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<東京怪談ノベル(シングル)>


鬼哭

 しおれた向日葵のように細く頼りなく案山子は風に揺らされている。
 二本の案山子は風にその身を捩って今にも崩れ落ちそうだった。
 見上げれば蒼穹。それは何処までも高く、どことなくくすんだ色合いを持つこの場所に光を投げかける太陽は眩しく美しい夏を演出している。その日差しの下でその案山子だけが黒く不気味な影を落とす。
 誰にも振り向いてもらえずに捨てられた廃村に相応しいオブジェだが、趣味が良いと言える代物ではなかった。
 それは奇妙な一人劇のように酷く滑稽だ。
 美しいキャンバスに見るに耐えない死を塗りこめたような、見た者に嫌悪感を喚起させる一枚の絵と言えばいいのかもしれない。
 遠くでキイッっと子鬼の悲鳴のような音が聞こえる。ブランコの音だ。このような場所では一番似合う音。
「……姉さん……」
 違う音が聞こえた。
 うめくように吐き出されたその音は体の中で響き、己が鼓膜を振るわせる。自分の声だ。獣のようなくぐもった音の中に潜む意思だけがそれを声だと教えている。
「姉さん……」
 溜息ともつかぬ声で呟けば、支える力を失った脚も心も折れ曲がり、地面に膝をついた。地図付きの手紙を握り締め、伊達剣人は畑の中の人間案山子をもう一度見上げた。
 いずれダムの底に沈む村の畑に耐え切れないほどの腐臭が漂う。
 抜け落ちた髪が地面に落ち、時折赤いものが雑草の中に見え隠れしている。それが一体何なのか、確かめるように視線を彷徨わせてみるが、一向に思考は纏まらない。もしかしたら拒絶しているのかもしれないが、そんな言葉すら剣人には浮かばなかった。
 いつも幸せそうに笑っている優しかった姉達の眼差しは、落ち窪んだどす黒い眼窩に変わっている。優しい手で紅茶を振舞ってくれた女性らしい白かった肌は更に見る影も無かった。
 まるで青い空を飲み込もうとするかのように顎を開け、虚ろに口だったものは太陽にその姿を晒している。
 二人の姉で出来た案山子はまるで十字架のようだ。
 間に合わなかった剣人を断罪するかのように存在する。嘆きの十字架。
 どんなに探しても、金を使っても見つからなかった焦燥の日々も、努力が足りなかっただろうと声無き声が剣人を責め苛む。
 これがお前の姉なのだ。これがお前の幸せの終着路なのだ。これがお前の罪なのだ。お前は異端なのだ。お前は世界からはみ出しているのだ。
――俺はッ!
 剣人は拳を握った。
「……姉さん達……こんな姿に」
 握った拳を振り下ろす。
 見えぬ敵に。自分に。
――オズめぇぇ!!!
 鬼が吼えた。
 遠き敵に威嚇するように、死を宣言するように、廃村の獣は叫ぶ。
 剣の名を持った獣は激情をその拳に託し炎を帯びた刀を生み出した。深紅の炎が揺らめいて蜃気楼を作る。その先に案山子が揺れていた。
 消してくれと、開放してくれと手招いている。
 揺らぐ夏の空に手を伸ばして弟を呼ぶ。責め苦から解き放ち私達の魂を開放してくれと。烈火の夏に焼かれて果てたいのだと懇願する。
 生まれたときから愛に満ち、去るときには奪われる。そのような人生であっても人として死にたい。人間の形を奪われ、黒き十字架になろうとも、膝屈し地に倒れるその時には人として消えたいのだと訴えかける。
 ほら、彼らがやってきた。
 もう何も無い私たちから搾取するために、黒い羽根を持った獰猛な生き物が私たちを啄ばみに来る。
 遠く鴉が昼食時だと鳴き交わしている呪わしい声に、剣人は更に怒りが沸いてきた。何羽もの鴉は食卓に現れた人間と言う名の獣を睥睨し、早く去れよと言っているかのようだ。
――誰がくれてやるかッ!!
 拳を開いて刀を握れば、剣人は立ち上り案山子に向かって走り出す。獣の脚は大地を踏みしめ、それに近づいていった。
 炎の刀を振い、かつて姉だった案山子を灰も残らず焼き尽くす。
 めちゃくちゃだった。おおよそ剣人を知る人間なら、狂ったかと思うほどにめちゃくちゃだった。その形をしているモノに手を上げるなぞ、正気の沙汰ではない。
 振るった刀をもって疲れを感じるまで振るう。早く燃やしてしまいたかった。燃やしてこの責め苦に満ちた人生を終わらせてやりたかった。
 剣人は叫んでいた。
 何もかもがわからなくなるぐらい叫ばなければ、自分のしていることに気が付いてしまう。
 これは姉じゃないと思いたい心と、これは死んでも人間なのにと思う心が相反して逆流している。
「あああああああああああッ!!!!!!」
 鬼哭が村を満たした。
「……オズ……オズめぇッ!」
 止まらない呪いの言葉を剣人が紡ぐ。
「ちくしょう!! 姉さん!!」
 燃え盛る十字架を見上げ、涙も忘れて剣人は叫んだ。
――……必ず滅ぼしてやるっ!!
 怨嗟を心に刻み、剣人は誓った。
 人としての権利を奪った者たちに、奪われた者がどんなに恐ろしい敵になるのかを知らせてやろう。まだ若い女性の幸せな時間を踏みにじった罪がどんなに重いのか、オズと言う組織の隅々まで行き渡らせ叩きこんでやる。
 剣人が怒りに任せて燃やしたそれは一瞬別れを告げるように燃え盛り、煙を巻き上げて虚ろな魂と共に自由な空に飛翔していった。
 蛋白質の焦げた異臭は風と共に掻き消える。
 全てを白く染める闇の中、剣人は滲む空を見ていた。


 時は過ぎ、剣人はブラジルに降り立った。
 軌道エレベーター「セフィロト」と人は呼ぶ。
 赤い大地にそそり立つ超高層建造物の前で、いかにも情報屋と思えるようないでたちをした男――つまりマフィアにしか見えない男なのだが、そいつときっちりとスーツを着こなしたイーストアジア系の男がそれを見上げていた。
「あんたの探してる愉快な空っぽ頭ども(エアヘッダー)はこの中らしいぜ」
 情報屋は卑下た笑いを浮かべる。
 富がうなっているような塔の中にオズがアジトを築くのは、ある意味当然とも言えた。
「ろくな情報じゃねえな……」
「ここから先はあんた一人で行ってくれよ。母ちゃんが煩くてかなわねぇ。やれ、ベビー服は買って来い。庭の掃除はしろ。今朝なんか『働いてるのはあたしだけよ』ときたもんだ。セフィロトん中入ったとなったら離婚を言い渡されちまう」
「おいおい。子沢山で金がいるんじゃないのか?」
「馬鹿言うんじゃねーよ、ジャップ! ひゃーっはっはァ! 死んじまったらイミねーのよ。わかるか? 金は使うためにあるんだよ」
「金は使うためって言うのは賛同できるな」
「だろォ?」
 男はコロナビールにライムを突っ込んで呑み始め、手をぶらぶらさせて言った。
 よく飲めるなと剣人は思った。ビール瓶が茶色いのは色をつけることで光を遮断しているのだが、こいつにはそれが無い。そのビールに当たった時にできる特有の臭い『太陽臭』を楽しむ酒なのだが、楽しめるのは原産のメキシコ人ぐらいだろう。臭いをごまかすため何か入れて飲もうと考え出されたのが、メキシコの特産品でもあるライムだったが、ここブラジルでも良く飲まれるビールだ。
「あ〜、フェイジョアーダでも食いたいなぁ」
「……だったら、早く家に帰れよ」
 呆れたように剣人は言った。
「そうさせてもらうぜ。追加振込みは三日以内に頼む。家賃が出ねぇ」
「それは俺に関係ない」
「ひでぇ奴だな。そゆーわけで、俺はここでおさらばさ。元気でな、ジャップ」
 男はエコノミックアニマルニッポン・サムライハシュセンドとかなんとか言い、右手中指を立てて笑った。
「あぁ、あんたも元気でな」
 剣人は片手を上げ、ゲートに向かって歩いていった。
「……自分で調べるか」
 誰も聞かない言葉を漏らし、剣人は眉を寄せた。
 胸の奥に焼きついた十字架は消えはしない。
「姉さん仇は必ず討つ」
 どこまでも高く聳える巨大な塔は、次なる試練の十字架か。
 夏の中で揺らいだ案山子は燃え尽きた。この目の前にある巨大な案山子を燃やしつく必要があるのならそうしよう。
 巣食う虫か、魔法使いの王(オズ)か。名称はどちらでも。虹に乗った無邪気な少女は物語で充分だ。大人しい野獣はいらない。壊れたロボットもごめんだ。
 剣人は様々な思いが飛来する心を抱え、無言のままにゲートを潜った。

 ■END■