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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Der Egoismus
「……ですから、我々は祖国を人類の手に取り戻す為にこうして行動を起こしたわけです」
 車内に男の声が響いている。声の主は薄っぺらい液晶画面の中にあって興奮で顔を紅潮させながら身振りを交えて熱弁を振るっている。
「そもそも、人類の政治は人類によるべきなのです。確かに汎ヨーロッパ連邦のサイバー騎士達はよくやっていると思います。カルネアデスの件などまさにヨーロッパの救世主と言ってもいいでしょう。ですが、彼らは果たして本当に我々の味方といえるでしょうか? 彼らは己の意思で人間である事を捨てたと言っても過言ではありません。人間以外のものが人間を統治する。この状況に矛盾を感じませんか?」
 静かな車内に男の演説じみたインタビューが延々と流されている。運転席でステアリングを握るのはジェミリアス・ボナパルトだった。
「この男の甲高い声は耳障りだわ……さぁ、仕事よ」
 ローカルテレビ局の中継車に偽装された車を停止させるとジェミリアスは助手席のキリル・アブラハムにそう告げた。

「汎ヨーロッパ連邦、テロ対策特殊部隊銀狼=B要請により現着いたしました」
 ジェミリアスは指揮所の扉を開けるなり淀みなく、堅苦しい決まり文句を口にした。彼女の声音にはどこか余裕があり、無骨な単語の羅列もどこか優雅に聞こえた。
 彼女の声に、必死で事態の解決に当たっていた警官たちが視線を上げる。制服を着た者の姿は無かった。一見して管理職とわかる連中だった。
「遅かったな、テロ対策部隊はお忙しいと見える」
 警官の一人が嫌味たっぷりに言う。
「……それは、どういう意味でしょうか?」
 ジェミリアスが反問すると、別の警官が鼻を鳴らす。
「君には言っとらんよ、ここまでの運転はご苦労だったな……だがな、サングラスくらい外したらどうかね?」
 警官はそう言いながら、彼女の後ろにいたキリルを手招きする。
「さぁ、さっさと仕事にかかってくれ。テロ対策特殊部隊殿」

 キリルは内心でぎょっとしていた。
 確かに、自分は老け顔だ。そして、ジェミリアスは自分より年下だ。大方彼らは若く見えるジェミリアスを従卒か何かと勘違いしたのだろう。だが、自分たちの名前は事前に知らせてある。少し仕事に熱心な者なら銀狼の司令部に照会を取るだろう。
 顔写真や細かい資料が銀狼司令部から提供されるとは思えないが、性別と年齢くらいの情報は得られるはずだ。
「いや……自分は……」
 キリルが口ごもるとここぞとばかりに警官たちが口を開く。
「どうしたのかね? 随分と静かじゃないか? 若い従卒に負けているのではないかね? 指揮官殿」
「テロ屋が真っ青になる対テロ部隊、という振れ込みの割にはしおらいいじゃないか」
「何から手をつけるかぐらいわかっているんだろう? 我々なんかよりもよほど優秀らしいからなぁ」
「それとも何かね、こんなちんけな事案では、真面目に仕事をする気にならんか?」
 一体なんでここまでボロクソに言われなければならないのか、キリルは全く理解できなかった。警察と銀狼部隊は折り合いが悪い事は知っていたが、ここまであからさまに嫌味を言われたのは初めてだった。
 居た堪れなくなったキリルは、本当の指揮官であるジェミリアスをちらと見やる。口元こそ真一文字に引き結ばれているが、サングラスの下に隠れた彼女の瞳は楽しそうに笑っているように感じられた。
「あまり私の部下を虐めないでいただけますか?」
 ジェミリアスは上辺だけの笑みを浮かべてそう言った。
 今度ぎょっとしたのは警官たちのほうだった。どの顔にも「まさか」と書いてあった。
「申し送れました。銀狼部隊指揮官。ジェミリアス・ボナパルトです」
 彼女は高く踵を鳴らして瞬時に直立の姿勢をとり、一部の隙も無い敬礼をしてみせる。
 その場にいた警官達は唖然としたように彼女の事を見つめていた。
「……貴女も人が悪い」
 キリルは彼女の隣へ歩み出て、耳元で囁いた。
 彼の言葉は警官を騙した事へだったのか。それとも、中々助け舟を出してくれなかった事へだったのだろうか。

「ではまず、判明している分のテロリストの身上書とその位置を教えてもらえますか?」
 ジェミリアスは居並ぶ年上の警官を前にはっきりと告げる。キリルは彼女の左後方で直立の姿勢を保っている。
「テロリストの身上についてはほぼ全員が割れている。皆、極右思想者としてマークしていた連中だ」
 警官の一人がそう言い、ジェミリアスにクリップボードを投げて寄こす。彼女はそれを拾い上げるとざっと目を通し始める。
「写真だけで、詳細について記入のないものについて、背後関係はどうなっていますか?」
 彼女の問いにクリップボードをよこした警官は首を横に振る。
「目下調査中だ」
 彼の顔はどこか意識的に無表情であろうとしているようだった。
 ジェミリアスは直感的に彼らが情報を出し惜しみしていると悟った。そして、そのリストの中に彼女の尊敬して止まない自然保護団体の設立者の女性を見つけた。
「では、テロリストの位置については……」
 ジェミリアスは尊敬する女性が犯行グループに加わっている事に同様を感じた。だが、その動揺をサングラスの奥にしっかりと隠しながら問いを重ねる。
「そんなもの、わかるわけが無い」
「ふざけるのも大概にして頂きましょう!」
 嘯く警官にジェミリアスは鋭く言い放つ。仕事に対する責任感もあったが、尊敬する女性をこんな愚かなテロリズムで失いたくないとの思いが強かった。
「貴官らの装備に指向性マイクがあったはずだ。邸宅の見取り図とマイクを使えば誰がどこにいるかぐらいすぐに調査できるはずです……意図して我々に対する協力を拒むと言うなら、それで結構」
 ジェミリアスの口調に、微かに軍人らしいものが混じる。居並ぶ警官たちはサングラスの奥から発せられる鋭い視線に射抜かれていた。そして、彼らはこの歳若い指揮官を完全に見誤っていた事に気付かされた。
「……我々はこの件から手を引かせていただきます。あとの事はどうぞご自分たちで気の済むまでどうぞ」

 二人は偽装した中継車に戻っていた。サングラスの下に隠れてジェミリアスの表情をよく見ることは出来ないが、少し不機嫌でいるようにキリルは感じた。
「指揮官……」
 キリルが遠慮がちに声を掛ける。
「なに?」
 ジェミリアスは短く答えた。彼女の声音は普段と変わらないように聞こえた。だが、この指揮官にかかれば自分など簡単に欺かれてしまうだろう、とキリルは思いなおす。
「良かったんですか? あんな連中に任せてしまって……あの調子では、彼らは失敗しますよ」
「……そうね。でも、今、政府の高官を失うわけにはいかないわ。政府の人間って言うのは消えてもらう時というものが決まっているのだし……」
 彼女は昼のメニューでも考えるように言ってのけた。対テロ部隊の指揮官としては問題発言もいいところだ。流石にキリルも眉を顰める。
「冗談よ」
 彼の表情を見たジェミリアスは小さく笑みを浮かべて言った。
「……とにかく、警察に失敗されるわけにもいかないわ。そろそろ突入でしょうから、こっちでそっと援護してあげましょう」
 キリルはこの指揮官が何をしようとしているのか、おぼろげながら想像が付いた。
「我々は、いつもの事ですが、裏方ですね……しかも、手柄は向こうのものですよ?」
 彼女の意図を察したキリルはぼやくように呟く。しかし、その表情は決して腐ったものではない。
「それで良いのよ。これこそが対テロ部隊の本領ですもの」
 彼の言葉にジェミリアスは軽い調子で応じる。そして、運転席のシートに深く腰掛けるとサングラスを外す。
「始めるわ」
 その言葉と同時にジェミリアスは眼を見開く、銀色の瞳が赤く染まりやがて目全体をも赤く染め、額に火花が散った。
 数分後、邸宅から乾いた破裂音が響く。キリルは思わず視線をテロリストの屯している邸宅へと向けた。
 窓が割れて薄い煙が立ち昇っている。警察特殊部隊が音響閃光弾を使って強行突入を開始した瞬間だった。

 事件から数日後、ジェミリアスは残務整理から解放されようやく自室に戻る事が出来た。
 政府高官拉致事件の新聞発表は警察による強行突入が解決へ導いたことになっていた。だが、それはジェミリアスの行動操作による撹乱があってこその成功だった。
 決して真相が表に出る事はない。大衆に与えられる情報は必ずしも真相である必要はない。真相は、知るべき人間が知っていれば事足りる。
 かつてヒトラーは人間を「新聞を鵜呑みにする者」「新聞を信じない者」「新聞の内容から真実を導き出そうとする者」の三種類に分けたという。そして、もっとも愚かな前者を「大衆」と定義した。
 報道とは、政府や権力者の思う方向へそういった大衆を無意識に誘導する為のものだ。
 彼女は「テロリストへ同情の声も」の見出しが躍るフランクフルターアルゲマイネ紙を眺めながら漠然とそんな事を考えていた。だが、彼女の夢想は一面の片隅に乗った小さな顔写真によって打ち切られた。
 写りの悪い顔写真の小見出しにはこう書かれてあった。
――逮捕された自然保護団体職員、拘置所にて謎の急死。テロリストの報復か――
 ジェミリアスは新聞をテーブルへ置くと小さく溜息を吐いた。そして、ゆっくりと立ち上がり、着ているものを脱ぎながらシャワールームへと向かった。彼女の頭脳は、彼女を殺した不届き者をどうやって追い詰めるか、その精密なシミュレートを始めていた。