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<東京怪談ノベル(シングル)>


ウェディングドレスの災難


 レポートを作成する手を止め、嬢はため息を吐いた。目の前に並べられた文字は、「極限」について書かれている。しかし、ある部分で止まったまま一向に先へと進まなかった。
 頭を抱えたまま悩んでみても、続く言葉が浮かんでは来ない。考えれば考えるだけ、より暗い海へと沈んでいくようだ。
「…………。やめた」
 諦めたように嬢はイスにもたれ、大きく伸びをする。これ以上机に座って考えてみても、何も出てはこないだろう。完全に行き詰ったレポートはとりあえず置いておいて、気分転換に出掛けるのも一つの手だ。
 そう考え、嬢は早速外出する準備にとりかかった。

 とはいっても、嬢の懐はそれほど暖かくは無い。気に入る服がいくつかあったものの購入せず、近寄ってくる店員に苦笑いをしていた。なるべく店員と視線が合わさないように動かした先にいた女性が、じっと嬢を見つめる。
「あれ、もしかして嬢?」
 彼女は正確に嬢の名前を呼び、近寄ってきた。顔は喜びいっぱいの表情をしている。
「……え?」
「私よ、わたし!」
 戸惑う嬢を覗き込み、彼女はにこっと笑った。見覚えのあるその笑顔は、大学の友人の面影と重なっていく。普段の白衣姿の友人の私服には見慣れておらず、気付かなかったのだ。
「あぁ!」
 思わず声をあげた嬢に、友人は嬉しそうに抱きついた。
「ラッキー、ここで会ったが三年目、一緒に来てもらうわよー!」
 抱きつかれた、というよりは拉致られたというのに近い格好で、嬢は友人に引きづられる。強引な彼女の行動には慣れていたので、苦笑しながらも友人のペースに合わせて歩き出した。
「どこに行くつもりなの?」
「この先のブティックで秋のブライダルフェアをやってるの。一人じゃ行きにくいから一緒に行きましょうよ」
 嬢の質問に友人は上機嫌で興奮気味に答える。よほど嬢を見つけて嬉しかったらしい。しかし、気になる言葉に嬢は眉をひそめた。
「でもあんた、結婚するの?」
「今後の参考に決まってるじゃなーい! ね、行こう?」
 首を振って友人は答え、それから嬢を見上げる。
「……ま、いいけど」
「よっし、決まり!」
 可愛らしくおねだりされたら、人を放っておけない性質の嬢が断れるはずがなかった。そこを上手く利用されてる気もしなくもなかったが、少しだけブライダルフェアが気になったこともあり了承する。了承した時の友人の嬉しそうな顔が、嬉しかったのも大きな要因だ。
 腕を掴まれたまま、友人に連れて行かれたのは大通りをしばらく歩いた先にある、嬢の予想より大きなブティックだった。店の外からでも、真っ白なウェディングドレスが覗いている。華があるのに、ごてごてと飾りがついているわけでもない。そのドレスは上品な美しさを持ち、嬢を惹きつけた。
「いらっしゃいませ」
 中に入ると、店内はほどよく涼しい。落ち着いた雰囲気の女の定員が、微笑を浮かべながら二人に近づいてきた。
「今、ウェディングドレスの試着が出来るんですよね?」
「はい、当店の目玉企画となっております」
「試着させてください!」
 早速と言わんばかりに友人は店員に試着を申し出る。店員は、はしゃぎすぎな感がある明らかに買う気の無さそうな友人にも、迷惑そうな表情一つしなかった。流石プロだと嬢は妙なところで感心する。
「えぇ、もちろん。それではお二方ともこちらへどうぞ」
「……あたしも着るの?」
「あったりまえじゃなーい! さっ、着替えるわよ」
 てっきり友人だけが着るのだと思っていた嬢は、予想外の言葉に目を丸くした。しかし、断る隙を与えず、彼女は嬢の背中を試着室の方へと押す。流されるまま友人によって試着室に閉じ込められた嬢にしばらくたって渡されたのは、先ほどまで展示されていたドレスだ。
「あれ、これって展示品じゃ?」
「えぇ。でも今大きいサイズのものがこれしかなくて……、もし気に入らなかったら申し訳ないのですが」
 試着室の外ではドレスを選ぶ友人の明るい声が聞こえる。元々着たいドレスが有ったわけでもなかったので、嬢はむしろ有りがたくそのドレスを受け取った。
 展示品といっても、そのウェディングドレスはどこまでも白く柔らかい。しばらくその感触を味わった後に、服を脱ぎ始めた。

「着替えた?」
 ウェディングドレスを選んでいたと思っていた友人は、先に着替え終わったらしく嬢の試着室に向かって話し掛けてきた。
「ちょっと待って、まだファスナーが……」
 慣れないドレスに手こずり、嬢の着替えはなかなか終わらない。
「私が閉めてあげよっか?」
「あぁ、ありが」
 背のファスナーと格闘する嬢への有難い申し入れへ、礼を言い終わる前にカーテンが開けられた。驚いて振り返った嬢を、友人の驚いた顔が出迎える。
「やだ、嬢……」
「え?」
「すっごい似合ってる」
「そう、かなぁ……似合ってない気がするんだけど……」
 真剣な眼差しの友人の褒め言葉に、困ったように鏡に写る己の姿を見た。鏡の向こうには、慣れない格好に戸惑った表情をしている、嬢が写っている。似合っている似合っていないを判断するよりも先に、照れてなかなか直視出来なかった。
 友人によって試着室から引っの張り出された嬢の向こうに、チーフらしき男性と二人を出迎えた女性店員が話している。女性が男性に向かってなにやら報告しているようだった。
「モデルが来られない!?」
 思ったよりも大きく響いた声が、店内の視線を集める。男もそれに気付いたのか、慌てて咳払いをした。
「はい、仕事が押しているようで今日中には来られないそうです」
「困ったな、今日しか時間が取れないというのに……」
 先ほどよりも声をひそめていたが、嬢と友人のいる位置でははっきり聞こえている。
「なんか、大変そうねー」
「それより、ファスナーを閉めて欲しいんだけど」
「あ、ごめんごめん」
 同情するように呟いた彼女を嬢は突っついた。試着室から連れ出されたのはいいが、嬢の背中はまだドレスで覆われていない。脱げないように布を押さえながら、友人を恨めしそうに見上げると、彼女は慌てて後ろに回り嬢のファスナーを閉めた。
「そこの貴方!」
 突然の大声に、嬢は驚いて顔をあげる。先ほど話していた男の店員が、嬢を怖いほど真剣に見ていた。思わず辺りを見回すが、友人は嬢の後ろにおり他に該当する人物はいない。
 思わず自身を指差して無言であたし?と確認すると、男は大きく頷いた。
「そう、そこでウェディングドレスを着ている貴方!この後のご予定は?」
「特に無いですけど……」
「実は今日、広告用の写真を撮る予定だったんです。だけどモデルが来られそうになくて……。突然のお話で申し訳ないのですが、代わりにモデルになってもらえないでしょうか?」
 本当に突然の話に、嬢は友人と顔を見合わせる。
「あたしが、ですか?」
「お客様を見た瞬間この人だと感じました。よろしくお願いします」
「はぁ……」
 自分より年上の男が、深々と頭を下げるのを見て、助けを求めるように友人に視線を移した。代わりに断ってくれないかな、という淡い期待を裏切って、彼女は嬢に向かって笑顔で親指を立てる。
「やりなよ、すっごい似合ってるから。このまま脱いだら勿体無いわっ」
「お願いしますっ」
 必死な店員と、友人の視線に耐え切れず嬢はため息を吐いた。
「……分りました、そこまで言うのなら……」
「有難うございます!」
「やったぁ」
 なぜだか友人が誰よりも一番喜び、嬢に抱きつく。しかし、ウェディングドレスを汚してはいけないと思ったのか、すぐに離れてえへへと笑った。

 あれよあれよという間に撮影用のメイクを施され、店の置くのスタジオまで連れて行かれる。あまりの展開の唐突さについていけていない嬢をお構いなしに、話はどんどん進んでいった。集まる視線の多さに、どれだけカメラマンに笑えといわれても、嬢の顔は引きつっていく。
「嬢、もっと笑わなきゃ駄目よ〜」
「こう?」
 ぎこちない嬢の笑顔に見かねた友人が、遠くから見本を見せてくれる。完璧な笑顔に、思わず変わってほしいという言葉を飲み込んだ。
「もっと自然に」
「難しいなぁ」
「うーんと、こう花がふわふわ〜っていうかひらひら〜って感じよ」
 ふわふわ〜ひらひら〜という言葉に合わせて、友人が手で花を表し、ふわふわひらひらさせた。
「わっかんないよ、その表現」
 必死になって自然な笑顔を表そうとする友人の行動が面白く、思わず嬢の顔から笑みが零れる。その瞬間、カメラマンの男が興奮気味にシャッターを押した。フラッシュの光に驚いた嬢に向かって、カメラマンがにこりと笑う。
「今の顔!」
「え?」
「今の顔良かったですよー。いやぁ、撮りがいのある人で、俺も嬉しいです」
「はぁ……」
 好青年そうなカメラマンの言葉に苦笑いをすると、スマイルスマイルという返事が返ってきた。

 長々と感じられた撮影終了は無事終了し、嬢は疲れと共にはーっと肩を落とす。店員は何度も何度も頭を下げ、謝礼として二万円分の商品券を嬢に手渡した。
「……疲れた」
 一生分の笑顔を使い果たしたような気分である。ソファで休んでいる嬢の肩を、友人が励ますように叩いた。
「お疲れ様。でも凄く素敵だったわよ」
「でももう次は頼まれてもやりたくない」
「いいじゃないお礼に商品券貰えたわけだし、それに嬢のウエディングドレス姿、みんなに見てもらいたいし」
「……そういえば、公告にするっていってたっけ、あれ」
「うん! 出来たら私も貰う予定なの」
「…………」
 手で頭を抱え、嬢は今更ながら後悔し始める。自分のウェディングドレス姿の写真が、この辺りで配られるのだ。想像した先の未来派、あまり明るくないだろう。
「そんな顔しないでよ。気晴らしに次の店行こーう!」
「まだ行くの?」
 疲れた顔をしている嬢の腕を取り、まだまだ元気の有り余っている様子の友人は再び歩き出す。帰ったら「極限」についてのレポートが進みそうな予感がした。