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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


■+ 君が作った奇跡 +■

 「やはりここは、ご連絡を差し上げていた方が、宜しいですよね」
 ふと気付いた銀髪の紳士が、小首を傾げてそう呟く。
 滑らかな銀髪と柘榴の様に赤く光る瞳を持つ、繊細な容貌の彼の名は、クレイン・ガーランド。
 数年前まで、第一線で活躍していたピアニストである。
 彼の指先が紡ぎ出す音は、人々を魅了するだけでなく、全くの別世界に時間旅行へと誘ってくれるのだと、評判であった。
 だが現在、故あって、彼の指先から生まれ出たのは、見目麗しいスイーツだ。
 『パネットーネのティラミス風ケーキ』と銘打たれたそれは、成程、彼の人が生み出すには相応しいと思える出来映えである。
 最上部にトッピングされたココアとコーヒーの粉は、それ自体が絵画を描き出し、更にそれに彩りを添えているのは、瑞々しいフルーツである。それが幾種類も芸術的に飾られ、ティラミスのクリームで化粧を施していた。その下にもティラミスクリームが敷き詰められ、最下層には名前にもあるパネットーネがどっしりとそれらを受け止めている。
 上から見ても、横から見ても、下から……はさておき、多方向から見ても、それはそれは素晴らしい出来であった。
 だがしかし。
 ここで忘れてはならないのは、この『パネットーネのティラミス風ケーキ』を作ったのが、クレインであると言うことだ。
 彼は大層個性的で、そして何より、彼は芸術家である。
 クレインは己のセンスを、これ以上なく信頼していた。でなければ、第一線で活躍することは出来なかったであろう。不安に嘖まれつつも、一つの思いを作り上げる芸術家は、自分を信じなければ、成功することなどあり得ないのだ。
 己を信じると言うことは、果てしなく羞恥を伴うことであり、更には身を焼かれるよりも苦しいことでもあるのだが、それを乗り越えてこそ自身の個性は開花する。
 何を信ずることはなくとも、ただただ、己の才能だけは、何があっても信じ続ける。
 だから。
 音楽は当然のことであり、審美眼に置いても、そうそう他人に引けを取らないと、そう信じている。
 ──そして料理の腕も。
 それは半分以上が正当な評価であることは、間違いがない。
 だが、料理のセンスと言うことに関しては、彼の作ったそれを食した幾人かが首を傾げるだろう。二度を作った場合ならともかく。
 つまりは、そう言うことだった。
 「皆さんにも、ご都合と言うものが御座いますし、お伺いしてお友達が揃わなければ、哀しいですから」
 足下で黒猫もまた、『その通り』とばかりににゃんと鳴いた。
 そう言って背後のスイーツ『達』を見て、にっこりと微笑んだ。



 『どうしよう』
 脳裏をその言葉が駆けめぐる。
 ある程度は、覚悟をしていたものの、その日がやって来ると来ないとでは、格段に気分が違うのだ。
 闇をも弾く黒髪に、伊達眼鏡の奥に覗く黒曜の瞳。清潔な白衣をさらりと着こなし、彼──リュイ・ユウは、苦悩のあまり眉間を揉んだ。
 「……。何としても、捕まえておかなければなりませんね」
 ぽつりとする決意は、実は未来に起きる、お引っ越し劇の些末な理由の一つとして挙げられるのだが、取り敢えずそのことはまだ先の話であるので脇に置く。
 愛想もクソもない己が、何故彼にだけは毒舌で返すことが出来ないのか。
 無駄な努力をする様な質ではなからだと言うことくらい、良く解っているのだが、本当にそれだけなのだろうか。
 ただ単にそれだけの話なら、都合が悪いだの何だの言って、断ることだって出来た。
 だがしかし。
 それは問題を先延ばしにしているだけに過ぎない。そう、根本的抜本的解決には結びつかないのだと、ユウは知っているのだ。
 『……そう思うことにしよう』
 それにしても、どうやって作ればあんな風な出来になるのか、ユウは可成り不思議だった。別段自分だって、シェフ並みに作れる訳ではないのだが、何とも評しがたい味にはなったことがない。美味いか不味いかこんなものだろうの内、どれかになる。
 なのに、彼の知人であり、何故か自分を毒味役認定をしている──もっとも当人は毒味と言う気持ちは更々ないだろうが──クレインの作るものと言ったら、何とも言えない微妙な出来映え。しかも、それが続くのであれば『ああ、料理が得意ではないのだな』で済むのだが、二度目からは普通に美味しく頂くことが出来、更にこちらが唸る様なものが出来上がることもあるのだ。
 「解りませんよねぇ……」
 一度作っているところを見てみたいかもしれない。
 勿論、毒味役は自分以外の方向で。
 とまれ。
 ユウがすることはただ一つ。
 「確保、です」
 何故か握っている拳が哀しい。こんなキャラではなかった筈。
 思わず眼鏡を外し、気持ちを静める為にふきふきふき。
 綺麗に輝いたレンズを見て満足げに頷くと、ユウは眼鏡をかけ直し、気持ちも新たに、踵を返した。



 「え? ご相伴だって?」
 声が弾むのは無理もない。
 もしかすると一食分浮くかも知れないのだ。
 物価の高いマルクトでは、生活費の削減にだって根性入れて頑張ってしまう。
 だから、ケヴィン・フレッチャーが、声と共に心を弾ませたとて、誰も不思議には思わないだろう。
 ポニーテールにしている艶やかな黒髪が喜びに跳ね、瑞々しい緑の瞳がやがて来る至福の時を想像して潤んできた。
 脊髄反射で『行く行く絶対行く』と返してしまうケヴィンである。
 だがしかし。
 「何かちょっと、話が上手過ぎやしないか?」
 冷静になってみて、ケヴィンは首を少し捻った。
 この話を持って来たのは、あの『陰険でケチで、意地が悪くて強突張りで、根性が曲がってて吝嗇家』のユウである。
 この評を本人に言うと心外である旨が返って来るだろうが、これはケヴィンの主観であるので無問題だ。
 「でもなぁ……。クレインさんのお誘いでもあるんだよな、確か」
 そんな風に、ユウは言っていた。
 何やら新しいスイーツを作ったから、一緒にお茶でもしましょうと誘われたらしい。以前にも、ユウはクレインの手ずから作ったそれをご相伴に預かったことがあるらしく、今度は他にも誰か、ご一緒にと言う流れになったのだと言う。
 クレインがそう言うのは、納得出来た。だが、ユウがそれを進んで受けるなどとは考え辛いのだ。
 ケヴィンの脳裏にぽこんと浮かぶ、二人の顔。
 クレインの方は優しげに微笑み、ユウの方は何処か何かを企んでいる様ににんまり笑っていた。
 更にクレインの幻が、ケヴィンに向かって美味しそうなケーキを差し出す。それに伴い、ユウの笑みも凄みを増した。
 妖しい。あまりにも妖しすぎる。
 ケヴィンは唸りつつも身悶えした。
 ここが家の中で僥倖だ。これが外にて悩ましく唸り、身悶えしていたなら、変態さんの餌食になってしまうこともあるかもしれない。いや、それ以前に、マイナス温度の視線でちくちくその身を刺されていたかもしれないが。
 「あああっ!! 考えてたってしょーがねぇ。ここはやっぱ、行っとくべきだな」
 腹をくくったケヴィンは、スリルとサスペンス味わう道のりを踏破すべく、準備を開始した。



 前回と同じく、まるで装甲車ばりの車にてユウの元へと訪れたクレインは、運転手に暫し待って貰い、その目の前にあるドアをノックした。
 待つこと数秒。
 「こんにちは」
 「こんにちは、お待ちしておりました。さあ、どうぞ」
 向こう側からユウが姿を見せ、笑みを浮かべてそう言った。クレインは軽く会釈したと同時、彼の運転手にお願いをして、車の中から荷物を運んで貰う。
 「……随分荷物が多い様ですが」
 怪訝な顔のユウが言う。すると、その声に反応したかの様に、もう一人の客が、診療所の中から顔を出した。
 「おあっ! ホント多いな」
 「おや、ケヴィンさん。……ああ、成程。貴方が、ユウさんのお友達でご一緒にお茶をする方なのですね」
 『お友達』と言う言葉に、二人揃って微妙な顔をしたのだが、クレインには何故だか解らない。とまれ、一緒に味わってくれる友人と言うのが、ケヴィンであると言うことには納得した。
 荷物の多さに不信感を持っているユウと、中身を気にしているケヴィンににっこり笑う。
 「中に運び入れても?」
 そう聞くと、ユウが『どうぞ』と道を空ける。ケヴィンも同じく中へと下がると、運転手が三往復して荷物を運び終えた。
 運転手を労い、また暫くしたら迎えに来て貰う様にお願いする。
 「お茶の方もお持ち致しました」
 「あ、俺もコーヒーの用意ならしてありますよ」
 互いにそう言い合うと、ケヴィンがよっしゃとばかりに拳を握って喜んだ。
 「全く、貴方と来たら食い気だけを持って来たと言う訳ですね」
 頭を振りつつそう言うユウに、ケヴィンはふんとばかりに切り返す。
 「食べに来ないかって誘ったの、そっちだろ」
 「まあまあ、良いじゃありませんか。ケヴィンさんのご期待に添える様なものかどうかは、自信がありませんけれど……、どうぞ」
 宥めておいて、クレインが運転手に運び入れてもらった箱の一つをテーブルに乗せ、蓋をそっと開ける。
 ケヴィンがそれを覗き込み、感嘆の声を上げるのを聞き、クレインは満足げに目を細めた。何故かユウが明後日の方向を向いているのが、気にかかったと言えば気に掛かったのだが。
 「凄いな。これ、あんたが自分で作ったのか?」
 四角くカットされたケーキは、その一つの箱の中に六つ入っている。
 トッピングである、ココアとコーヒーのラインが繋がっていることを考えると、六つのそれは、元が一つのものを分割したと解るだろう。
 「ええ、最近の趣味……なのかもしれません」
 「へぇー、そりゃ良い趣味だよな。うん」
 そう言いつつ、ケヴィンの視線はケーキから動かない。
 クスリと笑ったクレインは、何時の間にかユウが並べた皿の上に、それらをそっと盛りつけた。
 「うわ、横から見ても、綺麗じゃないか。一番下のは……スポンジだよな? それ以外はクリームとフルーツか。美味そうだな」
 繊細且つ優美なそれは、ケヴィンの視覚も満足させた様である。
 ちろとユウを見やると、静かに席に着いており、ケーキを見ては何処かほっとしている様であった。
 「こちらは『パネットーネのティラミス風ケーキ』です。出来たて……と呼んでも構いませんね」
 実は密かに自信作だ。
 「長い名前だけど、名前も何となく美味そうだよな。んじゃ、早速」
 ユウの前の席に腰を落ち着けるケヴィンを見習って、左前にユウ、右前にケヴィンを見る形で、クレインも同じく席に着いた。
 「いっただきまーーー……。何だよ、その目。あんたのあるだろ。俺の狙ってんじゃねぇよ」
 「狙ってなんかいませんよ。何処かの食い意地が張った子供じゃあるまいし」
 つーんとばかりにケヴィンから顔を背けるユウが、本気でそう言っているのを知っているのは、本人しかいまい。
 クレインの知らぬことだが、ユウはケヴィンが食べた時の反応を興味津々で見ていたのだ。
 「うるせーよ。食い意地張ってて悪かったな」
 同じくつーーんと顔を背けるケヴィンである。
 そんな二人を交互に見やり『微笑ましいですねぇ』と、クレインは心の中でのんびり考えていた。相変わらずの二人にクスリと笑い、クレインが一度座った席を立つ。
 「大丈夫ですよ。まだまだありますので、どんどん食べて下さいね」



 全く持って、可愛いげも何もあったものではない、そんな風に互いが思っていると、脇から声が掛かった。
 「大丈夫ですよ。まだまだありますので、どんどん食べて下さいね」
 クレインが運転手より運び込ませていたケースの蓋を、ぱこーんと開ける。
 そこにあったのは、『パネットーネのティラミス風ケーキ』の山だった。
 これだけあれば、甘い者が大好きな人間でも、完食するのは至難の業だ。
 「……これ、全部?」
 「はい」
 「下にあるのは、確かパネットーネだと仰ってましたよね」
 確認するユウに、ケヴィンが何だとばかり問いかける。
 これだけ全部食すと、体重が恐ろしいことになりそうだ。遙か昔、このパネットーネが愛されていた国では、十二月中、これを家族で一人当たり三キロ近く食べたのだと言う。その一ヶ月の間で、体重が平均して四キロ増となったと言う恐ろしい逸話もあるらしい。
 などなど、そんな話をこっそりと二人がしている。
 ケヴィンとユウは、互いに顔を見合わせた。
 二人の脳裏に過ぎったのは、それぞれがぷっくりではなくぶくぶく太った姿である。
 「……悪寒が」
 「キモっ」
 即座に二人の顔が背けられ、口元を押さえているのが見える。
 笑っているのではない。そのおぞましい想像に、吐き気を覚えているのだ。
 「………? どうかされましたか?」
 そんな彼らの隠れた想いを知ることのないクレインが、小首を傾げて不思議そうに問うた。
 「……えーと、俺達だけでは、やはり食べきれないかと思いますよ?」
 「ああ、俺もそう思う」
 苦肉の策を口にするユウである。更に便乗するのはケヴィンだ。
 「大丈夫です。保存しておけば何とかなりそうですよ」
 速効そう切り替えされ、ユウの脳味噌が回転した。
 「いや、やはりこう言うのは、日をおかず食べる方が美味しいかと……」
 「そうそう、日持ちするって言っても、やっぱ味とか落ちそうだし」
 ユウは、クレインが最初に作った料理全般がとっても微妙であることを知っている為、まずはケヴィンに毒味をと思っていたのだが、ここまであると自分にも完全におはちが回ってくると察して、内心は必死であった。それに、味云々は抜きにしても、流石にこれを完食するとなると太ってしまう。
 ケヴィンはケヴィンで、微妙な味については全く知らなかったし、美味しいスイーツを食べることが出来るのは有難かったが、流石にこの量は如何なものだろうと思っていたのだ。それに、いくらなんでもこんなに沢山喰うのなら、太ってしまうだろう。
 とまれ。
 取り敢えず二人して共通の思いとして、肥満体はイヤなのだ。
 だがしかし。
 「では、頑張って食べましょうね」
 天然様はお強かった。
 にっこり天使の微笑みでそう言われると、二人はどう言い返せば良いのかに困ってしまう。悪意なら、ユウとケヴィン、この二人のタッグは最強だ。だが、善意の固まりの上、天然さも加わってしまうと、毒舌と実力行使の二つは、全く持って無力であった。
 『そんなに太らせたいのか? いや、太りたいのか? あんたはっ!!』
 二人は心で叫んでいた。
 本人に向かって叫ばないのは、何となくそれをしてはいけない気がするのだ。いや、叫んでも、意味がないと思っているのかもしれないが。
 「……取り敢えず、無理はしない方向と言うことで」
 「そうですねぇ。いくらここが診療所で、ユウさんがお医者様であると言っても、食べ過ぎは身体にあまり宜しくはありませんから」
 ユウ的には、無理はしない=ケヴィンの反応を見て、食べられない時は食べないと言うことである。
 それをどう解釈したのかは知らないが、クレインは納得してくれた様だ。
 「んじゃ、改めて、いっただきまーーっす」
 ケヴィンのフォークがそれに埋もれる。
 ユウとクレイン、互いの視線が、ケヴィンの口元へと集まった。
 ティラミスクリームとフルーツがフォークへと掬われ、それが素早い動きで唇へと消えていく。
 「……………」
 「どうですか?」
 「あの、……お口に合わなかったのでしょうか」
 黙りこくったケヴィンを見て、二人はそう問いかけていた。



 何とも美味しそうなケーキを、腹を壊さない程度ではあるが、好きなだけ喰っても良いなんて、何て幸せなのだろう。先程、日持ち云々を語ったところだが、これなら持って帰って、暫くの食事代わりにしても行けそうであると、ケヴィンは思った。
 そんなことを考えつつ、とろんとしたクリームを一口、口内へとご案内。
 「……………」
 夢想の時間は、僅か数秒で終わった。
 思わず涙が出てくる。
 何やら二人が話しかけているが、そんなこと、ケヴィンにはどうでも良いことだ。
 『何でだ? 何でこんな微妙な味なんだ? これは新手のイジメかっ?!』
 それとも、自分の味覚が可笑しくなったのだろうか。
 少なくとも、ユウはともかくクレインが、自分を苛める理由がないだろうし。
 そしてこれを作ったのはクレインである。
 と、言うことは。
 『クレインさんって、料理下手なのか……?』
 勿論彼は知らない。
 一番最初に作ったものが、微妙な味にと変化することを。
 ただ、もう一つ理解したことがある。
 『あの野郎、これを知ってるから、俺を呼び出しやがったな』
 その結論に達すると、あの呼び出しが、思いっ切りすとんと納得出来た。
 ユウは敢えて、ケヴィンにこの味のことを言わなかった。そしてこの味だからこそ、自分を人身御供に差し出す腹づもりで呼んだのだ。
 別の理由を言って誤魔化さなかったことも、何故であるのかケヴィンには解る。
 確実に呼び出したかったユウである。別の理由を挙げて、ケヴィンがここへと来ないことを危惧したのだ。嘘を吐くなら、もとい、人を騙すのなら、肝心なことを一つだけ隠し、後は真実を語れば良い。
 やるなら徹底的にと言う言葉もあるが、それではクレインが来た時に、つじつまが合わなくなってしまうだろう。
 『この野郎、何時か絶対ボコってやるっ』
 固く決意するケヴィンであるが、恐らく、いやきっと、いやいや百ポイント極太ゴシック体にて描かれている絶対と言う文字が示す通り、そんな日はやって来ないだろう。
 涙を流すケヴィンを見て、クレインが感激も露わに宣った。
 「ケヴィンさん、涙を流す程、美味しいと思って下さったのですね。ありがとうございます。さあ、どんどん召し上がって下さいね」
 満面の笑みを浮かべるクレインの死角で、ユウが笑いをこらえていた。
 『ふっ……』
 それを見て、ケヴィンは心の中で笑った。
 そして。
 「美味いっ! すっげー美味いぞ! こんな美味いもん、喰ったことないって。クレインさん、天才だなっ!」
 完璧な演技である。
 ……少なくとも、ケヴィン的には。
 「ああ、良かったです」
 クレインが途端にほっとした様に、そう呟いた。ちなみに『今回は成功の様ですね』とこっそり呟いたことは、取り敢えず聞かないフリをしたケヴィンである。
 だが、ユウは簡単に騙されてはくれない様だ。
 疑り深い視線を、ケヴィンにちろーんと流している。
 そんな相手へ、これでもかとばかりに美味い美味いと連呼してやり、本気で死ぬかと思ったケヴィンだが、これで死んでは男が廃る。いや、仕返しが出来ない。
 そう思った。
 「ほら、あんたも食えよ。凄くイケるぜ?」
 そう勧めて見るも、ユウの手は止まったままだ。
 「ほらほら、折角持ってきてくれたのに」
 「……あの、ユウさん、お気に召しませんでしたか?」
 手を付けようとしないユウに向かって、クレインの穏やかな口撃が始まった。
 「いえ、あの……そう言う訳では」
 未だケヴィンの言葉を疑っているのは、その歯切れの悪い口調で解る。
 「では、ティラミス……と言いますか、甘いものがお好きでは?」
 「あんた、別に甘いもん苦手な訳ないよな。カフェオレが好きなんだしな」
 思いっ切り退路を断つ方向で、ケヴィンは更に口撃した。
 「……カフェオレでも、砂糖はあまり入れてませんよ」
 「ああ、そ。でも、これ、甘過ぎる訳もなく、苦すぎる訳もないから、丁度良いんじゃないか?」
 嘘は一ミリグラムも言ってない。
 そう言った問題ではない味なのだから。
 「ええ、もしかすると、甘いものが苦手かとも考えまして、砂糖は少なめにしております」
 ほのかに恥じらう様に言うクレインに、ユウのフォークを握る指先に力が籠もる。
 見物であった。
 ユウが困っている。
 どうやら、クレインには強く言えないと言うことを察したケヴィンは、尻馬に乗っかって食え食えとせかし始めた。
 『ざまーみろ。日頃の仕返しだ』
 へへんとばかりに笑ってやる。
 「そ、それでは……」
 ゆっくりと躊躇いがちではあるが、ユウの手が動いた。
 そして。
 「──っ」
 ユウが無表情に固まった。



 「あの……如何でしょうか?」
 恐る恐る聞くクレインだが、その顔には期待が籠もっている。
 日頃のユウであれば、鼻で笑って『貴方が召し上がれば?』と返してやるのだが、何故か出来ないでいた。
 不味いなら、素直に不味いと言えたのかもしれない。だが汚臭漂う様なものではなく、見目も香りも甚だ宜しく、更に言うと、二度と口にしたくないと思える程の不味さではないのだ。多分これは、食べたことがある人間にしか解らないだろうと言うより他、表現出来ない。
 そう、確かに、これは何時もの微妙な味である。
 ──予想通り。
 だが、先にケヴィンが『美味い』と言ってしまった後だ。下手なことを言えない。
 これなら、一口先に食べてしまって、正直に告白した方が良かったのかも知れない。
 時、既に遅し。
 そんな言葉が、ユウの脳裏にぐるぐる回る。
 どう切り抜けるか。それが現在の最大ポイントだ。
 この言い訳を考えるくらいなら、マフィアにごねられる方がマシなのかもしれない。
 「……ええ、なかなかですね」
 取り敢えずそれだけをまずは返して置く。
 クレインが見せたのは、花が綻ぶとはこのことであろうかと言う微笑みである。
 「ほっと致しました。では、お二方、遠慮なく召し上がって下さいね」
 まだまだあるからとばかり、先の箱へとちらと視線をやるクレインを見て、ユウは血の気が引きそうになった。
 見ると、ケヴィンの顔も引きつっている。
 『やっぱり、味覚が可笑しい訳ではなかったんですね』
 もしや、まさかと言う思いが、コンマ一ナノくらいは持っていたユウではあるが、この顔を見て確信した。
 『俺を填めようなど、甘過ぎますよ』
 口角が僅かに上がったのを、恐らく二人は気付いていまい。
 「そう言えば、これほどの材料を揃えるのは、大変じゃなかったですか?」
 努めて笑顔で、ユウは言う。勿論フォークは、動かないままだ。
 「簡単には集まりませんでしたけれど、趣味ですから」
 大したことはないと、クレインの顔が語っている。
 ちなみにユウは、『趣味を変えては如何ですか』と言いたかった。
 「そうですか。こう言ってはなんですが、出費もかさむでしょうねぇ」
 「さあ……。あまりそう言うことには気が付かないもので」
 小首を傾げるクレインは、本気で関知していないらしい。
 確かに、値段と財布を交互に見て、値引きを要求するクレインなど想像出来ないが。
 「あんた、何処までケチ臭いんだよ。こう言う時にする話でもないだろうが」
 呆れた様にケヴィンが口を挟んで来た。
 『かかりましたね』
 ユウが心の中でにんまり笑う。
 「おや、それなら貴方が、同じ様に材料を揃えて作ってみますか? 大変だと思いますよ」
 「悪かったな。どーせ俺はジリ貧だよ」
 ぷいと顔を背けたケヴィンに、ユウは会心の笑みを浮かべた。
 「まあ、ケヴィンさん、そうなんですか?」
 「え゛?」
 クレインの心底心配そうな声音に、ユウはほくそ笑み、ケヴィンは顔色を変える。
 「いや、別にそんなに困ってる訳じゃあ……。ただ単に、ここって物価高いなーとか思うくらいで。こんなデザートまで、手が回らないかなーってくらいで……」
 しどろもどろになっているケヴィンだが、自分で墓穴を掘っていることに気付いていない様だ。
 「そうなのですね。では、こちらのティラミス風ケーキをお気に召して頂いた様ですので、宜しければお持ち帰り下さい。デザートくらいにはなるかと思いますので。……宜しいですよね?」
 最後の部分は、ユウに向けて問われたものだ。
 「ええ、どうぞ」
 勿論のこと、ユウに否やはなかった。



 評判の良かったそれを、クレインは安堵した気持ちで口に運ぶ。
 「………?」
 思わずじっくりと、目の前の『パネットーネのティラミス風ケーキ』を見てしまった。
 更に、未だ仲良く睨めっこしているユウとケヴィンの二人をも見る。
 『私のだけ、こんな味なのでしょうか』
 そんな訳はないだろうが、クレインは思わずそう疑問を持ってしまう。何故ならこれも、先日食べたパウンドケーキと、大してレベルは変わらない気がしたからだ。
 だが、初めてのケヴィンはともかく、ユウも同じくイケると言った。
 ケヴィンだけなら、そう言う味覚なのだと納得も出来るのだが、以前に食べたことのあるユウも同じ様に言っているのだ。
 何故だろう。心境の変化であろうか。
 悪い病気にでも掛かったのだろうか。病に依っては、味覚が変わるとも言うし。
 『お医者様なのですから、それではいけませんよねぇ』
 小首を傾げつつ、クレインは美味しい紅茶を一口飲んだ。
 勿論、それ以外に手が動くことは、これから先にはもうなかった。
 いや、それより。
 『これを美味しいと言うなんて……』
 「皆さん、変わってますよねぇ」
 ぽつりと呟くクレインに、ユウとケヴィンの二人が、脱力した様に肩を落としたのであった。


Ende