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WHITE ROOM〜その胸に抱くもの〜
白い色を見ると思い出すのは、5歳の頃。
ショーウィンドウをじっと見つめるアルベルトの瞳に映っているのは、そこにある可憐な白いワンピースなどではなく、冷たくて無機質な"あの部屋"――。
アルベルトは軍の特殊機関に拉致され、研究施設に監禁されていた。
部屋にあるのは可動式のベッド、トイレ、シャワー。そしてアルベルトが話しかけている、この大きなモニターのみ。
映し出されているのは誰でもない、ただのヒトガタをしたシャドウ。
父親でも母親でもない教育用コンピュータープログラムが、感情も抑揚もない音声を発する。
『お早う御座いますアルベルト、よく眠れましたか?』
「おはようミリィ、たくさんねむれたよ。」
時折、軍の人間がモニターを通してアルベルトと接触することはあるものの、あくまで研究材料としてしか見ていない彼らとの会話は、会話とは呼べないだろう。
今のアルベルトには、そんな人間よりもプログラムのほうがよっぽど大事だったのだ。
こうしてアルベルトにミリィという名前を付けられたプログラムによって、彼は毎日会話をしたりして育てられている。
『なんで?』『どうして?』
そんなアルベルトの最近の口癖。
以前より対コンピュータESPの強かったアルベルトは、ある日それを使って監視カメラをハッキングを試みた。
そこで見たものは、総てが初めて見るもので、まるで別世界。
両親と手を繋いで、楽しそうに歩く同じ年頃の子供。
母親に抱かれている赤ん坊。
悠々と空を舞う小さな小鳥。
「こどもは、お父さんやお母さんと一緒に暮らすのがフツウなの?」
「鳥さんにもお父さんやお母さんがいるの?」
「なんで、ここにはお母さんがいないの?」
子供はこんなふうに、不思議に思ったことを大人にぶつけては教わり、そして世界の色々なものを知っていく。それは人間として成長していく上で、とてもとても大事なことなのだ。
「ねぇミリィ、なんでなの?お母さんは僕のこと嫌いだからここにいないの?」
けれどこんな時、アルベルトに返ってくるのはいつも同じ。
『このケースに対する 返答は プログラム されていません』
ミリィは何も、教えてはくれない――。
アルベルトは母親の腕に抱いて貰ったことが一度もなかったが、決してそれは本人らの意志などでは無い。
「なぜ……なぜなの!!どうしてあの子はどこにもいないのよっ!!」
母親であるジェミリアスは、携帯電話を思いきり壁に投げつけた。
彼女自身も高いESP能力を持っている、それを使えば簡単かも知れない。しかし今、それは不可能なのだ。
彼女は幼少の頃、行動操作能力を使い、自分を誘拐した犯人を含む40人もの人間を死に至らしめた事があった。
この事件に関しては思い出したくない悪夢であり、それゆえに自分のESP能力を嫌ってもいる。
様々な能力に長けた人口神の半身、軍はそんな彼女を心底恐れていた。つまりアルベルトを拉致監禁した理由は彼自身の能力と可能性への関心だけではなく、人質を取ることでジェミリアスへの脅しも兼ねていたのだ。
そんな風に行動を抑制されている中でも、ジェミリアスは血眼になって愛する我が子を探していた。
何故あの子がこんな目に遭わなければならないのだろうと、自分をも責めながら――。
「ねぇミリィ、僕のお母さんはどんなひとなの?」
「ミリィ、僕もお母さんに会いたいよ。どうして会えないの?」
プログラムは今日も、同じ返事しか返さない。
アルベルトは、いつまでたっても答えをくれないモニターをじっと見つめた。
それはとても、長い時間――。
「なんなの、これ。」
ジェミリアスの携帯に映し出されたのは一件のメール、差出人は不明、アドレスすらも表示されていない。
どうみたって不審すぎる。しかし今のジェミリアスは見えない何かににすらすがりたい気持ちだったのだ。
メールに書かれていたのは、公園の名前だけ。ここからならさほど遠くはない。
ジェミリアスはひとり、その場所へと歩き出した。
指定された公園に人の姿はなく、しんと静まり返っていた。
大きな木から一斉に鳥が羽ばたき、ジェミリアスが空を扇いだ丁度その時――。
携帯電話が着信を告げる、今度はメールではなく電話だ。
「もしもし……。」
受話器の向こうからは電子音。耳を澄ませど、人の話し声はおろか雑音すらも聞こえないのは異様だ。
プツン
やっとそんな音が聞こえた直後、声が聞こえた。
『アルベルト アイタイ デスカ?』
冷たい機械の女性の声に、ジェミリアスの背筋に悪寒が走り抜けた。
「誰!?なんなの、いたずらならやめなさい!」
ジェミリアスの問いには何も答えない電話の向こうの誰か。
そのかわりにもう一度、繰り返す。
『アルベルト アイタイ デスカ?』
ごくりと息を呑み、ジェミリアスは勿論だと力強く応えた。
するとたった一言、とある病院の名前を言うと電話は切れてしまった。
ツー ツー ツー ツー
その音を聞きながら、ジェミリアスはただ呆然としていた。
「まさか…まさかこんな町中の病院に、あの子が居るって言うの…?」
真実かどうかの確証など何一つ無い、何かの罠だという可能性だってある。
けれど電話の向こうの"彼女"はわざわざ聞いた、会いたいのかと……。
ジェミリアスはぎゅっと唇を噛みしめると、携帯電話を操作する。
迷っている暇など無いのだ、もう賭けるしか――。
コール3回、一番信用している人間に電話が繋る。
「もしもし、私よジェミリアス。すぐにマスコミや人権保護団体や政府高官…とにかく集めて頂戴、急いで。あの子が見つかったの…そう。これでケリをつけるわ。」
1時間もしないうちに、病院の前には人だかりが出来た。持っていたコネの総てを使った結果だ。
ジェミリアスはキッと病院を睨み見上げる。
「待っててアルベルト、直ぐに迎えに行くから。」
そして正面玄関から正々堂々、彼女はまっすぐ入っていった。
報道のカメラには、その凛とした母親の背中が映し出される。
最後の闘いの幕が開く。これで長かった辛い日々に、決着を付けることが出来るのだ。
ジェミリアスの眼に迷いはない
総てはその手に、愛しい我が子を抱くため――。
「ねぇミリィ、僕もうすぐお母さんに会えるよね?」
最後の質問に、ミリィが答えることはなかった。
アルベルトが色とりどりの世界を、そして人の本当の温もりを知るのは
それからほんの少しだけ、後のこと――。
END
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