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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


第一階層【オフィス街】逃げろ!
『Pantagruel roy des Dipsodes』

ライター:MA

 おい、下手な所に触るなよ。ここは、元々会社関係のビルなんでな、セキュリティシステムが完備されていたらしいんだ。
 もっとも、長い間放っておかれたせいで、たいがい壊れちまってるんだが、時々セキュリティがまだ生きてる事が‥‥
 て、鳴り始めたな。お前か?
 まあ良い、逃げるぞ。この警報に呼ばれて、すぐにタクトニムがうじゃうじゃやってくるって寸法だ。
 良いから走れ! こうなったらもう、部品回収なんて後回しだ。敵はもうすぐ其処まで来てるぞ!

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 酒場の喧騒を貫くように、彼女は驚愕の声を上げる。
「ぜ、全滅!?」
「シーっ! シーやでレオナっ」
「あ、ごめん」
 慌てて口の前に人差し指をそえたアマネ・ヨシノ(あまね・よしの)に沈黙を促されて、兵藤レオナ(ひょうどう・れおな)は手で己の口をふさいだ。
「……でも、それ本当?」
 今度は相手に触れそうになるほど近距離まで顔を寄せる。それにたじろいだのか、アマネは軽く体を引かせ、椅子の背もたれにもたれかかった。
「あのな、こんなつまらん嘘、一銭の儲けにもならへんのに誰が言うねんな」
「だってアレだよね、アマネが関わってたチームって言ったら重武装の――」
「ああ。金もあったし装備も充実。中身の腕かて相当なモンやった」
「そんなチームが全滅って、とんでもなくない?」
「せやから、他でもないあんたに話を持ってきたんやないか。わかるやろ?」
 ぱん、と軽く机をたたいて、アマネは自信に満ちた目でレオナを見返す。
「うん、それは分かるし嬉しいんだけどさ、話がうますぎるって言うか……」
「ええからまずは全部話聞きいて。ほら例の穴ってのがこの画像やねんけどな」
 愛用のモバイルを操作して、開いた画像をレオナに見せた。
「これ、ギルドの巡回カメラに映ったやつのスクショやからちょっと画質悪いんやけど――ほらここ、ビルの影になってるけど、研究所の壁に……」
「どれ?」
 レオナはモニターを覗き込み、アマネが指差す箇所を目標に目をこらす。
「……あ、ある」
 暗いオフィス街にある壁は、風化と度々行われる戦闘の影響でどれも随分と痛んでいた。煤けた箇所やひび割れた箇所、それに小さな穴が空いている箇所もある。
 だが、アマネが指差す箇所はそれらとは比べ物にならないほど大きな穴が開いていた。見たところ、大人が二、三人は同時にくぐれそうだ。
「これが例のチームが突入する時に作った穴や。このでかい穴のおかげで辺りの警報関係はほとんど沈黙してると、うちは見てんねん。な? 簡単に進入できそうやろ?」
「そうだね、確かにこの穴ならボクでも楽にくぐれそう」
「この穴をくぐった先はどっかの企業の研究所でな。これがかなり高度な研究を行ってたんじゃないかって情報も挙がってる。ここの資料を少しちょろまかすだけでも結構な財産になるやろから、この穴が有名になってビジター連中が群がる前に、うちらが出てって――」
「――へえ、そりゃウマそうな話じゃねぇか」
「ほぇっ!?」
 突然上から聞こえてきた声に、レオナは奇妙な声を上げた。慌てて見上げると、そこに見知った顔がある。親友の守久龍樹(もりひさ・たつき)だ。
「よ、レオナ」
「な、なんだ龍樹。もう、急に現れないでよ」
「お前が気づかなかっただけだろーが。座るぜ」
 龍樹は誰の返事も待たず、それが当然とばかりにレオナの隣の席につく。慌てたのはアマネだ。
「ちょ、ちょお、あんた誰に断って座ってんねんな!」
「んなこと言ったって、この店込んでて他に席ねぇんだよ。仕方ねぇだろ」
「仕方ないとか言う問題ちゃう。今うちらは大事な話をやな」
「おう、聞いてたぜ。いい儲け話があるんだって?」
「な……」
 言葉をなくして凍りつくアマネに向けて、龍樹はにんまりと笑って見せた。
「簡単に進入できそうな穴が、でっかい宝箱の前に空いてんだろ?」
「……聞き耳立ててたんだ?」
 得意げな龍樹の顔に、レオナはいくらか呆れを含んだ視線を向ける。
 最初に叫んでしまった一件を除けば、決して周囲に聞こえるような声量ではなかったはずだ。この酒場の喧騒の中ではなおのこと、聞こうと意識しなければ彼の耳に届くはずはないだろう。
 対する龍樹は大して悪びれもせず、あっさり肩をすくめるだけだった。
「そりゃ、腐れ縁のお前がよりによって『全滅』なんて物騒なこと叫んでりゃな、気になって聞き耳たてたくもなるだろ」
「う……」
「な、いいだろ? 混ぜてくれよレオナ。俺、今ちょうど金欠でさ。仕事はちゃんとするぜ、護衛でも物持ちでもな」
「いや、ボクは別にいいけどさ」
 レオナはちら、とアマネの顔色を伺う。
 この話はアマネが持ってきたものだ、一応の決定権は彼女に委ねるべきだろう。
 アマネは深く長いため息をついた。口の中でぶつぶつと「これ以上分け前減らしたなかってんけどなー」とぼやく。既に、あきらめの表情だった。
「しゃーないな。聞かれた段階で運のツキやってんやろ」
「おっしゃ!」
 反射的に発せられた龍樹の大声に、酒場中のビジターたちが一斉に振り返ったのは言うまでもない。

「しかしそんなうまい話があんのかねぇ」
 伊達剣人(だて・けんと)はくわえ煙草のまま上を見上げた。白い煙が、第一階層の暗い天井に吸い込まれていく。
 隣にいた呂白玲(りょ・はくれい)が剣人の独白を聞きつけ、大きな瞳をしばたかせた。
「剣人、何の話だ?」
「この集合の話。ちょっと話がうますぎやしないかとな」
「……アマネの情報に、間違いはないと思う」
「その心は?」
「レオナが信頼を置いている」
「……ああ、なるほど」
 笑っていいのか悪いのか迷った挙句、結局重く複雑な相槌だけを打っておいた。
「ま、俺だって芯から嘘だって言ってるわけじゃない。ただ、なーんか見落としてる気がしてな」
「見落とし……」
 剣人の言葉に引っかかったらしく、白玲は顎に軽く手をあてて考え込む。
 だが剣人はうんうん唸りはじめた美少女を心配するそぶりもせず、加えたタバコに指を触れさせゆっくりと煙を吸い込んだ。
 吐き出す煙に「見事に誰も来ねぇな」と言葉を乗せ、きょろきょろと周囲を見回す。
 今回の計画のために決めた集合時間から、既に数十分はすぎている。なのに剣人と白玲以外は誰も姿をみせようとしなかった。
 顔見知りばかりの集まりとはいえ皆ルーズなことだと、唯一時間を守った白玲の隣で、十分は軽く遅刻した剣人が考える。
(まさか俺より遅刻する奴がいるとは――ん?)
 ふと、視界に黒い影が入ったことに気づいた。のっそりとしたその影は非常に大きく、人の出入りする扉の高さを優に超えている。
 それほどに大きな――大きなスコップ型の影だった。
「すっげ……うわちっ!」
 剣人の口からぽろりとタバコが落ちて、その火が手の皮膚を薄く焼く。
「どうした剣……っ!」
 心配した白玲が顔を上げると同時に、スコップ影が彼らにほど近い場所にあるネオンの下に到達した。
 ネオンの赤い光に照らされたそれは、巨大なスコップを背中に抱えて歩くタキシード姿の大男だ。
「……」
「……」
 その圧倒的な力で視覚を刺激する男の姿に飲まれてしまい、二人はただただ呆然と男を見ることしかできなかった。
 その視線に、男はすぐに気づいたようだ。すぐに健康的な笑みを浮かべ、予想外に上品なしぐさで一礼して見せる。
「お待たせして申し訳ございません。思ったより準備で手間取ってしまいまして」
「はっ?」
 大男の口からあまりに予想外な言葉が飛び出したせいで、剣人は間抜けな声をあげてしまった。だが男はそれを完全に無視して、自分のペースで言葉を続ける。
「ああ、申し送れました。本日ご一緒させていただきます、シュワルツ・ゼーベア(しゅわるつ・せーべあ)と申します。以後、お見知りおきください」
「は、はあ……ども」
「他の皆さんはまだお揃いじゃないようですね。では、私もこちらで待たせていただきましょう」
 言うが早いか、シュワルツと名乗った男は背負っていたスコップを下ろした。
 がす、という鈍い音とともに、床にちょっとしたくぼみが出来る。
(…………どれだけ重いんだよ、あれ)
 地響きを感じて体が揺れたように思ったが、気のせいだろうか。
「おや、お可愛らしいお嬢さんがおられますね。はじめまして、マドモアゼル」
 改めてシュワルツから笑顔を向けられた白玲は、びくりと体を震わせてさっと剣人の後ろに逃げた。
「お、おいおい」
(気持ちは分かるけど、俺を盾にするなって!)
 白玲に押し出される形になったせいで、シュワルツの端正な顔立ちが顔面に迫る。
「おや、どうしましたマドモアゼ――」
「やめないか。子供が怯えている」
 さらに白玲に詰め寄りかけるシュワルツを、涼やかな声が止めた。声の方向へ目をやると、落ち着いた面持ちの美女が、じっと静かにこちらを見ていた。
「これはまた……なんと美しい」
「恐れられたいわけではないのだろう? 離れてやりなさい」
「ああ、これは失礼しました」
 すっとシュワルツが体を引くと、白玲はほっと息をついて体から力を抜く。
 それを確認した美女は満足気に頷いてから、改めて周囲を見回した。
「ふむ、まだ揃ってはないようだな。アマネもまだか。……まったく、人を呼びだしていながらだらしのない」
「ヒカル、あんたも呼ばれたのか」
「ああ」
 美女、ヒカル・スローター(ひかる・すろーたー)は剣人に短い頷きを返した。その声は変わらず涼やかなものだったが、表情には楽しげな笑みがのぼっている。
「どうしてもとあの子が泣くものだから、少し手を貸しに来たんだ」
「――よぉ言うわ。使えるモンがあるかも知れんて喜んどったの、どこの誰?」
 さらにヒカルの背後から特徴的な口調がとんだ。アマネがようやく到着したのだ。
「やっと来たか。おせーぞ」
「すまんな、ちょっと説明に手間取っててん。けどほら、腕がたつのんつれてきたでぇ」
 アマネが指し示す方向に一同の視線が集まる。
「ごめんねみんな! 待った……んだよね?」
「アマネ、お前な。こういう話はせめて前日までに声かけてくれよ。話聞いてる段階で集合時間過ぎてるって洒落にならないだろ」
「しゃあないやん。穴のことがギルド連中間で有名になる前に調査してしまいたかってんもん」
 申し訳なさそうに謝るレオナに、周囲を気にしながらアマネを責める龍樹。さらにそれらを軽く受け流すアマネがいて、やっと今回の作戦メンバーが揃ったことになる。
「いっちにーさんしー……っしゃ、うちを含めて七人、全員おるな。そしたら、早速いこか」
 周囲の返事を待たず、にぃ、と鮮やかに笑って、アマネは先だって歩き出した。

 ――オフィス街。
 暗く荒れた街のひび割れたコンクリートの上を、それぞれの歩調で七人が歩く。
 先頭はアマネからいつの間にかレオナに変わっていた。もともとの歩幅と皆を護ろうとする気持ちの表れの結果だろう。
 逆に殿を務めるのはシュワルツだ。大きなスコップを背に抱えたまま、力強く床を踏みつつ皆の背後を守っていた。ただ、その熱い眼差しは主にヒカルと白玲の間を行き来し続けている。どうも白玲がそれに怯えているように見えたため、彼の前を剣人と龍樹が歩いて、それとなくガード役をになっていた。
「なあ、聞いていいか?」
 道中、どうしても気になって、剣人は振り返りながらシュワルツに声をかける。
「はい。どうぞご遠慮なく、なんなりとおっしゃってください」
 相変わらず、シュワルツの在り様は絶妙なバランスを保っていた。
 その穏やかな物言い、端正な顔立ち、濃い色の肌、がっしりした体をつつむ清潔なタキシード――そして、巨大スコップ。
 彼が浮かべる屈託ない微笑ですら、裏に恐ろしいものを秘めている気がする。多分、気がするだけだとは思うのだが。
「あの……そのスコップ、なんなんだ?」
「旦那さまから賜ったものです」
「……ああ、そう」
 そういうことを聞きたかったわけじゃないんだが、とは内心の呟きだ。それ以上は何も聞けず、結局謎は謎のまま七人は黙々と先を急いだ。

「――あ、あれや」
 不意にアマネが声を上げる。つられて他の者が周囲を見回すが、画像で見せられた穴らしきものは見つけられない。
「ああいや、ちゃうねん。そこの曲がり角目印にしてただけ。レオナ、そこ右に曲がってな」
「OK、右だね」
 軽く請け負って、レオナは曲がり角まで小走りに走る。立ち止まって右に目を向けると、なるほど古ぼけた白壁に大きな穴があいていた。
 ――画像どおりだ。
「あったよ、みんな!」
 レオナの呼びかけに一同が集まる。ぞろぞろと、七人そろって穴の近くまで歩み寄った。
「またでっけー穴あけたなぁ」
「前にここ来たチーム、重装備やったさかい、あれくらいやないと中はいれんかったみたいやのよ」
 あきれる龍樹の隣に苦笑い交じりで説明するアマネが並ぶ。その背後で、ヒカルが小さく口を開く。
「しかしあれだけの厚さを持った壁にあれほどの穴を開けたか……以前ここに来たというそのチーム、並大抵の武装ではなかったのだろうな」
「分厚い?」
 ヒカルの指摘を受けて、レオナは穴を軽く覗き込み目を丸くする。
「うわ、ほんとだ。厚さだけで50cmはありそうだよ、これ」
「でけぇ水族館の水槽なみか。気合はいってんな」
 水槽どころか、この壁には鉄筋がきちんと組まれてあるのはもちろんのこと、素材が違うらしい壁材が何層にも重ねられている。一般の高層ビル以上に強固な作りを目指した建造物だったのだろう。
「これだけの造りが必要な研究、か……なるほど、興味深い」
「な? いかにも金になりそうやろ?」
「まあ、そうかも知れないな。うまく資料や研究結果が手に入ればの話だが」
 アマネとヒカルは、お互いに親しげな笑みを交わし、うなずき合った。その隣で、白玲がゆっくりと弓を構え、前方を睨むように目を細める。
「――アマネ、たしかこの穴あたりには、警報の類はないという話だったな」
「ん? ああ、それは確かやけど? あったとしても、もうあの穴でつぶれてるやろ」
「なら……」
 次の瞬間、彼女はためらうことなく矢を打ち放った。
「っ!」
 穴のそばにいたレオナや龍樹が慌てて身をひねり矢を避けようとする。だが、彼らがそうする間でもなく、矢は自ら左右に動いて彼らを避け、穴の中へ飛び込んでいった。
 ――スタンッ!
 遅れて、矢がどこかに刺さったような音が一同の耳に届く。
「び……っくりしたぁ」
「おい白玲、撃つなら撃つで先に言えよ。心の準備ってもんがあるだろーが」
「すまない。穴の中を、入る前に確認しておきたかった」
 弓矢を使った遠隔視は白玲が持つ有用な能力のひとつだ。放った弓矢を自在に操ることのできる彼女なら、止まっている人間を軽く避けて撃つこともできる。それを知っている一同がそれ以上彼女を責めるはずもなく、すぐに黙って彼女の言葉の続きを待った。
「……中にも、いくつが同様の穴が空いてるな。他に扉みたいなものがあるけど、これはちゃんと閉じてる」
「せやろな。前のチーム、まともにドアキー開けられるような技術屋おらんかったもん」
 報告を受けて、アマネはさも当然と軽く頷く。
「ふぅん。連中は、力押しで内部の警備も潰しながら進んでいったのか。だったら、警備関係もほとんど無力化してるってことだよな?」
「穴が開いている箇所をなぞる限りはそうだろうな」
 楽観的な龍樹の言葉に、ちくりとヒカリが水を刺す。
「ただ、この奥で前のチームが全滅してしまっている事実も忘れてはならない。心してかからねば」
「まぁまぁ、そうきばらんと。ちょっと入ってちょちょいと美味しいもんいただいたら、すぐ退散したらええねんから。せやからまずは穴に沿って探索。それで成果が出ぇへんかったらそっから逸れてくってんでどない?」
「そだね。みんなもそれでいい?」
 レオナの呼びかけに皆はそれぞれ力強く、あるいは曖昧に頷いた。それを確認してから、レオナはぐっと力をこめて拳を握る。
「それじゃあ、いよいよ潜入開始っ!」

「――よっと」
 四つ目の穴を乗り越えて、レオナたちは新たに室内へ踏みこんだ。
「えっと、ここは……」
 外よりも一層暗い室内を携帯ライトで照らし、危険がないか確かめる。
「……事務室、かな」
 そこは灰色の机が四つほど並ぶ、無機質で小さな部屋だった。白い壁には机と似た素材で作られた棚があり、いくつものファイルが収められているようだ。
 正面にはこれまで乗り越えてきたのと同様の大きな穴があり、先にここへ来たチームがさらに奥へ進んだことが見てとれた。
「へえ、ここは何かありそうやん」
「だな。ちょっとチェックしておくか」
 これまで通過してきたのがそっけない通路やロビーだったことを考えれば、こんな地味な場所でも宝の山に思えてくる。
 一同はそれぞれに机や棚にむかった。開けられる場所を次々開けては、中にあるものを確かめる。
「これは……名簿か? 職員の」
「こっちは取引先のリストだ。……ふむ、この研究所の正体を知るにはいいかも知れん」
「そんな悠長な間あるかいな」
「あ……出勤簿だ」
「これ何かな。時間ごとに区切った表に名前書いてあるんだけど」
「シフト表だろ? ほんとに事務室だな、ここ……ん?」
 皆がわいわいと調査結果を報告しあう中、ふと一人だけ何の声も発していないことに気づいた剣人が顔をあげる。きょろきょろと周囲を見回してあるはずの人影を探し――先刻くぐった穴のところで凍りつく。
「……うお」
 人影はあった。確かにあった。穴の向こう側、さっき通ったばかりの通路に、あり得ない大きさのスコップを手にしたまま、困り顔で。
(…………入らないんだな、あれ)
 ここは大した広さもない小部屋だ。これまでの吹き抜けのロビーや通路と違って天井も低い。巨大スコップを手にしたまま入れるような場所ではないだろう。
「えっと……とりあえずそれ、そこに置いておいたらどうだ?」
「いえ、これは主人より賜ったものにございます。手放すわけには参りません」
「あ、そう」
 剣人の提案は、いともあっさり脚下される。
「じゃあ、そこで待ってるか?」
「いえ、皆様のお力にというのが旦那さまのご命令でしたから、そういうわけにも参りません」
 シュワルツの顔は真剣だった。
 真剣すぎて、じゃあどうしたいんだお前は、とはさすがに言えない。
「……こういう案はいかがでしょうか。旦那様から賜ったこれで、この部屋の天井に穴を!」
「待て待て待て待て待て! それは待て!」
 さすがの剣人もこれには慌てた。いま天井を崩されでもしたら、仲間揃って生き埋め確定だ。シュワルツだけは無傷で平然と生き残っているような気がしないでもないが。
「いけませんか?」
 シュワルツはスコップを振り上げかける格好できょとんと剣人を見下ろした。その表情が無邪気すぎて逆に怖い。
「彼には見張りを頼みたいな」
 不意にヒカルが声を上げる。棚から取り出したバインダーを開いた格好のまま、顔だけを上げて二人を見上げた。
「見張り、ですか?」
「ああ。どうしても探索中は周囲への警戒がおろそかになる。だから一人はそこに立って、外敵からの接触があればすぐに動けるよう見張りの任につかねば危険だろう。違うか?」
「なるほど、確かに」
 ヒカルの言葉にいたく感心したらしく、シュワルツは何度もうんうんと頷く。
「ではヒカル様。その見張りの任、このシュワルツにお任せください」
「ありがとう。よろしく頼む」
「かしこまりました」
 深々と腰を折ってから、シュワルツはしゃんと背をのばした。同時に、相変わらず真剣な表情で周囲を警戒し始める。
「……お見事」
「なんの話だ?」
 剣人の低い賞賛の声を、ヒカルはしれっと聞き流した。この話はそれきりとばかりに、またバインダーに視線を落としてもくもくと作業を再開する。
 剣人はしばらく静かな彼女の横顔を見つめていたが、不意に小さな苦笑いをもらして自分の作業に戻るのだった。

 ざっと探索を行っただけでも、ここが重力の研究を行っていたことや大きな企業の出資を受けていたことが分かった。だが肝心の研究所内の地図やスペアキー、研究資料などは見当たらない。
「ねー、あと探してないのってどこ?」
「せやな、こっちの棚は誰も触ってへんのちゃう? それか……お」
 アマネが何気なく引いた机の引き出しが思いがけない抵抗をした。
「ここだけ引っかかるな」
「うん? 鍵かかってるの?」
「んー、ちょお待って」
 素早くしゃがみこみ、鍵穴がないか確かめる。一見、なんの変哲もない灰色の引き出しだが、よく見ると小さなランプと薄いスロットらしき穴があった。
「ははぁ〜ん。これカード式の電子キーやな」
「電子キー?」
 アマネの横から覗き込んで、龍樹はわずらわしそうに眉をしかめた。
「めんどくせーな。潰して開けちまうか?」
「せやなぁ。ネット管理してるやつやったら、クラックして開けることもできんねんけど、そういう様子もなさそうやし」
「それ、警備システムが反応したりしない?」
「んー? 研究スペースならともかく、ここ事務室やろ? 人の出入りも多いし、そんな無茶な罠しかけられへんと思うけどなぁ」
「そっか。じゃあボクがやるよ。みんな離れてて」
 軽く胸を叩いてにっこり笑うのはレオナだ。一同は彼女の頼もしい言葉に従って、それぞれに距離をとる。
「無茶して中まで壊すなよ〜」
「分かってるよ、もう」
 龍樹のからかいに口を尖らしつつも、レオナはさっと己の大剣を振り上げた。
「よっと」
 皆と十分に離れてることを目視で確認してから、加減しながら振り下ろす。
 音は、思いのほか軽かった。
 プラスチックがパキンと割れる。中の機械をむき出しにし、返す刀でそれも深々と傷つけることに成功した。
「よし、これでいけるかな」
 一応、罠を警戒して引き出しから斜めの位置に体をずらし、そっと引き出しに手をかける。
「開けるよー」
「おっしゃ、頼んだで!」
 アマネの声援を背に、そろそろと引き出しを引っ張っていった。 
 中にちらりと見えるのは、茶色く古ぼけた封筒がひとつ。
(なんだろ、これ)
 これが、この部屋でほぼ唯一、カードキーに封じられ守られていた物だ。
 レオナはごくんと無意識につばを飲む音を聞いて、ようやく自分が緊張していることに気づいた。
(罠とかありませんように……っ!)
 祈りながら、さらにゆっくりと引き出しを開けていく。すぐにがち、と強い抵抗があって、そこが引き出しを開くことのできる限界なのだと分かる。
「よしっ!」
 レオナがさっと手を引っ込めた。
 瞬間、全員が息を飲む。
「…………」
「…………」
 きっちり五秒間、完全な静寂が一同を包んだ。
 最初に沈黙を破ったのは龍樹だ。
「……なにもねぇ、みたいだな」
「だ、ね……」
 レオナがそれに応えて、そろそろと開けた引き出しの中を覗き込む。
「レオナ、中何が入っとる?」
「んー、なにかな。なんか茶系の封筒が入ってるけど……」
 あけてみようか、とレオナが封筒に手を伸ばした、その瞬間。

――ばぐん!

「え」
 突然、床が揺れた。強烈な音が耳を劈く。 
「な、なんだ!?」
 背後から聞こえた衝撃に一同は慌てて振り向き、一斉に凍りついた。
「嘘……だろ?」
 乾いた唇から、上ずった声が漏れる。
 大きく見開いた目が見たのは、穴から少しずれた位置の壁に浮かび上がるシュワルツの形と、穴の向こうに存在する白く汚れた銀色の、無機質な物体だ。
 今になって壁の人型に浮き上がった箇所に亀裂が走る。
 さらにドグン、という重い音がして、亀裂は細かさを増し、次の瞬間完全に砕けた。
「シュワルツ!」
 砕けた壁の向こうから現れたのは、防御姿勢のまま苦しげな表情で膝をつくシュワルツの姿。そして――
「なん……」
 それは巨大な、あまりに巨大な銀色の、人。けれど人と呼ぶにはあまりに無骨で無機質すぎた。
 所々につけられている赤いランプが点灯しては消える。間接はいくつかの節に分かれていて、人間の皮膚のなめらかさはそこにない。けどそれは二本足で床の上に立ち、二本の腕を持っていた。
 崩れた壁の向こうに見える光景から読み取れる情報はその程度だ。残った壁や天井が邪魔で、その全体像は把握できない。
「マジかいな、あれ」
「あんなデカいシンクタンク……ありえねぇ」
 少なくとも、この部屋の天井を優に越す、巨大なシンクタンクの存在は耳にしたことがなかった――
「あれは……!」
 ――ただ一人、幅広い経験と知識を持つ者を除いては。
「知っているのか、ヒカル」
「ああ。もし私が見ているものが幻でなければあれはパンタグリュエル。……だが、まさか完成しているとは」
「え……」
 ヒカルの頬が青ざめたのを見て、白玲は改めて驚かされた。
 どんな時でも冷静さを崩さない彼女がここまで動揺を表に出すとは。信じられない気持ちで、今一度シンクタンクを見上げる。
 ヒカルがパンタグリュエルと呼んだシンクタンクは、その太く重たげな腕を振り上げた。それは決して素早いとは言いがたい緩慢な動きだが、それが振り下ろされた後の恐怖は十分に感じられる。
「させるかぁっ!!」
 あの腕は、再びシュワルツに向けて振り下ろされるのだろう。そんな当然の予測が、途方もない悲劇をレオナに想像させた。
 ほぼ同時に、彼女は駆け出す。
「待て、危険だレオナっ!」
 ヒカルの切迫した声が彼女を呼び止めた。だがレオナは立ち止まらない。
(――高起動モード、ON)
 それどころか、彼女の足はぐん、と早くなった。
 けれど次の瞬間、奇妙な感触が彼女の身を包む。
(な、何だよ、コレ!?)
 ゼリーの海に飛び込んだかのような、見えない足かせがレオナの動きを抑制した。
 見えない足かせに捕らえられた彼女に、銀色の腕が振り下ろされるより早くシュワルツの元へたどり着く術はない。
「ぐう……っ!」
 唇を噛み、両腕で衝撃を受け止める。吹き飛ばされこそしなかったものの、シュワルツの大きな足が床に食い込み表面をえぐった。
「くそっ!」
 出遅れたことを恥ながら、それでもレオナは躊躇なくパンタグリュエルの懐へ飛び込んだ。
 同時に大剣を振り下ろす。けれどその動きも見えない足かせに阻まれて十分な速さを出せず、簡単に避けられてしまった。
「無理をするな! 一旦退いて、ギルドに救援を――!」
「嫌だ!」
 ヒカルの呼びかけに振り返ることなく、きっぱりと拒絶する。
「こんな奴に仲間が襲われて、背中を見せるなんて絶対にできない!」
「なん……自ら命を捨てるつもりか!?」
「違……っ!」
 反論の途中で攻撃を受け、レオナの体がぐらりと揺れた。
「レオナ!」
 とっさに動いたのは龍樹だ。腰の刀を抜き放ち、レオナの前面目指して駆け出した。
 だが、やはり彼もレオナ同様、ゼリーの海に似た感触が足かせになる。
(く、空気が重ぇっ!)
 腕を伸ばし、レオナをかばおうと身を乗り出すも、わずかに届かない。
 龍樹の目前で一撃を与えられ、レオナは膝を床についた。
(くそ、レオナあぁぁぁぁっ!)
 歯噛みする彼のこめかみをかすめるようにして、一条の矢が飛ぶ。
 白玲が素早く弓を構え、敵の関節を狙い撃ったのだ。
 十分な速度で放たれたはず矢。だが、それもすぐ宙で何かに捕らわれたように敵の体に触れる前に失速してしまった。
「な……」
「なら、こいつはどうだっ!」
 続いて剣人の手から炎が飛んだ。彼が召還した剣が纏う霊的な炎は、剣人の意思によって自在にその熱量や大きさ、形を変えることができる。
 さすがにこれは当てることができた。だが、どういうわけか十分な効果は得られない。
「ち、きかねぇか……」
 すべての攻撃が、動作が、物体が、絡め取られ速度を失う。
 パンタグリュエルの周囲を取り囲むように存在する、見えない何かに阻まれて存分に力を震えなかった。
(どういうことだ?)
 戦うものすべての脳裏に疑問がよぎる。けれど考え続ける余裕は誰にもなかった。

「……これで分かったろう、レオナ」
 壮絶な戦いの中、床に膝をついたレオナの脇をかばうように、あるいは再戦を阻むように、ヒカルが前面に立ちふさがった。
「ヒカル……」
「この戦いは無謀すぎる。今からでもいい、撤退するんだ」
「できないよ、そんなこと」
 立ち上がりながら首を振る。既にどこかを痛めているのか、レオナの動きは緩慢だった。
「無理をするな」
 支えるように手を差し出すも、レオナはそれを受け入れない。振り払いこそしなかったが、体重を預けようともしなかった。
「レオナ……」
「ゴメン。ボク、戦わなきゃいけないから」
「……何故だ。何故そうまで無謀になれる。一旦退却してギルドに連絡し、援護を待つ。ただそれだけのことが何故できない!」
「そんな時間、ないよ」
 小さく首を振り、剣を握りなおす。
「援護を待つ間、あいつを野放しにすることになる。あれは、ここでボクたちが食い止めるべきだと、ボクは思う」
「馬鹿をいうな! あれほど強大な敵、食い止めるのにどれだけの犠牲が必要になるか……!!」
「だからだよ」
「なに?」
「強大だからこそ、退くことはできない。野放しにすればするだけ被害が大きくなるじゃないか。……その被害がボクたちだけで済むなら、ボクは迷わない」
「レオナ……」
 レオナの手がヒカルの肩に触れる。小さな力で押しのけ、再び剣を構えた。
 その横顔に、怯えや惑いの類は全く感じられない。
「……」
 あのシンクタンク『パンタグリュエル』は、かつてヒカルが関わっていたある研究の中で設計された巨人機だ。
 とはいえ、あの頃はまだ実現性に乏しい存在だった。当時の技術では実現させることが不可能なレベルのスペックだったのだ。
 セフィロトではない場所で設計されたものが何故ここに実存しているのか、それはヒカルにも分からないことだ。
 分かるのは、あのシンクタンクが途方もない力を持っているということだけ。
 十分なパワーとスピードを持ち、演算能力も高く、戦闘時はほぼ正確かつ的確な動きを見せる。だが何よりパンタグリュエルが優れているのは、その特殊かつ精巧な防御機能だ。
 信じがたいことに、あのシンクタンクは重力を制御できる。とは言っても操作できる範囲は狭く限定的で、せいぜい機体の周囲半径2メートル内の重力をわずかに重く、あるいは軽くすることができるだけだが、それでも戦闘においては多大な効力を発揮するのだ。
 当然だが、ほとんどの人間が1Gの世界で動くことを前提に体を作る。これは武器兵器にも言えることで、ほんの一部の例外を除けば地球の重力を前提に威力計算して作られているはずだ。
 パンタグリュエルは、この前提を覆してしまう。1Gが0.9Gになっても1.1Gになっても、すぐに対応できる戦士などそうそういない。レオナらが機体に駆け寄った途端失速している原因はそれだ。
 しかもパンタグリュエルの機体自体は重力が操作されることを前提に作られるため、戦闘において圧倒的優位に立つことができる。
(それを身をもって体験しているというのに……)
 狂った重力が、常に彼らの足かせになる。熱意や能力で払拭できる類のものではない。
 なのに、あの子たちは。
(…………死なせるわけにはいかないな)
 あれほどの力と志を持った仲間たちを、こんな戦いで失うわけにはいかない。
 例え相手がどれほど強大で、常識を外れた能力を持っているとしても。
 あのシンクタンクに、親友たちの命を、彼女らの輝かしい未来を奪わせるわけにはいかないのだ。
(なら、私は)
 それは、ヒカルの脳裏から退却の二文字が消える瞬間だった。

 パンタグリュエルは、白玲の矢と龍樹の刀を余裕で回避した上でシュワルツたちをなぎ払うように腕を振り回す。
「うあっ!」
 腕は隣接し戦う戦士たちのみならず、壁や柱にまで叩きつけられ、それらを簡単に砕いてしまった。破片は衝撃に従い勢いよく飛んで、離れていたはずのアマネたちにまで及ぶ。
「ひゃ!」
 アマネが慌てて身をひねり避けようとするも、わずかに遅い。あわや大きな破片の下敷きになるかというところで、白玲の小さな手が腕を掴み引いてくれなければ、無事ではすまなかっただろう。
「あ、ありがと。助かったわ」
「……いや」
 当然受けるべきアマネの礼を、白玲は短く首を振って拒絶した。彼女は悔しげに唇を引き結び、弓を握る白く小さな手に力を込めたまま、強い感情を持った目でぎっと敵を睨んでいる。
(白玲……)
 どうした、と問うまでもなかった。白玲の気持ちが、アマネには痛いほど理解できる。
 いくら放ってもやすやすと避けられてしまう彼女の矢。あれほど巨大な的であるにもかかわらず、未だひとつも当てることができない。かといって、他の仲間のように弓矢を捨てレオナの元に駆け寄ったところで足手まといにしかならないのは目に見えている。
(そら、辛いわなぁ……)
 死という悲劇の可能性を常に背負ったまま戦う仲間たちを目前にしながら、何も出来ない。その悔しさは手に取るように理解できた。
「――白玲。何分やったら我慢できる?」
「え……」
 自分でも突然の問いかけだったと思う。白玲も一瞬意味が分からなかったのだろう。目を丸くしてアマネを見返してきた。
 だけどすぐ、少女は真剣な表情を取り戻し、応える。
「……一分。それ以上は待ちたくない」
 本当は一秒だって待っていたくはないのだろう。少女の目には焦りの色がありありと浮かんでいる。
「そらまた、きっつい要求やな。……まあええわ。ほんなら一分でなんとかしたるさかい、そこで構えて待っときや!」
 出来る限り軽い口調で請け負って、アマネもまた駆け出した。ただし、巨大シンクタンクに向かってではなく、逆方向の壁際に向かって。
(とにかくおかしいんは、あのシンクタンクの周りや。レオナも龍樹も、あの辺行った瞬間からえらい動きがとろぅなっとる。その原因は多分――)
 すでに目星はついている。いくつか目にした資料を信じるなら、ここは重力に関する研究機関だ。それに関連する能力をあれが保有しているとすれば、重力制御以外にないだろう。 
(……制御されてるのがあれの周り数メートル。そんなに広い幅やないけど、接触時のみってほどでもない。あんなでっかいシンクタンク作るくらいや、重力制御やってチップ一枚で済ませられるほど高い技術があるわけやないよな。それに……)
 ひとつ、アマネは気になっていることがあった。先刻の引き出しの件だ。
 引き出しを壊し開け放っても、警報らしい音は鳴らなかった。にも関わらず、あの巨大シンクタンクは自分たちの前に現れ、仲間を攻撃しはじめたのだ。
(人間の可聴域を超えた音やった可能性もあるにはあるけど……そうやないなら、警報代わりの信号が、あいつを呼び出したんちゃうか?)
 例えば、研究所内だけを繋ぐイントラネットのような環境があったなら。
 インターネット上で行われているのと同様に、あの鍵が破壊された時か、もしくは引き出しをあけた時に、侵入者の存在を知らせるデータ信号が送られるシステムが構築されてあったなら。
(もしそんなものがあんねやとしたら、この研究所とこの部屋の構成からしてこの辺りに――あった!)
 彼女が見つけたのは、壊れた壁の中から現れた、むき出しの細いケーブルだった。
 それを途中で切って、手持ちの部品を取り付ける。その後アマネが素早く愛用のモバイルを用意し手際よく繋ぐまでは、ほんの数秒もかからなかった。
(さぁて、繋がってや……!)
 液晶に浮かび上がる青と白の画面。アカウントとパスワードを求められたが、それらを無視して強引に侵入する。
 ここまでくればこっちのものだ。
(おっしゃ! ほんなら警備システムに入って、こん中でさっきの時間あたりになんか送信した跡がないか検索……ああ、これや)
 ここ何年も使われていなかったシステムだけに、日付で検索すれば特定は容易だ。
(あとは、これの送信先をたどってログを……うわ)
 アマネのモバイル上に、予想外に膨大なデータが表示される。
(すご……なんちゅーログ量や。こりゃ、警備システムからの信号受信だけとちゃうな)
 ログはリアルタイムで更新され、複雑な文字列が次から次へと書き込まれていた。
(あれか? 今そこにおるシンクタンクの動きと合わせて書き込まれ……いや、ちゃうわ)
 ちらりと目を上げ、シンクタンクの動きと書き込まれる回数やタイミングを確認したが時折しか一致しない。シンクタンクの動きに比べて書き込まれる回数が少なすぎるのだ。
(ってことは、戦い自体は独立したAIで処理しとんのか。ほんなら他の可能性……)
 アマネが見る限り、シンクタンクが大きく位置を変えるときにだけ、膨大な文字列が書き込まれているようだ。
(もしかしてこれ、位置計算か? けど戦闘AIの範囲外で位置計測するって言うたら……)
 ほんの一瞬、彼女の表情と指が凍りつく。
(……もしかして、これビンゴちゃうの?)
 組み込まれた戦闘AIだけでは処理しきれない位置といえば、あのシンクタンクの重力制御の範囲のことではないだろうか。
(待って。これはどこから書き込まれてんの? それが分かれば……)
 ここまで来れば、モバイルそのものに検索させるより、アマネ自身がファイルの海に潜り必要なものを探すほうが早い。アマネの指がすさまじいスピードで踊った。
(――これや!)
 巨大なサイズの実行ファイルを探し出した瞬間、アマネの口元に笑みがのぼる。
「まだか……まだなのか、アマネ!」
 もう一分が経過したのだろう。焦れた声がアマネを呼ぶ。
「あと十秒や。まっとれ!」
 視界の端で誰かが倒れたのが見えた気がしたが、顔を上げる余裕はなかった。
(ここに極度の負担をかけて、アクセスを遮断する! いっくでぇ!!)
 パン、と強くエンターキーを叩く。その瞬間、アマネがくみ上げた不正アクセスプログラムが走った。 

「え!?」
 瞬間、戦士たちを取り巻いていた見えない足かせが取り払われた。
 突然のことに一同はその場に踏みとどまり、顔を見合わせる。
 この戸惑いは通常の近接戦なら十分すぎる隙になっただろうが、その瞬間だけはなんの攻撃もくらうことはなかった。急な変化に対応できなかったのは彼らだけではないのだ。
 ガツン、と耳障りな音がして、銀色の巨体が大きく揺れる。
 見ればその無機質な関節に深々と白羽の矢が突き刺さっていた。
「みんな、今やで!」
 高らかにアマネが宣言する。
「なるほど、そういうことか。――よくやった!」
 すぐに反応したのはヒカルだ。長いライフルを構え、容赦なくシンクタンクの足元の床を狙う。
 銃声はほんの二発。たったそれだけで足場が崩れる。
「うわっ」
 慌てて何人かがその場を飛びのきかけたが、そうするまでもなく、崩れた床はパンタグリュエルの足だけをがっちりと捕らえた。
「はぁん、なるほど。これなら避けられる心配もねぇってか」
 言葉と同時に、剣人の手から炎をまとった短剣がかき消える。
「だったら、安心してこれが撃てるな」
 代わりに現れたのは美しくほっそりとした拳銃だ。
 その銃口をすい、とシンクタンクに向け、そっと目を細めた。彼の周囲に青白い霊気が立ち昇る。
「フルパワーで行くぜ」
「OK、それならボクも付き合うよ」
 レオナがパンタグリュエルをはさむ形で剣人と向かい合う。軽く腰を落とし、呼吸を整え、静かな目で銀色の巨体を見上げた。
 だが、敵も完全に沈黙したわけではない。重力制御を外され、関節を傷つけられ、足場を崩され動きを抑えられても、上半身は自由だ。明らかな戦闘姿勢を見せる二人に向けて、太い腕を振り上げることは容易だった。
 ――だが。
「させませんっ!」
 右腕の動きをさえぎったのはシュワルツだ。通常の重力を取り戻した彼の動きは恐ろしいほど俊敏だった。十分な体重を拳に乗せて表面をへこませ、ついでに腕の軌道をずらしてしまう。
「こっちもな!」
 レオナの頭上に振り下ろされかけた左腕から彼女を守るのは、龍樹だ。
 何の足かせもなく、呼吸するように刀を振るうことができるのは心地よかった。明鏡止水と銘打たれた名刀で腕の関節を切り落とした瞬間など、こんなにも容易い相手だったのかと龍樹の方が驚かされるほどだ。
「ありがとう、龍樹!」
「助かるぜ、おっさん!!」
 ほぼ同時に二人が叫ぶ――

 ――次の瞬間、室内にあふれたのは、激しい衝撃と青白い霊気。そしてすさまじい熱量だった。

 その日、荒れ果てたオフィス街を中心にセフィロトが揺れた。
 ほんの一瞬の、微弱な地震である。それに気づかない者もいたろうし、気づいたとしてもおさまった瞬間忘れた者がほとんどだろう。
 例外は、揺れの中心にいた七人だけだ。
「おーい! みんないるー!?」
 瓦礫の下から這い出しながら、レオナは大声で周囲に呼びかけた。
「おう、ここにいるぞ」
「それは知ってる」
 すぐ隣から上がる龍樹の声は聞き流し、きょろきょろと視線を泳がせる。
 目に入るのは見慣れたオフィス街の光景だ。隣のビルから手前がほぼ破片で埋まっていることと、あちこちから煙がたちのぼっていることを除けば、の話だが。
「私どもはここにおります、レオナさま」
 低く穏やかな声音とともに、破片の一部がぼこりと隆起する。
 その下からまず現れたのは、傷ひとつどころか髪の乱れもない美しいままヒカルだ。その後ろに白玲の愛らしく小さな姿が続く。なぜか白玲が背後を警戒した様子でびくびくしているのが不思議だったが、そのさらに後ろからシュワルツが現れたことで心から納得した。
 まだ、怖いらしい。
「なるほど、シュワルツさんは二人をかばったんだね」
「ああ、おかげで我々は無傷で済んだ。……すまなかったな、シュワルツ」
「いえ、この程度のことでそのような優しいお言葉をいただけるとは、光栄の極みです。ですがお気になさらないでください。お二人のように美しい方を守ることこそ、私の最大の喜びなのですから」
「……だから近くにいた俺は突き飛ばされるわけだな」
 シュワルツらから少し離れた位置から這い出してきたのは剣人だ。大きな怪我こそないようだが、どこかに打ち付けでもしたのか右肩を押さえながら渋面で立ち上がる。だが、すぐにシュワルツの嬉しそうに「おお、無事でしたか。よかった」と剣人の無事を喜ぶものだから、剣人は毒気を完全に抜かれ、それ以上は何も言えなかった。
「それにしても、随分派手にやったものだな。まさか研究所ごと破壊してしまうとは」
「あはは、なんせ思いっきりだったからねー」
「あー……まあ、あんなもんだろ。フルパワーじゃな」
 最後の最後、もてる力のすべてでシンクタンクと研究所を吹き飛ばした二人は、揃ってあさっての方向へ目線をそらしながら笑う。
「……けど、みんな無事で、よかった」
 乾いた笑いがこだまする中、白玲は本当に嬉しそうに小さな微笑で一同を見渡し、安堵のため息を漏らした。
「だよな。途中さすがにダメかと思ったぜ、俺」
「ああ。あれだけの敵を前にして皆が無事でいられたのだ。これ以上喜ばしいことはな……」
「ん? どしたの、ヒカル?」
 頷きかけた姿勢で突如凍りついたヒカルを不思議に思い、レオナはひょい、とその表情を覗き込む。
「――――か」
 同時に、風にまぎれるようなか細い声が耳に入った。
「今の……って、まさか」
「そのまさか、だろうな」
 レオナが改めて向けた緊張まじりの疑問の視線に、ヒカルは複雑な面持ちで応える。
「――誰か、はよ助けてぇやぁ!」
 ……声は、レオナたちの想像通り、仲間内でもっとも非力な少女の悲痛な叫びだった。
「た、大変っ!」
 一同は慌てて声の辺りまで駆け寄り、しゃがみこんで破片を掘り返す。
 幸い破片はそう高く積みあがってはなかったようで、少女はすぐに隙間から顔を出した。
「アマネ! だ、大丈夫!?」
「大丈夫ちゃうぅ! もう、急に爆発するわ壁割れるわ降ってくるわ動けへんわ、散々やぁ!」
「ご、ごめん。今出してあげるから!」
 心底申し訳なさそうな表情で謝ってから、レオナは半泣きになっているアマネを抱え上げる。
 幸い、アマネもいくつか小さなすり傷や切り傷を負ってはいるものの、ほぼ無傷だ。
 今度こそ仲間たちの無事を確認できたと、レオナはほっと胸をなでおろした。
「しっかし惜しかったなー。いい儲け話だと思ったのによ」
「ふむ。でしたらこの辺りの破片を片付けて、何かお探ししましょうか。幸いスコップもあることですし……おや?」
 そういえば、あの巨大なスコップはどこに行ったのだろうか。いつの間にか自分が手ぶらになっていることに驚いて、シュワルツは不思議そうに首をかしげる。
「破片掃除なぁ……まあ、今回に関しちゃ俺の責任って気もしないでもないし、付き合ってやってもいいけどよ」
 さすがに罪悪感を覚えたらしい剣人が気まずげに頬をかきながら龍樹を見た、その瞬間。
「――レオナ」
 やけに緊張した面持ちで、白玲がレオナを見上げた。
「なに? どうかした?」
「気配がする」
「気配?」
 端的な少女の言葉の意味が読み取れず、レオナは一瞬目をしばたかせた。
 だが、レオナもすぐに気づく。自分たちの周囲に不穏な気配が流れていることに。
「す、すっごく大量の敵が、近づいてない? これ」
「……そのようだな。今の爆破で、辺りのタクトニムを活気づかせてしまったか」
「は? ちょ、なんの話やの、それ」
「もーすぐ敵に囲まれそうになってるって話だ」
「ええええええ!?」
 龍樹の言葉に、アマネは心底嫌そうに表情をゆがめた。
 一同がどうしようかと顔を見合わせる横で、大きく両手を振って抗議の意を示す。
「ちょ、うちはもう戦うとか嫌やで! 体力なんてこれっぽちも残ってへんのやからな!」
「……だな。今から戦うには数が多すぎだろ、これ」
「うーん、ボクも今は遠慮したいかな。多分、ここに獲物がいないって分かれば散り散りになってくれると思うし……」
「これまともに相手してたんじゃ、二連戦どころじゃねぇもんなー。大した強さじゃなさそうだが面倒なことになりそうだ」
「ふむ。白玲、シュワルツ、二人はどう思う?」
「……私は、どっちでも」
「皆様のご随意に」
「では決まりだな」
 ひととおり一同の意見を聞いたところで、ヒカルは静かに眼鏡を外す。
 その隣で剣人はズボンについた砂を払い、白玲と龍樹は自分の得物をきちんとおさめ確認し、レオナはアマネを胸に抱えなおした。
 シュワルツだけはしゃんと背を伸ばしたまま微動だにしなかったが、おそらくこれはこれですぐに動き出せる姿勢なのだろう。
「それじゃあみんな、準備はいいね?」
 皆が頷くのを待って号令を下すのは、やはりレオナだ。
「――じゃあ、逃げるよっ!」
「応!」
 
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■登場人物紹介

0536/兵藤・レオナ(ひょうどう・れおな)
0351/伊達・剣人(だて・けんと)
0529/呂・白玲(りょ・はくれい)
0535/守久・龍樹(もりひさ・たつき)
0541/ヒカル・スローター(ひかる・すろーたー)
0607/シュワルツ・ゼーベア(しゅわるつ・せーべあ)
0637/アマネ・ヨシノ(あまね・よしの)

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■ライター通信

お待たせしたました。パーティノベル、オフィス街をお届けします。
今回も丁寧な指定をありがとうございました。屋内集団戦というのもなかなか書く機会のないシチュエーションですから、難しくも楽しいお題として、真剣に取り組ませていただきました。
今回みなさんの指定にコメディの要素が含まれておりましたので、それを織り交ぜながら書かせていただきました。多少悪ノリがこうじてしまったシーンもあるかもしれませんが、最後まで楽しんでいただけましたでしょうか。
少しでもご期待に沿えるものになっていればいいのですが。
今回、制作上、演出上の都合で、敵シンクタンクの設定をこちらで改変させていただきました。ご了承いただければ幸いです。
それでは、またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。失礼いたしました。

(5/10 ご指摘ありがとうございます。本当に失礼なミスをしておりました。伏してお詫びもうしあげます。申し訳ありませんでした)