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<東京怪談ノベル(シングル)>


【嬢の日課――或る日の朝】

「さてっと、今日もいい天気になりそうだねぇ」
 丈の短い黒のノースリーブシャツとショートパンツ姿の若い女は、健康的なスラリと伸びた手足を軽く解しながら空を見上げた。まだ太陽は登ったばかりだが、雲一つ見当たりはしない。腰に左手を当て、右手は掌で陽光を遮りながら微笑む。
「よし、快調快調♪」
 カモシカのような足で地面を蹴り、少女はいつものように走り出した。
 ――門屋嬢の一日は早朝ジョギングで始まる。
 いつから習慣になったか忘れたが、なぜ毎朝走るのか理由は覚えていた。一日を健康的に始める運動でもあるが、それだけではない。
 ――喧嘩に勝ち続ける為だ。
 はあ? うら若き乙女が喧嘩ですと? 勿論、公にはしていないが、彼女には大切な事なのである。何より嬢は正義感が強い。トラブルに巻き込まれる事は先ずないが、トラブルを自ら買ってしまう事は日常茶飯事なのだ。
 ――あれはいつだっけ?
 嬢がつい何時ものように喧嘩を買ってしまった時の話だ。相手は屈強な大人十数人。手には物騒な得物さえ持っていた見るからにヤバイ連中だった。
「へんッ! 悪事は見逃しておけないタチでね。さあ、かかってきな!」
 彼女は吹き荒れる突風の如く勇猛果敢に立ち向かい、数人地面に転がした時だ。
「はぁはぁ‥‥どうしたんだい? 逃げるなら、今の内だよ」
 ――息が乱れている事に気付いたのである。
 軽く相手を全滅できるなら問題ないが、長期戦は持久力が鍵を握ると言っても過言ではない。呼吸の乱れは体力を著しく消耗させ、自分の手足が思うように動かなくなるのだ。よくボクシングや空手でスタミナ不足による敗北などと言われるが、それは強ち嘘ではない。ボクサーや格闘家がランニングを怠らないのも、持久力を身に付ける為である。
 辛くもあの時は勝ったが、かなりギリギリだった。十数人の大人が屍の如く転がる現場から嬢は離れると、直ぐ近くの原っぱで倒れて数時間眠り続ける羽目になったのである。
 ――もし、スタミナが切れていたら‥‥
 そう考えると背筋に悪寒が疾ったものだ――――。

 嬢はリズミカルにショートヘアと豊かな胸の膨らみを揺らし、呼吸が乱れる事なく走り続けていた。コースは何時も一緒だ。
「オッス、嬢さん。今朝も調子良さそうスね」
「まあね♪」
「おう、嬢ちゃ‥‥おっと、嬢や、今朝も良い揺れ具合だなぁ」
「このエロおやじ★」
「あら、おはよう。帰りは寄ってきなさい。パンをご馳走するわ」
「いつもありがとう。おばさん☆」
 新聞配達の兄ちゃんや牛乳配達のおじさん、そして朝一番早いと歌われるパン屋のおばさん達と朝の挨拶を交してゆく。続けていく内に顔馴染は増えてゆくものである。
 彼女のジョギングが半分の2.5キロを過ぎた時だ。
 突然陽光は厚い雲に遮られ、ポツリポツリと雨が降って来た。嬢は走りながら空を見上げる。
「あれ〜? 今日は雨降るんだっけ? ま、いいか」
 気にする気配はない。しかし、小雨は次第に大粒の雨と変容してゆき、瞬く間に土砂降りの雨と化した。遠くでは雷鳴する轟く有様だ。流石に雨宿りするしかないだろう。
「あっちゃー、本格的だね」
 流石に雨宿りするしかないだろう‥‥。流石に雨宿りを――――
 どうやら彼女は走り続けるようだ。
 そう、嬢は台風並みの悪天候で無い限り、中止したりしない。‥‥いや、結構激しい雨だが、きっと感覚も鈍って来たのだろう。
「うっひゃあぁ、流石にびしょ濡れだと気持ち悪いわ。いっそシャツなんか脱いじまおうか? なんてね‥‥あら?」
 一人苦笑しながらジョギングを続ける彼女が、いつものコースである外人墓地前を通った時だ。雨の中にレインコートを羽織って佇む人影を確認した。それだけなら目に止まっただけで気にもしないだろう。何故か赤い瞳が捉えて離さなかった理由は、知っている者に何となく似ていたのだ。
 ――カーキー色のレインコート‥‥。
「‥‥まさかね」
 軽く肩を竦めて彼女はおどけた。しかし、好奇心は既に鎌首を持ち上げ、嬢の胸を突つく。
 ――気になるなら近付こうよ。
 このまま帰ったらスッキリしないじゃん。
 見つかったらその時に考えよう。ほら、今だよ――――
「えぇい、ままよ!」
 嬢が心の誘惑に負けた瞬間であった。
 彼女は音を立てないよう傍へ近付く。相手は気付いていないようだ。更に接近を試みて、男の目と鼻の先まで辿り着いた。
(お墓だ‥‥)
 男の背中は洋式の墓石の前で佇んでいる。更に嬢は本人か確かめる為に、横へと周り込む。幸い気付かれていない。慎重に顔を覗かせると、端整な風貌は固まった。
(なんて哀しい目をしているの?)
 あの時に出会った男の瞳は、野獣の危うさと鋭さを湛えていた。それが、今は面影すらない。人違い?
(いったい誰のお墓なんだろう?)
 ――いけないよ! そっとして置いてやれって。
 ――ここまで来たんだ。気になるなら突貫だぜ!
 嬢が心の誘惑に二度負けた瞬間であった。
「あの‥‥」
 男は肩を僅かに震わせ、反射的に振り向く。その早さは、声を掛けた嬢が思わず後退りした程だ。男の鋭い瞳が見開かれると、軽い溜息を吐き出した。明らかに呆れたって感じの顔だ。
「‥‥誰だ? ‥‥変わった女だな、雨を浴びるのが趣味か?」
「んな訳ないでしょ! あ、ゴメンなさい‥‥会った人と似ていて‥‥」
 そう返すものの、シャツとショートパンツは水分を鱈腹含み、身体にピッタリと貼り付いた恰好は普通ではない。肩を竦めて照れ臭そうに頬を染め、嬢は詫びた。それより――――
「‥‥そのお墓は誰のだい?」
 聞きたい事をストレートに訊ねた。男の表情が僅かに影を浮かべ、彼は墓石へと顔を向ける。
「‥‥俺の親友であり、相棒だった奴が眠っている場所だ」
「親友であり‥‥相棒‥‥」
「‥‥嬢、雨を浴びるのが趣味じゃないなら、近くに屋根がある場所がある。風邪をひかれても寝覚めが悪いからな」
「寝覚めがって‥‥風邪で殺さないでくれる?」

 二人は外人墓地の見える公園のベンチに腰掛けた。
 相変わらず雨は降り続いており、二人以外誰もいない。
 男が買って来た缶コーヒーを差し出す中、嬢はシャツの裾を絞って水分を吐き出させていた。
「ありがとう♪ ん? どうかした?」
「構わんがな‥‥少しは人目を気にしたらどうだ」
 彼女のシャツは丈が短い。なるべく多く水分を絞ろうと捲り上げたものだから、男は咄嗟に視線を逸らしたのである。
「えへ★ せくしーだったかい?」
「フンッ、からかうな」
 嬢がおどけて微笑む中、男は静かに口を開く。
「俺がお前と初めて会った時‥‥」
「ん?」
「相棒に会えたような気がした‥‥」
 彼女は缶コーヒーを口に運んだまま固まった。彼はそれ以上は口を開かず、静寂だけが二人を包み込んだ。屋根を叩き付ける激しい雨音は次第に小さくなり、雫がポタリポタリと滴り落ちる。
 ――親友で相棒って‥‥女のひと? 悪いこと聞いちゃったかな‥‥。
「あ、雨、止んだ、みたい‥‥」
「そうだな。どこから走って来たか知らないが、行くなら今だぞ」
「そうだね、‥‥あんたは?」
「俺は、もう一度、会って来る」
 二人はベンチから腰をあげた。
「ゴメン‥‥邪魔しちゃったね」
「‥‥いや、気にするな」
 会話が途切れ途切れになる。互いに何か気まずい空気を感じずにいられない。
 ――余計な事を詮索した女。余計な事を口にしてしまった男。
「それじゃ、あたし行くよ。相棒さんにヨロシク言っといて! コーヒーご馳走様☆」
 嬢は背中越しに振り返り、手をあげると再び地面を蹴って駆け出した。男は低く手をあげ応え、彼女が駆けて行く後ろ姿を見つめる。
「相棒‥‥悪戯が過ぎるんじゃないか?」

 ――突然降り出した雨、そして突然の出会い‥‥
 偶然かそれとも必然なのか?
 今の二人に知る由は無かった――――


<ライターより>
 この度は2度目の発注ありがとうございました☆
 お久し振りです♪ 切磋巧実です。
 私信もありがとうございました。今回の嬢さんはいかがでしたか?
 今回は江戸っ娘全開で(?)演出させて頂きました。細かい事は気にせず、気さくに返す。人目なんか気にしてならないね! って感じです(台風並の悪天候じゃないと走り続けるそうですし(笑))。
 エピソードは若干ドラマチックに演出しております。この後、二人に更なるドラマがあるのか否かはお任せしますね。
 尚、運営側によりますと、『同じNPCを登場させることはできません。』との事で、書き直しました(涙)御了承ください。脳内補完できるよう演出しておりますが、『彼』の登場を希望される場合はPC登録して頂けますと幸いです。ツインノベルでしたら全開でフォローさせて頂きます。
 さて、今回一番悩んだのはコンセプトです。発注内容の通りに一人称で描写し続けるか否かと。非常に分かり易い発注内容でしたので、このまま一人称にしたら発注内容そのままだな、と思い、いつものパターンで描かせて頂きました。お気に召せば幸いです。
 それにしても毎日続く朝のジョギングですか。持久力を身に付ける為とはいえ、なかなか続けられませんよね? やはり台風並でなければ走ろうという心構えが習慣とさせるのかな。嬢ちゃ、‥‥さん、偉い☆
 楽しんで頂ければ幸いです。よかったら感想お聞かせ下さいね。
 それでは、また出会える事を祈って☆