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都市マルクト【アルバイト】フライドチキンの配達人
うさ耳’z 結成秘話
ライター:斎藤晃
【Opening】
アルバイト諸君、私がこの店の店長であるサンダース大佐だ。
さて、当アマゾナスフライドチキン・セフィロト店がフライドチキンのデリバリーサービスを行っているのは承知の通りだと思う。そして、諸君等がその配達員である事も‥‥だ。
熱々をお手元に。我々はこのキャッチフレーズの下、注文があったその時には万難を排してフライドチキンを届けなければならない。
例え、数億の敵に囲まれ、死地に取り残された、死を間近にした弱兵の元へでもだ。
ん、早速、デリバリーの注文が来た様だ。配達ポイントはセフィロト内。諸君等の出番というわけだ。
なお、敗北(配達未着)は許されない。健闘を願う。
【Prologue】
荒涼たる世界にたった一人取り残された、そんな気分である。気持ちの上では飄々とした冷たい風が右から左へ寂しく吹き抜けていった。実際には風など全くなければ、からからと鳴る枯葉一枚落ちてないのだが。見渡す限りは無機質なコンクリートに視界を阻まれた狭い空間であった。
そこに、がくりと膝をついてJ・B・ハート・Jr.は「ははは」と乾いた笑声をあげた。
人間、どうにもならなくなったら笑うしかないらしい。
事の起こりは3日ほど前に遡る。
とある飲み屋で白い髭のじじぃと知り合った。サンダース・某という恰幅のいいおやじで、真っ白の軍服に黒いリボンタイがこれほど似合わないものなのかと、妙に感心させられる御仁であった。
しかし、そういう事なら自分も負けない。
今にして思えば何が「負けない」なのかよくわからないのだが、ただその時は妙な対抗意識が首を擡げたのである。たぶん、したたか酔っていたのだろう。
JBは持っていたうさ耳バンドを頭にセットして、無意味にシナなど作ってみせた。ふふんと鼻先で笑う。何に対してかは皆目検討もつかないが、とにかく内心では「勝った」と思った。
だが相手もそれに負けてはいられないと思ったようである。どこからともなくネコ耳を取り出してきた。それで「負けないニャン」と返されては言葉を失うほかない。
JBは真剣に考えた。
勿論、うさぎの鳴き声を、である。
そんな調子で酔っ払い2人のかくもくだらないバトルは始まったのだった。内容についてはあまりにしょーもなさ過ぎて特筆すべき事は何一つない。話を冗長するだけなので割愛する。押して知るべし。
バトルの最後、結局そのおやじとは意気投合するでもなく――ある意味投合していたのかもしれないが――賭けをする事になっていた。
おやじがやっている店はデリバリーをしてくれるらしい。どこでも配達するぞ、と自慢げに抜かしやがったので、じゃぁ、持ってきてもらおーじゃないか、とは売り言葉に買い言葉ってやつである。落ち着いて考えて見れば、奴の営業戦略にまんまと引っかかったようなものだ。
だから、あの時はしたたかに酔っていたのである。
勢いとは恐ろしいものであった。
かくしてJBは【16】番の番号札を持ってヘルズゲートをくぐる事になったのだ。3日前の事である。
酔った勢いで来てしまったので、あまり食料を持っていなかった。それでも翌朝などは酷い二日酔いで食欲もなかったからまだいいが、さすがに2日も経つと背と腹は今にもくっつきそうな悲鳴をあげだした。
ショッピングセンターに何か非常食があるかもと思ったが、そもそも先天性方向感覚麻痺症候群――命名JB――に侵されている彼には、そこまで辿りつく事は不可能なように思われた。
こんな時に限って誰とも出くわさない。
商品は一向に届く気配すらない。
JBは、そこでがっくりと項垂れた。
まさか、とは思うがあのサンダース・某、酔っていて記憶がなく注文を忘れてしまった、なんて事はないよな、などという不吉な予感が脳裏をかすめる。
どうしよう。この手の勘はよく当たるのだ。
JBはやおらポケットから油性マジックを取り出すとその場にうつ伏せに突っ伏した。このまま餓死する前にダイイングメッセージを残しておこうと思ったのである。
『36』
そうして彼は力尽きたのだった。
【How to working】
波が巌を砕くように打ち寄せ高らかに水しぶきを上げていた。冬の日本海を思わせるような光景だ。そこに、三角のマーク。中にはセフィロト映像企画、略して『セ映』の文字が縦に並んでいる。
それが徐々に近づいて画面いっぱいに広がると、波の映像は消え黒地に金でセ映のロゴが光り、ジャーンという効果音と共に「それ」は始まった。
『アマゾナスフライドチキン・セフィロト店 デリバリーアルバイト心得』
そこに現れた戦闘服姿の美人のお姉さんが懇切丁寧に分かり易くアルバイトの内容と心構えを説明してくれる、新人研修用ビデオである。
基本心得その1 ありとあらゆる手段を使って必ず商品をお届けする。
基本心得その2 ありとあらゆる手段を使って必ず代金を受け取る。
瀕死だからと言って助ける必要は勿論ない。そこまでのサービスは含まれていないからだ。代金を受け取ったら速やかに撤収。但し、配達を妨げるものがあれば、ありとあらゆる手段を用いて、これを排除する事は許されている。
だが、基本はあくまで迅速、確実。タイムリミットはチキンが冷めるまで。敗北(配達未着)は許されない。
所要時間10分のビデオの前には、新人アルバイターが4人座っていた。
財布の中身が心許ない2人の男。1人は財布の中身の割りに高そうなロングレザーのコートを着て、一見金を持ってそうに見える男、シオン・レ・ハイ。今1人は、財布が重くなって飛べなくなる事を危惧しているのか、いつも吹けば飛ぶ財布を肌身離さず持っている男、フルーク・シュヴァイツであった。
残る2人は女。1人は明らかに来る場所を間違えたのか「アルバイトってなんですの?」などと世間知らずのどこぞの金持ちのおぜう様のように話しているうさ耳バンドを付けた女、ナンナ・トレーズ。残る1人は銀色の髪に同じ色の目をヤル気満々に漲らせやたらと気合の入った美女、白神空であった。
『劇終』の文字と共にビデオ画面がブラックアウトすると、同時に部屋が明るくなり、店長代理とやらが顔を出した。
柔らかそうなプラチナの髪をオールバックにし、ダンディーな身のこなし、体格のいい体にホワイトカラーの軍服をソツなく着こなした男だ。
その外見に全く反する事無く渋いバリトンが部屋中に響き渡る。
「以上だ諸君。ではさっそく任務についてもらおう」
「任務?」
何かそこに腑に落ちないものを感じながらシオンは支給された制服を受け取った。
白の戦闘服に黒のリボンタイ。そして……。
「なんだ、こりゃ」
隣でフルークがそれを手に困惑を通り越したような変な笑みを浮かべて呟いた。それは白いふわふわの毛の付いたヘアーバンドだった。耳のあたる部分がイヤフォンになっている。ともすればマイクも付いていた。一応、ヘッドフォンマイクらしい。
だが……。
「まぁ、わたくし、うさ耳はこの通り、既に持っておりますのよ」
ナンナが支給品のヘッドフォンマイクを見ながら言った。
――そうだ、そうなのだ。
それはただのヘッドフォンマイクではなかった。
「何でうさ耳なのかしら」
空が小首を傾げている。
――そうだ、そこだ。
通信用ヘッドフォンマイクはいい。しかし何故それをうさ耳にする必要があるのか、その必然性が全くわからない。この店のマスコットがうさぎというわけでもないのだ。
大体である。彼女や彼女ならともかく、自分や彼が付けていいものとは到底思えない。男が付けるうさ耳バンドなど、シオンにはアレとかアレとかを連想させられて大変宜しくなかった。
だが、いくら文句を並べたところで一応配達用の通信用ヘッドフォンマイクなのだ。付けないわけにはいかないだろう、気が重くなる。
シオンの隣でフルークが自己暗示を始めていた。
「これを付けたらもっと高く飛べる。もっと高く飛べる。もっと高く飛べる……」
「更衣室はこっちだ」
店長代理が直々に更衣室へ案内してくれた。調理場は戦場のようで誰も出てこられないのか、はたまた店長という立場は、よっぽど暇なのか。
ナンナと空は当然女子更衣室へ、シオンとフルークは男子更衣室へ入った。
戦闘服にはつつがなく着替える。白のシャツに黒のズボンだ。だが、問題はうさ耳バンドである。少なからずの抵抗が、シオンがそれを付ける事を躊躇わせた。
だが、これもかわいい息子の為である。このアルバイト代で今度こそお土産を買ってやらねば、と意を決す。
隣ではフルークが自己暗示を終えたのか「よし」と自分に気合を入れていた。
それを頭に付けようとしたその時、ふと並んだロッカーの向こうから、楽しそうな鼻歌が聞こえてきた。
「ふふふん ふんふん ふふふん ふんふん♪」
シオンとフルークが顔を見合わせる。
一緒に入った店長代理の声にしては、ちょっと高い気がする。あの渋いバリトンではないのだ。
誰か他にもアルバイトがいたのかと2人はその鼻歌が聞こえる方を覗いてみた。
「うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!!!」
男どもの阿鼻叫喚の悲鳴は、隣の女子更衣室までは届かなかった。
ナンナと空は服を着替え終える。
白のブラウスに黒のスカート。黒のリボンタイを付けて空はしばしうさ耳バンドを見つめた。これの似合いそうな人物を1人知っている。このアルバイトが終わったら付けさせてみよう、きっと照れて可愛いに違いない、などと妄想を膨らませつつ現実逃避を試みたが、この歳になって自分がこれを付けるのかと思うと何だか気が滅入る思いだった。
視線を感じて振り返ると隣にいたナンナと目が合う。
「空さんもきっとお似合いですわ」
にこやかにナンナが言った。
しかし事は、似合うとか似合わないとか、そういう問題ではない。どちらかといえば羞恥心の問題だ。だが、このアルバイトの先にある下心の前ではそれも大した問題ではないような気もしてきた。これは制服なのだ。堂々としていればいい。
空は意を決してうさ耳バンドを付けた。視界にうさ耳が入ってこなければ、感覚はただの通信用ヘッドフォンマイクと同じだ。幸いにもナンナはデフォルト装備だったので自分も同じものを付けているような気がしない。後は鏡を見ないように気をつけよう。
2人は連れ立って更衣室を出た。
その廊下で、空はそのまま目を大きく見開いて固まってしまった。
何だこれは、と思った。
「まぁ、店長代理も戦闘服に着替えられたんですの?」
ナンナがとってもナチュラルに『それ』を店長代理と呼びながら、とってもナチュラルに『それ』に駆け寄った。
『それ』は趣味を疑うようなショッキングピンクの長い髪をしていた。お揃いのうさ耳バンドを付けている。蓄えられた顎鬚までいつの間にかピンク色に染まっていた。分厚い胸板を飾るピンクのレースとリボン。そこから生えた豪腕とのギャップに、空は開いた口も塞がらない。ミニのフレアースカートのフリルから出た筋肉質の太ももは、どう贔屓目に見たって自分のウェストより太そうだ。
空は呆気に取られたまま立ち尽くした。
いや、事はそういう問題ではない。
店長代理とは、白い軍服にプラチナ色の髪で、渋いバリトンを朗々と響かせた渋い初老の男だった筈だ。少なくとも今目の前にいるような、こんなメイド服姿の『それ』ではなかった。
「あぁ、ナンナちゃんは医療の心得があったわよね。この2人更衣室で倒れてたんだけどちょっと診てくれないかしら」
そう言って店長代理は両手に引きずっていた男2人を床に並べた。言わずと知れたフルークとシオンである。
ナンナが「はい」と頷いて2人の傍らにしゃがみこむと、手を翳して2人の容態を診ている。
空は呆気にとられたまま殆ど無意識で呟いていた。
「店長代理?」
「なぁに?」
『それ』がナチュラルに振り返った。
――世の中には見てはならぬものがある。
男2人が気絶した理由をはかりかねて首を傾げている店長代理とナンナの横で、空は何となく事情を悟った。
あの店長代理――らびー・スケールが紛れもなく同一人物であるなら、男子更衣室で起こった出来事については想像に難くない。2人の男には「お気の毒様」と言葉をかけるほかないだろう。しかしそうなると、『あれ』を同一人物と看破したナンナの眼力は侮れないかもしれない。
程なくして意識を取り戻した2人はげっそりやつれ、心なしか小さく見えた。
「さぁ、さっそくデリバリーよ。履歴書を見せてもらったんだけど、空ちゃんとフルークちゃんは飛べるのよね。セフィロトのショッピングセンターなんだけど、3件お願い出来るかしら?」
らびーが配達伝票と商品を確認しながら言った。
「はい」
空が伝票の束を受け取る。
「わかりました」
フルークは商品を受け取った。
「ちょっと多いんだけど」
とらびーが申し訳なさそうに付け加えた。
それかららびーはナンナを振り返って言った。
「ナンナちゃんは住宅街の方ね」
「はい。でもわたくし方向感覚にはあまり自信がありませんのよ」
ナンナが不安そうに言うと、らびーは「大丈夫」とウィンクしてみせた。
「らびーちゃんも一緒に行くから」
「まぁ、本当ですの? それなら安心ですわ」
ナンナに商品を渡して最後にらびーがシオンを振り返る。
「それでシオンちゃんはこれなんだけど」
「……え? あ、はい?」
らびーのウィンクに一瞬殴りたくなった衝動を堪えて、意識を明後日の方に飛ばしていたシオンは名前を呼ばれて慌てて現実にかえってきた。
「店長が取ってきた注文で配達先がわからないのよ。悪いんだけど捜してくれるかしら。お客様は【16】番の番号札を持ってる筈だから」
「はい」
らびーと別行動は精神衛生上大変良いように思われて、シオンは元気を取り戻す。
「その代わり、二輪車を貸してあげるわ。二輪車は乗れる?」
らびーが尋ねた。
「はい」
一応軍用バイク程度なら乗りこなせる彼である。
しかし、そうしてらびーが持って来た二輪車は、彼の想像の限界を超えていた。
シオンがためらいがちに尋ねる。
「二輪車ですか?」
「えぇ、二輪車よ」
「自動…じゃないんですか?」
「今、全部修理中で、これしか残ってないのよ」
「はぁ……」
それは手動二輪車――通称ママチャリであった。
かくして5人の配達は始まった。
丁度その頃、【16】番の番号札を持って行き倒れていたJBは何事か思いついたように顔をあげていた。
『36』というダイイングメッセージではわかりにくいかもしれない。
彼は36の前に書き足す事にした。
『3×12』と。
【Ready study go】
「まずいわ……」
と、空は言った。
1件目の商品を彼女曰く「全く問題なく」配達し終えた直後の事である。
耳元で囁かれてるような錯覚を起こさせるヘッドフォンマイクにも慣れてきていたフルークは訝しげに彼女を見やった。
さすがに最初のうちは美女を前にして耳元で聞こえる、こもったような声に、意味もなくどぎまぎしていたのだが、一度痛い目を見ればそれなりに心構えも出来てくるというものである。
彼女は2件目の配達先の書かれたメモを凝視していた。
「サカって、確かリマのファーストネームよね」
とは、明らかに自問であろう。
「それが何か問題なんですか?」
遠慮がちにフルークが尋ねた。普段使わないような丁寧語になってるあたりが、女性に対する免疫不足を如実に物語っているといえる。
「大問題よ。あたしがバイトしてる事がバレたら計画が台無しじゃない」
空はきっぱり言った。
「計画……?」
フルークが首を傾げる。
「そうよ。あたしが苦心してバイトしたお金でリマにプレゼントを買ってあげるの。そうしたらリマは心打たれるじゃない。そうしたら、ほら! 念願の初夜だってもう間近よ」
彼女は握り拳を固めて力説した。
「はぁ……」
何が「ほら!」なのかフルークにはよくわからなかったが、やたらと気合が入ってる事だけは確かなようである。
「それが今、あたしがリマに商品を届けるとするでしょ。そうすると、どうしてこんな事をしてるの? って話になるじゃない。そうしたらせっかくのサプライズも半減。それじゃ駄目なのよ」
「……なるほど」
全く詳細はわからないが、つまりは、こういう事らしい。そのリマ某に彼女がアルバイトしてる事がバレたらまずい。
「あ、でも後から実はこのアルバイトはリマのためだったのよ、という話に持っていければ逆に感動も一入になったりするかしら?」
「かもな」
フルークは、まくし立てる空に気のない相槌を返した。彼女にとっては死活問題であっても彼にとっては全く無関係の話である。そして何より、彼女がフルークの言葉を聞いてるようには見えなかったからだ。
「あぁ、でも駄目だわ。アルバイトをしてる他の言い訳が思い付かない」
空は頭を抱えていた。
「はぁ……」
フルークは最早何と返したらいいのかわからず困惑げに肩を竦めた。ただただ、女性とはやはり未知なるものだと感心するばかりである。
「しょうがない。後の1件はあたしが届けるから、こっちはあなた届けてくれる?」
そう言って彼女は『サカ』の伝票をフルークに差し出した。
「お願い」
と、付け加えて。
恐らくフルークは女性の、この「おねがい」に弱いのだ、と自分でも思う。何度痛い目に遭ったって断れない気がした。
「わかったよ」
彼は答えて伝票を受け取った。
「あ、でも万が一苦戦してるようだったらすぐに呼んでね。助けに行かなくちゃ」
「は?」
フルークはこの日何度目かの呆気にとられた。
それが、ついさっきの配達で瀕死の客に無慈悲に金を徴収してハンコ貰って即撤収してみせた人間のセリフとは到底思えなかったからである。
しかも、取り囲むタクトニム達をフルークに任せて、であった。
『足止めをお願いね』
と美人に耳元で囁かれたら――実際にはヘッドフォンマイクが囁いているだけなのだが――女性に対する免疫不足の彼に否が言えよう筈もなかったのである。おかげで酷い目に遭った。1人で何体ものタクトニムを相手にする破目に陥ったのだから。
何とかタクトニムらは持っていたトリモチ弾で動きを止めたが、しっかり止めをさしたわけではない。うまく彼らは逃げ延びたのだろうか。だが結局彼自身も自らの敗北がかかっていたので、それ以上の事はせずに置き去りにしたわけだから、あまり人の事をとやかく言える立場ではないのだが。
それが、である。
――助けに行かなくちゃ?
フルークはにわかに信じられなかった。
それとも、よほど、このサカという人物は彼女にとって大切な人なのだろうか。
半ば興味も惹かれつつフルークは空と別れると早速、サカなる人物の元へ商品を届けに向かったのだった。
丁度その頃、シオンはショッピングセンターからオフィス街へ向かって自転車をこいでいた。
「【16】番の番号札をお持ちのお客様〜!」
チャリンチャリンチャリン。
住宅街の一角で、無事お客さまを見つけてナンナはホッと安堵の息を吐いた。
「アマゾナスフライドチキン・セフィロト店です。ご注文の商品をお持ちしました」
そう、にこやかに声をかけると、チンピラ風の怖い顔つきをして屯ってたお客さまが3人、ナンナを振り返って、固まった。
「おいおい、ねーちゃん。何だこりゃ?」
お客さまの1人、剃り込みのヤスが睨みをきかせて訊いた。
「大事な商品が冷めないようにと思いましたの。わたくし力には少々自信がありましたから」
ナンナはにこにこしている。
「冷めないようにって、どーすんだよ、これ」
お客さまのもう1人、オールバックのケンが、ナンナの肩を押し、彼女が差し出しているそれを取り上げ、逆に彼女に突き出してみせた。
「何がでしょう?」
ナンナはやっぱり、にこにこしている。
焦れたように最後のお客さま、グラサンのテツが詰め寄った。
「何がじゃねーだろ、おらぁ。どやって出すんだよ」
尤もな意見である。
フライドチキンを直径5cm深さ25cmの円筒形をした魔法瓶の中に無理矢理押し込んであるのだ。取り出すにはかなりの至難と思われた。
「まぁ、わたくしそこまで考えておりませんでしたわ」
ナンナはシレッと答えた。
本当にそこまで考えてなかったかのような顔つきだ。本当にそこまで考えてなかったらしい。
「考えてなかったじゃすまねーんだよ」
ヤスが更にナンナの肩を押した。
「これじゃぁ、金は払えねーなぁ」
ケンが更にナンナに詰め寄る。
「まぁ、それは困りますわ。わたくし敗北は許されておりませんもの。きちんと払っていただきます」
ナンナはきっぱりとした口調で言った。
「じゃぁ、チキンの代わりにあんたの体を食べさせてもらうしかねぇなぁ」
テツがナンナを上から下までじっくり嘗め回すように見て、下卑た笑いを浮かべた。
残りの2人も一様に同じ笑いを浮かべている。
「わたくしを食べても美味しくないと思いますけど」
ナンナは思いもよらない事を言い出した男どもに心底不可解な顔で応えた。
と、彼女と彼らの間に一本の腕が突然割って入った。
その手が魔法瓶を掴む。
刹那、その腕に血管が浮かび上がったのと同時、魔法瓶が木っ端微塵に砕け散った。
「こうすれば、取り出されるんじゃないかしら」
握力だけで魔法瓶を破壊した手の持ち主が、野太い声で言った。
男どもはあんぐり口を開けたまま、その腕の先を追いかける。
「♀$∞♂@☆△♪○§!!!」
それは一瞬の出来事だった。
男どもはらびーを視認した瞬間、イミフメイな叫び声と共に脱兎の如く逃げ出したのである。
「あ! 待ちなさい。店長に敗北は許されないのよ!!」
言うが早いからびーがその後を追いかける。
ナンナは暫くその背を見送った後、思い出したように呟いた。
「まぁ、困りましたわ。わたくし1人でお店に帰れるかしら?」
丁度その頃、シオンは都市中央病院の傍でタクトニムと出くわしていた。
「!!??」
チャリンチャリンチャリン。
サカと名乗った男は、贅肉がぶよぶよの丸い体型に白髪まじりの薄い髪をしたじじぃだった。皺の深さからいって歳は90くらいだろうか。それは、じじぃである事を差し引いてもフルークの想像とはあまりにもかけ離れた外見をしていた。
美人の趣味ってよくわかならい。などと空が聞いていたら今すぐ天まで飛べたかもしれないような事を心の中でぼそりと呟いて、彼は注文のパーティーボックスをサカに差し出した。
実はその男が、空の言うリマなる人物の父親だった事は、フルークには知りようのない事実である。
サカはモノクルを調整しながらフルークをじろじろ見やってパーティーボックスを受け取ると、フルークを追い払うように手を振った。
「あ、すみません。50レアルになります」
フルークが営業用スマイルで手を差し出す。
「ツケじゃ」
サカはパーティーボックスを抱きかかえ、横目にフルークを睨み付けるようにして言った。
「え?」
一瞬意味を理解し損ねてフルークが目を眇める。
「ツケじゃと言っとるじゃろ。しっしっ」
サカがフルークを追い払った。
「はぁ……ツケですか」
フルークは新人である。
故に彼は知らなかったのだ。
アマゾナスフライドチキン・セフィロト店には、ツケなどというシステムがない事を。
「わかりました」
彼は景気よく応えて注文伝票にツケと書き込みサインを貰うと、仕事を済ませて意気揚々とその場を去ったのである。
「うん。順調、順調」
丁度その頃、シオンはタクトニムにボロボロにされながら這う這うの体で何とか奴らを振り切り、オフィス街へ逃げ込んでいた。
「…………【16】番……」
チャリンチリン…ヂャリ……。
更にその頃、【16】番の番号札を持って行き倒れていたJBは更に何事か思いついたように顔をあげていた。
『3×12=36』ではまだまだわかりにくいかもしれない。
彼はヒントも書き足す事にした。
『12=1dozen』と。
【Functus officio】
らびーが地平線の果て――勿論過言――に消えてしまい、顔には微塵もそんな表情は出ていないがほんのり困惑気味のナンナは、しかしそこで両手に握り拳を作ると、意を決したように一歩を後ろに向かって踏み出した。
来た道を戻れば帰れる筈である。
とはいえ回れ右をするような迂闊なマネはしないのだ。
そんな事をしたら景色が変わってしまい、戻ってるつもりで全く違うところへ辿り付いてしまうというミスを犯しかねない。経験は人を賢くする。人間は学習する生き物なのだ。
ナンナは後ろ向きに歩き出した。
程なくして交通標識にしたたかに後頭部をうちつけ、その足はすぐに止まる事になるのだが……。
店に向かって飛んでいたフルークは、そこにボロボロのシオンを見つけて舞い降りた。
ボロゾーキンのようになりながら、やっぱりオンボロ状態の自転車を一生懸命こぎ「【16】番のカードをお持ちのお客さまー」とやってる姿がなんとも涙を誘う。
「手伝おうか?」
上から声をかけると、シオンは突然の天の声に驚いたのか自転車ごとこけた。
「大丈夫か?」
フルークが傍らに立つ。
シオンはフルークを見てホッとした様に立ち上がった。
「あ、はい。何とか」
「手伝うよ」
「でも、これは私の仕事ですから」
「上から捜した方が効率いいと思うぜ」
「あぁ、ありがとうございます」
こうして2人は連れ立って【16】番の番号札を持っている人物を捜す事になったのだった。
その頃、【16】番の番号札を持っているJBは自分の迂闊さに頭を抱えていた。
3dozenは英語でthree dozenだ。
そもそも3を「サン」と読むのは日本か中国ぐらいである。
つまりこのダイイングメッセージを解読出来るのは日本人くらいなものだったのだ。
「しまったぁ……」
配達を全て終えた空が店に向かって飛んでいる時、前方に轟然と後ろ向きで壁に立ち向かっていくナンナを見つけた。
視線が何となく焦点を失って右から左へ泳いでいく。
一瞬、見なかった事にしようかとも考えたが、一応、同じアルバイトである。無視するのも気が引けた。あまり集団行動を好まない彼女にしてはこれは破格の譲歩である。
何のことはない。
彼女が交通標識にぶつかって座り込む姿を、ちょっと捨て置けなかったのと、よく見るとナンナは美人の部類に入っていたせいである。男女問わず美人は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「大丈夫?」
空は遠慮がちにナンナに声をかけた。
「まぁ、空さん。大丈夫ですわ。これくらいなら自分で治せますのよ」
ナンナは空を見つけて笑みを返した。
そういえば更衣室の前で医療の心得があるとか言っていたっけ。それで空は最も気になっていた質問をする事にした。
「なんで後ろ向きなんかで歩いてたの?」
「らびーさんとはぐれてしまって。わたくし方向感覚にちょっと自信がなかったものですから、来た道をそのまま戻ろうと思いましたの」
事情を話すナンナに空は「そう」と視線を斜め下に向けた。敢えてその件については触れない方が良さそうである。
空は気を取り直してナンナを振り返った。
「通信機で連絡をしてみたら?」
「通信機なんてわたくし持っておりませんわ」
提案した空にナンナがあっさり答えた。
「え? だってこれ……」
空はうさ耳バンドに付いたマイクを指して、それからナンナのうさ耳バンドにはそれが付いてない事に気付いて絶句した。
「まぁ、わたくしのうさ耳にはそんなものは付いておりませんわ」
彼女の言う通りである。
「支給…されたでしょ?」
とは、愚問だろうか?
「同じだと思って付けてきませんでした」
予想通りの返事に空は小さく溜息を吐き出した。
仕方なく自分の通信機の回線をらびーに合わせる。
「あたしが連絡してみるわ」
そう言って通信回線を開いた。
刹那――。
『可愛い子ね。らびーちゃんがもっと可愛がってあ・げ・るっ!』
反射的に空はヘッドフォンマイクをはずしていた。
『はっぎゅぅぅぅぅぅぅ〜……あら? ど……』
ぶちっ。
何かを言いかけるらびーに、空は殆ど条件反射のように回線を閉じていた。
それから、期待をこめて自分を見ているナンナを振り返る。
「忙しいみたい」
「そうですの?」
「先にお店に戻ってましょ」
空はにっこり笑ってナンナを促した。
「でもこれ、だいぶ冷えてきてんじゃん」
そう言ってフルークがママチャリのかごに入っているパーティーボックスの蓋を開けた。
「あぁ、いけませんよ」
止めるシオンを無視してフライドチキンを1本取り出すとフルークは蓋を閉める。
「1本くらいわかんねーって。味見、味見。悪くなってたらいけねぇしな」
言いながらフルークはフライドチキンにかぶりついた。空の口車でタクトニムと対峙する事になった彼は、丁度腹が減っていたのである。
「味見って……」
「ん? 冷めてるけどまぁまぁいけるな」
「やっぱり、冷めちゃってますか?」
「ちょっとな」
「はぁ〜……」
シオンは溜息を吐き出した。
お客さんは見つからない。商品は冷める。タクトニムには襲われる。備品(ママチャリ)は半壊。
このままでは、アルバイト代どころではない。
「ま、世の中なんとかなるって」
フルークは元気付けるようにシオンの肩を叩いた。
その時である。
シオンが自転車を押しフルークが並んで歩く道の壁1枚を隔てたこちら側で【16】番のカードの持ち主はその芳しい香りにぴくりと鼻の穴を大きくしていた。
いい匂いがする。
紛れもないフライドチキンの香りだ。
JBはむくりと起き上がって壁の上によじ登った。
彼の視界に飛び込んできたのはママチャリのかごの中に入っているフライドチキンのパーティーボックスだ。
しかも、それを持っているのは見知った顔である。
これぞ天の助け。
彼は一目散に自転車に飛びついた。
それは「あっ!」という間の出来事だったろう。
突然の襲撃に見知った顔の2人――フルークとシオンは咄嗟に反応出来なかったようである。
それを幸いにJBは、フライドチキンにかぶりつき、氷の溶けた生暖かいコーラを飲み干し、サイドメニューのサラダまで全部平らげた。
JBはそうして満腹に人心地ついた。
3日ぶりの食事に若干胃が文句を言いたそうにしていたが無視する。
満足げにつまようじで歯の掃除をしていると2人の冷たい視線と出くわした。
「商品なのに……」
シオンが今にも泣きそうな顔で非難がましく言った。
「何てことしやがるんだ。俺でさえ1本で我慢したのに」
それもどうだろう。
しかし自分の配達分ではないが、シオンのボロボロっぷりを思えば、フルークとて我が事のように同情してしまうのだ。
「あっ……いや、すまん。我輩3日も飲まず食わずで腹が減っておったのじゃ」
後退りするJBに何故かフルークがその胸倉を掴んだ。
「問答無用!」
「同じうさ耳仲間じゃないか」
「嫌な事思い出さすな」
JBの一言にフルークの怒りが別のところで倍化した。うさ耳バンドのことは忘れた振りをしていたらしい。
掴みかかられたJBのポケットから【16】番の番号札が落ちる。
「あぁ!?」
それに気付いてシオンが番号札の前で膝を付いた。
紛う方なき【16】番だ。
「よ、良かった……。【16】番の番号札のお客さまって、JBさんだったんですね」
心底嬉しそうにシオンはJBを振り返った。
「何!? という事は、おぬしらはあの白髭おやじの店の配達員じゃったのか」
思えば白い戦闘服に黒のリボンタイは、確かにあのサンダース・某を思い出させる。
「ふっ。どうやら賭けは自分の負けだったようじゃな」
「60レアルになります」
シオンはにっこり笑って手を出した。
「おぉ」
と応えて、JBはポケットに手を突っ込んだまま固まった。
ざーっと血の気が引いていく音がこちらまで聞こえてきそうな勢いで蒼褪めていく彼に、シオンは怪訝に首を傾げた。
「いくらじゃ?」
と、JBが尋ねた。
「60レアルになります」
シオンは答えた。
「ふっ……」
JBの視線が明後日の方をさ迷った。
「JBさん?」
「ふっ……」
遠い目をしている。
その様子に何かに思い至ったようにシオンも蒼褪めた。
「まさか……」
「ふっ……」
「誤魔化してんじゃねぇ!」
フルークの突込みが横から蹴りで入った。
地面に倒れたままJBは言った。
「ふっ……」
彼の財布は彼が宿泊中の宿のサイドテーブルの上に寂しそうに乗っけられたままだった。
【Epilogue】
空とナンナにはアルバイト代が支給された。
空は現金支給の給料袋の中を確認してにっこり微笑む。何をプレゼントしようかなぁ、などと既に心は明後日に飛んでいた。
ナンナも初めてのアルバイトをやり遂げた達成感にとても嬉しそうだった。
一方である。
「今回の敗北者はシオンちゃんとフルークちゃんとJBちゃんね」
とらびーは宣告した。
シオンは既に諦めたように項垂れている。
「え? 俺はちゃんと配達したけど」
フルークが異議を唱えた。
「うちの店に、ツケなんてシステムはないわよ」
「……嘘」
「それに、商品をつまみ食いなんてもってのほか」
「って、何でそれを!?」
とフルークはシオンを振り返った。
シオンはぷるぷると首を横に振る。
何でバレたのかは、すぐに判明した。フルークがうっかり口を滑らせた相手がもう1人いるではないか。JBは口笛を吹いて誤魔化した。
「我輩は宿に戻れば金は払えるぞ」
「後払いシステムなんてないわよ」
らびーは冷たく言い放った。
「それに、賭けの敗北者」
「…………」
落ち着いて考えてみればJBが賭けをした相手はらびーではない。しかも配達されたものは熱々でもなかったし、チキンは1本足りなかったのである。
だが、何となくらびーには逆らえないものを感じて引き下がった。
「はい。敗北者の制服よ。らびーちゃんが懇切丁寧に指導してあげるからね」
それはメイド服だった。敗北者への特典はメイド修行である。
「いや……これは、ちょっと……」
フルークはピラピラのメイド服に後退った。
うさ耳までは許容範囲内――でも臨界点ぎりぎり――だったが、さすがにメイド服――しかも明らかに女性もの――は着れそうもなかった。いや、それ以前に男もののメイド服というのも聞いたことがないが。
シオンは隣でメイド服を両手に乗せたまま固まっていた。どうやら気を失ってるらしい。
あてにならない奴だ。
「ちっ」
舌打ちしてフルークはJBの方を見た。
JBは何故かノリノリで鼻歌混じりにメイド服に着替え始めたりなどしていた。
「…………」
期待した相手が悪かった。
「さぁ」
ずずずいっと、らびーがフルークに詰め寄った。
「あ…あの……」
フルークは更に一歩後退る。壁際に追い詰められた。
そこへ、スカートに片足を突っ込みながらふと思い出したようにJBが声をかけた。
「ところでらびー殿。うさぎは何と言えばいいんじゃろう?」
ネコ耳は「〜にゃん」だったのだ。
「そりゃ決まってるじゃないの」
らびーはそう言ってJBに向き直る。
「負けないぴょん」
「なるほど!」
目から鱗を落としてJBが頷いた。
その隙にフルークは窓の外へ飛び上がる。
「あ、待ちなさい!」
「メイドだけは勘弁ぴょーん!!」
【大団円】
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0375】シオン・レ・ハイ
【0233】白神・空
【0295】らびー・スケール
【0538】フルーク・シュヴァイツ
【0579】ナンナ・トレーズ
【0599】J・B・ハート・Jr.
【NPC0103】エドワート・サカ
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました、斎藤晃です。
とても楽しんで書かせてもらいました。
うさ耳バンド・改は全員に支給しましたので、
今後とも是非セフィロト攻略にお役立てください。(無理)
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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