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都市マルクト【ビジターズギルド】初めての会員登録
千秋志庵
ビジターズギルド。ゲートの前のでかい建物だと言えば、その辺の婆ちゃんだって教えてくれる。
中に入っても迷う必要はないぞ。上のフロアにお偉方の仕事場があるんだろうが、用があるのは一階の受付ロビーだけだ。階段昇らずまっすぐそっちに行けばいい。
軌道エレベーター『セフィロト』探索を行う者達は、まずここで自らを登録し、ビジターとなる。書類の記載事項は余さず書いたか? 書きたく無い事があったら、適当に書いて埋めておけ、どうせ誰も気にしちゃ居ない。
役所そのまんまで、窓口ごとに担当が別れている。お前が行くのは1番の会員登録窓口だ。
並んで待つ事になったり、待合い席に追いやられる事もあるが、気長に待つんだな。
同じような新人を探して、話なんかしてるのもいいだろう。つまらない事で喧嘩をふっかけるのも、ふっかけられた喧嘩を買うのも悪かない。
まあ何にせよ、書類を出せば今日からお前はビジターだ。よろしく頼むぜ。
場所を訊ねた老人は耳が遠いのか、幾度となく質問を繰り返させた。遅れてやってきた孫らしき人物の通訳を介し、漸く辿り着いた先は幸いにも紛れもない目的地だった。
<ビジターズギルド>
巨大な建物の中に意気揚々と足を踏み入れ、門屋嬢は窓口に置いてあった書類を手に取った。登録の際には必要とされている書類らしく、ロゴの入ったペンまでおまけに付いている。
「げ、これ全部書くの? 面倒くさ」
書類の枚数は決して少ないとは言えなく、むしろ多いと言える枚数だ。近年にはギルド特有の管理状況の厳格化も増して、書類の枚数と記入項目が増えていっているという噂だ。
名前やふりがな、年齢、出身地……といった基本情報くらいの記入ならまだ楽な方だ。問題はそのあと。
「え、っと……『塔に入る目的』か。そんなの、こっちの勝手でいいじゃない」
心理学の知識を心得ている嬢にとっては、その内に混ぜ込まれている心理分析の類を見逃さなかった。恐らく、危険人物がいればマークでもしておくつもりなのだろう。これも聞いた話ではあるのだが、タクトニウム側に共感を抱く人間の出現が確認されているらしく、そのための保険の一つなのだということが予想される。現状では一番厄介な相手はタクトニウムではなく、人間の方だ。人間が敵に付く、という事態は、下手をしたら戦争にも成り得るのだ。
それでも噂は噂。根も葉もなく、一種の都市怪談にも近いものを感じさせる。
嬢は途中で聞いた噂を思い出しながら、休むことなく手を動かし続ける。ギルドにマークされない回答を出していることを確認して、一番窓口へと続く列の最後尾へと並ぶ。
列は、思ったほどには長くない。それでも一人に掛ける時間は極端にバラつきがあり、再提出を求められても再び並ぶ億劫さからそれを拒み、その場で書類を再度書き直し始める者もいる。受付の注意を流しては再提出をし、次の人間も同じことを繰り返す。嬢は文句を言ってやろうかとも思ったが、この場の空気がいざこざを望んでいるような、或いは愉しんでいるようなものであり、敢えてその身を投げることは出来ずに堪えるに徹した。
暇潰しに、と周囲を見渡してみる。
人種にまとまりは殆どない。装備も多種多様で、がちがちの鎧を着ている者もいれば裸に近い服装の人間もいる。武器もやはり同様で、見たことのないものもあれば剣や銃といった定番モノまで揃っている。
「……意外と平和なんだあ」
争いは好きではないが、それでも幾らかはあるものかと思っていた。それがこうも静かであるのも不思議だ。書類の提出ついでに聞いてみると、今日はその手のスペシャリストが査察に訪れているせいだと話してくれた。問題があれば即座に登録抹消にさせられる程の権力を持つという。それが誰なのかは察しがつかなかったが、受付の女性の指先の指し示した先の出入り口にいた優男がそれだろう。目を伏したままに壁に寄り掛かり、静かに佇んでいる。
「ばれてるんなら、意味ないと思うけど」
それでも無言の圧力が“平和”をもたらしているのだから、と受付の女性は言って笑った。そういうものかと思いながら彼女の手続きは一発で終了し、嬢は優男へ小さく目礼をしてその場を後にした。
そしてやはり、というべきなのか、大方予想は当たっていた。
ギルドの外では、あまり好みではない無駄に屈強な男二人が喧嘩を始めている。武器はなし、つまり素手。中では暴れられなかった鬱屈をそこで晴らすつもりなのだろう。
……それなら、あたしもおこぼれいただいてもいいよね・
嬢は二人の内の一人に近付くと、予告もなしに右足を振り上げた。爪先は喉元へとめり込み、軽く宙を舞って仰向けに男は倒れる。脳震盪でも起こしたのか、起き上がってくる気配は皆無だ。死んだ訳ではないのだろうで、気にする必要はないと思う。
もう一人の男は面食らった顔で突如現れては、一撃で男を倒した嬢を呆けた顔で見ていた。喧嘩に女が介入してくるとは、よもや思ってはいなかったのだろう。嬢は軽いステップを踏んで、上体を僅かに引いた。
……憂さ晴らしは丁度いいけど、物足りない、かも。
苦笑交じりに思い、再び疾走を始める。拳を突き出す男の足を払いバランスを失わせると、よろめいた男の横顔へ向けて飛び膝蹴りをお見舞いさせる。横っ飛びに気持ちのよいくらい飛んでいくと、巨木にぶつかってその動きを止めた。
足の具合を確かめるように、嬢は軽く地面の上でステップを踏むように飛び跳ねる。男二人を吹っ飛ばしたにも関わらず、その具合は快調だ。それと同時に、気分も少し晴れたような気もする。
「さて、と。そろそろ行こうかな」
時刻は既に夜。
鳴り始めた腹の音に戸惑うようにその場から離れ、まずは当面の目的である食事の取れる場所を探すことに意識を向ける。
月のない空は不気味であると同時に不安を煽るものであったが、今の嬢にはあまり関係のないことでもあった。頭の中では、食事のことで既に一杯だった。
倒れた男らが視界の隅で、のそりと起き上がるのを確認する。ばれていないとでも思っているのか、嬢の後を付いてきているのを肌で感じて軽く肩をすくめた。
……憂さ晴らし、パートツー、かな。
白衣の裾が風に靡く。腹を満たすのと憂さ晴らしとどちらを優先させようか適当に迷いながら、嬢は足を少しだけ速めた。
雲の合間から、仄かに月明かりが漏れていた。
【END】
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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0517】門屋嬢
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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めまして、千秋志庵と申します。
依頼、有難うございます。
「セフィロトの塔」の全ての始まり、ビジターギルド登録です。
普段なら喧騒の絶えない場であるのですが、一人の権力者のお陰で異質な程に静寂が訪れています。
この場面ではあまりないので、いつもと違うという点で、書いていてとても新鮮でした。
それが普通であることを望んでいるのに、かえって異常だというのは少し変な話でもあるんですけど。
兎にも角にも、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。
それでは、またどこかで会えることを祈りつつ。
千秋志庵 拝
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