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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇医者ユウの診療記録
「い、痛ぇっ!も、もうちょっと優しくやってくれよセンセ」
「これくらいの傷で騒いでどうするんですか」
 治療室で、体格の良い男が医師の手当てにいちいち大声を上げる。どうやら流れ弾が腕を掠ったものらしく、たいした治療は必要ではないのだが…。
「痛いのが苦手なんだからしょうがねえだろ」
 消毒液を塗られただけで涙目になっている男に、医師、リュイ・ユウがほんの少しだけ目を細め、じっとりとした目で患者の顔を見た。
「そんなことで戦闘に参加出来るんですか?これからそちらの道に行こうと言う人が」
「――うぅ…分かってんだけどね…」
 ぎしぎし軋む診察椅子の上で身体を縮こまらせる男が、困った様に頭を掻く。
 …この土地に住み着いてから、縁あって何度か診る機会があった目の前の男は、自他共に認める小心者。なのにファンタジーじゃあるまいし体格の良さを心の支えに戦士になるなどと夢見ている。――喧嘩に巻き込まれてちょっとした怪我を負う度ユウの世話になりに来ているのに。
「いっその事、痛覚除去処置でもしたらどうですかね。痛みの恐怖からは逃れられますよ」
 軽口を叩いてみると、真っ青な顔でぶんぶん首を振る。サイバー化はもとより、自分の身体にメスを入れられる事さえ想像する事も出来ないらしい。
「…まあ。慎重なタイプは猪突猛進型よりは生き延びやすいでしょうが。はい、治療は終わり。当然でしょうが現金払いですからね。――持ち合わせは?」
 所持金をあらかた吐き出させて患者を追い払うと、ふうと息を吐いてさらさらと診療記録を纏め上げる。
 元々もぐりの闇医者であり、たとえ腕がいくら良くとも連日満員御礼などと言うわけにも行かず、1人患者が訪れた後、時間が空くのはいつもの事だった。
「………」
 ぱたんと書類を閉じると、今度は何やらびっしりとリストアップされた紙束を手に立ち上がる。
 毎日最低1回は行う機材と所持している薬のチェックを始めるためだった。
「…使用期限が迫っているのは、これとこれと…」
 棚に保管されているものから、冷蔵保存しているアンプルの類などの数と状態をチェックし、次に薬売買ルートから流してもらう候補を書き込んで行く。その後で治療に使う機材の状態も一通りチェックし、特に問題が無いと言う事が分かるまでじっくり時間を掛けて終えると、休憩を取る事にした。

*****

 ふわりと鼻腔の奥を、えもいわれぬ香りが漂う。
 本物の豆を使ったコーヒー…自分に許している贅沢のひとつだった。
 出来ればいつでも心ゆくまで堪能したいところだが、高級嗜好品であり、金銭的にも品質的にもそう簡単に手に入らない品であるため、多くても日に数度までと決めている。
 これがなければ、自分が今片手間に学んでいるサイバー治療関連の本や、新たに流れている機材なども手に入り易くなっていたかもしれないが…。
 そのコーヒーを啜りながら、近く手に入れる予定の薬の売値をネットでチェックし、足らなくなっていた品は即注文を入れて、数日中に手に入るよう手配する。
 それを終える頃には空になっていたカップを流しに置き、口に残る余韻を楽しみつつ今度はサイバー医療の本を机に置いてこの間の続きから読み始めた。
 ――外からは、雨なのか人のざわめきなのか、かすかな音が断続的に続いて聞こえて来る。それが何なのか、確かめようとする気は全く起きなかったが、ちら、と一瞬目だけをそちらへ向けた。次いで、時計を目にすると、いつの間にか随分と時間が経っている事に気付く。
 そう言えば何か物足りないような気がしていたが、空腹を覚えていたらしい。
 食事を摂る事も忘れていた事に、僅かに苦笑しつつユウはゆっくり立ち上がった。そのまま、冷蔵庫へ向かってがぱりと扉を開けると、中には見事なほどに物が入っていなかったが、特に困った顔も見せず、すいと中に手を伸ばすユウ。かさり、と音を立てて出て来たのは、『総合栄養食』の固形食品がひとつ。それも、理想的な栄養バランスなのだが美味しくさせるための努力をとことんまで廃した結果、ほとんどの者から見向きもされなくなったと言う逸話を持つ品だった。元々軍隊用に開発したもので、今でも支給されているらしいと聞く。ユウの口にしているそれも、そこから流れて来たもので。
 それをもそもそと何の感動も無く口にするユウは、好物のコーヒーを味わっている時とは、まるで別人のようだった。

*****

 それから、少し後。
 ――どんどんどん!どんどんどん!!
 けたたましい物音と共に、激しく扉が打ち鳴らされる。
「何の用ですか」
 扉を開けると、それぞれ頭や腕などに怪我を負った数人が泡を食って駆け込んでくる。
「センセ、大変だ!ハーフサイバーがめちゃくちゃに暴れてるんだ!」
 その中には、昼間手当てをした男も含まれていたが、興奮しているせいか痛みはほとんど感じていないらしい。
「どこかが壊れたのか、本人にも制御不能らしい。すぐ来てくれないか。何人か巻き込まれて酷い怪我をしたヤツもいる」
「分かりました。案内して下さい」
 簡単なあらましを聞くと、応急処置セットを手に立ち上がる。
 こうした騒ぎは時折起こる。あらかじめひとまとめにして置いたのが役に立つ、と誘導されるに任せて急ぎ足で診療所から出て行くユウの顔は、誰が見ても医師の顔付きになっていた。

 ――ユウの1日の仕事は、まだ終わりになりそうも無い。
 だが、そんな状況でも、ユウは嫌そうなそぶりはまるで見せず、寧ろどこか楽しげに、また酷く偉そうに見えた。

-END-