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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


蘇生者の庭

 白い壁と床が照明に照らし出され、細長く続いている。
 前を歩く女性看護士の華奢な足も白いストッキングに包まれ、無骨で実用一辺倒なブーツを履いた娘はどこか居心地の悪さを感じながら歩いていた。
ブーツの音が静かな閉鎖病棟の廊下に響く。
 やっぱり、着替えて来れば良かったかな。
 羽織ったレザージャケットは使い込まれていてお世辞にも綺麗とは言えなかったし、ブーツのつま先は整備用のオイルで黒ずんだ染みができている。
 普段は気にも留めない些細な汚れだが、何もかも清潔な空間では目立って仕方ない。
 同じ年頃の娘たちに比べて服装に華やかさがないのは、自分でもわかっている。
 長い茶色の髪を三つ編みにしているのは、単純にマスタースレイブに乗り込む時邪魔だからだ。
 それでも短く切ってしまわないのは、ずっと以前に『性別がわからなくなる』と幼馴染に言われたのが、まだ心のどこかでくすぶっているからかもしれない。
 ファッションに興味が無い訳ではない。
 けれどマスタースレイブの機動を高レベルで維持し、タクトニムとの戦闘で破損した部分を修理するには、まとまった金額が必要だ。
 娘にはスポンサーがいない。家族もだ。一人身の気楽さ・身軽さはあるけれど、何かと心許ないのは確かだ。 
 ふと、目の前の看護士が立ち止まりペンを差し出す。
「お名前をどうぞ」
 ここは都市マルクトの内部、ヘルズゲートからも程近い病院。
 ナース・ステーションで来院リストに名前を記入し、娘は看護士に見舞う相手の名前を告げた。
「レイカ・久遠をお願いします」


 看護士に案内されて着いた病室は鍵のかかる個室で、窓には鉄製の格子がはめられていた。
 ベッドの中央で、レイカは四肢を拘束ベルトで固定され、浅い眠りを繰り返している。
 ドアの向こうからそれを眺め、娘は唇を噛んだ。
 レイカさん……何も感じないで、そこで眠ってる方が幸せなの?
 半ば予想はしていたが、ヘルズゲートから戻ったレイカは精神科に入院する事になった。
 レイカは初め全く無反応だった。
 娘が何度名前を呼びかけても、瞳すら動かさなかった。
 ただ生きて、呼吸を繰り返す人の形をしたもの。
 が、運び込まれた病院で子供の泣き声を耳にした途端、泣き喚いて暴れた。
 ――パパ! ママが……!!
   助けてよ! どこにいるの、パパ!?
 鎮静剤を投与されるまで、レイカは処置室からどこかへ行こうとして抵抗を続けた。
 今思えば、迷子の子供が両親を探すようなものだったのだろう。
 鎮静剤が効いて意識が眠りに落ちる瞬間、レイカは泣き腫らした瞼を閉じながら呟いていた。
 ――レイカを、置いていかないで……。
 弱々しく聞こえた涙声が、今も娘の耳に残っている。
 ドアに設けられた窓からレイカを見ていた娘に、医師らしき男が声を掛けた。
「この患者の家族かい?」
「いえ……友人、です」
 友人、という単語に娘は抵抗を感じた。
 言葉を交わしたのは数回で、娘は名前すら名乗っていない。
「ああ、身寄りはないのか。うん、きみでもいいか」
医師は手に持ったファイルで肩を叩きながら、娘を診察室の仕切りの向こうへ促した。
「状態は良くないよ」
 単刀直入に医師は言った。
「タクトニムに襲われたんだったっけ。それが彼女のトラウマを倍化させてしまったんだな。
結果、今の彼女は精神退行を起こしている」
 聞きなれない言葉を娘は反芻した。
「退行?」
 カルテをめくり、医師は娘の方を向いて言葉を続ける。
「簡単に言えば、平穏な幼い頃に心が逃げ込んでいるんだよ。
両親もいない、誰も自分を守ってくれない。そういった現実を認めたくないのさ」
 淡々と告げる医師に、娘は尋ねた。
 あの状態から、どれだけの希望がすくい上げられるのだろう。
「……元に戻りますか?」
 医師は剃り残した顎の髭をさすりながら答えた。
「難しいよ。俺は『希望を持てば必ず』なんて言わないぜ。
セフィロトで現実を見れない奴は死ぬだけだ」
 徹底したリアリスト、その一握りのビジターだけにセフィロトは天界への門を開く。
 それは娘にも痛い程わかっていた。
「トラウマってのは自分でしか克服できないもんなのさ。
まあ、そのきっかけになる物があれば、もう少し容態も良くなるんだがな……」
「そうですか」
 娘は頭を下げて診察室を出た。


 ――数日後。
 娘がレイカを訪ねると、解放病棟へと移されていた。
 施錠を必要としない患者が集められた病棟だ。
 もしかしたら、前よりも良くなったのかな。
 わずかに心を弾ませながら看護士にレイカの居場所を尋ねると、車椅子で庭に出ているという事だった。
 庭では何人かの患者がボールを使ってゲームに興じている。
 人工の芝が敷かれた庭の隅で、介護士に付き添われたレイカは上機嫌で何かの歌を口ずさんでいた。
 期待と不安がないまぜになった気持ちで、娘はレイカに声を掛けた。
「……レイカさん?」
 介護士が娘に気がつき、ついでレイカも娘に視線を合わせる。
「お姉さん、誰?」
 筋肉が落ちているとはいえ、彼女はレイカ自身だ。
多少艶が失われているが伸ばされた金髪も、病衣の上からもわかる豊満な肢体も、全てレイカだった。
 けれどそこに宿る精神は20歳のレイカではなかった。
「ここにはレイカみたいな子供がいなくて、誰も遊んでくれないの。
パパもママも、レイカを放ってどこに行ったのかなぁ」
 傍らに立つ介護士はレイカと娘に背を向けて肩を震わせていた。
 涙を堪えるのがまだ苦手なのだろう。
 レイカが娘の腕を取って無邪気に笑った。
「お姉さんでもいいよ。遊んで。ね?
友達になろう! 私、レイカ・久遠だよ。お姉さんの名前は?」
 娘は車椅子のレイカの前にひざまずき、ホスピタルグリーンの病衣からのぞく手を取った。
 そして膝の上に顔を伏せる。
「ごめんね。まだ、レイカちゃんとは……友達になれないよ……」
 一言ずつ言わなければ、しゃくり上げて泣いてしまいそうだ。
 娘は喉の奥の熱さを堪えながら、幼いレイカにゆっくりと話した。
「どうして?」
 膝頭が熱く濡れる感触を不思議に思いながら、レイカは尋ねた。
「レイカちゃんが、大人になってから……友達になりたいの」
 まだ名前だってレイカに教えていない。
 船の上で真紅のマスタースレイブを見た時に、どんな人が動かしているのかとても気にかかった。
 言葉を交わしたら、仲間としてセフィロトを一緒に上って行きたくなった。
 けれどそのレイカの精神は、幼い心をまとって現実から目を背けている。
 娘の頭上から、明るいレイカの声がかけられた。
「じゃあ、レイカ大人になるまで待ってるね。ヤクソク!」
 娘の指に小指を絡めて、レイカは屈託無く微笑んだ。
「うん。約束」
 娘は「また来るね」と言ってレイカと介護士から離れ、庭に背を向けて歩き出した。


 ――さらに数日後。
 娘は左腕を包帯で固定した姿で病院を訪れた。
 セフィロト探索中にマスタースレイブごと建物の下層に落下し、衝撃で折ってしまったのだ。
 包帯が巻かれた左腕はジャケットの袖に通さず、右腕だけを袖から出している。
 利き腕の右手には、小さな音声プレイヤーが握られていた。
 ナース・ステーションで持込審査を受けてから、娘はレイカの居場所を尋ねた。
「最近はあの木の下で、歌を歌ってる事が多いんですよ」
 看護士の指差す向こうに木を模した人工のグリーンがあり、その下にレイカが座っていた。
「あっ! お姉さん!」
 駆け出したレイカは娘の身体に飛びついて、包帯に目をやった。
 腕に走る痛みに娘が眉をしかめると、「痛かった?」と身体を離す。
「気にしないで。元気?」
 娘に髪を撫でられて、レイカは不安そうな表情を和らげた。
「うん。でもレイカはまだ大人になってないよ?」
 あらたまった口調で娘はレイカに話しかけた。
「……今日はお土産持ってきたの」
 娘はプレイヤーにポケットから取り出した一枚のクリスタルプレートを入れた。
 光を反射しながら、プレートはプレイヤーのスロットに収まった。
 雑音交じりの音声が再生される。
 つぶれた声はマスタースレイブのコクピットで録られたものらしかった。
 所々雑音がひどくて聞き取れない。


 ――おい、あまり一人で突っ込むと戻れねぇぜ?
 言い返す男の声。
 ――やっと見つけたんだぞ!?
   今更、戻れるかよ。
 雑音。
 ――あいつは絶対に俺が仕留めるからな。
 ため息と、たしなめるような声が重なる。
 ――あのタクトニムは追うなって。
   向こうはセンサーも利かないダークゾーンらしいし……。
   怪我した娘さんもそろそろ退院じゃねぇのか? 
   娘さん、あんた待ってるんじゃないのかよ。
 雑音と昂ぶった男の声。
 ――でも、今仕留め損なったら、またいつあいつを見つけられるかわからないんだ!
 続けて、何かに気付いたような明るい声。
 ――なあ、コクピットの音声って、オートで記録取られてるんだよな。
 不機嫌な男の声。
 ――ああ、それがどうしたよ。
 ――もし俺が、戻らなかったら。
 ――縁起でもねえよ馬鹿!
 間。
 雑音。
 ――聞けよ。 
   これはお前に言ってるんじゃないぜ。
 咳払いの音。
 ――ハッピーバースディ・ディア……レイカ。
   会いたいよ。
   そばで祝ってやれなくて、ごめんな。
 ――おい! 待てって!!
 雑音。

 
 プレイヤーはプレートに記録された音を全て再生してしまうと、再び沈黙した。
 探索中に見つけたマスタースレイブの残骸で、使えるパーツが無いか調べていた時に娘が見つけた音声記録だった。
 雑音をクリアにするため何度か調整したこの記録が、本当にレイカの父親の声かどうかはわからない。
 けれど現実を見直すきっかけになれば、もしかしたら――。
 レイカの頬を伝った涙が、病衣の裾に丸い染みを作る。
「パパ……パパはちゃんと覚えてた、誕生日……」
 レイカの中で止まったままの時がようやく動き出したようだった。
「ずっと、私の事忘れてたって、思って……っ!」
「レイカさん……」
 気の済むまで泣いた後、ようやくレイカは娘に方に向き直った。
 まだレイカの意識は幼いままなのだろうか。
 不安なままの娘がレイカの視線を受け止めて、小さく息を飲んだ。
「……ありがとう。パパの声を届けてくれて。
それに……私をタクトニムから助けてくれて、ありがとう」
 涙で目元と鼻先を赤くしたレイカが、娘の右手をそっと握る。
 生きているその証の温もりに、娘は胸が詰まりそうだった。
「まだ、お礼と……あなたの名前を聞いてなかったわよね?」
 手の平で目元を拭って、娘は初めてこの病院で微笑を見せた。
「私の名前ね……」

(終)