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第一話 リッパー・ザ・ブーステッド、再起動。
ビジターズ・ギルドに併設されたマスタースレイブ用の訓練スペースでは、その日二機が戦っていた。
訓練スペースは新しく手に入れたマスタースレイブの動きを確かめたり、仲間やその場に居合わせた者と模擬戦を行ったりと、ギルドに所属しているのならば誰でも利用できる場所として解放されている。
二機から少し離れた場所には大型トレーラーが停車している。
車両自体がこの地域では珍しいのだが、このトレーラーは持ち主である娘がセフィロトから回収した大型キャリアに手を加えたものだった。
シャッターをスライドさせた後部カーゴ部分の奥にはマスタースレイブが一機収納されており、更に目を凝らせば整備用の設備も載せられているのがわかる。
華奢な身体をダークグリーンのカーゴパンツとTシャツに包み、茶色の髪を三つ編みにした娘――トレーラーの持ち主、ジュリア・クロフォードはカーゴに背をもたれさせ、双眼鏡から二機の戦いを目で追っていた。
頬にそばかすをのせた顔立ちはあどけなさも残っていたが、今二機に向けられる視線は厳しく、17歳という年齢よりも大人びて見えた。
今回は模擬戦の為、火器は使用せず二機とも近接格闘用のブレードと高周波クローで戦っている。
いわゆる組み手に近い戦いだ。
一機はステルヴにも似た高機動機体で、素早い動きで巧みに相手の隙を突いてブレードで攻撃している。
濃灰色と黒にまとめられたカラーリングが一見地味な機体だが、動き自体に無駄が無い。
マスタースレイブに付けられた個人所有識別用の名前は『沙門/シャモン』。
『努める人』を意味する仏教用語で、バラモンの行なう祭式に頼らず、解脱を求めて個人的修行に努めた人を指す言葉だ。
――自ら道を開き歩む者。
パイロットはフォルカー・シュトライヒ。
マスタースレイブの操縦はすでに二十年以上というベテランだが、特にセフィロト探索に大きな目的は無く、非合法のマスタースレイブ同士の懸け試合や他のビジターの護衛で日銭を稼いでいる。
ジュリアとフォルカーはとある懸け試合を通じて知り合った。
その後フォルカーはジュリアと共にセフィロトの探索に向かったのだが、結局の所フォルカーには何の利益ももたらさなかった。
それでも都合が合えば時たまジュリアの探索に付き合っているのは、彼自身が無精髭と下にお人よしの素顔を持っているからなのだろう。
「おい、そろそろ休憩しないか?」
フォルカーが通信回線を開いて相手マスタースレイブに話しかけるのだが、いっこうに高周波クローでの攻撃をやめない。
訓練スペースで戦うもう一機――真紅と漆黒の鮮やかなカラーリングが目を引く機体は『リッパー』。
『切り裂く者』の名前通り、張り出した肩に内蔵したサブアームから高周波ワイヤーを展開し、その場にいる者を何度も屠ってきたマスタースレイブだ。
しかしリッパーを知る者がいれば、そのシルエットが大きく変化している事に気付いただろう。
長いアームや大きく張り出した肩は今まで通りだが、重装甲が取り除かれ、全体に細身になっている。
セフィロト内部で大破したリッパーを再生する際、リッパーに残っていた仕様データを復元したところ、過剰とも思われる装甲が実は高すぎる機動性を御す為の負荷だった事がわかった。
リッパーのパイロット――レイカ・久遠は療養していた病院でその事を聞くと、『データ通りにリッパーを作って』と整備工に告げた。
ジュリアは細かな調整も無くリッパーの仕様を変えるのに反対したのだったが……。
本来の姿、超高機動白兵型マスタースレイブ『リッパー・ザ・ブーステッド』となったリッパーは、驚異的な動きを見せた。
パイロットのレイカ自身も付いて来れない程に。
リッパーBTは全ての反応が過敏すぎる為、逆に動作から動作に移る際タイムラグが生じてしまっていた。
重い装甲を加味した動き・反応に慣れていたレイカからすれば、リッパーBTはリッパーとは違う、全く新しい別のマスタースレイブだったのだ。
コクピットの中、フォルカーの声を耳にしながらもレイカは高周波クローを振るう腕を止められなかった。
――早く、このリッパーで動けるようにならなくては。
焦る気持ちが操縦にも出てきている事にレイカは気付いていない。
模擬戦を始めた当初はまだクローの先が沙門を捉えていたのだが、今では空を切ってばかりになっている。
ジュリアはトレーラーから通信回線を開いて、マスタースレイブ内のレイカとフォルカーに声をかけた。
「ああ、もうレイカさん止めて! ストップ!」
「ま、まだやれるわ!」
戦闘中にしてはのんびりとした声がフォルカーから発せられる。
「悪い、俺も腹が減ってきた」
沙門が素早くリッパーBTの長いアームを側面から掴み、梃子の原理を利用して投げ飛ばす。
横たわったリッパーBTの上に沙門のブレードが突きつけられ、午前中の模擬戦は終了した。
レイカたちは一旦休憩を取ろうと、マスタースレイブからトレーラーに移った。
ジュリアのトレーラーには狭いながら居住スペースが設けられている。
デスクやベッドは壁に取り付けられ、使用しない今は収納されていた。
カーゴ後部の整備スペースの方が広いくらいだ。
必要最低限の物しかない居住スペースを興味深くレイカが見ていると、後ろから低い男の声が響いた。
「ほら、少しは水分取らないとバテるぞ」
フォルカーがぶっきらぼうに差し出す手には、紙パックのドリンクが載せられている。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
ギルドの売店で買ってきたのだろうそれを戸惑いながら受け取ると、フォルカーは緑の瞳を細めて笑った。
笑うと印象が柔らかく変わる。
まだそれ程親しくは無いが、ジュリアが何となくこの男を探索のパートナーにしている理由が分かるような気がした。
フォルカーはマスタースレイブ用のスーツから既に着替えてしまい、ビジターズ・ギルドの更衣スペースでシャワーを浴びたのか、金茶色の短い髪が水滴で濡れ光っている。
「午後もやるんだろ?」
「そのつもりだけど」
ストローからレイカの喉を通るドリンクはオレンジの味がした。
食糧事情の芳しくない今、それは本物のオレンジではないのだろうが、熱くのぼせた身体を冷すのにはちょうど良かった。
「ならしっかり飯も食っとけよ?」
「残念だけど、お昼は八分目くらいで我慢してね」
ジュリアがベーコンエッグサンドとスープをトレイに載せて運んできた。
キッチンで作っていたらしい。
「おいしそうね」
「スープは温めただけだけどね。どうぞ」
ジュリアは照れたように笑ってレイカとフォルカーに椅子を勧めた。
レイカは久しぶりに、顔が見える相手が作る食事を手に取った。
療養していた病院でも食事は十分取っていたが、それは見知らぬ誰かが作ったものだった。
セフィロトで負傷したレイカを助け、『友達になりたい』と言ってくれたジュリア。
ジュリアが見舞いに訪れてくれなければ、まだレイカは虚ろな心のまま日々を過ごしていたかもしれない。
友人の作る温かな食事はすぐに皿から無くなってしまったが、レイカは食欲以外のものも満たされたように思った。
食事が終ると、ジュリアは声を改めてレイカに言った。
「ずっとモニタリングしてきたけど、正直レイカさんの動きはセフィロト探索に出かけられるレベルじゃないわ。リッパーBTに振り回されてるもの」
レイカもそれは薄々気付いていただけに、ジュリアの言葉は苦く感じられた。
「病み上がりなんだろ? まだ筋力が戻ってないんじゃないのか?」
フォルカーが弁護するように言葉を繋ぐ。
マスタースレイブは人間の動きをトレースする為、意外とパイロットは筋力を使うのだ。
「それもあるけど……はっきり言えば、リッパーの性能にレイカさんが付いていけてないのよ」
友人に厳しい言葉を告げるジュリアの表情も苦い。
「……わかってるわ」
伏せられたレイカの顔が上がり、長い金髪が揺れた。
「でも、今は少しでも早く、このリッパーを乗りこなさなきゃ」
セフィロトに向かった父の手掛かり。
それを追う為にはマスタースレイブを乗りこなして、更にセフィロトの上階を目指す必要がある。
ズズッ、という音が黙ったままの二人の緊張を解いた。
流れる沈黙を破ったのは、フォルカーがドリンクの残りを吸った音だった。
「ハイ・レスポンス機はマッチングが難しい。ここは焦っても駄目だ。
俺も沙門に慣れるまで暫くかかったし。な?」
年長者の余裕を見せて、なだめるようにフォルカーは言った。
それに感謝しながらもレイカも疑問を覚える。模擬戦が始まってからずっと気にかかっていた事だ。
「ところでフォルカー、貴方の機体はどこで?
結構カスタマイズされているようだけど、あまりこの辺では見かけない動きね」
所有マスタースレイブの性能を、仲間とはいえまわりに吹聴する者はいない。
ギルドが目を光らせているとはいえ、都市マルクトには治安の悪い面も残っている。
そのせいか歯切れの悪い言葉をフォルカーは返した。
「ん……出所はヨーロッパだけどな。俺も譲ってもらったもんだし。
きっちり動いて使えりゃいいさ」
今度はジュリアが言葉を続ける。
「フォルカーの機体はステルヴをベースに、四肢駆動系の反射速度を特に上げた『キャサリン・ホイール』のノウハウを積んでるわ。
パイロットの動きをトレース、マスタースレイブにフィードバックする際、内部システムが補正するから動作に無駄が無いの。
個人所有機で持ってる人間は一握りよ」
「キャサリン……?」
キャサリン・ホイール――回転花火の意味だ。
レイカはジュリアの言葉に更に疑問を深めた。
整備スペースを備えた大型トレーラーを所有し、マスタースレイブにも詳しいジュリアは何者なのか。
何故セフィロトに来たのか。
「レイカは北米出身か?」
「ええ」
フォルカーが眉を寄せたレイカに向き直って説明した。
「じゃ、馴染みもないかな。キャサリン・ホイールは重慶にベースを置いた兵器開発メーカーだ。
マスタースレイブから一通りの兵器開発までこなして、中東では特に軍部に幅を利かせてた。
けど、5年前に解体されたはずだ」
ジュリアは少し寂しげに笑い、「フォルカーも詳しいんだね」とため息をついた。
「まあな。あの頃雇われてマスタースレイブで戦ってた奴なら皆知ってるよ」
大規模な戦争は終結したが、まだ内紛はいたる所で起きている。
そこにマスタースレイブを投入して利を得ていたのがキャサリン・ホイールだった。
回転する花火が振りまくのは戦火だ。
そしてフォルカーもまた、かつて傭兵として戦火を振りまく一人だったのだ。
「ジュリア。お前、キャサリン・ホイールの関係者だったのか?」
ジュリアはフォルカーが買ってきたドリンクに口を付け、視線をレイカとフォルカーに向ける。
「前はね。隠すつもりはないわ。
私はキャサリン・ホイールでテストパイロットをしてたの」
それにしては年齢が若すぎるようにレイカは思った。
ジュリアは17歳と聞いていた。五年前、12歳の少女が兵器開発メーカーでパイロットをこなしていけるのだろうか。
「でも、あなた……その年齢で?」
レイカにジュリアは淡々と言葉を返した。
「子供の方がコクピットにスペースを割かないで済むからね。
小柄な方がパイロットは使えるもの」
ジュリアの大人びた表情は、大人しかいない環境で生きてきたからなのだとレイカは気が付いた。
「五年前、キャサリン・ホイールが解体された時、一人のエンジニアが南米に逃れたわ。
それが……私の探してる人よ」
ジュリアに感じた共感の答えが、レイカには一つ見えた。
目の前から姿を失ってしまった相手に、もう一度会いたいと願う気持ち。
それを抱えて孤独を押し殺し、ジュリアも南米へと渡ってきたのだ。
「セフィロトにもキャサリン・ホイールのマスタースレイブは配備予定だったから、一般人が入れない場所のパスワードも彼は知っていたの。隠れるにはうってつけね」
「そうだったの……」
ジュリアは意外とさっぱりした表情になって言った。
「いつか言わなきゃって思ってたけど、割と早くばれちゃったな。
奇麗事言うつもりは無いけど、あの頃はあそこにいるしかなかったの。二人とも、軽蔑する?」
レイカとフォルカーは同時に答えを返した。
「いいえ」
「いや」
ジュリアは小さく「ありがとう」と呟いた。
そしてレイカの瞳を正面から見据えて言った。
「これはメカニックの意見だと思って聞いて、レイカさん。
リッパーBTはリミッターになってた装甲が無くなって、本来の性能そのままで動けるようになってる。
でも、今のレイカさんが乗りこなせるようになるなんて、まだ先の事よ。
それでも使うなら……」
唇に指を当て、ジュリアは一旦言葉を切り考える。
「今から再び装甲を取り付けるより、システムの動作フィードバック部分にウェイトになるプログラムを置いて、故意に反応を少し遅らせるのが良いと思う」
「そうだな。レイカが慣れてきたらウェイトを軽くするなり、取れば良い訳だし」
リッパーに別のシステムを組み込む。
それが一時的なものであっても、母親の形見のリッパーが変わってしまうような気がする。
レイカは首を振った。
「私は嫌よ。私が早く、リッパーBTに慣れてしまえば良いだけの事じゃないの?」
「それはそうだけど……今のレイカさんの動きが実力だなんて、私も思ってない。
でも、時間をかけて、訓練だけをしていられる訳じゃないのもわかって」
都市マルクトは頑強なゲートによってタクトニムの侵入を防いでいる。
しかし、いつタクトニムたちが侵入するかも知れないのだ。
その際、稼動できるビジターズ・ギルドのメンバーは、速やかにマスタースレイブで戦わなければならない。
そうやって住民が助け合いながら生きているのが、都市マルクトの現状だ。
「そうだな……。まあとりあえず、今日は午後も模擬戦するんだろ?
ウェイト・プログラムを載せるかは、その結果を見よう」
「午後は私が出るわ」
空になったトレイを持ち上げてジュリアが言った。
「あなたと?」
思わずレイカは問いかけて、ジュリアに軽く睨まれた。
どうしても目の前の娘と、マスタースレイブを乗りこなす元兵器メーカーのテストパイロットのイメージが重ならない。
「戦ってみればわかるわよ。すぐにね」
疲労の残る身体にシャワーを浴び、ガウンだけを羽織るとレイカはベッドに倒れこんだ。
ここ数日、時間が空けばジュリアやフォルカーとマスタースレイブの模擬戦を続けている。
実の所、レイカにとってあまり芳しくない結果が続いていた。
――いけない、風邪をひいてしまう……。
ジュリアとの戦いを反芻しているうちに、レイカは瞳が重く下がっていくのを感じた。
ジュリアの機体――キャサリン・ホイールのマスタースレイブ中でも、バランスの取れた汎用機『スパークス』に手を加えた物だった。
個人所有識別用の名前は『アコラス』。
菖蒲の学名にちなんでいるらしいが、ギリシャ語の 『a(否定)+coros(装飾)』を語源とし『美しくない花』の意味もあるという。
その名前通り過剰な兵装・火器は載せず、機動性と旋回性を高めた機体だった。
シルエットは特に目立つ所が無いが、全体に施された濃い褐色のカラーリングの中、四肢駆動部に所々配されたマーカーが鮮やかな孔雀羽色を放っている。
マスタースレイブのコクピット開閉部は通常フロントに配されている物が多い。
しかしスパークス・シリーズであるアコラスは搭乗者の身体はそのまま、マスタースレイブの上半身が前傾する形で機体後部が開く。
そのため、機動性を高める為に全体が薄くなりがちな装甲を、フロント部分にも集中させる事ができていた。
機動性を高めていると言っても、ジュリアの駆るアコラスは一つ一つの動きが早い訳ではない。
むしろ一見ゆっくりなのだが、動作から次の動作に移るまでの流れに切れ目が無い。
『リッパーBTの方が基本性能は上よ。
アコラスは汎用機だから、癖が無い分特出した物も無いの。
私はできれば無駄な戦闘はしたくないから、逃げ足を早く設定してるんだけどね』
訓練を終えてそう謙遜したが、マスタースレイブのメカニックも兼ねたジュリアの動きは全てがそつなかった。
瞬間だけ見ればリッパーBTの動きが何度もアコラスを凌駕するのだが、後一歩の所で勝敗の決め手にかける。
『テストパイロットって言うけどな、あれは実戦も経験した動きだ。
標的に向かってためらう前にトリガーを引けるまでになるには、それなりに時間も経験も積んだ筈だ』
ジュリアが席を立った時、戦いを見ていたフォルカーはそう言った。
フォルカーの傭兵の経験から見ても、ジュリアの操縦能力は高いようだった。
――あれだけマスタースレイブを乗りこなせれば……ううん、私も乗りこなさなきゃ……。
リッパーを思う度に、母の思い出が重なって蘇る。
――ねぇ、ママ。ママはリッパーをどんな気持ちで動かしてたの……?
束の間温かな思い出にまどろみかけたレイカを、枕元のラジオが緊急通信で揺り起こした。
「ケイブマンが侵入した! メイン・ストリートを抜けて東部メディカル・エリアに向かってる。進路に当たるエリアの者はギルド本部に避難してくれ!」
「メディカル・エリア!?」
それはレイカも一時身を寄せた病院施設の集まった場所だった。
レイカは幸いにも虚ろだった心を取り戻し、施設を出る事ができたが――まだあそこには大勢の患者や職員が残っている。
親身になって世話をしてくれた人が、危険にさらされている。
ベッドから身体を起こすと疲労で筋肉が軋み、悲鳴を上げた。が、レイカはそれを無視してガウンを脱ぎ捨てた。
素肌の胸元には、母の形見のペンダントが光っている。
「私がリッパーに乗るのは……」
――ママと同じ、大切な人たちを守りたいからよね?
レイカは自分にそう言い聞かせ、素早くマスタースレイブ用のスーツに袖を通して部屋を出た。
ケイブマンたちの動きは一貫性がなく、偶然警備の薄い場所から迷い込んだと言ってもおかしくなかった。
しかし都市マルクトの中ではゲートの向こうよりも容易に獲物が見つかると判断したのか、人々の密集する場所へと進んできていた。
ラジオによる緊急通信の他に有線放送で避難勧告が流されたのか、メディカル・エリアに繋がるメイン・ストリートに人気は無い。
その中央を、むき出しの筋肉が醜悪なケイブマンの一団が進んでいる。
――来た。
遮るものがない通りはお互いの姿を良く見通せてしまう。
ケイブマンたちもリッパーBTの存在に気付いたようだ。
一体が跳ねるような動きをしたのが引き金となって、ケイブマンの群れはリッパーBTへと殺到した。
「……こ、のォ……ッ!」
数体のケイブマンの腕を高周波クローがなぎ払ったが、体液と共に肉塊が落ちて、リッパーBTの足元を滑らせる。
模擬戦の後はジュリアがメンテナンスをしているが、疲労したレイカの身体では思うように動かせない。
ましてや、今のリッパーをまだレイカは乗りこなせていないのだ。
高周波クローを闇雲に振り回しても、ケイブマンはすぐにその間合いを学習し、巧みに攻撃範囲を避けてくる。
じりじりとケイブマンたちに押されるように、リッパーBTは後退した。
――怖い。
モニターに映るケイブマンに、セフィロト内部での記憶がフラッシュバックする。
一際大きなケイブマンが、その腕を伸ばすのがカメラに捉えられる。
「嫌……来ないで……」
駆け足をした時のように心臓の鼓動が早くなり、レイカの唇が酸素を求めて開いた。
ずっと止まらずに動いていたリッパーBTが、アームの動きを止めて立ち尽くす。
セフィロト内部での出来事と同じように、ケイブマンが止まったリッパーの開閉ハッチに腕を伸ばしたその時。
「動いてレイカさん! リッパーBTを動かすのは、レイカさんでしょ!?」
通信回線が開き、ジュリアの叫びが届いた。
その叫びはかつて届かず、レイカは心を失った。けれど今は違う。
「ためらう前に引き金を引け!」
リッパーBTの周りにいたケイブマンが数体、沙門のロングレンジ・ライフルで四肢を弾き飛ばされた。
そしてケイブマンの体組織再生能力が追いつく前に、アコラスが両手で持つ高周波ブレードによって止めを刺される。
リッパーBTは左腕のランスバスターをケイブマンに撃ち込み、その反動を生かして後方に一旦逃げ、態勢を立て直す。
――ジュリア……そうよ、私が乗らなきゃ、リッパーBTだって動かない。
レイカはリッパーBTの高周波クローの出力を最大限まで上げ、機動力を生かしてケイブマンの群れの中心に躍り込んだ。
『リッパー・ザ・ブーステッド』――その名前のままに、まだ動きのあるケイブマンを鮮やかに切り裂き、また次の標的の前にクローを振りかざす。
それはその場に立つ者が、三機のマスタースレイブだけになるまで続けられた。
レイカにとってとても長く感じられた戦闘時間は、実際には数分足らずの出来事だった。
「大丈夫? レイカさん……」
「誰か物好きが来てるかとは思ったが、レイカとはな」
マスタースレイブを降りたジュリアとフォルカーが、話しかけてきた。
通信回線のデジタル化された声にはない、気遣いのこもった温かさをレイカは感じた。
「大丈夫よ。一人で何とかできるなんて思ったのは、やっぱりまだ早かったみたいね」
レイカもリッパーBTを降りて、ケイブマンだったものを振り返った。
これらは明日にもギルドのメンバーで集められ、街はまた元通りになるだろう。
「無理じゃなかったわ。レイカさん、昼間とは動きが違ったもの」
あの時レイカは必死だった。
リッパーBTの動きについていこうとしたのではなく、少しでも早くリッパーBTを動かしたかった。
「もう、練習しなくてもいいね」
ジュリアが淋しそうな響きを含ませて言った。
そう、レイカがリッパーBTを動かせるようになった今、ジュリアがほぼ毎日レイカの模擬戦に付き合う理由はなくなってしまったのだ。
ジュリアが淋しさを感じたように、レイカも名残惜しさを感じていた。
レイカはジュリアやフォルカーと、もう少し行動を共にしたいと思う。
この二人となら、違う明日が迎えられそうな気がする。
「いいえ……私も一人じゃまだ無理。
ねえ、二人とも私の仲間になってくれない?」
ジュリアは驚いたように唇を薄く開き、次いで口元に手を当てて笑い出した。
フォルカーも無精髭の上から頬をかいている。
「お、おかしかった?」
「ううん、私はもうレイカさんの仲間のつもりだったから……」
はにかむジュリアを他所に、レイカの腕を取ってフォルカーは大きく握手する手を上下させた。
「俺も探索の仲間は多い方が安心だ。宜しくな。
じゃ、早速ヘヴンズ・ドアで祝杯上げるか」
フォルカーはケイブマン掃討の報告をギルドに出し、その報酬を当て込んで飲もうと考えているようだった。
それにレイカとジュリアが早速反対する。
「……ごめんなさい、今はシャワーを浴び直して眠りたいわ」
「私もお酒はちょっと……報告書はフォルカーの名前だけで出してもいいよ?」
「おい、報告書なんて面倒な物、俺が得意な訳無いだろ」
渋い表情のフォルカーを前に、レイカとジュリアはお互いに顔を見合わせて笑った。
セフィロトにも、新しい朝の時間がやってくる頃だった。
(終)
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