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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


***あらかじめ失われた蒼***



 科学技術の発展した輝かしい未来へと足を進めながらも、地球規模の大災害が起きた日――――人々は古き良き時代の文献に習って、その日を『審判の日』を呼んだ。

 その日を境に全てが瓦解した。
 
 一度無に帰した世界は「無」の上に醜悪で不安定な繁栄を重ねてゆく。
 審判を忘れたかのように。
 審判は二度はない。次は完全なる「無」だ。再生のない「無」。

 それでも人は繰り返す。
 いびつな欲望の輪廻。

 『審判の日』に裁かれたのは人間だったのか。
 それとも………。



  *************



『ゲートの前のでかい建物だと言えば、その辺の婆ちゃんだって教えてくれる』

 片目の潰れた男は、露骨に下卑た視線で、彼女の華奢な身体を上から下まで嘗め回すように見やりながら、そう教えてくれた。
 男もビジターギルドからの帰途らしかった。重たげなスナイパーライフルを背負い、着込んだ分厚いレザーコートは砂埃のシャワーでも浴びたように真っ白だった。
 男はビギナーズゲートまでの道を教える代わりに、金以外の報酬を求めているようだった。不恰好な隻眼の底が充血して膨張して見えた。
 彼女は殊更鈍感な素振りで、それをやり過ごした。
 たかだか道案内には過ぎるほどの金を投げ与え、くるりと踵を返す。
 彼女は、男をやり過ごしてから小さく舌を出した。

「お馬鹿さん。私はそんなに安くないわ」


 彼女は、渇き切った大地を踏みしめて――――靴先が踏みしめるたびに崩壊の予兆のように粉塵が舞う――――セフィロトに向かった。

 セフィロト。
 赤道上空に静止した宇宙ステーションと地表を結び、地表〜静止衛星軌道〜地球引力圏外の往来を可能とする軌道エレベーター施設の名前である。
 『審判の日』を境に国家という括りさえ消え失せた南米――――アマゾンの奥地に忘れ去られた思い出のようにひっそりと存在している。
 だが、機能そのものは決して「ひっそり」などではなかった。

 いまや総てがこのセフィロトから端を発し、終焉を迎えると言って良い。
 もちろん、彼女の新しい運命も。


 彼女の名は、エクセラ・フォース。
 この世界においては、特殊能力を特に持ち合わせないごく普通のエキスパートと言うクラスに属している。
 物心がつくかつかないかのうちに両親を失い、フォース家の養女となった。
 タクトニムがいつ襲って来るかわからない環境にありながら闘うことが苦手で、代わりに常人離れしたコンピューター扱いを身につけた。いわゆるハッカーである。
 フォース家に引き取られる前の記憶は皆無だから――――きっと抱きしめてくれたであろう母のぬくもりも、父の強さも覚えてはいないのだ。記憶の全般がデリートされたように真っ白だった――――その頃のトラウマでエクセラは闘いを拒むのかも知れない。

 エクセラはブロンドの髪をかきあげて、ふうっと空を見上げた。
 と言っても、空らしい空は見えない。
 もう、誰もが空が「蒼い」ことを忘れているに違いない。


 
 エクセラはゆっくりと、都市区画『マルクト』に足を踏み入れた。
 その入口に都市『マルクト』がある。セフィロトの第一フロアで、ビジターの街だ。
 タクトニムの排除が終了した地域の周りを、無骨で頑丈一辺倒な外壁が取り囲んでいる。タクトニムの再度の侵入によって巻き起こる悲劇を防がねばならないから、出入口は二つ――――外に通じているものと、セフィロトの奥へと進むもの。それぞれ厳重に監視されていた。
 都市内の建物は、タクトニム排除の折の戦闘で痛み切っている。
 コンクリートの下地がむき出しになり、壁が罅割れ、数多の弾痕が残っていた。 
 
 そして、もちろんこの都市の上にも空はない。
 いや。
 あるけれど、「蒼」くはない。
 エクセラは小さく息を吐いた。

 決意して来たのだ。
 ビジター登録をしなければ、セフィロトの内部には行かれない。
 なにも変わらない。変えられない。
 自らの存在理由も、消えた記憶も。なにもわからない。


 ロビーには、埃くさく銃器を抱えた有象無象の男たちが溢れていた。物騒な匂いが充満している。
 鼻腔に異臭が差し込み、刹那吐き気を覚えた。
 が、これらになれない限り、先には進めない。
 決意が失せて消えてしまう。
 既に失われた「蒼」空にように。 

エクセラは意を決して、一番の窓口に立った。
 ゲートまでの道を説明してくれた、あの男と同様の下卑た視線が一斉に注がれた。ひしゃげた笑い声がついてくる。
 女であること、それも目立つほどの美形であることで、彼らの下品な感情が更に強まったようだった。
 強烈な吐き気がこみ上げた。
 
(……これくらい…)

 エクセラは唇を噛み締めた。
 カウンター越しの受付嬢が可愛らしい大きな瞳を見開いた。
 エクセラのような女がここに来ることには慣れているはずなのに。微かな驚きと困惑が見えた。

 エクセラは丹田に力を込めた。常時より押さえた低い声を出すように意識しながら。
 それでいて、柔和にしなやかに静かに微笑んで見せた。

「ビジター登録、お願いします」



 ――――エクセラ・フォースの新しい時計が小さく軋んで、刻を刻み始めようとしていた。