PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<東京怪談ノベル(シングル)>


TITLE : ドラマティック





 今日も店内は賑やかだった。賑やか過ぎるほどに活気に溢れている。アルコールは人の感情を豊かにする。陽気に笑う人、大げさに泣く人、時々、激しく怒鳴る人。喜怒哀楽のひとつひとつが大きく表現されていて、本当に賑やかだ。働いている私まで、雰囲気に影響されて心が踊る。ここで働くことは、本当に楽しい。

 オネエちゃんこっち注文! だとか追加まだ? だとか、四方八方から私に向かって声が届く。時々、さりげなさを装って、可愛いねェなんて言いながら触ろうとする人もいるけど。まぁ、それはご愛嬌と大目に見てあげる。とにかく、私は、そんなに広くない店内も飛びまわっていた。長いはずの夜が、あっという間に過ぎていく不思議な空間。

 白いブラウスにピンクのスカート。それが私の制服。この店には私と私の雇い主である人しかいない。その人はすっきりとした黒い服に身を包み、バーカウンターの向こうで料理を作ったり、カクテルを造ったりしていた。オーナ、マスター、コック、バーテンダーを兼ねるその人のことを、私はマスターと呼んでいた。

 マスターが私の名前を呼ぶ。呼ばれたら出きるだけ早く、カウンターにたどり着くようにする。そしてマスターから出来あがった料理やお酒を受け取って、引き換えのようにお客さんからの注文を書いたメモ用紙を置いていく。マスターはやれやれ忙しいな、と言うけれど、その顔は嬉しそうに綻んでいた。この店が繁盛して、悲しいはずがないからだ。

 一時期のピークが過ぎると、店内の様子が少しゆったりとなる。道路に面した窓から外を見ると、すっかりと日は落ちきっていた。けれどまだまだ街は眠らない。夜の世界は始まったばかりだ。

 少し余裕ができると、私の仕事にお客さんの話し相手、という項目が加わる。それは楽しいけれど、少しだけ大変だ。だけど、私はとても好き。今まで話をしてきたお客さんの話は、どれ一つとして同じじゃない。ひとつひとつにドラマが溢れている。誰かが意識的に生み出した作り物のドラマにもひけをとらない、とても素敵なドラマが。

「…娘がさァ、遠くへいっちまうんだ。」

 少し怒ったような口調で、そう言った男性がいた。何杯か流し込むようにお酒を飲んだその人は、既に頬を赤くして、酔いが回っているように見えた。週に一回は顔を見せてくれる人で、お酒にそんなに強くないはずだ。いつも一杯だけ飲んで、嬉しそうに近況をマスターに語っていく。そんな人が、今日はヤケのようにお酒を飲んで、カウンターに座りこんでいた。もう、閉店時間の方が近い、そんな時間。店には男性と、三人のグループが一つだけだった。

「いつ、ここを発たれるんですか?」
「明日の朝だとよォ。ッたく、何でだろうなァ…。」

 そう言ってまた一口、グラスを煽ってテーブルへ置いた。がたん、と少しだけ強い音がした。私の後ろでは、残っていたグループの人がお店を出ていく音がした。マスターの方を見ると、自分が片付けるから聴いてあげて、と目で合図された。私は小さく頷くと、再び男性の方へ顔を向けた。

「もっと勉強してェんだとよ。この街じゃだめなんだと。」

 グラスを掴んで傾ける。けれど中身は空っぽだった。荒々しく置かれたグラスに半分だけ、お酒を注いであげると、男性は一気に中身を飲み干した。

「勉強してェ、ってのは構いやしねェ。
 あいつは頭も良いし、将来有望だ。
 それにやりてェことやらせてやる、ってのも親心ってやつだろ?
 幸い、やらせてやることができる家だ。
 けどよォ…なんであいつ、この街を出て行って…。」

 その時、バタン、と大きな音がした。振り返ると、お店のドアが大きく開いて、一人の女の子が立っていた。大きく肩を上下させた女の子は、今、私の目の前で酒を飲んでいる男性と、同じ髪の色をしていた。

「お父さんッ! なんでここにいるの!」

 今にも泣き出しそうな声で、女の子は叫んだ。その子はまだ若くて、けれど瞳には大人びた知性を輝かせていた。この子が、明日街を発つ娘さんだ。その子はカウンターまで大股で歩み寄ると、男性の腕を強く掴んだ。

「今日は家で一緒にいよう、って言ったじゃない!
 なのに、何で勝手に出て行っちゃったりするの!?」
「バカヤロウッ!勝手に出ていくのはお前の方じゃねェか!」

 男性は立ち上がって、女の子を見下ろす。足元は既にふらついておぼつかない。マスターがいつでも男性を止められるように、静かに私の傍に立った。

「お前が勝手に遠くの街へなんか…!」
「帰ってくるわ。ちゃんと、帰ってくる。」
「……!?」

 怒鳴りつける男性の声。しかし、女の子は少しも怯まなかった。男性の目を一直線に見上げ、一言、一言、伝わるように言った。その言葉に、男性は大きく息を飲んで、背筋を固まらせた。

「だって、お父さんは、私だけのお父さんだもの。」





 その後、大きな泣き声をあげる男性と二人で、女の子は帰っていった。ぴったりと男性の腕に体を寄せて並んで帰っていく姿は、とても良い親子に見えた。きっと、男性は寂しかったんだろう、そう思った。私に子供はいないし、親もいない。けれど、ずっと一緒に暮らしてきた人が遠くへ行ってしまうのは、とても寂しいことだと思う。閉店後のお店の片付けをしながら、心の中で想像をしてみた。そうしたら胸が少しだけ苦しくなった。想像でもこれだけ苦しいなら、現実はもっと切なくて、寂しくて、苦しいのかもしれない。

 明日、別れの朝があの親子にやってくる。私に明日がやってくるのと同じように、平等に、誰にだって明日はやってくる。その明日の中で、私はまた、新しいドラマに出会うのだろう。ドラマは出会うだけじゃない。私が生きて、出会って、感じて、考えて、胸に残していくひとつひとつも、私にとってのドラマなのだ。





END