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<東京怪談ノベル(シングル)>


first ordeal
 そこに来たのは何年ぶりのことだっただろうか。最近はこのあたりの仕事を受けることも少なかったので……
 そこは、倉庫の一角を改造したような場所だった。誰かが勝手に持ち込んだ襤褸のテーブルを囲んで、昼間から合成酒を傾けている者が何人もいる。一番奥に、やっぱりどこの閉店したバーから引っぺがして運んできたのかと思うようなカウンターがある。
 だがここは酒場ではなかった。マスターもバーテンもいないし、メニューもない。酌み交わしている酒は、ここに集ってくる者が勝手に用意してきただけだ。
 ここは仕事の斡旋所だ。裏も表もない。子猫探しのような可愛らしい依頼は舞い込んでこないが、お天道様を仰いで生きていけないほど後ろ暗い仕事もほとんどない。
 もちろんそのどちらも門前払いのお断りと言うのではなくて、相応の金と覚悟があればいつ持ち込まれようと、ここに集う連中は引き受けてくれるだろう。ただ客層の中心が、ごく普通の……かの審判の日と大暗黒期を生き抜いてきた少しタフな一般市民だから、そうなっているだけのことだ。
 集まってくるものは一般的で、少しシビアな依頼が多いだろうか。けして楽ではない世界で、家族と自分を守って生きていくための。都市部から少し離れれば文明レベルは一気に落ち、離村を襲い略奪の限りを尽くす野盗が跋扈する、そんな世界で。
 セレス・ハーベンハイトは、記憶を辿りながら奥に進んだ。薄暗いので、単純な造りだというのに迷いそうだった。今日はただ怪我をして来れなくなってしまった知り合いの代わりに仕事の事後処理の報告に来ただけで、奥のカウンターの中にいる中継ぎ人の前まで行ければ用は終わったも同然なのだが。
 倉庫の明かりは自家発電の白熱灯だけで、それがどこまでも代わり映えのない倉庫が続いているような錯覚を起こさせる。窓もないから昼でも夜でもその明るさに変わりはない。どこかから、発電機の唸りが聞こえる……
 最後にここに来たのはいつだったか。セレスが自分の手で仕事をして、それで生活を支えるようになったのは十五のころだった。そのころには、時々ここに来た。
 そのときにも、こんなこと思ったっけ……と、よみがえってきた記憶にふと笑みが漏れる。
 セレスはそのまま、あたりに軽く視線を投げるように顔を向けた。すると遠巻きにセレスを見ていたごろつきのような男たちが、そそくさと視線を逸らした。美しい女に見つめられたからと照れているのではないだろう、セレスは男たちの顔を知らなかったが、男たちはセレスが誰なのかを知っているのだ。
 そんな男たちの態度も気にすることはなく、セレスは奥に進んだ。カウンターまであと少し、そんなところで。
「よう」
 奇妙に陽気な声が聞こえた。
 確かに自分が呼ばれた、そう思ってセレスは振り返った。
「憶えてるかい、お嬢ちゃん」
 そこには男がいた。合成酒のグラスを掲げて、セレスを見ていた。その顔には確かに見覚えがあった。
 きっかけがあれば、記憶は鮮やかによみがえるもの。
 あれは、十五の……まだ、金の髪も少し短かったころ――



 十五の歳に叔父と母を失ったあと、セレスには悲嘆に暮れている時間はなかった。本当ならもう少し甘えていられるはずだったが……この世界、この時代、人生があまり楽ではないのは、そう珍しいことでもない。
 ただ不幸中の幸いにもセレスには生を繋ぐ技術があった。生まれついて、ESPという才能に……恵まれたと言っていいだろう、こんな時代であれば。違う時代、違う場所ならば、あるいは重荷となったかもしれない力だったが。しかし、そのときのセレスには必要なものだった。
 叔父が遺してくれた最後のプレゼントは、セレスの最初の仕事。叔父の知り合いが依頼人であったその仕事は、一人遺されて途方に暮れて、右も左もわからないままに仕事を探していたいたセレスの元に舞い込んだ。叔父の人柄を知る、依頼人の厚意だった。セレスはその仕事を終え……
 その報告に、斡旋所を訪れたのだ。初めては仕事を引き受けた日。そして、その日は二度目だった。
 セレスは、静かに倉庫の戸を開けた。おそるおそるというわけではなかった。それほど怖いとは思っていなかったからだ。その場所では、殺し合いだけはないと聞かされていた。
 ……殺し合いだけはないが、そうでない悪徳はある……ということに気がつけるほどには、このころセレスは十分に大人ではなかったかもしれない。
 ともあれ。怖くはなかった。ただ、少し不安なだけ。
 中に踏み込めば、薄暗い湿気た空気がじんわりとまとわりついてきた。どこか重苦しいと思ったのは、そんな吸い慣れない空気のせいだったのだろうか。大人のセレスならわかる煙草や薬の煙の匂いも、まだ十五の娘には区別がつかなかった。
 それでも、奥へと進む。白熱灯の灯りを頼りに。
 初めての仕事の、初めての報告。仕事の正念場はその前だったとしても、ここで何か失敗すれば画竜点睛を欠く。これからずっとではなくても、相当の間はこうして自分を養っていかなくてはならない。ならば、初めてのそれをつつがなく終えたい――そんな願いは、ごく些細なものだったろうに。
 叶えてはもらえなかった。やっぱり人生は意地悪なものだ。
「待てよ、お嬢ちゃん」
 セレスが横を通り過ぎようとしたテーブルの脇から、にゅっと脚が伸びてきた。躓くというよりは、それを踏みつけそうになってセレスは慌てて後ろに一歩退いた。
「挨拶もなしに通り過ぎていくつもりかい?」
 その間に、同じテーブルでカードをしていたもう一人の男が通路に出てくる。
 さらにもう一人、逆側から。
 まだ座っている……最初に脚を投げだしてセレスを止めた男は、人工皮膚が剥がれて装甲が一部剥き出しになっている腕からサイバーだと見て取れた。後から出てきた残りの二人はわからない。サイバーなのか……それともセレスと同じエスパーなのか、あるいはただの人なのか。
「新顔のくせに、先輩に挨拶もないのかね? そのくせ分不相応な仕事を取っていくとは……ずいぶんとお行儀の良くない娘だ。ママとパパの顔が見たいね」
 前に立った男がセレスをあからさまに見下した顔で、そう言った。
 クスクスとかすかな笑い声が倉庫に響く。
 倉庫中の誰もがその一幕を笑って見ているのがセレスにもわかった。
 行儀が悪い、親の顔が見たい……自分だけではなく親まで馬鹿にされた気がして、セレスはかっと頬が熱くなるのを感じる。けれど同時に、ここで熱くなっては駄目だと、セレスは叔父の声が聞こえたような気がした。それは叔父が生きていたならきっと言ったであろうこと。
「なに、ママがじきじきに教えてくれたのかもしれないぜ。こう腰振ってよぅ、汚ぇ仕事の取り方をな。女はいいよなぁ」
「けどな、そういうのは泥棒猫って言うんだぜ」
 だが通路を塞ぐ二人の男たちの罵倒は続く。
 さもセレスが依頼人に媚びて仕事を取ったような男の口ぶりに、喉元まで熱いものがこみ上げてきたが……セレスは唇を噛んで耐えた。少し、うつむく。
 血の味がして、それと痛みとを十分に感じてから、セレスは息を吸い込みながら顔を上げた。
 ここは、初めに思っていたほどには甘い場所じゃない。毅然としていなければ、飲み込まれてしまう。
 深く吸い込んだ息を吐くのと同時に、セレスは言った。
「ここを、通してください」
「やなこった」
 だが、にべもない。
 けっ、と吐き捨てるように実を塞ぐ男は言い。
「どうか……道をあけてください」
 それでもセレスは繰り返した。
 そこで……座っていた男が立ち上がった。
「少しくらいは、根性もあるってことかね」
 他の二人と違ってセレスを嘲ると言うよりは、ただひたすらに不機嫌な顔をしていたサイバーの男は、道を塞ぐ二人のチンピラたちを押し退けるようにセレスの前に立った。
 そうして、まっすぐにセレスを見据える。後ろの二人にはない威圧感が、その男にはあった。
「知らないようだから教えてやるよ、お嬢ちゃん。まずはそこからだな。お嬢ちゃんの引き受けた仕事は、俺がやるはずだったんだ。もう、ほとんど決まってた」
 えっ、とセレスは長身のそのサイバーの男の顔を見上げた。確かに、それはそのときまで知らなかったことだ。もっとも、知らされるはずもないことだった。
「それを、突然お嬢ちゃんが横取りしたんだよ。良い仕事だったんだがな……しかも、お嬢ちゃんは初仕事だって言うじゃないか。普通は下積みってもんがあって、最初から良い仕事になんかありつけやしないんだがね」
 ああ、と、セレスはそこで納得いった。この倉庫の中の誰もが、この斡旋所に集った誰もがセレスの困っているところを喜んで見ているのは、このせいだと。彼らにとってセレスは分不相応な仕事をコネで得た身の程知らずの新人で、仲間の仕事を横取りした悪人なのだろう。
 ……だが。
 この道に入りたてのセレスでも知っていることだが、この世界はとことん実力主義でもある。実力のない古参が実力のある新人に抜き去られるのは、当然のことだ。今ここにいる者たちがセレスを認められないのは、実力が伴わないのに仕事を奪ったと思っているから。
「なあ、お嬢ちゃん。俺と賭けをしないか?」
 だから、彼もそう言い出したのだと納得いった。
「お嬢ちゃんが俺と勝負して、勝ったらここを通してやるよ。でももし負けたら」
 サイバーの男は、倉庫の出入り口をそのむき出しの腕でまっすぐに指し示した。
「このまま帰っちゃくれないか」
 それはつまり、報酬を受け取らずに。
 その男は、ふざけた顔はしていなかった。真面目に、本気で、そう言っていたのだ。
 誰よりも今ここで、セレスと対峙していることに納得できないのはその男で――もしここでセレスが負けたならば男は納得できないままに、この出来事を終わることになる。不幸で不運で理不尽な出来事であったと……それでは、本当に誰もが不幸なままだ。
 誰も幸せになれない。
 セレスが、勝たなくては。
「わかりました」
 そこまで、そのときのセレスがきちんとわかっていたかと言えば違うかもしれなかった。だがここで勝たねば、この男は納得しないのだということは感じ取っていた。
「そうか。面倒だから、場所はここでいいな。銃がないなら、貸してやるが」
「いえ。私は、この剣で……二本使ってもいいですか?」
「そりゃ構わないが……剣でいいのか? 俺に合わせろって言われても、刃物はあんまり得意じゃないんだがな」
 それでもと言われたならナイフを使うつもりだったのか、サイバーの男は後ろにいる男にナイフがあるかと振り返って聞いている。
 なので、それを止めるようにセレスは首を振った。
「私もあまり、銃は。ですから、私は剣で……そちらは銃で。それで」
 そうでなくては……納得できない。そのはずだ。セレスに合わせてナイフで戦っては、やっぱりわだかまりが残るだろう。そしてセレスが銃で戦わないなら、それしかない。
「いいのか? あんたがいいなら、俺は構わないがね……手加減はしないぜ? ここのルールは知ってるな? 殺しはタブーだ。だから、俺も急所は狙わない……さて」
 どこがいい、と、男は笑った。少し残虐さが滲む。
「そうだな、その髪留めにしようか。一緒に頭を吹っ飛ばしたりはしないから、安心しなよ」
「それで構いません……始めますか?」
 セレスは剣に手をかける。
 通路は狭く、二人の距離はそう遠くはなく。格闘に向く広さではないが、一跳躍で剣の届く距離でもあり。どちらにとっても一長一短で、一方的に有利でも不利でもない。
「オーケイ、お嬢ちゃん。開始は、このコインが地面についた瞬間だ。いいかい?」
 男は銀貨を見せて……
 それを頭上に弾き上げた。
 一瞬、音がなくなる。
 上から落ちてきたコインが、倉庫のコンクリートむき出しの床に触れる。
 ――チリーン……
 それは、奇妙に澄んだ音に聞こえた。
 銃声は奇妙な方向へ向かって、聞こえた。
「…………!」
 引き金を引くと同時に銃身が斬られていたからだ。だがそれにも男は気づいて、銃口を跳ね上げた。どちらも有り得ない速さだと言えたが。
 一歩で男の前まで飛び込み、低い位置から銃身とその服一枚を斬ったセレスが、周りから見ても勝者だった。
「通して、いただけますか」
 男は口笛を鳴らした。だが冷ややかな表情で、先を示す。納得してくれたかどうか……セレスは、迷う。
「どうぞ、お嬢ちゃん。約束だからな」
 剣を鞘に収め、そしてそのままセレスは通路を行ってしまうこともできたけれど。
「……あなたには関係のないことと思われるかもしれませんけれど。私、先日一度に身内を失って……どうしても、どうにかして、一人で生きていかなくてはならなくて」
 二本の剣を胸に抱いて、そんな説明を始めたのは酷く不器用なことだったかもしれない。だが、男たちも今は黙って聞いていた。
「生きていくために、稼がなくてはならなくて……伝を頼って仕事をいただいたのは、確かに悪いことだったかもしれません。でも」
 セレスはまっすぐに男を見た。
「いただいた仕事には、十分な結果を応えたと思います。これからも、そのつもりです。……それは見て、判断していただくしかありませんけれど」
 じっと、男の目を見つめていて……男の表情が、ふっと和らぐのをセレスは見た。
「わかった。わかったよ、お嬢ちゃん」
 肩をすくめ、おどけたように男は笑う。
「好きなように、とことんやってみるがいいさ。見させてもらおうじゃないか」
 男が納得したのか、セレスの言葉を嘲っているのか、判断はつけ辛かった。
 そのまま、男は倉庫を出て行って。

 そうしてセレスは中継ぎ人に報告を終え、最初の報酬を受け取った。
 初めての仕事の、それは、ほんの余談のような一コマ。
 けれど……それが多分、この仕事で生きていくための最初の試練だった。
 それから数年が経ち、セレスには月の女神の二つ名がついていた。女神の名は、その容姿と、その腕にかけて。
 そのころには、あの男のことも思い出すことはなかったけれど――



 その手の人工皮膚は剥がれてはいなかった。
 あれから六年も経っているのだから当たり前なのかもしれないが。
 セレスは微笑んで、軽く会釈をした。
 向こうも、今はただ笑って。
 そしてもう足を止めることなく、セレスは奥へと進んで行った。