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Bloody Girl
マルクトの朝は灰色だ。
空の見えないこの街で夜明けを告げるのは、市のざわめきと家々の明かり。
朝になったら明かりをつける、なんておかしなものだ。寝起きのぼんやりした頭でそんなことを思いつつ、白神空は窓際に寄って、目覚め始めた町並みを眺める。
軒を並べた露天の品は野菜と穀物。トウモロコシにパプリカ、トマト。陽気な色が濁った色彩の中で際立って、随分とおいしそうに見える。売れ行きも上々のようだ。
鼻先が捉えた植物の香りに多少の懐かしさを感じて、空は目を細めた。
セフィロトから一歩出れば有り余るほどに存在する熱帯の密林は、空の記憶にある自然とは一致しないのだが、単純な青い香りは懐かしい場所を思い起こさせた。空が以前よく通った山は、落葉樹の多い大人しい山だった。
――今思えば、いいところだったのよね。
可愛い知り合いも沢山いたし、と呟いて、空は少し笑った。
そうして視線を背後のベッドに向ける。そこではくしゃくしゃのシーツにくるまって少女が一人眠っている。昨夜道端で拾って、共に一夜を過ごしたのだ。
少女のまだ幼い丸みを帯びた頬を視線で辿りながら、空は窓際から離れた。ベッドに腰を下ろし、少女の耳元で囁く。
「そろそろ帰るわね」
んん、と眠そうな声を上げて少女は薄目を開ける。目が覚めきっていないのか、焦点の合わない瞳が宙をさまよう。空は笑いながら少女の額にキスを落として、そのまま部屋を後にした。
建物を出るとすぐに埃っぽい風が空の銀髪を嬲る。乾ききった空気に乗って鉄と硝煙と血の匂いが運ばれてくるのはいつものことだ。
が、空の嗅覚はその中から異質な匂いを拾い出した。
――血の匂い……だけど、これは……。
ヒトのものではない。もっと、野生に近いものの血だ。
空は迷わず駆け出した。まだ生々しい匂いからしても、何かが起こっているのは間違いない。
まだ半分まどろんでいる街を駆け抜け、ヘブンズゲートの付近でようやく、空は匂いの大本を突き止めた。
奥まった路地の壁にもたれるようにして、一人の少女がうずくまっている。肩を上下させて荒い息をつく少女の腕には大きな裂傷があり、手で押さえていてもそこから血が流れ出て辺りを赤く染めていた。
「ねえ、大丈夫？」
「！」
少女は驚いたように勢いよく振り向いた。そして空の姿を認めると、警戒心を剥きだしに眉を吊り上げる。いかにも獣じみたその仕草に、空は思わず声を上げて笑った。
「あはは、怖がらなくても大丈夫よ。あなたみたいな子にはいっぱい会ってるし」
少女の顔を覗き込み、視線を合わせる。
「困ってるなら相談に乗るけど？」
少女は戸惑ったように目をしばたかせ、首を傾げた。
「……私、コウモリなの」
ぽつりと漏れた少女の台詞に、空は目だけで答えた。少女の傷口を舐めてやっているので喋れないのだ。
「近くの洞窟に住んでたんだけど、採掘だとか言って崩されちゃったから逃げてきたの」
セフィロトの中はなかなか住み心地がいいのだと少女は語った。確かに、この密閉された街は洞窟の中の環境に似ているかもしれない。
傷口から顔を上げ、空は尋ねた。
「どうして怪我したの？いじめられた？」
「何だか変な奴に襲われたのよ。人間がタクトニムって呼んでる、鉄の塊みたいな奴。私が住んでたところ、そいつらに取られちゃったの」
少女は悔しげに唇を噛む。人間では有り得ないほどに尖った犬歯が薄い唇に食い込み、皮膚を傷つける。
「……人間なんて、嫌い」
キッときつい視線が空に向けられる。
空は微笑んでそれをいなし、血が滲み出した少女の唇にふれる。顔を近づけて、ぺろりと血を舐め取った。
「人間って言っても、悪い奴ばっかりじゃないわよ」
「…………」
「あたしみたいなのもいるんだし」
そのまま唇を重ねようとすると、少女はふいっと顔をそらした。
「……人間は嫌いって言ってるでしょ」
「そう……」
空は少し首をかしげ、
「じゃあ、これならどう？」
と、くるりと手首を回してみせる。
手首は一回転する間に柔らかそうな羽毛で覆われた羽となる。少女が声を上げる暇もなく、空の姿は白い鳥人――「天舞姫」となった。
空は得意げに微笑んで、少女の頬を手で包み込む。
「これなら文句ないでしょ？」
少女が何か言う前に、空はキスで唇をふさいだ。
がしゃん、と派手な音を立てて最後のタクトニムが地面に転がった。飛行タイプとはいえ、タクトニムとしては小さな方だ。コウモリにとっては太刀打ちできない相手でも、空の敵ではない。
「一丁あがり、ね」
奥まった路地――周りの建物の壁が崩れて、まるで洞窟のようなその場所は、コウモリの少女のねぐらだ。
タクトニムは全て片付けた。これで少女もまたこの場所で暮らせるはずだ。
「早く教えて喜ばせてあげなきゃね」
空は少女の元へ戻るべく、ふわりと髪をなびかせて踵を返した。
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