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<東京怪談ノベル(シングル)>


生還者の門

 ヘルズゲートの前に立つレイカ・久遠に、ゲートキーパーが三度目の言葉を繰り返す。
「あんたが腕ッ利きのマスタースレイブ乗りってェのは、その機体見りゃわかるよ。
俺も長い事門番やってるしな。
けどよ、一人で向こう側に乗り込もうってのは、随分と無茶じゃねぇのかい?」
 初老のゲートキーパーの言葉を受け止めながら、レイカは乗り込んだ愛機・リッパーのチェックを続けていた。
 バッテリー、センサーとモニター、駆動部の反応レスポンス。
 ……オールグリーン。問題なし。
「誰にでもそうやって忠告しているの?」
 口元にわずかに微笑を浮かべ、レイカはゲートキーパーに言った。
 長い戦争と混乱の果てに起こった『審判の日』以後も、ブラジルにはまだ彼のようなお人好しが生きている。
 地獄に一番近い、この場所でも。
 全く見知らぬ相手でも、気遣ってくれる存在は嬉しいものだ。
 だが、レイカには一人でもセフィロトを目指す理由がある。
「片っ端から言ってるさ。戻って来た奴ァほとんどいねえけどよ」
 ゲートキーパーが苦々しく呟いた。
 そのうちの一人に、私の父も含まれてるのね。
 行方不明の父を見つける為にレイカはこの地までやってきたのだ。
「忠告は感謝するわ。でも、行かせて」
 ゲートキーパーはレイカに戻る意志が無いとわかると、ヘルズゲートを開けるよう指示を出した。
 重い門扉が警告音と共にスライドしていく。
 ヘルズゲートの向こうには、瓦礫の重なる廃墟が広がっていた。
「気ィ付けてな」
「ええ」
 赤のマスタースレイブ・リッパーをゲートの先に通し、再び無慈悲な煉獄の門が閉じていく。
 警告音が止むと、レイカは決意と共にリッパーを前進させた。
 ビジター――『訪問者』で終るつもりはない。
 必ず、私は生還者になってみせるわ。


 第一階層は元々居住区として整備されたエリアだ。
 しかし、セフィロト内部にはタクトニムと呼ばれる存在が跋扈し、この地を住む者のいない廃墟へと変えている。
 レイカは外壁の円周に沿って居住区、オフィス街へと順に探索していった。
 今までのビジターたちがもたらした情報によると、ショッピングセンターや病院、警察署などもあるらしい。
 比較的死角の少ないオフィス街とはいえ、油断はできない。
 張り詰めた神経がトリガーにかけた指の関節を強張らせ、白く浮き上がらせている。
 それに気が付いて、レイカは大きく息を吸い、吐いた。
 緊張してるわ。
 以前ヘルズゲートをくぐった時にはすぐ傍に仲間がいた。
 背中を任せられる安堵感はレイカの胸を温めたが、今一人でここに来た事をレイカは後悔しない。
「大切な相手だから、巻き込みたくないのよ……」
 レイカは思いを言葉に出して俯いた瞳を上げた。
 お父さんもそう思って、一人で消えてしまったのかしらね。 
 レイカは機裁カメラの視界範囲を広げ、視野に映るビルの上部をズームアップする。
頭をめぐらすのと同じ動きをリッパーはトレースしていく。
 どこかに上層区画へ移動できるエレベーターがあるはず……それをまず見つけなければ。
 一箇所、ビルの上部がそのまま天井部に接合した場所があった。
 あれかしら。
 リッパーをビルの前まで進めると、砕かれてガラスの無くなった自動ドアが律儀に開く。
 電力はこのビルにも供給されているようだ。
 まだ機能している照明が所々はがれた床をまだらに照らし出している。
 フロアにはかつて観葉植物の入っていた鉢が配置されているが、それを定期的に世話する人間もいなく、全て枯れてしまっていた。
 人の……タクトニムの気配もないわね。
 無人の受付ブースを横切り、レイカはエントランスホール正面にあるエレベーターの前に立った。
 ボタンを試しに押してみると、すぐに昇降機が降りてくる。
 一歩足を踏み出して、レイカはとどまった。
 オフィスビルにある人間用エレベーターでは、もしかしたらマスタースレイブの重量を支え切れないかもしれない。
 高層階へ昇る途中で床が抜けるエレベーターを想像するとぞっとする。
 一番上の表示階を確かめて、レイカは階段を上る事にした。
 リッパーの移動する音だけが吹き抜けになった階段に響く。
 こんなに広い建物の中で、動いているのは私だけ、か。
 階段が突き当りまで来てしまったので、レイカはオフィスフロアへと戻った。
 エントランスホールのエレベーターが運ぶ階はここまでで、それ以上の階へは隣のエレベーターに乗り換えるようだ。
 エレベーターで行くのは無理ね……リッパーを降りて上る訳にはいかないし。
 上の階への階段を探そうと廊下を進むレイカの耳に、けたたましい警告音と人工的なアナウンスが流れた。
『当社では社員IDカードをお持ちでない方の、これより先への通行を許可していません。
お手数ですが、来客の皆様には再度一階受付にて手続き下さるようお願い致します。
繰り返します……』
 リッパーを後退させると警告音も止まり、レイカはほっと息をついた。
「セキュリティも生きてるのね」
 これ以上前へ進むにはセキュリティを破るツールが必要になってくる。
 一時的に電力を遮断して、その間に通り抜けられないかしら?
 どちらにしても、独力では限界のある事だ。
 と、考えあぐねているレイカの身体を衝撃が襲った。
 二度、三度とレイカの背中を揺さぶるように、背後から何かが装甲に打撃を与え続けている。
「な、何!?」
 機載カメラを背面に切り替えると、ケイブマンが背中の装甲に張り付いていた。
 それも一体ではない。
 リッパーのモニターは、開け放たれたオフィスのドアから次々と現われるケイブマンを映し出した。
 セキュリティの警告音に得物が現われた事を知ったのだろう。
 筋肉組織がむき出しになったような身体は、元になった遺伝子が何なのか判別できないほど醜く膨れ上がっている。
 ケイブマンは知能こそ低いものの、素早い動きと並外れた筋力を持っている。
 マスタースレイブの装甲でも軽々と引き裂いてしまうのだ。
 人間で言えば口にあたる部分から体液を流しながら、得物――リッパーを追い詰めようとケイブマンが迫っている。
「……くっ!!」
 長いリッパーのアームでケイブマンをなぎ払ったが、数が多すぎる。
 一旦階段まで引き、踊り場に飛び降りながらリッパーは追いすがるケイブマンを高周波クローで切り裂いていった。
 滴るケイブマンの体液が赤く階段を流れていく中、格段に動きの早いものが尚もリッパーを追う。
 バラバラにリッパーを襲っていた彼らの動きが、そのケイブマンの出現と同時に統制の取れた動きへと変わった。
 こいつを何とかしないと……っ!!
 焦るレイカを更に衝撃が襲い、リッパーはケイブマンのボスを乗せたまま階段の隙間を落ちる。
 リッパーはエントランスホールの床に叩きつけられたが、身体に走る痛みでレイカは意識飛ばさずに済んだ。
「う、うぅ……」
 が、それはモニター越しに馬乗りになるケイブマンのボスを直視する結果となる。
 ケイブマンがリッパー頭部の装甲を剥がそうと爪をかける音が、ギシッと直接レイカの耳にも届く。
「……こ、のっ!!」
 とっさにランスシューターを打ち込みボスを壁に吹き飛ばすが、生き残ったケイブマンが階段から溢れ出てくる。
 終わりの無いケイブマンとの戦闘にレイカの緊張はピークに達していた。
 そのままではがちがちと鳴ってしまう歯を押さえるために噛んだ、唇の痛みもわからない程に。
 ワイヤーカッターで一気に決着をつけようにも、ビル内部で不用意に展開すれば建物自体崩れかねない。
 荒い息遣いの中、リッパーの高周波クローを振るうレイカはその威力が落ちている事に気付いた。
 アームの損傷で……高周波の出力が低下しているんだわ……。
 損傷はアームだけではなく、階段から落下した衝撃で脚部の動きも遅くなっている。
「これじゃ、ヘルズゲートにも戻れない……」
 機能低下の警告がモニターにどんどん重なって表示される。 
 誰にも知られず、ひっそりと、ここで私はケイブマンに嬲り殺されてしまうの?
 足を引きずりながらビルの外へとリッパーは倒れ、朦朧とした意識で振るったアームが一体のケイブマンを肉塊に変えると同時に、全ての動作機能は停止した。
 たった一つ残った前方モニターの視界に、動く物は映っていない。
「……助かったの?」
 自分の鼓動と呼吸を静めていると、今更に折れた骨の痛みがよみがえる。
 仰向けになったリッパーから見えるのは、ビルの合間からのぞくセフィロトの天井部だ。
 一人でセフィロトに挑むには、まだ私では無理だったのかしら。
 レイカが途切れがちな意識でそう思っていると、突然モニターが暗転した。
「なっ……あ、ああぁっ!!」
 続いて機体が激しく揺さぶられ、レイカは痛みと驚愕に叫ぶ。
 モニターに大写しになったのは、胸に何本もランスを突き刺したケイブマンの姿だった。
 強い再生能力で筋肉を復元し、ランスを引き抜いてリッパーを追ってきたのだ。
 マスターアームを動かしても、当然機能停止したリッパーのスレイブアームは全く反応しない。
「あぁ……」
 緊急時にマスタースレイブから強制脱出するレバーを引くが、これも反応しない。
 戦闘で搭乗者排出先の装甲が歪んでしまったのだ。
 その間にもケイブマンはリッパーの装甲を剥ぎ取り、モニターはその経過を正確に映し出し続ける。
「やめ……来ないで……っ!!」
 ブツッ、とモニターの画像表示が消えた。
 頭部の装甲に亀裂が入り、そこからケイブマンの顔がのぞく。
「あぁ、や……いや、やめて……」
 懇願する人間の声など理解するはずも無く、ケイブマンはむき出しになった操縦席で身動きの取れないレイカの上にかがみ込んだ。
 ケイブマンの再生した筋肉組織から体液が滴り、恐怖に目を見開いたままのレイカの頬を強い酸で焼いた。
「……いや! いやぁぁ!!」
 ケイブマンの腕がレイカの喉にかかる瞬間、横から飛んできた何かが腕を絡め取り後方へと投げた。
 牽引フックをしならせたマスタースレイブがレイカの前に現われた。
「しっかりして!」
 マスタースレイブから搭乗者が降り立つ。
 通りに投げられたケイブマンは、もう一体のマスタースレイブが高周波ブレードで首を掻き切って仕留めた。
『そいつ、生きてるのか?』
 マスタースレイブごしに、娘とリッパーの中で放心しているレイカに男の声が投げられた。
「生きてるわよ!」
 そう答えながらも、娘の前にいるレイカの表情は虚ろで、言葉にならない呟きを繰り返している。
 娘を見ても、何の反応も返さない。
「生きてるわ……」
 門をくぐって地獄に行くのは、心臓が止まった時だけ。
 生きている者は、門の外に出られる。
「ゲートに、戻りましょう」
「おい、まだ帰還予定の半分もこなしてないうちにか?」
 文句を言いながらも男はマスタースレイブから降り、リッパーからレイカを取り上げる娘を手伝った。
 されるがまま、だらりと力無く伸びるレイカの身体を見て、男も眉をひそめる。
「……仕方ねえな」
 応急処置を施すためスーツを開かれるレイカから目を逸らし、男はマスタースレイブに再び乗り込んだ。
 リッパーの傍に横たわり処置を受けるレイカの瞳は、大破した愛機を映し出してもやはり何の反応も無く、虚ろなままだった。

(終)