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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


あの子の真っ白な羊



【0】

『助けて』
 聞き覚えの無い声に、立ち止まり辺りを見回す。
 だが、自分に声を掛けてきたような人物は一向に見つけられず、また先を急ごうと歩き出した。
『僕の羊が見えない。助けて』
 先ほどよりも語気の強い言葉に、キィンと耳鳴りを感じて頭を押さえる。

 ―――これは、テレパシー?





【1】

 たまたまその通りを歩いていた者達、総勢5名が一斉に声を揃えた。
「誰!?」
 これがテレパシーなら、叫んでみても意味の無い事は皆分かっている。にも関わらず異口同音に口を開いてしまっていたのだ。
『これが羊。僕の羊』
 直接脳に叩き込まれる映像に、誰もが眩暈さえも感じて足元がよろけた。よろけながらも皆は互いに目を合わせる。
 おや、あなたも。あぁ、俺も。えぇ、私も。はい、僕も。確かに聞こえました。
 誰もが口ほどに喋る目で語りあった。
『探して、助けて!』
 初めて姿なき声が感情を持ったように揺れた。
「助けるだと?」
 と不快そうに声を発したのは空色の髪にアイスブルーの目をした男、ゼクス・エーレンベルクだった。言外に、何で俺が、という怒気をはらんでいる。
「どういう事かしら?」
 紅蓮を思わせる紅くウェーブのかかった柔らかな髪を掻き上げてシャロン・マリアーノは怪訝そうに金色の目を細めた。
「前にも似たような事がありましたが……」
 眼鏡の真ん中を中指で軽く押し上げて、リュイ・ユウはどこか遠くを見つめて呟いた。
「とりあえず、探しましょうか」
 強すぎる思念に、この5人の中では最も繊細であったばっかりに、こめかみを抑えてうずくまっていたクレイン・ガーランドが、何とか落ち着きを取り戻したらしく立ち上がると言った。声の主は切迫している様子だったのだ。彼の性格上見捨てるという選択肢はない。
「羊にはあまりいい思い出がありません」
 ボソリと憂鬱そうに呟いたのはシオン・レ・ハイだった。彼の青い目はうつろに足元を彷徨っている。言葉の通り、彼には羊にあまりいい思い出がなかった。それはゼクスとて同様であろう。しかしゼクスの場合、不屈の精神は多少の失敗で覆るようなものではなかった。
「ふっ。何を言うか……」
 脳裏に叩き込まれた映像、それは彼の記憶の中にある奴と寸分違う事無く一致していた。憎きライバルばってん羊。となれば、助け舟から突き落とす事もやぶさかではない彼である。助けてというほど弱っているのであればこれぞ正に千載一遇の好機ではないか。
 そう理解したゼクスの手の平の返しっぷりは素早い。『何で俺がわざわざ』という目は一転して嬉々としたそれに変わっていたのである。表情は殆ど変わらないくせに、よく喋る目であった。
「この声の主は、あのにっくきばってん羊の飼い主かもしれんのだぞ。今までの数々の非礼、飼い主にも侘びを入れさせてくれる!」
 ゼクスは宣言した。口には出さなかったが胸の内では「海老で」と付け加えられているのは、最早言うまでもない事だろうか。彼のプライオリティーは海老が金銭を超える事もよくある。
「また、私たちをおびき寄せる為の、新手の罠って事はありませんか?」
 気合いのスイッチがONになってしまったゼクスに、だがシオンはあくまで消極的だった。余程昔、酷い目に遭わされたとみえる。
「…………」
 ゼクスは嫌そうにシオンを横目で睨み見た。せっかくのテンションを下げるなよ、と言いたげだ。しかし新手の罠と言われてゼクスはそれを完全否定する事が出来なかった。彼も幾度となく辛酸を舐めさせられ、惜敗を喫しているのだから。
「でも、助けて、と言ってますよ」
 ユウが言った。
「かなり切迫しているようでしたが」
 クレインが続く。彼にしてみれば、とてもおびき寄せる為の芝居には思えなかったのである。それは思念の強さからもわかる事だった。
「可愛い羊さんじゃない」
 シャロンがシオンの暗い雰囲気を吹っ飛ばそうと背中を景気よく叩いて笑った。ふわふわもこもこのウール100%に覆われた可愛い羊である。
 しかしそれでシオンのテンションが戻るでもない。所詮、彼らはばってん羊を知らないのだ。奴の真の恐ろしさを。
「夢に出てきたらどうするんですか。羊が一匹……羊が二匹……。夜も寝られません」
 相変わらずどんよりとした暗い空気を背負ってシオンはハラリと涙を拭うような仕草をしてみせた。勿論、涙など一滴も流れてはいないのだが。
「…………」
 4人は言葉を失った。
「まぁ、映像を見る限り物騒ですが……」
 ユウが指摘した。そこは譲るといった口ぶりだ。映像での羊は武器を持っていた。バルカンを背負い、両手には二挺のリボルバーを握って――いや、どうやって持っているのだろう――とにかく手にしていた。
「物騒? だって、羊でしょ?」
 シャロンは肩を竦めてみせる。『所詮、羊』という思いがあるのか。このご時勢、今時、護身用の武器など誰もが持っているだろう。確かに、ちょっと多いようにも見えるが許容範囲ではないだろうか。
「そうですよ。大体、羊は草食動物ですしね。レタスなんて食べるでしょうか?」
 クレインは持っていた買い物袋を広げてレタスを取り出して見せた。彼は買い物帰りだったのだ。
「奴にその手の罠は効かん」
 ゼクスがきっぱり断言した。ばってん羊には落とし穴もバナナの皮も通用しないのだ。奴の知能レベルは半端ではない。ただの羊と侮ると痛い目を見る。
「仕方がない。レタスは俺が食おう」
 何が仕方がないのかさっぱりわからないがゼクスが言った。
 あまりにナチュラルに彼がレタスを取ったので、誰もその事に気づかない。
「そういえば、バナナもあるのですが、どうでしょう。スベールバナナくん、とかいうやつですが」
 クレインは更に買い物袋からバナナを一房取り出した。ザンゲスト青果が発売している、当社比20倍でよく滑るように改良されたバナナである。
 シオンがそれを見てギクリと後退った。
 そんなシオンに気づいた風もなくシャロンが歓声あげる。
「それ、聞いたことがあるけど見るのは初めてだったのよ」
 そう言って彼女はクレインからバナナを取り上げるとその皮を指でなぞって、そのすべり具合を確かめた。どうやってこんな品種改良を成し得たのだろう、元植物学者である彼女は気になって仕方がない。
 いや問題は本当にそこなのだろうか。何故そんな改良をしたのか、ではないのか。そもそも、それは改良なのか。何が良くなっているのかもよくわからない。誰がいつ何の目的でそれを作ったのか。極一部から強い要望があったという噂だが。
「やっぱりよく滑りそうね」
 などと呟きながらシャロンはクレインにバナナを返そうとした。
「仕方ないな。それも俺が貰ってやろう」
 ゼクスは恩着せがましくそう言うと、まるで何事もなかったかのようにシャロンからバナナを取り上げ、自分のポケットに仕舞ってみせた。
 相変わらずそこに誰の疑問も抱かせないほどのナチュラルさ加減である。
「可愛い羊さん……されど羊さん……」
 その傍らでシオンは、うわ言のようにぶつぶつと呟いていた。最早彼はかなりの重症である。
 更にその傍らではユウが、送られてきた羊の映像を思い出しながら考え深げに顎を撫でている。殆ど無意識に彼は呟いていた。
「しかし珍しい羊ですよね、高く売れそうです」
「何?」
 ゼクスがユウの発言を聞きとがめた。
「いえ」
 ユウはなんとも爽やかな、それでいて似非くさい笑顔を返して誤魔化した。しかしゼクスはユウをはったと睨みつけると追求の手を緩めない。
「よもや貴様もジンギスカンを狙ってるのではなかろうな」
 あくまで、食べ物から離れられない彼だったが。
「まさか……」
 ユウは、ははは、と意味深に笑って否定した。
 内心で『そんなもったいない事はしませんよ』と付け加えて。そうなのだ。ジンギスカンなんかにして食べてしまったら勿体無いのである。高く売ればジンギスカンなど一生食べ続けられるかもしれないくらいの大金が手に入るかもしれないのだ。
「とにかく準備は大事ですね」
 ユウは話題を変えるように言った。
「そうだ。準備だ」
 そう言ったが早いかゼクスはどこかへ走り出す。
 それを見送りながらシオンは嫌そうにため息を一つ吐き出した。
「え〜……本当に行くんですか〜?」
「…………」
 シャロンとクレインは何とも複雑そうな互いの顔を見合わせて肩を竦めたのだった。


 *****


 小一時間後――。
 ゼクスはトリモチ・ランチャーと一輪車を持って現れた。
「一輪車なんてどうするんですか?」
 と怪訝に尋ねるシオンの手に、彼は一輪車の持ち手を握らせると、自らはその一輪車の上に乗った。
「行くぞー!」
「…………」
「相変わらず、体力のない方ですね……」
 ユウが呆れたようなため息を吐き出す。ゼクスはセフィロト髄一の大食漢であったが、燃費の悪さも右に出る者がなかったのだ。
「では、行きましょうか」
 ユウが3人を促した。
「そうですね」
 クレインが頷く。
「しかし、どこにいるのかしら?」
 シャロンが腕を組んで首を傾げた。まさかこのままあてもなく闇雲に探すというのだろうか。目撃者を探すだけでも骨が折れそうである。
「探してというからには、場所はわからないのではありませんか?」
 シオンが言った。
「確かに」
「単に、相手が動けないだけかもしれませんが」
 以前、似たような経験をしているユウが指摘した。その時は、そうだったのである。
 それを受けてゼクスが声を張り上げた。
「おい、貴様! 奴はどこだ!?」
 エスパーとはいえ、テレパシー能力は皆無に等しいと思われたゼクスである。しかし彼は持ち前の気合いでそれをカバーして見せた。潜在的に実はそういう能力を持っているのかもしれない。しかし本人に全くその気がないので判然とはしなかった。彼はその手の特殊能力を全て『気合い』と呼ぶ傾向があったのだ。
 余談はさておき、どうやら相手にゼクスの声は届いたようである。
 5人の元へ再びあの声が届いた。
『……そこから52歩進んで』
 その言葉に5人は顔を見合わせた。
「52歩?」
 果たしてその数字はどこから出てくるのか。
 首を傾げながらも、とりあえず微妙に歩幅の違う4人は歩き出した。
「1…2…3…、……52」
 互いの誤差は1mほどだったろうか。
「歩いたぞ」
 と、一歩も歩いていない男が偉そうに言った。
『そこを右に曲がって92歩』
「…………」
 曲がり角があるのだから、たぶんそちらであってるのだろう。シャロンだけが直角に曲がると壁に激突する微妙な位置にいたが。
 彼女は傍にいたクレインに駆け寄って隣に並ぶと、今度は彼と歩調を合わせて数え歩き出した。
 他の者達も一様に角を曲がって数をかぞえる。
「どうせなら、歩数ではなく、何本目の曲がり角をとか言っていただけませんか?」
 ユウが願い出た。
 しかしそれは無視された。
『左へ32歩』
 もしかしたらユウの声は届いてなかっただけなのかもしれない。ゼクスの言葉を借りて言うなら、気合いが足りなかったという事になるのだろうか。
 仕方なく4人は左へ32歩、歩いた。
 そうして声の通りに暫く歩いていくと、元の場所に戻ってきた。誰もが顔を見合わせる。もしかして謀られたのか。
「ここ、さっきの場所よね?」
 確認するようにシャロンが皆を振り返った。誰もが首を縦に振る。ただ一人、元の場所に戻ってきたという事実に気づいていないゼクスだけが一輪車の上で相変わらず気合を充填していた。
「次はどっちだ!?」
 偉そうである。
『右へ27歩』
 声が言った。
「え?」
 5人は声の言う右を振り返って固まった。
 そこには壁があるだけだったからだ。勿論、辺りには100m先まで、どこにも曲がり角など見当たらない。やはり謀られたのだろうか。
「間違いではありませんか?」
 テレパス能力を持つクレインが尋ねた。
『右へ27歩』
 声の主はそれを繰り返すばかりだ。
「壁を突き破れということかしら」
 シャロンがさらりと乱暴な事を言う。
「おびき寄せるにしては変ですよね……」
 さすがにシオンも首を捻った。新手のおびき寄せなら、まっすぐそこへ案内する筈である。こんな手の混んだ疑われるようなまねをするとは思えなかった。何を隠そう『あの』が付くばってん羊なのだ。
「仕方ありませんね」
 ユウはため息を吐き出した。それは諦めにも似ているが、諦めたのは捜索の方ではない。壁を突き破らない、という方である。
 彼の脳裏には『毒食らわば皿まで』という、どこかの古い言葉が浮かんでいた。
 それにクレインが建設的な意見を出す。
「この家の玄関を探して回った方がいいのではないですか?」
 確かにその通りだ。
「そうですね。我々はそちらから入りましょう」
 ユウは頷くと、シオンと、それから一輪車の上で体育座りをしている男を振り返った。
「シオンさん。とりあえず、このまままっすぐ27歩数えてください」
「え……?」
 シオンは思わず我が耳を疑ってきょとんとユウを見返していた。
「壁をまっすぐぶち抜いて」
 ユウはにこやかに笑って付け加えた。
 シオンはオールサイバーである。だから勿論、出来ないわけではない。しかし、皆で一緒に玄関から回っても、と思わないでもない彼である。
「はぁ……」
 シオンは納得のいかない顔で、しかしユウの押しに負けて何とも曖昧に頷いた。
 ユウとクレインとシャロンが玄関を探して壁伝いに歩いて行くのを見送って、シオンは一輪車を手に歩き出す。
「進めー!!」
 などとゼクスは気合いが入っていたが彼は声を張り上げるだけだ。
 シオンは一輪車を一旦止めて、壁をぶち抜くと再び持ち上げた。
 しかし瓦礫の上を一輪車の荷物を落とさないように超えていくのは、少々至難のわざだったようである。
 案の定、瓦礫にタイヤがひっかかり、一輪車は前のめりに傾いた。
「のわっ!!」
 バランスを崩したゼクスが一輪車から転げ落ちると、咄嗟に止まれなかったシオンが一輪車でゼクスを轢いてしまう。
「ぐぇっ」
 一輪車に轢かれたゼクスが悲鳴をあげた。そのポケットから先ほどクレインに貰ったバナナがこぼれ落ちる。
 黄色に反応してシオンはぎりぎりで立ち止まった。注意するもの。黄色いもの。それは最早脊椎反射というやつである。いや、彼はオールサイバーなので、そんなものがあるのかは甚だ疑問であったが。
 もし、これでうっかりシオンがゼクスを踏んづけていたら一溜まりもなかったであろう。オールサイバーは見た目の2倍もの重さを誇るのだ。
 バナナに一命を取り留めつつもゼクスが一輪車の下から這い出ると、家の中からユウ達が現れた。
「もう、いいですよ。羊を見つけましたから」
 ユウがあっさり言った。どうやら彼らは玄関から入って、この家の一室でばってん羊を見つけてしまったらしい。きっとその部屋は、ここから27歩のところにあるのだろう。
 壁をぶち破った労力は果たしてなんであったのか、虚ろに視線を彷徨わせたシオンの横でゼクスが言った。
「なんだと!?」





【2】

 広いリビングのフローリングの上で羊は眠っていた。
 いや、あれは本当に眠っているのか?
 しかし横たわっている。
 もしかしたら敵をおびき寄せる為の新手の罠ではないのか?
 誰もが顔を見合わせた。
 その時、強いテレパスが彼らの元に届いた。
『違う!』
 声が言った。まるでそれは怒っていようにも聞こえた。
「痛たたた……もう少しお手柔らかにお願いします」
 クレインがこめかみを押さえて座り込む。
『今は、充電中なんだ』
 声はわずかにテレパスを弱めて続けた。
「充電中?」
 シャロンが首を傾げる。
「タクトニムとはいえシンクタンクですから、サイバーのような充電が必要なのかもしれません」
 シオンが言った。
「ふむ」
 ゼクスは腕を組み考え深げに頷いた。つまり今奴は戦闘不能状態という事である。それはとどのつまり、貧弱な自分にも楽々捕縛が約束されたも同然という事ではないのか。
 彼は自然顔がにやける思いだった。とはいえ普段から表情筋と感情が怒りでしか連動していない彼であったから実際ににやけるような事はなかったのだが。
「それで、助けてとはどういうことかしら?」
「さぁ?」
 シャロンの問いに、クレインは困惑げに肩を竦めてみせる。
 そこへ、また声が届いた。
『守って欲しい』
「守る!?」
 その声に一番に反応したのはシオンだった。
「誰が、誰をですか?」
 シオンにしてみれば、奴はセフィロト最強(凶)と言っても過言ではない存在である。それを守って欲しいなど、シオン的にはありえない事であった。
 そのまま絶句しているシオンに、クレインが言った。
「つまりこういうことではないですか? 充電中無防備になる彼を敵から守って欲しいと」
「敵?」
 ゼクスが、天然なのか冗談なのか、わかっていないような顔つきで尋ねた。奴の敵とは一体誰だ。
「たとえばあなた達のような事では?」
 クレインはゼクスとユウを指差した。
 ゼクスは右手にフォーク、左手にバリカンを握っていた。
 ユウは捕縛用ネット弾の装填されたランチャーを肩に担いでいた。
「…………」
 ユウとゼクスは互いに視線を合わせて、それから同時に2人は手にしていたものを静かに下ろした。
「えぇ〜。でも、充電中って本当に動かないんでしょうか?」
 シオンが疑わしげに羊を見やる。本当に奴にはいい思い出がないのだ。
「それもそうねぇ」
 シオンの慎重論にシャロンが同意を見せた。
「確かめた方がいいかもしれませんね」
 クレインも頷く。
「いきなり攻撃されても困りますしね」
 ユウも賛同した。
「攻撃だなんて、可愛い羊さんなのにね。でも、レタスを取ったあなたなら恨まれるかもしれないけど」
 シャロンは笑ってゼクスを見やる。
「何だと?」
 それを不満げにゼクスは睨み返した。
「とりあえず、誰が行きます?」
 ユウが皆に尋ねる。
「じゃんけんでいいかしら?」
 シャロンが提案した。
「よし、勝負だ」
 5人は一斉に握りこぶしを自分の背後に隠す。
「じゃんけん……ポン!」
 あなたもパー。私もパー。みんなでパー。
「相子で……しょっ!」
 みんなはパー。一人だけグー。
 シオンは自分の握り拳を見つめながら仰け反り倒れた。
 シオンが4人を見上げる。
 4人はゆっくりと一つ頷いた。
 無言の瞳が『行け』と命じているように見える。
 こうなっては匍匐前進しかあるまい。
 シオンは気乗りしないまでも仕方なくばってん羊に向けて匍匐前進を試みたのだった。
 そろり、そろり、そろり……。
 その時だった。
 また、彼らの元にあの声が届いた。
『ありがとう。充電が終わった』

「え? 充電が終わった?」


 ――と、いうことは?


 刹那、シオンの動きが止まる。
 彼は恐る恐るそちらを見た。
 すると横たわったまま顔だけこちらに向けているばってん羊と目が合った。
「や……やぁ……」
 シオンは愛想笑いを振りまいて気の抜けたようなVサインを送ってみた。
 ハラハラハラ。ドキドキドキ。
「ふっ……ここで会ったが百年目!」
 ゼクスが言い放って問答無用でトリモチ・ランチャーを構える。
「え? まだ即、戦闘と決まったわけでは……」
 クレインが止めようとしたが、その程度で止まるゼクスではない。
 しかもその隣ではやっぱりユウが捕縛用ネット弾の装填されたランチャーを構えているのである。
「シャロンさん。あなたも彼らに、何とか……」
「素敵だわ……映像よりも毛並みがいい」
「いや、問題はそこでは……」
 そう言ったクレインがシャロンの視線を辿ってそちらを振り返る。
 ばってん羊は映像のような武器は所持していなかったが、間違う事なきばってん傷をその右目に刻み、異様な雰囲気を漂わせながら佇んでいた。
 その足元にシオンを敷いて。
 シオンは声も上げられず床にめり込んでいた。
 幸い彼はオールサイバーであり普通より頑丈に出来ていたので原形は留めているようであったが。
「困りましたねぇ。私は乱暴ごとは苦手なんですが……」
 クレインは困惑げに笑みを零して白いハンカチを取り出すと振って見せた。
 それを見ていたシャロンが何を思ったのか自らも黄色いハンカチーフを取り出して3本の指でつまんで振る。
「あのふわもこ、クッションにしたら気持ちよさそうね……」
 などと呟きながら。
「今までの非礼、その身で償えぇぇぇ!!」
 言うが早いかゼクスがトリモチ・ランチャーの引き金を引いた。
 しかしそんなものが当たるばってん羊ではない。奴はその見た目では考えられないような俊敏な動きでトリモチ弾を躱していた。
 ユウの捕縛用ネットが、飛び退ったばってん羊の着地点目掛けて飛ぶ。
 しかしばってん羊は着地した瞬間ネットを躱して次の行動に移っていた。その為、床にめり込んでいたシオンが這う這うの体で逃げたところをそれが襲う事になった。
「あぁ!?」
 シオンが網に掴まり動けなくなる。
「凄いわ……」
 シャロンは口の中で呟いた。
 その時には既にばってん羊はユウとの間合いを詰め蹴りを繰り出していた。
 咄嗟にユウはランチャーを投げ捨てると、両手をクロスさせて奴の蹴りを受け止める。いい蹴りであった。骨にまで響く体重ののった蹴りにユウはそのまま後ろに吹っ飛ばされ、柱に背をしたたかにぶつけていた。
 ばってん羊の動きに付いていけないゼクスが闇雲にトリモチ弾を撃つ。その一つが、柱に背をぶつけたユウを捕えた。
「!?」
 右手右足をトリモチで柱に縫いとめられたユウは、逃げ場を失って次のばってん羊の攻撃に息を呑んだ。
「…………」
 しかし、それでばってん羊は追い討ちをかけるような事はしなかった。
 ばってん羊は純粋に戦いを好むタイプのタクトニムであったから、むしろこれは楽しい戦闘に水を差されたようなものであったのだ。せっかくの戦闘を邪魔され、ばってん羊はゼクスを睨みすえた。
 それにゼクスは無敵の冷たい視線を放って応戦したが、タクトニムすら裸足で逃げ出す彼の視線は、果たしてばってん羊にも効果があったのだろうか。
 ばってん羊が動く。
「あ…危ない!」
 やっと網から這い出たシオンがそれに気づいて高機動運動にスイッチした。勿論、と言うべきだろうか彼が助けに向かったのは、ゼクス、ではなくその後ろで白旗を振っているクレインの方であった。
 彼を庇ったシオンはばってん羊の掌底――というか、この場合、前足の踵というのか、はたまた蹄と呼ぶべきか――をわき腹に食らって飛ばされた。クレインは難を逃れて、吹っ飛ばされたシオンに駆け寄る。
 ゼクスはといえば、突っ込んできたばってん羊に自らも特攻を仕掛けて自爆していた。そう、シオンがクレインを庇ったのは、ひとえにゼクスが先ほどシャロンから貰って食べたバナナの皮をうっかり踏んづけ滑って転んだ事により、ぎりぎりばってん羊の攻撃の軌道上からはずれたからである。
 しかも、スベールバナナくんの前にヘッドスラインディングをかました彼は、自らのトリモチ弾に引っかかって止まったという体たらくであった。見るも無惨なら、語るも無惨な自爆っぷりである。
「…………」
 最早そこに立っている者はシャロンしかいなかった。
 反射的にシャロンは身構える。
 しかしばってん羊は攻撃を仕掛けてくるでもなく、すっと右手を出した。いや、右の前足と呼ぶべきなのか。
 困惑げにシャロンがばってん羊を見やっていると、焦れったそうにばってん羊はジェスチャーをしてみせる。
 どうやら上着を脱げと言ってるらしい。
 シャロンはばってん羊に従って上着を脱ぐとばってん羊に手渡した。
「…………」
 ばってん羊はそこに座ると、腹のあたりのふわもこウールの中に手を突っ込んでごそごそやり始めた。まるでポケットか何かを漁っているようだ。やがてソーイングセットを取り出すと、奴は器用な手先でシャロンの上着の破れた場所を繕い始めたのである。いつの間に破いてしまっていたのだろう。今の戦闘の合間か、ここまで来る間か。
「いや〜ん。可愛い〜」
 シャロンはその背に抱きついた。思いっきり抱きしめる。ふわもこのウール100%であった。その肌触りは絹のように滑らかで気持ちいい。シャロンは頬ずりする。
 ばってん羊は、まとわりつくシャロンを鬱陶しそうに追い払った。
 残念そうにシャロンが離れる。
 やがて繕い物が終わったのだろうばってん羊は糸を歯で切って、針をソーイングセットの中へ仕舞うと、上着をシャロンに差し出した。
「ありがとう」
 シャロンが上着を受け取ると、ばってん羊はVサインを決めて静かに去っていった。
 その背に哀愁を背負っている。
「かっこいい〜……」
 シャロンがうっとりそれを見送った。
「うぉのぉれぇぇぇ〜」
 地獄から響いてきそうな声を振り絞ってゼクスはその背を睨み据えたが、彼はトリモチに身じろぎも出来ないでいた。
「あちこち無闇矢鱈に撃つからです」
 ユウがもがきながら言う。しかしこちらも一向にトリモチが取れそうな気配はない。
「やっぱり、羊さんはこちらが戦意を見せなければ無闇に攻撃を仕掛けてくるわけではないのではないですか?」
 クレインが言った。やる気満々がいけないのではないだろうか。
「……戦意なんてありませんでしたよ」
 シオンがぼそりと突っ込んだ。匍匐前進している時だって、彼には全くその気はなかったのだ。
「あれは、たまたま間が悪かっただけで……」
 クレインは苦笑を滲ませた。たまたまばってん羊の歩く方向に伏せていたのではなか、というのだ。それに、捕縛ネットに引っかかったのはばってん羊が避けたせいかもしれないが、そもそも、それを撃ったのはユウである。ばってん羊の掌底を食らったのは、クレインを庇っての事だったが、それも元々、ゼクスに放たれたもので、こちらはゼクスが運よくバナナの皮に滑ったが故であった。
 全て間が悪かったのだ。
 とはいえ、たとえそうであったとしても素直に喜べるものではない。むしろ釈然としないものを感じながら、シオンは深いため息を一つ吐き出した。
「女には甘いのかもしれん!?」
 ふと、ゼクスが気づいたように顔をあげてシャロンを見やった。
「それは一理あるかもしれませんね」
 ユウが冷静に頷く。
「戦略を練る必要があるな」
 ゼクスはうーんと唸っていた。
「それより、このトリモチ強力すぎるんですが……」
 ユウは微動も出来ない右手足にため息を一つ吐く。
「見て見て、これ、ばってん羊のアップリケが付いてる」
 シャロンが笑顔で4人に上着を見せて自慢した。破けた部分にばってん羊の顔のあっぷりけが付いているのだ。
「…………」
 何となく4人は全身から力が抜けるのを感じたのだった。





 ところで、あの声の主は一体何者だったのだろう。





 ■大団円■



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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男性/22歳/エスパー】
【0645/シャロン・マリアーノ/女性/27歳/エキスパート】
【0375/シオン・レ・ハイ/男性/46歳/オールサイバー】
【0474/クレイン・ガーランド/男性/36歳/エスパーハーフサイバー】
【0487/リュイ・ユウ/男性/28歳/エキスパート】


【NPC0200/ばってん羊(ばってんひつじ)/男性/???歳/タクトニム】

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。