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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


都市マルクト【アルバイト】フライドチキンの配達人
 誰がための勝利

 ライター:斎藤晃


【Opening】

 アルバイト諸君、私がこの店の店長であるサンダース大佐だ。
 さて、当アマゾナスフライドチキン・セフィロト店がフライドチキンのデリバリーサービスを行っているのは承知の通りだと思う。そして、諸君等がその配達員である事も‥‥だ。
 熱々をお手元に。我々はこのキャッチフレーズの下、注文があったその時には万難を排してフライドチキンを届けなければならない。
 例え、数億の敵に囲まれ、死地に取り残された、死を間近にした弱兵の元へでもだ。
 ん、早速、デリバリーの注文が来た様だ。配達ポイントはセフィロト内。諸君等の出番というわけだ。
 なお、敗北(配達未着)は許されない。健闘を願う。





【Episode】

「隣?」
 都市マルクトのはずれジャンクケーブの奥にある怪しげな研究所――ルアト研究所の玄関口で、その研究所所長の娘マリアート・サカは、研究所の隣に勝手に作られたほったて小屋に住むゼクス・エーレンベルクの所在を聞かれ、記憶を辿るように視線を宙へ泳がせた。
「ゼクスならアルバイトを始めたって聞いたけど?」
「アルバイト?」
「なんでもフライドチキンが食べ放題だとか」
「…………」
 そんなアルバイトはない。
 しかし、そんなアルバイトに若干心当たりがないわけでもなくて、大きな発泡スチロールの箱を抱えた妖艶な美女、白神空は眉間に皺を寄せて、隣の掘っ立て小屋を見やった。
「彼に何か用でも?」
 マリアートが尋ねる。
「あぁ、うん。この前かわ……」
 空はそのまま言いかけの言葉を慌てて飲み込んだ。「可愛い子を紹介してもらったからそのお礼に」と続けかけたのである。だがその後のマリアートの反応をあれこれシミュレート――妬いてくれるかな、とか、妬いてくれなかったらちょっと凹むかも、とか、逆に怒って更に初夜が遠のくかも、とかを想像――してやめた。
「かわ?」
 怪訝に首を傾げるマリアートに空は笑って取り繕う。
「かっ…川エビがたくさん手に入ったから、わ、分けてあげようと思ったのよ。ほら、彼エビ好きじゃない」
「あぁ、それなら帰るまでうちで待つ? 私はこれから出かけちゃうんだけど、用があるなら預かってもいいし」
「あ、うん。いい、いい。大丈夫。心当たりがあるから持ってくわ」
「そう?」
「うん。そういえば、今日はメイドさんは? お休み?」
 思い出したように、或いは話題を変えるように尋ねた空にマリアートは浮かない顔で溜息を吐き出した。
「今はエドのラボで修理中。なんか少し前にボロボロになって帰ってきたのよねぇ……」
 何があったのかしら、と首を傾げるマリアートに空は頬を引きつらせ何とも曖昧な笑みをこぼしたのだった。
「…………」

 ◇

 空には心当たりのある、ルアト研究所のメイドがボロボロになったその『事故』でボロボロになったのは、メイドだけではなかった。
 シオン・レ・ハイは財布の中身を数えて日本海溝より深い溜息を吐き出した。
 この前壊れたバイクのローンはまだ残っている。その上、その『事故』で破損したサイバーパーツの修理代はあまり思い出したくない現実であった。今の彼は最早仕事を選べる立場にはなかったのである。
 このバイトにはあまりいい思い出はないが、むしろ悪夢でしかないが、そもそもバイトして赤字が出るなどありえない話だったが、こうなったらリベンジあるのみだ。
 殆ど意地でシオンはそのバイトに参戦した。
 アマゾナスフライドチキン・セフィロト店のフライドチキンデリバリー。
 今回は3人で届けに行くらしい。
 それほど危険地帯へ行くという事なのだろうか、しかしお届け先は住宅街である。そこはヘルズゲート内では比較的安全な場所だった。
 バイクが大破したり、自分自身がボロボロになったりと、忌むべき場所ではあったが、あくまでそれは彼にとっての話である。
 その一般には比較的安全な場所へ3人。
 それは、その場所に問題があるのではなくお届けする相手に問題があったのだ。
 その日届いたのは一通のFAX。書かれていたのは【ファミリーボックス1個】。サインは達筆でばってん羊。縦書きである。
「これ、本当にばってん羊さんなんでしょうか?」
 シオンが注文表を見ながら尋ねると、ファミリーボックスを大事そうに抱えていたゼクスがその青い目をきっと見開いてシオンを睨みつけながら言った。
「これは奴の字だ。このパという文字のハの形には見覚えがある」
 彼は断言した。
 何やら深い怨恨のこもった物言いである。よほどばってん羊に酷い目にでも合わされたのだろうか。今は大事なお客さまであるが、このままではそのお客様を殺しかねない形相であった。とはいえ、ばってん羊は立派なタクトニムである。たとえうっかりやっちゃったところで誰憚られる事もないだろう。但し店の信用問題を別にすれば、だが。
「しかしシンク・タンクでもチキンを食べられるのでしょうか?」
「オールサイバーでも食えるんだから、食えるのではないか?」
「確かにそうですけど」
「食べて丸々太ってくれたらいいな」
 ゼクスは淡い幻影を抱きながら明るい口調で言った。とはいえ実際その時になったら食い意地の悪さではセフィロト塔内で右に出る者はいない彼の事だ。羊にチキンなど食わせまい。
 そんなゼクスの言に半ば呆れつつ、シンクタンクが丸々太るなど十中十ないと思うシオンであった。
「私たちをおびき寄せる罠かもしれません」
「む!?」
 ゼクスが目尻をあげてシオンを振り返った。そこまで考えてなかったという顔つきである。しかし、だからと言って取り乱すでもない。
「その時はこのチキンで逆に奴をおびき寄せ、こちらが罠にはめればいい」
 ゼクスはきっぱり言い切った。
 これはシオンには知りようのない事であったが、彼は最初からチキンを届ける気など毛頭なかったのである。チキンとバイト代と客の有り金総取りで一気にリッチ街道まっしぐらだったのだ。ついでに制服も売り飛ばす計画あり。その為なら手段は選ばぬだろう、恐るべし。彼の食い物に賭ける執念は、軍隊アリにも勝る。彼の後に食べ物など残らない。
 しかしその一方で燃費の悪さも天下一品。何と言っても運動神経は細部にまで行き渡っていないのだ。先ほどから芳しい芳香を迸らせたファミリーボックスに視線が釘付けで周囲の注意がおろそかになっていた。
 ゼクスが歩きながら道路標識にしたたか頭をぶつけていると、今回配達を一緒に行う3人目、それまで発言を控えていた美人というよりは愛らしい娘――シヴ・アストールが心配げに声をかけた。
「大丈夫ですか? 私がお持ちしましょうか?」
 とはいえ、彼女は既に大きなバスケットを両手で持っている。制服を着ているのに何故だかピクニックにでも出かけるように見えるのが不思議だった。私物らしいものといえば、そのバスケットだが、とても武器が入ってるようには見えない。ヘルズゲートの中へ入るというのに、これもまた珍しいといえる。
「いや、大丈夫だ。これは俺が持つ」
 ゼクスは素っ気無く答えた。
 勿論、彼はフェミニストではない。食べ物が絡めばレディーファーストなどという言葉からは果てしなく遠ざかる男である。故にこれは、女の子を気遣ってなどという紳士的な理由からの発言ではなかった。
 彼は今、いかに同行者をだまくらかすかに全ての情熱を傾けていたのである。チキンゲットの為に。
 ただ、その傾け具合がちょっと尋常ではなかったばっかりに通りの段差に躓いてこけた。
「…………」
 しかしアスファルトに接吻しようとも、ファミリーボックスは死守。ゼクス・エーレンベルク。見上げた根性というほかあるまい。
 擦り傷に顔を血だらけにして、鼻血まで垂れているゼクスにシオンが見かねて声をかけた。
「私が持ちましょうか?」
「だひひょーふだ。俺が持ふ」

 ◇

 あくまでフライドチキンは自分が持つと言い張るゼクスに、シヴは少しだけ目を細めて楽しそうに笑った。
 彼女は一般人である。エスパーのような特殊能力もなければ、サイバーのような類稀な力もなく、エキスパートのような何かに卓越した技能もない。
 ただ、ほんの少し洞察力に長け、ほんの少し好奇心旺盛で、ほんの少し無謀なところがあり、百発百中の女の勘(でもたまにはずれる)を持っているに過ぎないのだ。
 そんな彼女が今ここにいるのは、そんな人より少し旺盛な好奇心と、楽しいに違いないという女の第六感と、それだけでヘルズゲートをくぐってしまう無謀な性格に順ずるところが大きい。
「しかし、ばってん羊さんはお金を持っているんでしょうかねぇ?」
 ヘルズゲートを抜け住宅街へ向かう通りを歩きながらシオンが心配そうに言った。確かにそれはある意味当然の疑問であろう、何度も言うが奴はタクトニムなのだ。
 ところがゼクスは驚いたような顔でシオンを振り返っていた。どうやら彼はちょっぴり迂闊さんだったらしい。
 シヴはわずかに肩を竦めてさらりと言ってのけた。
「持ってなければ体で払っていただけばいいんですわ。幸い、彼はウール100%ですし」
 実は最初からそのつもりだった彼女である。タクトニムにお金を払って貰うことなど全く考えていなかったのだ。配達先が羊と聞いた時から狙っていたのである。
 シヴは持っていたバスケットの中からバリカンを取り出して彼らにニッコリ微笑みかけた。
 ゼクスとシオンはそれに無意識にも生唾を飲み込んでしまう。彼女のセリフが侮れない。
 綺麗なハニーブロンドの髪を後ろで編み込みカントリーロードに出てくるような一見垢抜けない雰囲気を漂わせる一方で、彼女のその穏やかな笑みの奥に見え隠れする黒い影は果たして何であるのか。
「…………」
 シオンが言葉を失っている横でゼクスが我を取り戻してなるほどと頷いた。
「そのバリカンは俺が持とう」
 ゼクスが言う。
「大丈夫です」
 シヴはその申し出を柔らかく断ってバリカンをバスケットに戻した。
 ゼクスの視線がバリカンを追いかけバスケットに注がれる。
 どうやらバリカンが欲しいらしい。
 チキンを手放さないのは、それをくすねようという心理の現れだろうか。ともすればバリカンを欲するのは羊毛を独り占めしようと考えての行動と推察出来る。ゼクスを観察しながらシヴは内心でそんな事を考えていた。
 ならば彼はどこかで自分達を撒こうとするだろう。

 ――面白くなってきた。

 シヴは思わずスキップしてしまいそうになる気持ちをぐっと堪えて表面的には穏やかな笑みを浮かべていた。
 シヴのバスケットに気を取られ、交通標識に2度目の熱い接吻を施しているゼクスに、その時シヴは期待に胸を躍らせていたのである。

 ◇

 一方、ゼクスらと一足違いでアマゾナスフライドチキン・セフィロト店にやってきた空である。
 ゼクスが配達に出た事を聞いてアルバイトの予定はなかったが、ついでにアルバイトもする事にした。ゼクスのお届け先があのばってん羊と判明したからだ。
 今度こそ、あの羊毛を手に入れる。
 空はウェストポーチのバリカンを確認してゼクスらを追った。これはどうでもいい話だったが、誰もゼクスらの応援は頼んでいない。正直に言えば別のデリバリーを頼みたかった。ただ、誰も彼女を止められなかっただけの事である。押しかけアルバイト。迷惑な話であった。閑話休題。
 勿論、お仕事は信用第一である。チキンはキチンとお届けする。故に空は自腹を切ってダミー用のパーティーボックスを用意した。チキンを頼んだという事は奴の好物に違いない。奴がチキンに気を取られている隙に羊毛ゲットというものだ。
 ついでにゼクスにエビも渡せれば一石二鳥。既にこの時点で当初の目的が逆転してしまっている。
 かくて空は【天舞姫】で彼らを追いかけ、あっさり彼らを追い越してしまったのだった。

 ◇

 セフィロトの塔ヘルズゲート内にある住宅街――通称、誰もない町にばってん羊の武器庫はあった。ちなみに彼は塔内の至る所にこのような拠点をいくつも置いている。
 その全身を白いふわふわもこもこの100%羊毛で覆い、見た目には何とも愛らしい。しかし日々の戦いの苛烈さを物語るようにつぶらな右目には十字の傷を持つ。だが、左目から放たれる鋭い眼光は決して敗北者のそれでも、草食獣のそれでもない。猛禽を思わせるような肉食獣の眼光は今日も獲物を、或いは戦いを求めさ迷っていた。
 とはいえ、彼の本体はシンクタンクである。故に物を食べるという事はない。勿論、チキンだって食べない。彼がチキンを頼んだ理由はただ一つ。
 ばってん羊はそれを床に投げ捨てた。
 アマゾナスフライドチキン・セフィロト店のデリバリーサービスのチラシである。もうすぐここに『バカ』共がやってくるのだ。
 彼はライフルに弾倉を入れた。
 右側に付いているボルトを一気に引き寄せて離すと、カシャーンという甲高い金属音を響かせて初弾が装填される。
 SIGライフルSG550の改造版。勿論、改造もメンテナンスも彼が自分でやっている。
 間もなく狩の時間が始まるのだ。



 空は住宅街の目抜き通りを歩いていた。いつもの【玉藻姫】の姿ではない。人型戦闘変異体【妲妃】。生体反応に特化したESPを誇る玉藻姫の1つの進化形である。
 とはいえ単純な肉弾戦では玉藻姫に劣るだろう、この形態が最も力を発揮するのは複数の敵に対した時ではないだろうか。現に今、彼女は4体ものモンスターを従えていた。
 さながらその姿は伝説の妲妃を彷彿とさせただろう。
 普段でも妖艶な美女である。それが、更に色香を増していた。赤い唇でさえ淫猥に歪んで見える。
 どのような生体反応がその体内で起こっているのか、彼女が振りまくフェロモンによる魅了。しかし彼女のその力が及ぶ範囲は、現時点で哺乳類をベースとしたモンスターといったところか。それ以下のモンスターやシンクタンクには通用しないようであった。
 故に残念ながらばってん羊にも通用しなかった。
 空は従えていたモンスターをけしかけたが、ばってん羊のライフルが8発で彼らを屠ってみせた。一般にSG550の装弾数は24+1発。しかしばってん羊がどんな改造をしているのかはわからない。
 空は全身に電磁結界を張って対峙した。
「今日こそ、その羊毛、いただくわよ」
 とはいえ彼女が手にしているのはバリカンではない。彼女は一本の太いワイヤーを片手に携えていた。その端には重りのようなものが付いている。
 昔、ジャパニメーションで見た忍者の真似事か。
 彼女は持っていたダミー用のファミリーボックスをばってん羊に向け高々と投げ上げると、間合いを詰めるように跳躍した。
 そこに出来るであろう隙を狙う。
 だが、ばってん羊はチキンには目もくれず容赦なくライフルを連射してきた。
 彼女は電磁結界で防ぎきって、更に間合いを詰めるとワイヤーの先に付いていた重りをばってん羊に投げつけた。
 咄嗟にばってん羊がライフルでそれを叩き落とす。だが、ワイヤーは叩き落されずライフルに絡み付いた。
「!?」
 ワイヤーは中に芯となる一本の導線を持ち、その周囲を別の導線がコイル状に巻き付いて出来ていた。先端1mほどを残して軟性ゴムによりコーティングされている。その導線に先ほどから空は電気を送っていたのだ。
 そこに発生した電磁石により、それはライフルから離れず絡み付いたというわけである。
「もらった!」
 刹那、空はその手に蓄積した電気を電磁パルスにして最大出力で導線に叩き込んだのである。
 通常のエレクトリックによる放電は接近戦にしか使えない。しかし電気を通すものさえあれば中距離でも電気は届く。
 しかし、それより一瞬速く、野生の勘か、経験ゆえか、ばってん羊はワイヤーの絡まったライフルから手を離していた。
 地面に落ちたライフルが高電圧に耐え切れなかったのかスパークする。
「…………」
 一瞬の間。
 やはり一筋縄ではいかないようだ。
 あまりやりすぎると貴重な羊毛を台無しにしてしまう恐れがある。そうして手加減してしまうのがよくないのだろうか。空は困ったように肩をすくめた。
 刹那、ばってん羊が動いた。
 しかしそれは空に向けてではない。
「フライドチキンお持ちしましたぁ」
 明るい声が2者の間に割って入った。
 一触即発に何とも間の抜けた声である。
 思わず呆気に取られる両者にゼクスがファミリーボックスを抱きしめ駆け寄ってきた。
 ばってん羊に、ではない。
 2人の間に。
 何故?
 それはそこに蓋を開けたマンホールがあったから。
 ゼクスがその事に気づいていないと勘違いしたシオンが慌てて彼を追った。なにぶんゼクスは先ほどから前方不注意で幾度となく事故を起こしているのだ。それは勿論ワザとではなかったが、結果として1つの布石となっていた。
 ゼクスは羊もろとも全員をあのマンホールで出来た簡易落とし穴に落とす算段をしていたのである。
 シオンはまんまとそれに引っかかったわけだ。
 だが頭脳プレイを得意とする彼にもいろいろ誤算があった。ちなみに彼の貧弱な運動神経は計算内である。
 1つ目の誤算。シオンはゼクスを追いかけたがシヴは追いかけてはこなかった。
 彼女はあろうことかその場にビニールシートを敷いて座ると、バスケットから魔法瓶を取り出しコップにお茶を注いだのである。
 まったり一服。
 明らかに観戦モードであった。
「…………」
 そしてもう1つ。空もゼクスの元へは駆け寄らなかった。逆に後方へ退いたのである。
 何故か。
 それは更にもう1つの誤算。このチキンに目が眩んで駆けて来ると思っていたばってん羊が、駆け寄るどころかその場で背中に背負っていたランチャーを構えたからである。
「あれ?」
 とゼクスが呟いた時にはばってん羊がランチャーの引鉄を引いた後だった。ただ1つラッキーだったのはランチャーの射程の若干内側に彼らがいた事であろう。
 グレネード弾は彼らを飛び越え爆発した。
 しかし命中しないまでも爆風が彼らを襲う。ゼクスはファミリーボックスを抱きしめるように蹲った。
 その時だった。
 丁度グレネード弾が落下した場所の傍に、空が持ってきていてモンスター共に運ばせていた発泡スチロールの箱が落ちていたのだが、それが爆風に煽られ飛ばされた。
 エビが跳ねる。
「のぉわぁぁぁ〜〜!!」
 ゼクスが飛んだ。
 あの貧弱さ加減でもセフィロト随一の彼が、彼自身の最高記録(推定20cm)を遥かに上回る高さで飛んだのである。
 彼はファミリーボックスを捨てエビを掴んだ。
 チキンよりもエビを選んだのだ。
 お茶を啜っていたシヴがクスリと笑った。
 シオンがファミリーボックスをキャッチする。
 空は「あ」と呟いた。
 ばってん羊は次の弾を装填している。
 ゼクスはエビを掴んで満足げに下を見た。
「あ」
 マンホールが口を開けている。
 エビに目が眩んで彼が飛んだ先は落とし穴の真上だったのだ。
「のぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 ゼクスの絶叫がこだました。
「馬鹿ね」
 空が呆れたように呟いた。
「面白い方ね」
 シヴはニコニコしながら見守っている。
 しかしあの貧弱さぶりだ。落ちたら最期だろう。
「短い付き合いでした」
 成仏してください、とシオンは手を合わせた。
 それからばってん羊を睨み据える。
「でも安心してください、ゼクスさん。チキンは必ずやキチンと羊さんにお届けしますから!」
 そう言った瞬間彼は高機動運動にスイッチしていた。
「地の果てまでもぉぉぉ〜!!」

 ◇

 かくて、マンホールに落ち勝手に仏さまにされたゼクスである。
 だが、Weeds never die――日本語に訳すと『憎まれっ子世に憚る』――の格言どおりなのか、マンホールの中には前回破れた筈のトランポリンが復活していて彼は九死に一生を得ていた。トランポリンで上へと跳ね上がり、そして網に引っかかる。
 しかし、それらは前回のばってん羊との戦闘で使用済みになっていた筈ではなかったか。だがその謎はすぐに解けた。網の中に、あのばってん羊のぬいぐるみが入っていたからである。
 胸にはトレードマークのような張り紙。

『 バ カ 』

「のぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 ゼクスは張り紙を木っ端微塵に、これでもか、これでもか、と破り捨てた。2度の屈辱に頭に血が昇る。しかしどうする事も出来ない。なにぶん貧弱な彼は網から自力で抜け出せなかったからである。それが更に彼の怒りを増幅させたが、やっぱりどうにもならなかった。
 そこへ網の下からシヴが声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
 勿論、生きているという点では彼はまだ大丈夫であった。だが、やはり全然大丈夫ではなかったろう。脳の血管は本当に今にも切れそうだったのである。
「仕方ないわね」
 シヴは溜息を吐きつつ高周波振動ナイフで網を切ってゼクスを助けてやった。
「ゼクスさんて、意外と役に立たないんですね」
 悔しさに地団太を踏んでいるゼクスに、シヴが屈託のない笑みでころころ笑って言った。
 どうやら悪気はないらしい。厭味っぽくもない。ただ、内容がかなり辛辣なだけだ。
「…………」
 ゼクスが返す言葉を失っているとシヴがふと、思い出したように尋ねた。
「もしかして、チキンが欲しかったんですの?」
 もしかしなくてもそうだった。勿論、それだけではない。そんなゼクスの思惑を、まるで見透かしたように彼女は言った。
「ずっとチキンを肌身離さずでしたのに、爪が甘くていらっしゃるのね」
 やっぱり彼女は邪気のない笑みだった。
 しかし何故だろう、心なしか目の奥に底光る黒いものが見えるような気がするのは。
「…………」
 彼女はのんびりビニールシートまで歩くとバスケットを取り上げてゼクスを振り返った。
「私、フライドチキンに勝てるかどうかわかりませんけど、お弁当を持ってきているんです。よろしければいかがですか?」
 その瞬間、気落ちしていたゼクスの顔がパッと晴れやかになった。表立って表情が出ているわけでもなかったが目が輝いている。
 彼女がその後に「面白い余興を見せていただいたお礼です」と続けたのはまるで耳に入らなかった。
 ゼクスはフェミニストからは程遠いところにあったが、食べ物をくれる人間には無条件で敬う事ができる人間であった。
「やる」
 ゼクスはばってん羊のぬいぐるみをシヴに差し出して言った。
「まぁ! ありがとうございます」
 かくて2人はビニールシートに腰を下ろしたのだった。
 このヘルズゲート内では比較的安全地帯とはいえ、ヘルズゲートの中である事に変わりはない。そんな場所で一般人と貧弱エスパーがお弁当を囲んでピクニック。
 ある意味脱帽ものであったろう。
 2人ともいい根性の持ち主である。
 そして2人の視線の先ではシヴが称するところの座興――ばってん羊とシオンの攻防が、大詰めを迎えていた。

 ◇

 ほんの少し時間を遡る。ゼクスがトランポリンに跳ね上がっていた頃。
「ちょっと、どこまで行く気よ」
 空が【天舞姫】で上から2人を追っていた。
 銃を構えるばってん羊に、シオンが高機動運動で間合いを詰めていく。しかし、動きは互角か。見た目はどうあれ奴はシンクタンクである。
 とはいえ、シオンが言う地の果てなど、このセフィロトの塔の中では数秒かからずたどり着けた。
 ばってん羊が立ち止まる。
 シオンも立ち止まるとファミリーボックスを左手で差し出し、右手の平をばってん羊に向けた。
「60レアルになります」
 それにばってん羊はファミリーボックスを受け取って、握り拳を突き出すと、シオンの右手の平の上でゆっくり開いた。
 コインの感触にシオンがホッと胸を撫で下ろす。
 刹那、ばってん羊が横へ飛び退った。
 空が目を細める。
 シオンは右手を引き寄せ金額を確認した。
 コインに混じって何やら別のものが、と思ったその時だった。
 反射的にシオンがそれを握り締めたのは正解だったのか。
 空が「あいたたた」とばかりに手の平でこめかみを押さえた。

 ――チュドーン。

 シオンの手の平の中でそれは爆発した。
 シオンの手が防壁となって、爆発の規模は最小限に食い止められたが。
 シオンの手が景気よく吹っ飛んだ。
 爆発のあおりをくらって傾ぐ体にシオンは呆然と呟いた。
「バイト代より修理代の方が高いんですが……」


 ――果たして、バイトに労災はおりるのだろうか?





【大団円】

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

【0641】ゼクス・エーレンベルク
【0233】白神・空
【0375】シオン・レ・ハイ
【0648】シヴ・アストール


【NPC0124】マリアート・サカ
【NPC0200】ばってん羊

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。