|
□■□■ 烙印の福音<後編> ■□■□
「――では重力制御装置ではない、と?」
調査船のデッキ。女性サイバー、ルーシェンの言葉に、ジェミリアスは頷いた。
「その可能性が低いとは、思うわ。これは控え目に言った結果ね。どうやら、審判の日以前――いえ、下手をすれば旧世紀のものだって可能性もある」
「旧世紀? どの辺り?」
「それは、判らない」
「見たのでしょう? 様子はどのようなものだったのかしら」
「機械部品なんかが随分古いものだったわ。少なくとも二十一世紀にはもう無かった国の製品がいくつか紛れていた。それに、言語コードも随分旧式で――」
「ああ嫌だ」
ふう、と彼女は溜息を吐いた。
「だったらいわないわ」
ぱちん、と彼女が指を弾く。
船が、割れた。
■□■□■
アルベルト・ルールが港町で見たのは、巨大な黒い影だった。
流石に自分で引き受けた仕事を母親に回すのは悪いと思っていた。だからなるべく早く手伝いに向かおうと思っていたのだが、キャンセルの原因となったガールフレンドの体調不良は中々快方に向かわない。ずっと付いていた彼に彼女が『仕事は良いの?』と訊ね、『母に任せた』と答えれば、叩かれた。ぺち、と可愛らしいものだったが。
いい年してそんなことしないの、との言葉に、ともかく最新の医療スタッフを付けて――ただの風邪だと判ってはいたけれどやっぱり心配――中継基地である港町に飛んで来たのだが、どうやら定期連絡が切れているらしい。忘れているのかと待ってみたが、やはり音沙汰が無いとのこと。
それが昨日の事で、現在は二日目である。あの母親に限って整備不良だの事故だのにやられることはないだろうと思うが、それにしたって異常事態ではある。雇った漁師達の家族にはまだ何も告げていないが、遊んでいる子供達を眺めていると罪悪感はあった。彼らの父親が無事ではないかもしれないと、いう。
溜息混じりに水平線を眺め、少なくとも丸三日が経ったら軍や救助隊に出動要請をしようとしたところで、彼はそれを見た。沖でじたばた暴れる、何者か。慌てて双眼鏡を取るが、それでも小さすぎる――倍率設定を最大にすると、巨大なトドの鼻の穴が映る。
「ッうを」
慌てて設定を下げれば、その背には――
「……エマージェンシーエマージェンシー、アロー? って言うか応答しろや、契約忘れたか? ああん? 例の事件、ゴシップならいくら出してくれるかな? 起きたか腰抜け野郎、さっさと仕事しろ。チリの港町だ、詳しい場所はメールで今送信した。この沖合いで巨大なトドが暴れてる。つーかタクトニム、だな……背中に民間人が六人、内わけは町の漁師が五人に俺の母親。ああ? 母親は一人に決まってるだろうが。推定体重は三トン強……水陸両用の飛行艇出せ。なるべく早く。急げ。ハリーハリーハリー。オーライ、切るぞ。サボッたら判ってんな? オーケィ、ディアフレンド。早く働け」
ぶちっと乱暴に電話を切り、彼は双眼鏡を置いた。町の人々も気付いたらしく、辺りは俄かに騒がしくなりつつある。ここで何かの混乱が起きても困るし、これ以上他人を介入させるわけにも行かない。自分が撒いた種とはいえ、いくらなんでもここまで育つとは思わなかった。収獲を逃した果実のようにどんどん熟れて、もう落ちそうじゃないか。
「落ち着いてくれ、今海難救助隊の出動を軍に要請した、すぐに来る。アレがマフィア連中の仕掛けたタクトニムだとしたら、貴方達を巻き込むわけには行かない。すまないが手を出さないでくれ、それが貴方達のためだと思って」
「で、でも、パパ見たよ! あそこ、パパが乗ってたの! お兄ちゃんパパ助けて、助けて!!」
「うちの父ちゃんだって居たよ、今双眼鏡で見たもん! 兄ちゃん、早くしなきゃ父ちゃんが化け物に壊れちゃうよ!!」
「うちの、うちの夫もいるんです! どうしてこんな、ああ神様!!」
子供と女性に泣きつかれるのは、本当に心臓に悪い。見上げてくる子供達、そして、家族たち。だがここで取り乱せばその心配を増徴させてしまうだろう、彼は取り繕うようにポーカーフェイスを浮かべる。
ともかく、自分も急がなければ――バラバラと言う音に空を見上げれば、ヘリコプターが梯子を垂らして来る。自家用ヘリだ。縄梯子を掴み、彼は沖に向かった。
■□■□■
「…………」
「あらアルベルト、なぁにやってるの? まだこの無線機は作ってる最中のはずなんだけれど」
「いや、その、おい」
トドの背中で工具を広げている母親と、ぐーすかぴーすか昼寝をしている漁師達。そしてトド自体は、何故かアルベルトにも懐いていた。くすくす笑って、ジェミリアスは息子を見る。
「この子にとっては、あなたも充分美人ってことね? まあ私と同じ顔なんだからそれも頷けるのだけれど、男色趣味は頂けないわー」
「待て。おふくろよ、状況説明をゼヒともプリーズ」
「ああ、まあ船をマフィアのサイバー……ルーシェンだったかしら、その子に沈められたわ。例のコンテナの中に入ってたのがこの子で、暴れるたびに機械のスイッチを押しちゃって電磁波の発生装置を動かしてしまっていたみたいなのよ。コンテナが強力な電磁石になってたのね」
「……はい、それで?」
「この子、面食いなの」
「…………」
「お願い助けてー、って可愛くお願いしてみたらここまでつれて来てくれたわ。道程二日、中々の速度でしょう? で、沈んだ船から引き上げた無線機で助けを呼ぼうと思って修理していたのだけれど……どうかしたの、アル」
「いや、何も」
がくりと脱力したアルベルトを見て、ジェミリアスは苦笑する。お母様のサバイバル精神に呆れているらしいが、何と言っても自分は彼の母親なのだ。このぐらいのことはなんと言うことも無い――騒いだりパニックになるのが面倒で眠らせていた漁師達に視線を向け、彼女は、その思考操作を解いた。ゆっくりとだが彼らの眼が開き、身体を起こして、辺りを見渡す。
「あ、あの、一体?」
「ああ、一応着いたってことで。お給金はもう振り込んであるから、お仕事は終わりですわ。村はほら、向こうに見えているから、そこまでは送ります。お手伝いご苦労様でした」
「お、俺達海に投げ出されたんじゃ? む、むしろここは……トド? トドの背中!? 何故トド、何時からトド、何処からトド!?」
「うん、清々しいまでの混乱ップリね! さてと、このトドはどうしましょうかねぇ……野放しにするのも、ここまで岸の近くに寄せてしまったし、懐かれてるし――アルベルトが」
「どー見てもおふくろの顔に懐いてるんだろ……」
「まあそんな些細な事はさておき、どうしましょうかね、本当どうしてくれようかしら。アルベルト、貴方の顔を見てると何だか激しく苛々してきたの。貴方ってどうしてここまで親不孝者なのかしら、ねぇ一体何故なのかしら?」
「もににににににににに!!」
伸ばされたジェミリアスの細い指先が、アルベルトの頬を摘まんで引っ張る。小さな子供に対するお仕置きのようなそれに、彼もまた手をばたばたと動かして子供のように暴れる。にこにこと笑っている顔は美しいが、その髪が現状は蛇に見えた。メデューサの一撃。
パッとアルベルトの頬を離した彼女は、そのポケットに手を突っ込む。彼がいつも携帯しているハンディパソコンを取り出し、起動させた。衛星通信で自宅のデータベースに接続し、問題の組織の情報を集めるよう家人に指示を出す。
とにかく迅速に、性急に、進めなくてはなるまい。
「……おふくろ?」
「さあてと、報復を始めましょうか。貴方だってこれから先、裏の人間に舐められたままじゃロクな仕事が回ってこないわよ。今回みたいなのは、今回だけにさせてもらおうじゃない」
「いや、あの。その前に取り敢えず落ち着け」
「私は何時でも冷静よ。あら、水陸両用艇がこっちに来る……ああ、前の仕事で恩を売った軍人を動かしたのね。丁度良いわ、この子も回収してちょうだいな。それから行くとしましょうか」
珍しくはっちゃけている母親の様子に、アルベルトは巨大な溜息を吐く。
この母親に任せて良かったのか、悪かったのか。
諦めて彼は、トドの背中を叩いた。
■□■□■
「それで、結局例のものは――」
「どうやら、まったく違うもののようです。紛らわしいことこの上ない……何か強力な電磁波を発するものだったとのことですが、その利用目的などは分かりません」
「まったく、とんだ誤算だな。始末は完璧か?」
「太平洋の真ん中に放り出されて、無事とは思えませんわ」
「そうか」
薄暗い部屋にはコの字型の机が設えられ、その真ん中で女性が報告をしていた。その身体は所々に機械部品がむき出しになり、装甲板も目立つ。サイバーなのだろう。彼女を囲む男達は、やれやれと、落胆の色を見せながら肩を竦めたり話し合ったりとしていた。
ロストテクノロジーを引き上げて解析することが出来れば、それは新たな資金源になる。息の掛かっている研究施設はあるし、脅せば高名な学者を雇うことも出来るのだ。だが、肝心の解析対象が見付からないのでは本末転倒である。ようやく手にした噂も、眉唾とは行かないまでもそれにごく近いものだったのでは――。
「しかし、そうなると――」
座の一番奥で身体を背もたれに深く沈めていた男の言葉と同時に、衝撃が走る。
そして、屋敷の周りに配備されているシンクタンクの迎撃音が響いた。だが、それもまだ爆音の中に消えている。ズン、と響く衝撃が、地下にある部屋までも揺らした。ざわざわと声が響く中で、サイバーの女性――ルーシェンがドアを見遣る。人の気配に腕のミサイル孔を開ければ、息せき切ってドアを開けたのは使用人の一人だった。
咄嗟に男達の中の一人が、声を上げる。
「なんだ、何事だ!?」
「た、大変です、門に巨大なトレーラーが、むしろトドッ、双子が!」
「トレーラーの中に巨大なトドの双子?」
「誰がトドの双子ですって?」
使用人の背中が蹴り飛ばされ、直後にバズーカの砲身が現れる。トリガーに指を掛けているのは、アルベルトだった。ルーシェンと眼が合い、彼は、苦笑する。
「ごめんね、女性に手荒なことをするのは趣味じゃないんだけれど……君、暴れるでしょ?」
トリガーが引かれ、
部屋中に鳥もちが散らばった。
「ごきげんようお久し振り、レディ&ジェントルメン。少しお話したいことがあるのだけれど宜しいかしら、双方にとってとても有益な話題がございますの。ちなみにその鳥もち、特殊な薬品以外では溶けない仕様になっておりますわ。是非こちらの話に耳を傾けて頂きたいのですけれど、宜しくて?」
屋敷を囲む塀を突破して来たのは、巨大なトレーラーだった。バックで進入してきたそれが開くと、中からは数トンは軽いだろう巨大なトドと、双子のような男女が現れ、迎撃システムのシンクタンクとマスタースレイブを瞬く間に撃破する。じたばた暴れるトドを制しながら屋敷に突撃し、そのまま使用人に案内をさせ、マフィアのヘッド達を捕縛――『公平な話し合い』は、五分で済んだ。相手の発した言葉は、YESの一言だった。
■□■□■
「2mmレーザー銃、欲しかったのよねぇ……ただで手に入れられて、それだけでも中々の収獲だったわ」
「船の損失はどうでも良いわけね……」
「まあ、代わりも手に入ったし? トド丸が居れば短い航海には重宝出来るわ。中々実りの多い仕事だったと思わなくて、アルベルト」
怒りに任せて笑いながら鳥もちバズーカを乱射した母の言葉に、アルベルトは溜息を吐いてトレーラーを運転していた。
扱ぎ付けた契約は三つ、一つは以降捨て駒の依頼など持って来ないこと。慰謝料として武器庫を漁らせ持ち出しを許可すること。そして、トド型のタクトニム――トド丸の存在に関しては、オフレコとすること。
と言うか慰謝料のついでに船代も貰っておいた方が良かったのではないか、むしろキャッシュとしての支払いがないのは仕事として如何なものか。むしろ、トド丸というネーミングセンスは一体何なのか。即座に浮かんだ疑問が三つほどあったが、彼は運転に専念した。母親には何を言っても無駄なところがある、昔から。
「ああそう、アルベルト」
「んー?」
「男女の一卵性双生児って理論上ありえないのよね。や貴方、屋敷にいた連中に女だと思われていたんじゃなくて?」
「余計なお世話だオカアサマ」
アルベルトはハンドルを切る。
ジェミリアスはくすくすと笑いを漏らした。
まあ、このぐらいの報復で今は許しておくが――
「次があったらこの程度で済まさないわよ」
「…………」
「貴方を」
「俺の過失かい!!」
■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■
0544 / ジェミリアス・ボナパルト / 三十八歳 / 女性 / エスパー
0552 / アルベルト・ルール / 二十歳 / 男性 / エスパー
■□■□■ ライター戯言 ■□■□■
後編までお付き合い頂きありがとうございました、早速納品させて頂きます、ライターの哉色です。今回は親子でのご参加なので、掛け合いなどを楽しみながら製作させて頂きました。楽しかったのが自分だけだったらいたたまれない所ですが、少しでも笑って頂けていれば幸いですそれでは失礼致しますっ。
|
|
|