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パーティ
静かな音楽が、庭園の中を流れている。
庭園の中を咲き誇る薔薇は、淡い青とも紫とも言える風合いの、真珠のように艶やかで大きな花弁を見せている。
ただでさえこうした生花を育てるのが難しいと言われている中でもとびきりの大きさの薔薇は、セフィロトを探索中に偶然見つかった種を、その道の専門家が数年掛けて繁殖させ、見事な薔薇の園に仕立て上げたのだとか。
良く見ると接木の跡があるが、そうした切り口も見事なもので、この家が雇った『専門家』の腕のほどが見て取れた。
「そうですのよ。とっても大変でしたの。でもこうして華麗な花を再び咲かせる事が出来るのを見れて幸せですわ。ずうっと昔には、このお花も沢山咲いていたんでしょうね」
それをまるで我が手で育てたのだと言わんばかりに、上機嫌で薔薇を眺めている客に話し掛ける、この家に住む社長夫人。
「……そうですか。それは大変でしたでしょうねぇ」
にこやかな笑顔でお義理かつおざなりな言葉を返しても、そうした言葉の醸し出す雰囲気を察する事がない社長夫人は非常に喜んで、今も毎日の手入れが大変なのだとか季節によっては虫が付くのが困りものだとか、そんな事をぺらぺらとまくしたてて来る。
――ここは、セフィロトから少し離れた場所にある都市。まだ都市機能そのものが多少残っている世界で、雑多な人間が入り混じるセフィロトに比べ、この都市ははっきりと二分されていた。富裕層と労働階級層とに。
都市の７割近くをそうした富裕層の邸宅や庭園、観劇用のオペラハウス、珍しいものでは貴重な種の動物園などがあったりし、残り３割の地を、人口としては富裕層を大幅に上回る人々が、彼らの生活の基盤を働いて支えていた。
そうした、富裕層の中のひとりである社長が開いたホームパーティに、社長の取引先の人々が招待され、ゆったりとした空気を楽しみながら、量は決して多く無いが見た目よりも遥かにお金の掛かった食事や、庭園の一角を占める生演奏中のバンドなどが当たり前のようにそこにあるその場を、自分たちが居る事が当然、のような顔をして歩き回っている。
「…………」
――ふう。
社長夫人が次なる薔薇自慢を聞いてくれそうなターゲットを探して側を離れたのを待って深く溜息を付いたのは、アデリオン・シグルーン。シグルーン財閥の若きトップとあって、注目される事も多いが、本人はこうした場がとにかく苦手だった。
一通り挨拶は済ませたし、仕事を口実に帰ってしまおうか――そんな事を考えながらも帰るきっかけが掴めずにいたアデリオンに、
「お？あんた、もしかしてアデリオン？」
…あまり上流階級の人間が口にすると思えない声がかかった。その言葉に振り返ったアデリオンが、目の前で発泡ワインのグラスを手に正装している女性、シャロン・マリアーノの姿を目にして、目をまん丸にする。
「あれぇ、シャロンさんではありませんか。どうしてこんな所に？」
「それはあたしも同じだけど…ってそうか、あんたは家の繋がりがあるんだろうね。…あたしは、騙されてここに連れて来られたんだ」
不穏な事を言いつつ、すぐ側で満開の花を咲かせている薔薇の状態を確認し、くるりと後ろを振り返る。
「この花を発芽させたのはあたしたちなの。ここの家に雇われてね――本当、大変だった。種の数が少ないから、一度の失敗で全てが駄目になる可能性だってあったわけだし」
シャロンの持つ、植物育成のスキルを知った人に誘われてこの家にやって来た時から、発芽して小さな苗になるまで、ほとんど不眠不休で育成チームが仕事をし続けたのだと言う。
「一端花が咲いて、接木をして増えてしまえば後は随分楽だった。幸いな事に、外に出しても大丈夫な品種だったから、こうして庭に植えられたんだし」
数年でここまで見事に増えるとは思わなかったけどね、そう言ってシャロンが笑う。彼女自身は苗が育って最初の花が咲いた頃には接木と花の世話をする人たちに後を任せ、元の生活に戻っていたためで。
「今日は、この都市で新たにまた花を育てる仕事があるかもしれないから、正装して来いって言われて来たんだけど。まさか自分の育てた花を自慢されるとは思わなかった」
社長夫人は、シャロンの事は覚えていなかったらしい。まあいいけどね、そう言ってシャロンが悪戯っぽく笑う。
「それで、どうする？」
「どうする、とは？」
「――義理の挨拶も済ませたし。あたしは帰ろうと思うけど？って事よ。あんたはどうするの？」
見るからに退屈そうなのは、とうに見抜かれていたらしい。
ほんのちょっと苦笑して、
「私も帰ります。丁度、シャロンさんが『迎えに』来てくださったようですしね〜」
「あは。あたしをダシにしようっていうんだね。いいよ。じゃあ帰ろうか」
こうして、スーツ姿のアデリオンと裾長のドレス姿のシャロンが腕を組み、再びこちらに回ってきた女主人に、
「すみませんが、急用が出来てしまいましたので、これで失礼します〜。素敵な薔薇をありがとうございました」
組んだ腕に手を重ね、２人でにこりと笑いかけるのを、
「あらあら。まあ、それは残念ですこと。でもまた是非いらして下さいね？――では、楽しんでらして下さいな」
パーティで出会って、親密な空気を作り出した２人――そう見た社長夫人や、他の招待客が何ともいいようのない笑顔で送り出して行く。中には羨ましそうな顔をした中年男性もいたりしたが、そうやって足早に外へ出た２人が、近くのブティックまでまっすぐ歩いて行った。
店へ入ると、パーティドレスよりは余程マシな普段着をいくつか買い、頼んでその場で着替えさせて貰う。
そうしてようやく息が付けるようになった２人が、
「駄目ですね、ああいう雰囲気が苦手なんて」
「あたしはともかく、あんたが苦手じゃどうしようもないじゃないの」
ほっとした笑顔になって、どちらからともなくくすっと笑い。
「そうだ。今度ショッピングセンターに行こうと思うのですが、いかがですか？」
その笑顔のまま、アデリオンが提案した――ビジターで無い人間から見れば、まるで普通の会話。だが、その言葉の意味は当然シャロンも分かっていて、
「いいね。沢山の『お買い物』が楽しめるかな」
隠語を含ませつつ、そう言って楽しそうに笑う。
傍目には友人同士、もしくは恋人同士に見えたかもしれないそんな２人が、セフィロトを離れたこの都市でのんびりと散策を続けていた。
*****
「でもね、ひとつ残念な事があるんだよね」
――動物園で珍しい動物を見て回った後、軽い食事をした２人は帰り途上にあった。その中でぽつりと呟いた言葉に、アデリオンが不思議そうに首を傾げ、次の言葉を促す。
「あの薔薇ね、あまり手入れが良く無いんだ。抱えの庭師がいるらしいのだけど、どうも腕は信用できそうにないな」
アデリオンが見た限りでは、そんなに悪いようには見えなかったのだが、シャロンには不満がたっぷりとあるらしく、
「月に１回くらいはあの時のチームメンバーが何人か訪ねて行って手入れをしているらしいけど、それが無かったらもうとっくに枯れてるよ。…せっかくの植物なのに。あんなに元気に生きようとしているのに」
「シャロンさんたちの努力の結晶ですからね。私はそっちの方面にはまるで疎いんですが…難しいんでしょう？種を育てるのは」
「ああ、発芽自体はそんなでもないんだ。適当な水分と温度があればいいんだから。でもその後がねえ。薔薇って肥料食いなんだよ、あんな綺麗な顔をして食い意地は張っててね。だからそう言うものや、土壌の具合によって出来が全然違ってくる」
あの家の庭師ももう少しその辺に気を配ってくれればいいんだけど。
「それにしては、パーティも随分早く抜けて来てしまいましたねぇ。もう少しゆっくりしていても良かったのではないでしょうか？」
そうすれば、もっとじっくり花が見れたのに、と言うアデリオンの言葉に、シャロンがふるふると首を振って、
「駄目駄目。あの雰囲気はとてもじゃないけど馴染めない。誰もいなくて薔薇の様子だけを見て欲しいって言うなら、行ってもいいけど」
植物を育てるのが好きなだけあって、やはりあの薔薇の事は少し気になっているらしい。シャロンがそんな事を言って、でも、と言葉を続ける。
「普段の手入れには問題あるみたいだけど、仲間のメンテは信用してるから、来年もきっと咲くよ、あの薔薇」
今度またパーティに呼ばれたら――それでも行っちゃうかもしれないね、そう言ってシャロンが笑い。
「その時には、是非あんたもお呼ばれしてくれない？そうしたらまた一緒になって逃げられるし」
そんな、悪戯っぽい目でアデリオンを見詰めた。
「それは光栄ですが…既成事実が出来上がってしまいそうですねぇ」
「上流のひとならそう言う『自由恋愛』もいいんじゃないの？」
「いえいえ。僕はエンジニアですからー。たまたま生まれた家がああだっただけですからね」
にっこりと笑って、
「今度、パーティを組みましょう。私には上品な世界よりも、そちらの方がずっと性にあっています」
すっ、と手を差し出して来た。
シャロンがそんなアデリオンの言葉ににっと笑い、差し出された手に自分の手を重ねてぐっと握り、
「喜んで。楽しみにしてるよ」
…そうして、約束を交わした２人はセフィロトで別れ、それぞれの家へと帰っていく。
行きたくも無かったパーティだったが、それなりの収穫があったかな、と互いに思いつつ。
-END-
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