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都市区画マルクト【ショッピングセンター】必ず帰るから
音のない音楽
ライター:斎藤晃
【Opening】
‥‥敵は一時退いたか。だが、また来るだろう。長丁場になりそうだな。
今の内に休憩しておこう。焦っても仕方がない。
しかし、散々だな。あんなに山程、敵を見たのは久しぶりだぜ。やってもやっても、次々に攻めてきやがる。
て‥‥おい、まだ回収品を持ってたのか? 荷物になりそうな物は捨てろとさっき‥‥
プレゼント? 約束したのか?
プレゼントを持って必ず帰る‥‥そうだな、待っている相手がいるんだ。生きて帰らないとな。
と、敵が戻ってきたな。今度は、奴らも本気だろう。
行くぞ。必ず帰ると約束したんだろう?
【Prologue】
♪タン タン タン タン タン タン タン
タン タン タン タン タタタタタン タン
音が鳴っていた。
単音だけで紡がれる優しいオルゴールの調べだ。
それは、最愛の人がとても愛した曲だった――。
【1】
セフィロトの塔内ショッピングセンターは今日も曇より薄暗い。
しかしそんな周囲の雰囲気には全く溶け込む気配もなく、らびー・スケールは今日も快晴の笑顔で、そのショッピング街を闊歩していた。
彼…いや、彼女…いや、それ、の踏むステップに、ピンクの長い髪がその背中で愛らしく弾んでいる。自前らしいピンクのメイド服の裾を優雅に翻す筋肉逞しい太ももとか、胸の膨らみはないのに軽く120cmを越えそうな分厚い胸板とか、うさ耳を除いた首から上の部分とかを無視すれば、とても可愛らしかった。
らびーはズシンズシンと地響きを轟かせ、そのショッピングセンターのメイン通りを楽しそうにスキップしながら歩いていたのである。
例えばここが、ヘルズゲートの中、タクトニムという異形の化け物たちが徘徊する、とても危険な場所であったとしてもおかまいなしだ。
「あら、これ可愛いわね」
と、あまり可愛らしくない声で言うが早いからびーは『これ』に手を伸ばしていた。
そこにショーウィンドウの分厚いガラスがあったとしても意に介した風もない。そんなものは気付かぬ風情でらびーはマネキンを掴み上げると人形が着ているワンピースを剥ぎ取った。
気に入ったら、当然試着あるのみだ。
しかし試着室はらびーの体には多少狭かったようだ。仕方なく試着室の壁などぶち抜いてみたりして隣の試着室と合体させる。
らびーは早速いそいそとワンピースに着替えてみた。
――びりっっ。
どうやらサイズが合わなかったらしい。
******
早川セトがそこに居たのは、全くの偶然からである。
女の子へのプレゼントを捜しにたまたまレディース向けのフロアに訪れたら、これまたたまたま試着室が使用中だったのである。
セトは思った。
こんな、いつタクトニムが襲ってくるかもわからないような場所で、呑気に試着なんて、タクトニムに襲われでもしたらどうするんだ。今、彼女を守れるのは自分しかいない。となればタクトニムが襲ってこないよう試着室の前で見張りをしてやらなくては。そして彼女をタクトニムの魔の手から守ってやるのだ。さすれば彼女は自分に感謝するに違いない。お礼を、という話にもなるだろう、いやなるべきだ。そうして自分は彼女と……以下、自主規制。
殆ど誇大妄想気味に考え、セトはハンドガンを手に試着室の前に立った。
しかし辺りには誰もいない。
静かな空間には背中のカーテン一枚を隔てた向こうの衣擦れの音だけしか聞こえなくて、無意識にも生唾を飲み込んでしまう。
そういえばどんな女の子なんだろう、とチラと思った。何度も言うが、こんな場所である。考えてみれば適齢期の女の子である保証など微塵もなかったのだ。
セトはその誘惑に耐え切れずカーテンに手をかけた。
「――――!!??」
世の中には見てはならぬものがある――――くわばら、くわばら。
******
「まぁ、らびーさん」
ナンナ・トレーズはお揃いのうさ耳バンドを見つけて駆け寄った。丁度らびーが試着室から出てきたところである。
「あら、ナンナちゃん」
らびーはナンナに気付いて嬉しそうに笑みを返した。
「らびーさんもお買い物ですか?」
ナンナが尋ねた。
考えてみれば、店員もおらず品物は持ち去り放題のこの場所で、買い物も何もないのだが。
「えぇ、でもなかなかサイズが合わなくて……自分で直そうかしら」
らびーは寂しそうに溜息を吐いた。
「まぁ、らびーさんはお裁縫が出来るんですの?」
「えぇ」
「わたくし、人の縫合は出来るんですけど、お針ごとは全然ダメで……」
ナンナはしゅんと項垂れた。
とはいえ人の縫合など滅多にしないナンナである。殆どの場合治療PKで治してしまうからだ。医者見習い中に一度だけ手術の実技に於いてほぼ奇跡的に人の体の縫合に成功した事実があるにすぎない。それも二針だけである。
「らびーちゃんでよかったら、教えてあげましょうか?」
「まぁ、本当ですの?」
らびーの申し出にナンナは顔をほころばせた。
「宜しくお願いします」
嬉しそうにぺこりと頭をさげる。
かくして2人は連れ立って手芸品売り場に向かう事にした。
と、そうして2人が歩き出しかけた時、ナンナが突然『何か』につまづいた。
「きゃっ」
バランスを崩して転びそうになるナンナをらびーが抱きとめる。
それから2人はゆっくりと『何か』を見下ろした。
「あら?」
見知った『もの』にらびーが首を傾げる。先ほど自分が試着室に入った時には、落ちてなかった筈だ。
これは余談になるが、ナンナがらびーを見つけた時、彼女の視界に『それ』は入っていなかった。彼女は興味の対象物しか映さない特殊な目を持っているのだ。――閑話休題。
「器用な方ですのね。目を開けて寝ていらっしゃいますわ」
ナンナが言った。
そこには白目を剥いた早川セトが倒れていた。
【2】
シオン・レ・ハイは柱に背中をしたたかぶつけ、一瞬息を詰まらせた。
異形のモンスター、ケイプマンの一撃にあっさり吹っ飛ばされたのである。油断していたわけではないが、作ってしまった隙にこの体たらくであった。
シオンは柱に背を預け足を投げ出すようにして座ったまま、近づいてくるケイプマンの群れを見上げた。
頬を汗のようなものが伝う。
左肩を右手で押さえつつ、彼は左腕を持ち上げた。
腕部内臓のマシンガンの照準を合わせて引鉄を引く。
そこから飛び出したものにシオンは目を剥いた。どうやら専属の闇サイバー医師のイタズラだったらしい。
「!?」
それがただの、本当に普通に何の変哲もない水だと認識するよりも速くケイプマンの豪腕が襲い掛かる。
「ちっ」
こんな時に、と舌打ちしてシオンは殆ど反射的に横に転がっていた。彼のいた柱が彼の身代わりに木っ端微塵に崩れ去る。さすがはMSの装甲も簡単に引き裂くケイプマンの一撃だ。シオンは無意識に何度も唾を飲み込んだ。やけに喉が渇く。
何とかしなくては。そんな気持ちだけが先走っていた。
続く第二撃をかわしながら尚も転がって膝つく。
立ち上がろうとして、レザーのロングコートのポケットが薄くなっている事に気付いた。
転がった時に自重で潰してしまったのかと慌ててポケットの中を探る。
目的のものは見当たらない。
ここは、踏み潰してしまったわけではないと喜ぶべきところなのか。しかしどうやらタクトニムとの戦闘中にどこかに落としてしまったようである。
それは、このショッピングセンターを探索中に見つけた息子への土産だった。
シオンは辺りを見回した。
そこへケイプマンの腕が襲い掛かる。
タクトニムとの戦闘に集中できないシオンは、どうしても防戦一方の後手に回っていた。いつもならケイプマン程度にここまでやられる彼ではなかったのだが。
彼はケイプマンの一撃を持っていた高周波ブレードでかろうじて受け止めた。
現在、電池節約月間と称して電池を抜いていた為、高周波振動しないブレードは、ケイプマンの腕を切り落とすことはなかったが、何とか受け止めてはくれた。
激しい競り合いの中、シオンは視線を辺りにさ迷わせる。
息子への土産のオルゴール――オルゴールなんてどこにでもあるだろうけれど、それはずっと捜していた曲だった。その曲の名前は知らない。ただ、いつも彼女が口ずさんでいた――。
刹那、横っ面を何かにはたかれシオンは我に返った。気付いた時には既に体が宙を舞っている。壁に激突して床に落ちた。
彼が相手にしていたのは一体のケイプマンではなかったのである。
相次ぐ衝撃にどこかの電子回路がいかれたのか、一瞬視界が暗転したかと思うと、焦点が定まらなくなった。まるでコンタクトレンズを付けて眼鏡をかけてしまったような感覚に頭を振る。
自らの意思で、望遠機能、IRアイ、暗視機能を使い分ける事が出来るサイバーアイの調子が悪い。
それが、脳の働きによって起こっているのか、専属の闇サイバー医師の手抜きで起こっているのかは、今一つ判然としなかったが。
そこへケイプマン達がゆっくりと近づいてきた。
ずっと遠くで、彼女が口ずさむ懐かしいあの曲が鳴っているような気がした。
【3】
旧き時代のロマンを求め、彼呼ぶところの夢の島へ訪れたJ・B・ハート・Jr.は、そこで腕を組んで「ふうむ」と唸った。
夢の島などと呼んではいるがそこは島ではない。外界から隔絶されていたという点で陸の孤島と呼べなくもないが、更にそこは屋内であった。
セフィロトの塔第一階層、ヘルズゲートの中にあるショッピングセンターには、彼が見渡す限り人っ子1人いない。タクトニムすらいなかった。
代わりに、というわけでもないが、JBの足元に1本の紐が落ちていた。
真新しい紐の切り口には焦げたような痕がある。引きちぎられた、というよりは、何かで切られたような痕だったが、何れにせよ、自然にではなく作為的なものが感じられた。誰かが故意に切ったのだ。そして切り離されたもう一方の紐が見当たらない。
しかし何故こんなにも、その紐が気にかかるのか。
JBは自分のベルトを見た。
そこに一本の紐が結ばれている。その紐は、今、目の前に落ちている紐と、色・形状・材質、どれをとっても酷似していた。いや、むしろ同じと言っても過言ではない。
彼は自分の類稀なる方向音痴に、さすがに思うところあって、孫が読んでいた『ヘンですとグレてる』とかいう絵本童話に倣って命綱の端をヘルズゲートに括り付けてやってきたのであった。ショッピングセンターのアーケードを入ってすぐの角を右に曲がり、更に次の角を右に曲がって、また更に次の角を右に曲がったら、アーケードの入口に辿りついたのである。
「…………」
JBは眉間に皺を寄せた。
彼の脳裏を予感めいたものが通り過ぎていく。
それはあまりいい予感ではなかった。
果たして、この紐を切ったのは一体『誰』だったのか。
JBは何かに誘われるようにして後ろを振り返った。
――嫌な予感とは、かくもよく当たるものなのか……。
*******
ジェミリアス・ボナパルトは、紅茶の入ったティーカップをソーサーごと両手で取り上げ、クッションのきいたソファーのようなカーシートに背もたれた。
長い足を軽く組み、優雅にお茶を啜る。
彼女の乗っている4WD軍仕様の大型バン――通称『黒丸』に付けられたアナログ時計は丁度3時を告げていた。
何とも穏やかなアフターヌーンティーである。
スピード感を全く感じさせない安定した走りの車内は、たとえ車の外がどんなに物騒な世界であったとしても別世界である。
ジェミリアスはティーカップをソーサーの上に戻して膝の上に下ろすと、長い銀髪を軽く掻き揚げ車窓を流れる街並みに視線を馳せた。
激戦の傷跡残すビジター街に比べ、ヘルズゲートの中は思いのほか綺麗で審判の日以前の状態を保っているようだ。
何と言っても目を引くのは、そこここに見られる緑だろう。バイオテクノロジーに精通した彼女だからこそ驚くことがあった。
それは太陽が全く当たらない場所でも青々と繁る木々ではない。そもそも彼女自身、砂漠でも育つ小麦を開発した事があるのだ。今更、水がない、日光が当たらないぐらいでは驚かない。
彼女が何よりも驚くのは、植物の生命力の方ではなく、それを維持させているタクトニムの管理能力と技術力の方だった。
モンスターの大半は、動物の遺伝子をベースにしていると考えていい。それゆえ彼らが本能的に緑を維持しようと行動する事は想像に難くないのだが。都市中央病院が今でもタクトニム達の病院として機能している事実を思えば、これも当然の事なのか。
高い戦闘能力を持っているだけでも充分脅威になりえる彼らに、更にブレーンが加わるのだ。
やはり地の利は大きい、とジェミリアスは思う。
セフィロトの塔内の地図が欲しい。
しかしセフィロトの塔内は審判の日以後、タクトニムらによる増改築が進み、内部の詳細は殆どわかっていないのが実状だ。たとえ審判の日以前の地図を手にしたところで殆ど役に立たない。
だからこうして地道に自らの足で歩いて地図を埋めていくしかないのだった。
ジェミリアスは足をゆっくり組み替えると、再びティーカップを口へ運んだ。
「ジェミリアス様」
突然、声がかかった。
とはいえ車内にはジェミリアス以外は誰もいない。運転手もおらず、車は自動走行させていたのである。
「後方左45度の方角から誰かが救援を求めているようですが」
その声は彼女のすぐ傍のスピーカーからしていた。
喋っているのは人工知能を持つバン『黒丸』である。
ジェミリアスはそれで後方を振り返った。
1人のティンガローハットを被った男が片手を振り上げながら、猛スピードでこちらへ向かって駆けてくる。
その後ろには何体ものタクトニムがいた。
ジェミリアスはわずかに眉を顰めて首を傾げた。
本日の予定にタクトニムとの戦闘はない。
ティーカップを置いて、ジェミリアスは言った。
「乗せてあげて」
「了解しました」
【4】
ズシン、ズシンと地響きをたててケイプマンが近づいてくる。
そこでシオンは首を傾げた。
――ズシン、ズシン?
ケイプマンは確かに体長2mもある巨体だが、決して鈍くはない。むしろ俊敏だ。少なくともズシンとかドシンとかドタなんて擬音の付くような歩き方はしない。
そこへ悲鳴にも似た野太い声が届いた。
「シオンちゃん!?」
見覚えのある顔が、ケイプマンらの後ろに見えた。心配そうに顔をゆがめケイプマンを蹴散らしながら駆けてくる。
この歳になって「ちゃん」付けで呼ばれた事などないシオンは、何とも複雑そうな顔でそれを見ていた。
万事休すといったところか。
そこから先は殆ど条件反射に近かったろう。
『敵』は視覚兵器なのだ。
シオンの右ストレートがらびーの顔にめり込んでいた。
「な……ぜ……?」
漏れるらびーの声を無視して、シオンはゆっくり5回瞬きをした。視界がクリアになっている。どうやら回路的な問題ではなく精神的なものだったようだ。
左の頬を押さえて蹲り非難の眼差しを送っているらびーを無視する。
「どうなさったんですの?」
シオンの突然の乱心に目を丸くしてナンナが尋ねた。
その隣ではセトが腕を組んで、よくぞ仇を取ってくれた、などとうんうん頷いている。
「気持ちはわかる」
シオンはこめかみに手をあてながらナンナに言った。
「いえ、すみません。サイバーアイの調子が悪くて」
明らかに謝る相手を間違えてるような気もしなくもないが、そういう細かい事はどうでもいいだろう、それを指摘する者はこのメンバーの中にはいなかった。
「まぁ、それはいけませんわ。わたくし、こう見えましても多少の……」
言いかけたナンナの言葉を遮ってシオンが微笑む。
「大丈夫です。もう治りましたから」
今の一発で。
「まぁ、そういう事なら仕方ないわね」
らびーが笑顔で立ち上がった。
セトとシオンが反射的にらびーの笑顔から視線をそらせる。
「お掃除のお手伝いをするわ」
そう言って、本当に箒で掃き掃除でもするかのようにらびーは持っていた箒を構えたらびーはおもむろにそれをぶんぶん振り回した。
何か、凄いやつでも出てくるんだろうか、そんな気合の入りっぷりである。
ぶんぶん振り回された遠心力によるものなのか、箒の先がはずれて一体のケイプマンの顔面に飛んでいった。柄だけとなった棒を、まるで棒高跳びの棒のように使ってらびーは自らの巨体を宙に浮かせると、別のケイプマンの頭上へダイビングする。
そこでシオンがタイセツなことを思い出した。――オルゴール!
あまり派手な事をされるとオルゴールを本当に壊してしまうかもしれない。先に見つけなければ。
だが、そう思ってシオンがらびーを止めようとした時には、既にらびーはケイプマンたちと交戦中であった。
らびーがケイプマンの腕を掴む。
らびーに続いてナンナもナックルをはめるとケイプマンに向かって走り出していた。慌ててセトがその後を追う。女の子を守るのは男の使命だ。
らびーが一本背負いを決めようとした瞬間、シオンがその前に落ちているオルゴールに気付いた。電池節約月間なのも忘れて高機動運動にスイッチする。
今、正に担ぎ上げたケイプマンを床へ叩き落とさんとするらびーに両足で飛び蹴りを喰らわせた。
「な……ぜ……?」
思いも寄らぬ攻撃に吹っ飛ばされながららびーが呟いた。
しかしケイプマンの下敷きになって倒れているらびーには目もくれず、シオンは荒い息を吐き出しながら、それを拾い上げていた。
息子への土産のオルゴール。
傷はないらしいオルゴールの蓋を開けると、あの曲が流れた。
「どうしたんですか?」
ナンナがケイプマンの鳩尾に拳を叩き込みながら振り返った。ナンナの隙に乗じたケイプマンはセトが黙らせる。
怪訝に尋ねるナンナのそれは、らびーを突然蹴った事を、というよりは、シオンの拾ったものに興味があるといった風情だ。
「妻の形見の代わりに息子にと……」
シオンが呟くように答えた。
そのオルゴールが奏でる曲は、彼女がとても好きな曲だった。いつか息子にも聞かせてやりたいと思いながら、音符どころか音楽にも疎い彼は、その機会を得られないでいたのである。彼女に関する一切が火事で殆ど焼けてしまった今、形見すら持たぬ息子の為に……。
「まぁ……」
ナンナは小さく相槌を打って、その先の言葉を飲み込んだ。シオンの言葉から察するに、奥様は亡くなられているのだろう、それをわざわざ確認して、他人の傷口に塩を擦り込む必要もない。
そんな2人と、その横でケイプマンの下敷きになっているらびーを交互に見やりながらセトは「うーむ」と一つ唸った。
はっきり言って女以外はどうでもいいセトだったが、さすがに忘れ去られてる風のらびーを少なからず不憫に思ったのかもしれない。だからと言って助けてやるわけでもないのだが。
そこへ傍らのエレベータホールからチンというエレベータ到着の音が鳴った。
「お、丁度エレベータもきたし乗ってこうぜ」
セトが2人に声をかける。
先ほどナンナがボタンを押していたエレベータである。
エレベータを呼ぶために押したのか、はたまたボタンがそこにあったから押したのかは定かではなかった、エレベータは幸いにも作動中で、中には何も乗ってはいなかった。
エレベータに3人が乗りこむ。
らびーも自力でタクトニムから脱出し、他のケイプマンを箒で蹴散らしてエレベータへ駆け込んだ。
刹那、エレベータが重量オーバーの悲鳴をあげる。
6人乗りのエレベータだが、さすがに見た目より遥かに重いオールサイバー2人は重すぎたらしい。
「階段で行ってください」
と、シオンが言った。
「すみません」
と、ナンナが頭を下げた。
セトはひらひらと手を振った。
「…………」
******
「いやぁ、助かった、助かった」
黒丸の後部座席でJBは心底ホッとしたようにシートにもたれかかった。
「どうやってヘルズゲートに戻ろうかと困っとったんじゃ」
と彼は続けた。
ジェミリアスは簡易キッチンで彼の分の紅茶の準備をしながら、わずかに首を傾げる。
タクトニムに追われて困っていたのではなかったのか。
しかし如何な状況証拠が揃っていようとも、彼は胸を張って答えただろう――道に迷っていただけだ。
ジェミリアスは苦笑を滲ませながらポットの紅茶を注いでJBを振り返った。
「黒丸。少しスピードをあげて頂戴ね」
黒丸の後ろにはJBを追っていたタクトニム――イーターバグが群れをなしていた。
今日の予定に、タクトニムの戦闘はないのである。
【5】
それは、普段ではありえないような事故だったろう。
出会い頭というやつである。
飛び出しには特に注意をおかねばならない横の見えない曲がり角で、黒丸とシオンがぶつかった。
いや、黒丸は人工知能を搭載し、ナノミリセックという単位で物事を処理することが出来る。故に黒丸が人をひくなどありえない。
正確には、紙一重で緊急停止した黒丸に、急に止まれなかったシオンがぶつかっていったのである。しかしオールサイバーで出来ているシオンであるから、その程度の衝撃で怪我をするような事はなかった。
ただ、緊急停止した黒丸に、中の人々が反応出来なかったのである。有態にいえば、ポットを持って立っていたジェミリアスは半歩よろめいた。その拍子にポットの蓋がはずれて、中に入っていた熱湯がJBの頭上に降り注いだのである。
「あっっちぃぃーー!!」
悲鳴をあげてJBは黒丸の外へ飛び出した。
あまりの熱さにのた打ちまわってるJBをどう取ったのか、ナンナが何とも微笑ましげに声をかけた。
「あら、JBさん、こんにちは」
変なダンスを踊ってる、くらいに思っているのだろうか、微塵も心配した様子がなかった。
「サンバ・カーニバルの練習ですか?」
どうやらサンバの練習をしてると思われたらしい。
ジェミリアスも黒丸を降りた。
そこにはらびー・スケールが立っていたが、彼女は大して動じた風もなく気遣わしげな顔をしている。
らびーの視覚兵器並みの外見も、ナンナといいジェミリアスといい、女性達には通用しないのか。単に、彼女達がそういう星の元に生まれている故なのか。
「お連れの方は大丈夫かしら?」
ジェミリアスが尋ねると、答えようとしたらびーを押しのけセトが答えた。
「全然大丈夫です」
と自信満々に胸を張る。
たとえそこでシオンが倒れていたとしても全く問題なし、だ。
「貴女こそ、お怪我はありませんか、マダム」
『女は生きているだけで偉い』を信じて疑わない彼は、女なら一瞬は目を止めてしまうような笑顔を向けて言った。
今にもその手をとって跪いて手の甲に口付けでもしそうな勢いすらある。
「えぇ、私は大丈夫なんだけど……」
ジェミリアスは困惑げに視線を馳せた。
その先でJBが小躍りしている。
「あぁ」
熱湯をかけられたと知らないセトは素直に思った。――どこか打ち所が悪かったんだな、と。
しかし、そうのんびりしている暇は彼らにはなかった。
JBを追っていたタクトニムの一体が追いついてきたのだ。
「宜しければ、どうぞ」
ジェミリアスが黒丸へと促した。
お邪魔します、と皆が黒丸に乗りこむ。
ただ1人、シオンを残して。
「あら、シオンちゃん、どうしたの?」
らびーが訝しげに窓から身を乗り出して声をかけた。
「オルゴールが……」
シオンが辺りをきょろきょろしながら呟く。
「え?」
「オルゴールがありません」
どうやら出会い頭に転んだ時、落としてしまったらしい。
「きっとこの辺にある筈です。私はタクトニムを止めてきます」
言ったが早いかシオンはタクトニムに向かって特攻を仕掛けていた。踏み潰される前に追い払おうというのである。
その間に皆さんはオルゴールを捜してください、と背中が語っているようだった。
その背を見送りつつ、らびーが黒丸の中の面々に言った。
「みんな、シオンちゃんのオルゴールが無くなったらしいの。捜さなくちゃ」
「まぁ、わたくしも手伝いますわ。何でしたら、わたくしが囮になってタクトニムを引きつけても構いません」
ナンナが拳を握る。
「女の子にそんな危ない真似はさせられねーな」
セトがハンドガンの残弾を確認しながら言った。
「大丈夫です。わたくしにはこのうさ耳バンドがありますから」
「いや、それは、俺のやる気しか出ないから……」
「おう、うさ耳なら我輩も持っておるぞ」
そう言ってJBがどこからともなくうさ耳バンドを取り出しティンガローハット上から装着してみせる。
「えぇい! だから、俺の士気下げてんじゃねーよ」
セトが蹴りを入れた。男に対しては微塵も容赦がない。しかし、よく考えて見ればらびーのうさ耳には文句を言わない彼である。
「オルゴールってどういうのかしら?」
皆の分の紅茶を用意しながらジェミリアスが尋ねた。
「これくらいの、サファイアみたいな綺麗な色をした小箱でした」
ナンナが手振りで説明すると、セトの足蹴にされていたJBが思い出したようにポケットから何やら取り出した。手の平サイズの小さな小箱だ。
「これのことか?」
「!?」
「って、おっさん、どうしてそれを!?」
「気付いたら」
尋ねたセトにJBは即答だった。気付いたら持っていたのである。考古学者というものは、ついついその辺の物をポケットに仕舞う習性があるのだ。恐らくはサンバのダンスの練習中に無意識に拾っていたらしい。
「なんだ、良かったじゃねーか」
セトがやれやれ、とでもいう風にカーシートに腰を下ろす。
「どんな曲が鳴るのかしら?」
ナンナが興味顔で身を乗り出した。
「さぁ?」
首を傾げながらJBがオルゴールの蓋を開けてみる。
「?」
「鳴りませんね。もしかして、壊れてしまったのかしら?」
ナンナが首を傾げた。
一同も怪訝に眉を顰めている。ただ1人、JBを除いて。
「ん? 鳴っとるぞ」
JBが言った。
「え?」
それに何事か気付いたらしい、JBがオルゴールをナンナに手渡した。
「まぁ、素敵な曲ですわ」
「何!?」
相変わらず何も聞こえないセトが驚いたようにナンナを見つめている。
それに、ジェミリアスも心当たりがあったようだ。
「骨伝動ね」
「こつでんどう?」
「審判の日以前に発達した技術よ。音は要するに振動でしょ。つまり空気ではなく骨を振動させて音を伝えるのよ。これだと空気振動で音を捉えることの出来ない難聴者でも音を聞くことが出来る一方で、空気を振動させるわけではないから、外に音が漏れる事はないのよ」
ジェミリアスの説明にセトがなるほどと頷いた。だから、オルゴールに触れている者達には曲が聞こえて、自分には聞こえなかったというわけだ。
「もしかして、シオンさんの息子さんは難聴者なんですの?」
ナンナが不安げな面持ちで尋ねた。
「そいうかもしれないわね」
ジェミリアスは紅茶を皆に配りながら答えた。あくまでも可能性の問題である。
「だから、どこにでもあるようなオルゴールをわざわざ命がけでか……」
セトは紅茶を啜りながら得心のいった顔で呟いた。
勿論、シオンはそんな事、一っ言も言ってない。
だが、何となくその場の雰囲気がそういう結論をはじき出していた。誰もがシオンの息子は難聴者と思いこんでしまったのである。
そして、この場合、事実はあまり大した意味を持たない。何故なら、その一点に於いて誰もが一致団結してしまったからである。
「それは何としても届けて差し上げなくてはいけませんわね」
ナンナが目に涙を潤ませながら言った。
「シオンさんのご遺志を遂行する為にも……」
場が何となくしんみりする。
誰も、シオンはまだ死んでない、と指摘する者はいなかった。
悲壮感たっぷりで戦っているシオンを助けに行こうとする者もまた、いなかった。
もしかしたら皆、シオンの『遺志』を遂行しようと思っているのかもしれない。
それが、冗談だったのか、本気だったのか、天然だったのかは神のみぞ知る話であった。
ただ、オルゴールが静かに音のない音楽を奏でていた。
【Epilogue】
全身ボロ雑巾のようになったシオンが、かくしてイーターバグを倒し虚ろに戻ってきた頃、5人はオルゴールを黒丸のスピーカーに接続してそれをBGMにアフターヌーンティーの真っ最中だった。
ジェミリアスの特製パウンドケーキに舌鼓を打っている。
フロントにポツンと置かれたオルゴールに気付いてシオンは黒丸のドアを開けようとするが、ロックされていた。
シオンは窓ガラスをドンドン叩いたが、中の5人は談笑の真っ只中で、シオンに気付く様子もない。
シオンは更にガンガン叩いた。
唯一の頼みの綱である黒丸は、アイドリング中なのか、はたまたスリープモードなのか、応答もなかった。
「皆さーん!! 開けてくださーい! 息子のオルゴール返してくさーい!!」
−大団円−
■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□
【0375】シオン・レ・ハイ
【0295】らびー・スケール
【0544】ジェミリアス・ボナパルト
【0573】早川・瀬戸
【0579】ナンナ・トレーズ
【0599】J・B・ハート・Jr.
■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□
ありがとうございました、斎藤晃です。
たいへん遅くなりました。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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