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<東京怪談ノベル(シングル)>


静思黙考

 厚い扉を開いてまず最初に感じられるのは、優しい芳香だ。
 続いて暖かくも新鮮な空気に触れ、穏やかで重厚な音楽を耳にする。最後に室内を見渡すと、清潔かつ華やかな装飾たちが彼女を出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ジェミリアス様」
 柔和な表情のフロントスタッフが静かに一礼する。
「こちら、お預かりしておりましたお部屋の鍵になっております」
「ありがとう」
 マルクトに作られた宿泊施設の中でも、最高のサービスを約束されたホテルにジェミリアス・ボナパルト (じぇみりあす・ぼなぱると)の部屋はある。
 施設のほとんどが崩壊し廃墟と化しているセフィロト第一階層の中でも比較的堅牢な建築物内に存在し、徹底した管理により高級感のある内装と清潔な空間を実現している。恐らく酔狂なビジターの手によるものだろうが、他では考えられない一流の貫禄がそこにはあった。
 その分、利用時の代価は相当なものだが、塔での活躍が著しいビジター……例えばジェミリアスのような実力者ならば決して払えない額ではない。
「お食事のご用意はどういたしましょうか」
「まだいいわ。代わりに部屋までお茶をお願いできる?」
「かしこまりました」
「よろしくね」
 ジェミリアスは、サングラスのふちに手をかけながら小さく、だが満足げに頷いた。


 ゆったりとしたソファに腰を落ち着けた彼女の前に、繊細なデザインのティーセットが並ぶ。
「茶葉はいかがいたしましょうか。今ですと、マカイバリのシルバーニードルズをご用意できますが」
「まあ、シルバーニードルズがあるの?」
 ルームスタッフの口から出た意外な言葉に驚いて、ジェミリアスの声が踊る。
 シルバーニードルズといえば、ティーオークションで歴代一位の評価を受けたこともあるマカイバリ茶園の最高級茶葉だ。その高い評価と満月の夜にだけ手づみを行う特殊な生産方式のため市場に出回ることはほとんどなく、その入手は困難を極めている。
「まさか塔の中でその名前を聞くとは思いもしなかったわ」
「紅茶通のお客様のために、本日特別にご入手いたしました」
「ふふ、それは心して頂かなくてはならないわね」
「それではこちらでよろしいでしょうか?」
「ええ、結構です。楽しみね」
「かしこまりました」 返事と同時に、ルームスタッフは優雅な手つきで紅茶を入れ始めた。それを横目にしながら、ジェミリアスは懐から一枚の紙片を取り出す。
(さて、と……)
 紙片には簡単な地図が描かれている。
ジェミリアス自身が調査しながら記してきた、このセフィロトの塔第一階層内部だ。
(第一階層は、要するに市民の生活圏にあたるのよね。住宅街以外にも警察署に病院にショッピングセンター……どれも人間が文化的な生活を行うにあたって必要不可欠な施設ばかりだもの)
 とはいえ、これまでの調査で見つかった施設だけで、満足の行く生活が可能かといえば答えはNOだ。
(有事の際を考慮した施設が警察だけというのが、どうもね……。防災はどうしてるのかしら。見た限り、そう高度な防災装置が用意されていたとも思えなかったけど――)
「お待たせいたしました」
「え?」
 唐突にかけられた声に顔を上げると、目前に美しい輝きをもった紅茶で満たされたティーカップが置かれる所だった。
「お砂糖はいかがいたしましょうか」
「結構よ。このままいただくわ」
 一瞬表情に浮かべてしまった驚きを隠すように優美な笑みでゆっくりと頷いて見せる。
「ありがとう、下がってちょうだい」
「かしこまりました。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
 丁寧に腰を折って退出していくスタッフを見送りながら、落ち着いたしぐさでティーカップに手を伸ばす。
 甘く優しい香りが鼻先に触れた。
(……いけない。人がいるのに少し没頭しかけてたわ)
 ゆっくり紅茶を口に含む頃には、扉を開閉する音がかすかに聞こえていた。スタッフが部屋を出て行ったのだろう。それを確認してから、ジェミリアスは改めて地図に目を落とした。
(規模から鑑みるに、この階層の人口は数万にのぼるわ。ちょっとした副都心並よ。なのに彼らを統治するための行政機関も見当たらない)
 大勢の人間が生活を営んでいくために不可欠な存在が、この第一階層に見当たらない。少なくともジェミリアスは見たことがないし、見たという噂も聞かない。
(仮に私の目に止まらないほどのテクノロジーを使って防災や行政にあたっていたとしても、それを管理する場所は必要よ。それも、人間が直接出入りできる位置に)
 それも見つからない、ということは。
(上――)
 思わず彼女は天井を見上げてしまう。
 セフィロスの塔。名が記すとおり、その外観は空に突き刺さんばかりに上へ上へと伸びている。かつてここが宇宙と地上とを結ぶ軌道エレベーターだったという情報もあるほどだ。
 けれどここに踏み込んだばかりのビジターたちに許されている空間は、未だ第一階層だけだ。誰も次の階層へと繋がる上昇手段を見つけられていない。もう次などないのかも知れないと、悲観にくれる者も最近は少なくなかった。
(けど、あるのよ。まだ見つけられていないだけで)
 そうでなければ説明がつかない。この必要なものが欠けた街の説明が。
(だとしたら、それらがあるのはどこ? どこにあれば、この塔の住民が効率よく上と下とを行き来して生活できる?)
 三度地図に視線を移す。
 まず彼女の目にとまったのは、今や激戦地区と呼ばれるショッピングセンターだった。
(流通面を考えるならここね。この階層以外での生活もあったかも知れないし、そうでなくとも行き来はしてたでしょう。だとしたら食料や生活必需品の流通は必須よ。運送の効率を考えれば、ここに昇降機を配置しても不自然じゃないわ)
 自説に強い説得力を感じながら、更なる候補を探して地図上の道を細長い指でなぞっていく。
(他に考えられるのは――)
 ぴたり、と指が止まった。彼女の手が指差すのはオフィス街だ。
(――生産ラインの確保)
 オフィス街があるということは、なんらかの商取引が常にあったということ。その対象が塔内部の生産品だった可能性もあるだろう。
(第一階層に工場らしき跡はない。生産があったとすれば上の階層ってことになるわ。仮定に仮定を重ねることになるけど、だとすればオフィス街とのやり取りは必須だし、生産物を直接持ち込むこともあるわよね。それならここに昇降機があってもいいし……)
 さらにジェミリアスの目が動く。
 彼女が次に注目したのは、人影だけが忽然と消えた住宅街だ。
(……そうね、ここにあってもおかしくはない。労働者たちが行き来しがたい位置に昇降機なんてあっても意味がないもの)
 あるいはオフィス街と住宅街の中間地点かも知れないと、距離を目測してみる。オフィス街と住宅街がそう離れてるはずもなく、中間地点という発想も十分に考慮すべき可能性に見えた。
(あとは、ずっと気になっている行政、公共関連。今のところ見つかっているのは中央警察署と病院のみだけど……。なにせ有事に対応するための場所なんだから、ここに素早く駆け込めてこその移動手段よね)
 事実、それらの施設が塔の中央に配置されているのは、どの地点からでも来訪しやすいためだろう。今ビジターたちの拠点として選ばれていることからも、その利便性が伺える。
 ……これらと同じ条件で防災施設などもあるはずなのだけど、と呟きをつけ加えながら、ようやくジェミリアスは顔を上げた。
「ふう……」
 短い吐息を落とす。
 生活を営む上での利便性、効率の面から候補を絞ってはみたものの、ここという決め手にまでは至らない。
 次はどこへ向かうべきなのか、つけた目星がさらに彼女を迷わせた。
(……あ)
 ふと、一口飲んだきり触ってもいなかった紅茶の存在を思い出す。高価な茶葉で煎れてもらったというのに、すっかり冷めてしまっていた。
(駄目ね。塔のことになると没頭してしまう癖があるみたい)
 苦笑を浮かべながら、再度紅茶を口にする。
(――おいしい)
 ぬるくなって風味は減ってしまったけれど、仄かな甘さや柔らかくすっきりしたのみ心地は残されている。
(それに、熱が引いていく)
 熱中したことで一度上がった体温が引き、冷静さを取り戻していくような感覚があった。
 錯覚かも知れないが、それが心地よい感覚であることに変わりはなくて。
 ――だから。
(そうね、なにも迷うことではないのよ)
 可能性だけに捕らわれてぼやけてしまった目的が、少しずつ形を成していく。
(次に私が行くべき場所、それは――)
 彼女の目に浮かぶ知性の光が強くなった。




■MAより
 お待たせしました。ご依頼いただきましたシングルノベルが完成しましたので、お届けいたします。
 今回はジェミリアス嬢の有閑で優雅な午後を心の副題に、まず高級茶葉の資料を探しに出かけるところから製作をスタートいたしました。
 作中登場した茶葉、シルバーニードルズは現代でも50gで八千円くらいはするそうです。
 恐らく審判の日以後のブラジルで飲むとすると、今の数倍の価値がつき、相当な代価が必要になってるんじゃないでしょうか。そんな紅茶を一人で楽しめる立場にいるとは、羨ましいことです。
 また、本題の思索にかんしてですが、キャラクター描写の一環としてPL向け公開情報にある名称を一部あえて使わないなど、キャラクター視点での論理展開を強調させてみました。
 少しでもお気に召したものになっていれば幸いです。
 またご縁がありましたらぜひよろしくお願いいたします。それでは失礼いたしました。