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<東京怪談ノベル(シングル)>


□■□■ Lovesick Junkey 〜甘ったる過ぎる嘘〜 ■□■□


 俺が生まれるよりも十年ほど前に、地球規模の大災害があった。歴史上では『審判の日』と呼ばれている、某国の重力制御装置が暴走したことによるそれの所為で、世界は壊滅的な打撃を受ける。核保有国なんて自分の国でそれが暴発して吹っ飛んだ、なんてこともあったらしい。ともかくその大災害の所為で、ほぼ、『何もかも』が失われた。テクノロジーや流通も、例外ではない。
 現在、大災害からは約四十年。それなりの復興をしてはいるものの、一度薙ぎ払われた全てを改めて一から構築することは難しく、未だに国交は整っていない。つまりは、輸入なんかが壊滅的。だから一部の物価は中々に高騰している。
 例えばカカオとか。

「お婆ちゃんとかの時代だと、チョコってもっと手軽に送れたらしいんだけどなー……うー、再来月のお小遣いまで前借しちゃったよー」
「しょうがないよね、流通破綻だっけ? この前のテスト範囲だったよね、確か。あんまり距離がある海外とは殆ど遣り取り出来ないし、まだテロとかで取られるからさ。……失敗したら悲劇だよね」
「本当、洒落になんないー……あ、勇ちゃん、あんまり掻き混ぜちゃ駄目だよ?」
「え、えっと」
「湯煎はある程度溶けてくるまで黙ってても良いんだー。生クリームも暖めておくと、後で混ぜる時に固まらないんだよ」

 バレンタインと言う日があることは知っている、一応知識的には。俺の学生時代は今よりも物価の高騰はあったから、カードを送ったりちょっとしたお菓子を送ったりということが主流だったが、本来はチョコレートを送る日らしい。まあ、普段お世話になってるから、っていう義理とは割と縁があったのだけれど。
 クラスメートに誘われて休日を潰し、俺はブカブカのエプロンをボゥルに入れないようにしながら、台所に立っていた。一緒にいるのは馴染んだクラスの女子二人。あれこれと話しながらチョコレートを刻んでいる彼女達の声を聞き流しながら、例によって、俺は溜息を吐いた。

 クラスが妙に浮き足立っているのには気付いていたが、別段どうとも思ってはいなかった。異常と言うわけでもなかったし殺伐としているわけでもなく、ただなんとなく男子も女子もそわそわしているなー、と思っていただけで。だから昼休み、購買へ行こうとした所で彼女達に声を掛けられたときも、すっかりバレンタインの事なんて失念していた。

「ね、勇ちゃんは誰にあげるの?」
「え? 何を?」
「何を、って……来週の月曜日、バレンタインだよ? 誰かにあげるでしょー、うりうりっ」
「……ああ、そう言えば」

 ぽむ、と手を打つ俺に、彼女達は大声を上げて驚いた後――ぽむ、と同じように手を打った。

「そっかー、勇ちゃん長いこと入院してたんだもんね、こういう行事も知らないっかー」
「あ、じゃあじゃあ、明日勇ちゃんもウチにおいでよ! チョコ作りするんだ、どうにか取り寄せられたから、思い切って自分達で作ろうと思って!」
「なんでチョコ……」
「バレンタインはね、元々はチョコを送るものだったんだって。まだちょっと高いけど手に入らないわけじゃないもんね、よーし、勇ちゃんも一緒にがんばろー!!」

 勝手に頑張って下さい。
 誰か俺にそう言える意志の強さを返して下さい。

 そう、流通が破綻しているということは、自国で手に入らないものと言うのは非常に入手が難しい。サイバー用の部品だって、廃品回収からのリサイクルを待たなきゃならない部分がある。もしくは誰かを倒してそこから奪ってくる、とか。カカオなんて日本じゃ殆ど育たないし、利も薄い植物だから、必然輸入に頼らなきゃならないんだが――それはまた、税関が物凄い値札を付ける。
 それでも金を払って買えたと言うのだから、中々にリッチな話だ。まあ、羊ヶ丘はそれなりに学費も高いから、裕福な家の子供が入ってくることが多い。俺は奨学金を取ったが、そう言えば事故以来返金していない。忘れよう。忘却しよう。

 しかしこの甘ったるいニオイとの格闘は中々に拷問だな……人にやるぐらいなら自分で食いたいぞ。大体料理なんて大雑把なものしか経験が無いし、ついでにお菓子なんて範疇外も良い所だ。お湯に温められてとろとろになったチョコレートを、ゴムベラで掬う。えーと、次はなんだったか。

「あ、勇ちゃん、もう溶けた?」
「ん、とろとろになったよ」
「じゃあ次はお酒と生クリームねー、ちゃんと混ざるように気をつけてっ」
「うん……って言っても、私、あげる人なんて居ないんだけれどなぁ……」

 純チョコは高い。今日の本来の目的だって、半分以上はクラスの男子達に配るクッキーを作るためだ。比較的安価で手に入るココアを使っているから、それほどのコストも掛からない。そっちは二人が担当していて、俺は、チョコ作りなんだけれど――ぶっちゃけた話、俺はそんな相手なんてほぼ全く居ないわけなんだが。

「んー、お世話になってる人とかにも義理は欠かしちゃいけないんだよ、勇ちゃん」
「そうそう、ほら、先生とかね。お兄さんだから色々お世話になってるでしょ?」

 あー、そう言えばそんな名目だったっけ、あのCIA職員……。

「あとはクラスの男子とか、体育の時間に助けられたりしたし?」
「そうそう、それから勇ちゃんまだたまに検診受けてるって言ってたよね、サイバー医の人に。脳幹がちゃんと馴染んでるかの検査? お医者さんにもあげなきゃねー」
「そうそう、いっぱいいるじゃんー」
「あー、そっか」

 一応世話になってると言えば世話になってる連中だ。いや、一人は俺の人生を狂わせた奴で、独りは俺を女子高生に仕立て上げた奴で、一人は俺の男としてのプライドを粉砕した奴なんだが。
 ……全然世話になってねぇじゃねぇか。

 とは言え義理人情は大切だから、仕方ない、あの三人には一応渡しておくとしよう。暖めた生クリームと洋酒が入ったボゥルを傾けて、俺は溶かしたチョコを掻き混ぜる。酒のツンとしたニオイは、嫌いじゃない。久し振りに一杯飲んだら気持ち良さそうだが、この身体に酒に酔う機能が付いているのかは心配だ。良いストレス解消にはなりそうなんだが、どうもなあ……。
 とろとろと混ぜられたボゥルの中のチョコレートは柔らかい色になり、分量も幾分増している。これなら三人分作った後で自分用も少しぐらい出来るかもしれない。クラスメート達には悪いけれど、俺だって純チョコなんて随分久し振りだし――ぺろり、指に掬い取ったそれは、甘くて美味かった。

■□■□■

「え? これを私に、かね?」
「ああ、一応世話になってるからな」

 昼休み。
 廊下を通り掛った先生にしてお兄様、もとい俺の直接的な上司であるCIA職員を発見した俺は、そのまま引き止めて先日クラスメートの家で作ったチョコレートを差し出していた。
 ラッピングは彼女達が無駄に丁寧に教えてくれた挙句、激烈に厳しいダメ出しを連発してくれたお陰で、随分綺麗なものになっている。くるくるとカールしたリボンは光沢を放って可愛らしい。正直乙女ちっくで自分としては腑に落ちないものを激しく感じるが、まあ、良い。一日ぐらいは、一回ぐらいは。

 箱と俺の顔を交互に眺め、奴はブッと吹き出した。なんだなんだと訝り半分怒り半分の顔で見れば、いやいや、と手を翳されて制される。なんなんだ一体。何がそんなにおかしいんだ。

「いや、予想外でね、なるほど、『勇ちゃん』も随分板に付いてきたと言うことか、くっくっく……さて、お返しは何が良いかな、『可愛い妹』」
「元の身体」
「高すぎるな、もっと妥当でないと。いくら三倍返しが基本だと言ってもね」
「け。じゃあ振込み三割増で手を打とう」
「文字通りに現金だな、可愛げのない……」
「あってどうするそんなもん。じゃあ用は済んだから、俺は戻るぞ」

 踵を返しても、まだくつくつとした笑いが聞こえてくる。何なんだ、一体。
 そういえば昨日一日早く届けに行ったら、あのサイバー医も妙な反応をしていたっけ。妙にニヤニヤして、そうかそうかと委細承知顔をして。義理がそんなに嬉しいとは、随分人に感謝されない生活をしていると見えるが、まあ頷ける。どっちもどっちでそんな生活で、性格だ。

 三つの包みの内、二つはこれで配り終わったことになる。さて、残りの一つ。鞄の中から取り出して、俺は、午後一番の小テストの勉強なのか机に向かっている一人の男子に近付いた。面倒だが義理だと言うし、一応しておかなきゃならんだろう。

「……あの」
「ん? な、なんだ緑川!!」

 何を挙動不審にしているのかこの男は。

「えっと、色々お世話になってるから、これ。バレンタインだから、チョコなんだけど」
「……えっと、本当にチョコ?」
「そ、そうだけど、嫌いだったら――」
「そうか……緑川、俺は勿論おっけーだぞ」

 ……はい?
 何がですか青少年?

「え、ちょっと、何、何のこと?」
「だって、チョコくれるってことは俺が本命なんだろ?」
「はい?」
「チョコレートは本命の特権……」

 奴が言い終わらないうちに、俺は振り向く。クラスメートの女子二人が、にっこり笑ってピースサインを見せていた。このご時勢、純チョコなんてのは本命の特権――少し考えれば判ることだったのに、んにゃろう。
 冗談じゃねぇっつの……担ぎやがったなあの二人!!

「ち、違うの、そうじゃなくて!!」
「おー、教室の真ん中で愛を叫ぶ?」
「熱いねお二人さんー!」
「違うからーッ!!」

 ああ、もう。
 勘弁してくれよ本当に……!!

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