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<東京怪談ノベル(シングル)>


接点。

 いつか、どこかで誰かが言った。
 この世で一番恐ろしいのは死にたくても死ねないことだ、と。
 勝手に死ねることは幸福な行為だ、と。

 そう言った男は、俺の父親をその手で殺した。
 父親の同僚だったその男は、自身で壁に叩きつけたせいで可笑しく折れ曲がっている指で躊躇いもなく父親に向けて引き金を引いた。辛うじて自由の利く手で銃口を塞ぐも、幾度となく銃弾に貫かれてしまえばもはや使いものにならない。
 痛みは当に失っていたのだろう。
 それでも男は、人間の一番苦しむ場所に銃弾を撃ち込み続けた。
 理性は互いに残っている。
 懺悔の言葉を言う以前に、男は既に自身の舌を引き抜いていたために何も言えない。口端から流れる血と唾液が混じり、地面へと水溜りを作っていく。
 そして銃弾が切れたあとに、男はゆっくりと父を胃袋へと収めていった。顎の砕ける痛みは、もはやどうでもいいほどに疲弊し切っていた。
 何かが、壊れる音がした。
 それは男自身だったのかもしれないし、そうでないかもしれない。
 全てを食べ終えたあと、ヒカリの消えかけている目で男は血だまりの中の一人の少女に“言った”。

「……これが、キミの望みだったのか?」

 欠片しかない理性を振り絞って、男はどうにか死ぬことが出来た。
 澱んだ目に映る少女の笑みらしきものを哀しそうに眺め、故郷に残してきた幼い娘と年恰好が近いことにひどく絶望していた。



 父親が死んだことは、人伝に聞いた。



 ベルリンに戻ってくると、見送りに来てくれたときとほぼ同じ人員がキリル・アブラハムを迎え入れた。父親のことを口にする者はいたが、涙を誘うような話ではなくて想い出を振り返るような辛くも暖かい話が全てだった。数時間後に自宅へ戻ってくると、見計らったように一本の電話が掛かってきた。
 ……非通知? 誰だ?
 表示される送信元に首を傾げながら、出ようか出まいか悩む。非通知で連絡しては、受話器を取った相手の脳へとマインドコントロールをして金を振り込ませるという事例もある。そこまで柔な神経はしていないだろうが、用心に越したことはない。
 キリルはそのまま電話を放置することに決めた。電話が留守番電話に切り替わり、用件を残すように告げるデフォルトの女性の声が流れる。以前は幼いキリルの声を使っていたのだが、近所の笑いの種にされるので数年前から変えていた。
『……君の父親が、出兵中に誘拐事件解決に協力したのは既知の話だと思う』
 声は、知らない男のモノ。
『その件について、どうして彼は死亡したか理解しているか? 生き残ったのは、誘拐された一人の少女だけ……そのことに疑問を抱いたことは?』
 確かに、疑問を持ったことは事実だった。
 キリルの父親は地方に出兵中に、大規模な誘拐事件の解決に狩り出されていた。一年も昔の話だ。犯人、民間人、軍関係者の全てが怪死し、キリルの父親に関しては遺体すら発見されていない。唯一生き残った少女は、軍のどこかで厳重に保護されていると言う。
『少女の件で、話があります。以下の場所にて明日、お待ち申しております』
 どこかの研究所の場所が告げられ、電話は一方的に切れた。キリルはどうしたものかと考えあぐねた結果、留守番電話を巻き戻してメモを取り始めた。

「他意はない。私情が主だ、深くは追求しないでくれ」
 数日後に退職を控えたという老紳士は、キリルにそれだけを告げて研究所の奥に通した。時間は指定していなかったという危惧も無駄で、電話同様見計らったように老人は指定された住所に不自然ながら立っていた。
 長身に、白衣。老人という形容詞の全く当てはまらない、軍人に近い風袋の男だった。
「退職というのも名ばかりでね。実質はそんな甘いものじゃない。……地位や金、全てを奪われたも同然なのだからな。まあ別に、今更惜しむものでもない」
 白衣の似合う長身が、キリルの前を歩く。言葉を交わさないまま、彼らは進んでいった。
「……君の父親を殺したのは、私の息子だ」
「…………」
 唐突な言葉に、キリルは言葉を失った。老人は続ける。
「それが正しい表現かは分からない。確かに、息子は彼を撃った。だがそこに息子の意思はない。それをまず理解してほしい。加えて、真実を伝える義務はあると判断してのこの行為だ」
「そのせいで退職、ですか?」
「義娘と孫のためにも、一緒にいてやりたくてな」
 研究所はその殆どのドアをカードで開閉していたが、最後の一つ、妙に重々しい感じのするそれは異なっていた。話によれば、「エジプト錠」と呼ばれていた古代の鍵の応用版で、複製はほぼ不可能だという。職人が一つ一つ作り上げているもので、貴重なアナログ製だよ、と老人は言う。
「さて、これが事件の真実、だ」
 見た目と裏腹にスムーズに開いた扉の奥には、幾人かの研究所員と巨大なモニターがあった。
「所長……進展はありません」
 老人に向けて比較的若い女性は言い、手元のキーボードに何かを叩き続ける。老人は「そうか」とだけ呟いて、キリルをモニターの前に立たせる。

 モニターの中には数人の白衣と、拘束されている少女。

「どういう、こと……ですか?」
 キリルの問いに、老人は言った。
「人間には、外部からはどうしても侵入できない“壁”というものが存在する。内部から解かない限り、そうだな……例えばココロや本音、理性と呼ばれる部分には触れることは出来ないんだよ」
「その理論でいくと、テレパシーの場合は互いに内部から鍵を外しているから通じ合えるってことですか?」
「呑み込みが早いね。壁、鍵という表現は少し変かもしれないな。この場合は、家とでも表現した方が適切だろう」
 女性の扱う機械の方の画面には、少女の脳の電気信号が数字となって表示されていく。別の画面で解析を行い、映像に変換されていく。
 ちらりと見やったその映像に、キリルは思わず息を呑んだ。

 そこには、見知らぬ男に喰われている父の姿があった。

「監視カメラに映っていた事件の映像を、この少女の脳に直接ぶちこんでいる。カメラの映像が改編されてくるかとも思ったが、今のところは何もない。注視しているものが明瞭になると期待していたのだが、どうやら自我を保つのでさえ困難だったようだね。誰か一人を意識的に支配しようとしたのではなく、周囲を全て巻き込んだ、というのが真実のようだ。特定の意思はなく、目的もない。少女の意思は、全く介入されていないみたいだね」
 老人の言を聞きながら、キリルはふと厭なことに思い至った。彼の息子がキリルの父親を殺したという事実も未だに呑みこめていないのも事実だが、この真実も容易に信じることは出来ない。
 しかし、そうでなければ老人がキリルを少女に会わせる理由が見つからない。
「……こいつが、俺の父親を殺させた、と?」
「呑み込みが早くて有難い。エンパシー能力、行動操作、心理操作。彼女はそういう能力をもっているみたいだね。あの事件の恐怖心でコントロールを失い、殺しつくしてしまったのだろう。事故か? 確かにそうとも言える。しかし、話は電話で話したのが全て。彼女はただの、大量過失殺人者」
 老人は小さく唇を噛み締めた。無理もない。彼の息子は助けようとして、殺された。殺させられて、殺された。
 憎しみの連鎖。
 それを断ち切ろうとして、
「私は真実を知った。それから、身動きが取れない」
 そのために、キリルに会った。
「大丈夫、だ。大丈夫。……私は、息子の助けようとした人間の苦しむ姿は、見ていられないんだよ」
 少女は画面の中で幾度も暴れ、抑え付けられる。仕方のない話だ。恐怖から能力を使ってしまい無差別に人を殺してしまったとこには、当然ながら責務を感じているらしい。少女を、誰も責めることはできない。少女は、被害者なのだから。故に自分で自分を責め続ける。
 そのことは彼女の心を病ませ、心理的療法としての名目で過去の恐怖体験を見せ付けられている。
 体を幾度となく仰け反らせ、小さく痙攣をしては声にならない音を発し続ける。モニターからは全く音声は窺えないが、悲鳴は直接脳へと訴えかけてくる。
 キリルも、父親が助けようとした少女の現実から、目を背けた。
「一つ、教えてくれませんか?」
 進むために、キリルは知っておきたかった。
「この子の名前、何て言います?」
 憎むのではなく、刻み込むために。
 老人は微かに微笑んだ。有難うと、口が象った。



 少女の名に込められた、全て。
 父親の想い出と、無念。
 その同僚の苦悩と、懺悔。
 老人の葛藤と、救い。

 その全てを少女の名に込め、しっかりとキリルは胸に刻み込んだ。





【END】