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<東京怪談ノベル(シングル)>


TWENTY FOUR
 日の光もほとんど差し込まない森林地帯で、少女は溜息を吐いた。その吐息には少なからず緊張の色が見え隠れしていた。
 少女の名は門屋嬢。彼女の手にはオートマチックマグナムの最高峰、デザートイーグルが握られていた。しかし、実銃ではない。金属の質感こそ上手く再現されているが、それは表面処理のおかげだ。マット仕上げの表面が剥がれてしまえば、安っぽいプラスチックの地肌が顔を出しだろうし、マガジンに装填されているのは一撃必殺のマグナム弾ではなく、中にインクの入った小さなプラスチック球だ。
 履き慣れないブーツが地面に落ちていた枯れ枝を踏み砕く。乾いた破砕音が微かに響いた。
「……嬢、沈黙≠セ」
 彼女の先を行く迷彩服の男が低い声で注意する。門屋はまた溜息を吐く。今度は緊張ではなくうんざり、という感情が見え隠れしていた。
「じゃあ、どうやって歩けって言うのよ? 空でも跳べって言うの?」
 門屋は小さな声で抗議する。彼の注意はもう嫌というほど聞いていた。
 喋るな、枯れ草を踏むな、草の茎を折るな、柔らかい地面を歩くな、蜘蛛の巣を破るな。
 ほとんど彼女が一歩踏み出すたびに、注意を受けていた。何故、注意を受けるのか説明される事は無かった。
「俺のように歩け」
 彼女の抗議に対する返答は至極単純で、果てしなく複雑なものだった。確かに目の前の男は、ほとんど音らしいものを立てず、まるで森を彷徨う幽霊のようだった。
 彼は、タイガーストライプの迷彩服にナイロンのホルスターのみ、という軽装だった。そして、ホルスターに入った銃はガバメントを模したプロキラーだった。
 プロキラーという銃は実在しない。形こそガバメントのカスタムモデルを思わせ、いかにもシューティングマッチで見かけそうなデザインだが、玩具メーカーのオリジナルだ。
「俺のようにって言われても……」
 彼女が更に抗議を重ねようとするが、迷彩服の男は軽く右手を上げて立ち止まる。ここ二十数時間でこのジェスチャーの意味ははっきりと理解した。
 止まれ、黙れ、だ。
 門屋は手にしたデザートイーグルのハンマーを起こす。前を行く男もゆっくりとホルスターからプロキラーを抜く。
「二時、二百メートル前方……向こうはまだ気付いていない。側面からやるぞ」
 相棒はそう言うと、森の中を駆け出す。門屋も走り出しながら右手の前方を見やる。迷彩服らしい影が二つ動いている。
 いくら森林迷彩と言っても完全に姿を消してしまうわけではない。よくよく見れば、迷彩服の柄が浮き上がって見える。
 どんどん人影が大きくなる。前を行く相棒はほとんど足音がしないが、門屋はそうは行かなかった。どうしても速度が早まれば早まるほど枯れ草を踏む足音を立ててしまう。
 相手の二人がその物音と気配に気付き戦闘体勢を取る。手にはMP5SD。当然実銃ではないが、恐らくフルオートで撃ってくるだろう。
 本物のMP5には弾丸は三十発までしか入らない。だが、玩具銃なら何百発とマガジンに装填できる。残弾を気にする必要などない。
「嬢! 散会しろ!」
 声と同時にプラスチック球があたりに飛び交い始める。光の加減で白い弾が投網のように自分たちへ迫ってくるのが見える。
 門屋は答えずに適当な木の幹へ姿を隠す。相棒も同じように隠れる。そこへ相手の牽制射撃が来る。
 身を隠した幹の反対側でばちばちと弾の当たる音がする。門屋は身体を縮みこませるようにして弾が当たらない事を祈る。
「援護する! 周りこめ!」
 相棒が叫び、幹から身を乗り出して撃つ。ヘビーウェイト樹脂製のスライドが、ぼふんというガスの放出音と一緒に素早く後退する。
 反撃を受けて、門屋に対する牽制射撃が途切れた。彼女はその隙を生かして猛然と走る。
 相棒は射撃を続けている。それに泡を食った相手は慌てたように遮蔽物を求めて後退する。注意が逸れている。これは絶好のチャンスだと門屋は感じた。
 門屋は大きく弧を描くようにして相手に回りこむ。木の幹に背中を預けていた相手が彼女の存在に気付き、銃口を向ける。
 ここで撃たれるわけには行かない。自分が撃たれれば相棒も失格になってしまう。
 彼女はとっさに地面を蹴り、跳んだ。
 相手の弾が投網のように襲い掛かる。白い弾が次々と自分の身体を掠めていく。
 彼女は空中で身体を捻り、右腕を相手へと向けて引き金を引く。
 一度、二度、三度。
 バックスピンのかかった白い弾が一直線に飛び、幹に隠れた一人の胸に三つ、真っ赤なインクの花を咲かせる。
 ゆっくりと自分の体が高度を下げている事に気付いた。そろそろ受身を取らなければならない。だが、銃口を外すことも出来ない。門屋は更に引き金を引く。
 今度は一人目のすぐ傍にいる二人目に向けて。
 一度、二度、三度。
 今度も面白いようにゆっくりと弾が発射され、二人目の影に吸い込まれていく。そして、命中。
 門屋は自分の肩が地面に着くのを感じた。それをスイッチにしたかのように今までゆっくりと流れていた時間が急速にもとの速度へと戻る。
 体が枯れ草に覆われた地面を滑っていく。受身らしい受身も取れない、かなり無様な着陸だ。だが、それでも門屋は銃口を相手へと向け続けていた。
 一応命中は確信していたが、完全に自分の感覚を信じることが出来なかったからだ。
 必要なら、この姿勢のままでもう一回撃たなければならない。
「……ヒット!」
「ヒット!」
 しかし、門屋の危惧は杞憂に終わる。迷彩服姿の二人の男が降伏するように両手を挙げて宣言した。二人の身体はインクで真っ赤に汚れている。
 門屋は緊張の糸を解すように小さく息を吐き、立ち上がる。そして、デザートイーグルからマガジンを抜き、腰のベルトに刺さった新しいものと交換する。
 さっきのマガジンにまだ弾はいくらか残っていたが、残弾の少ないマガジンを使っていては、いざと言うときに弾切れを起こす可能性がある。
 残弾の少ないマガジンは腰のマガジンポーチへ戻し、余裕のあるときに残弾をまとめて、フル装填のマガジンを一本作ればいい。
 これは別に相棒が教えてくれたわけではなかった。ただ、休憩のたびに弾の分配をしていた彼を見て、門屋なりに立てた仮説だ。頼りになることは確かだが、そういう生き残る上で必要なちょっとしたヒントも教えてくれないのは少し困る。
「……お前にしては上出来だな。だが、敵に身体を曝すのは良くないな」
 身体を起こした門屋に相棒が声を掛ける。門屋は少しだけ面白くなさそうに応じる。
「あんたが何も教えてくれないからね……自分でモアベターを探してくしかないんだから……」
 門屋の言葉に、相棒は口元に少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
「最善だとか、ベストだとか抜かさなかっただけ褒めてやろう」
「何よ! その言い方」
 彼の物言いが癪に障った門屋は抗議の声を上げる。だが、既に背を向けた相棒は軽く右手を持ち上げて小さな声で言った。
「まだゲームは終わってない。沈黙≠セ」
 門屋は釈然としなかったが、確かにここで騒いでいても仕方が無い。門屋は前を行く無愛想な相棒に腹の中で悪態を吐きながら再び歩を進めた。
 タイムリミットまであと少しの辛抱だ。正直かなり疲れているが、この調子なら何とかなるかもしれない。門屋は何となくそう感じていた。そして、数時間後、その予感は現実のものになった。