迎えのお言葉、本当に嬉しく思いますv また、HPもOMC用のものがリンクされましたので、ご参照くださればと思います(大したものはありませんが;)。

さて今回ですが、暫く続けていたドーリィシリーズではないシリアスネタを書いてみました。
テーマはやはり、わたしの昔からのものになってしまいましたが、最後、レイン氏と屋敷を紗那の身体と共に爆破しようかどうしようか迷ったんです。でも皆さんのプレイングがそれぞれに一生懸命だったことと、愛に対する想いがこちらもそれぞれに真摯なものであったため、やめました。
今頃は三人で、少しずつ家族の肖像を取り戻していることでしょう。今まさにこの季節、だんだんと春に近付いているように。
今回、「穏やかな死」とサブタイトルをつけてしまいましたが、これは逆に「穏やかな生」ともとれます。その辺りも読み込んで頂けたらな、とこれはちょっと贅沢な願いでしょうか(笑)。
次回のサイコマのゲームノベルはドーリィシリーズに戻ると思いますが、こちらも最終話となる予定です。ネタが上がるのが少し遅いかもしれませんが、わたしが東京怪談を主に動いているため、ご了承頂ければと思います。もしサンプルが出来ましたら、その時はOPだけでも見てやってくださると嬉しいです。
また、今回は御三方とも同じ文章とさせて頂きました。

■プティーラ・ホワイト様:いつもご参加、有難うございますv 今回は同じエスパー同士、ということで愛と分かり合える部分が多かったと思います。プレイングもいいところをついて来てくださいまして、「自覚」の部分の台詞がなければ、愛はいつまでも自分の心を迷わせたまま、記憶を取り戻してもレイン氏やランバートを家族と深く認識できなかったと思います。
■クレイン・ガーランド様:いつもご参加、有難うございますv 今回、少しクレインさんにとっては色々な意味でつらかったのではないかな、と思いましてラストの瑛の台詞となりましたが、実際は如何でしたでしょうか。「雨と柘榴」については、クレインさんの「本職」から、クレインさんに言って頂いたのですが、プレイングの中にも色々と書き手として助けて頂く部分もありまして、感謝しております。
■瑠璃垣・和陰様:初のご参加、有り難うございますv そしてPL様ではいつも有り難うございます。今回は和陰さんの「鋭い勘」と体術などを主に動いて頂きましたが、如何でしたでしょうか。特にこういった設定の和陰さんというPCさんがいてくださったので、軍用犬であるザクロから誰も深手を負わずにすみました。因みにザクロに奪われた拳銃は無事に取り戻せたはずですので、ご安心ください。

「夢」と「命」、そして「愛情」はわたしの全ての作品のテーマと言っても過言ではありません。それを今回も入れ込むことが出来て、本当にライター冥利に尽きます。本当にありがとうございます。「雨と柘榴」のオペラの件は、完全に東圭の創作ですのでご了承ください<(_ _)>また何かの機会がありましたら。是非また、お会いしたいと思います。

なにはともあれ、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからも魂を込めて頑張って書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>

それでは☆
2005/02/25 Makito Touko