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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


■ある娯楽施設にて〜セフィロトの塔体験ツアー〜■

 塔の外では、そろそろ完全に日が落ちて、藍色の闇が色濃くなってくる頃か。マルクトの一画に設けられたささやかな酒場は、今日の仕事を終えた人々で賑わっていた。客の多くは、マルクトで働く者のようだが、中には少ないながらビジターの姿も見られる。
 街の酒場と比べれば、いささか時間が早い。けれども、一仕事終えたビジターが引き上げて来るのは、概ねこの時間帯になる。
 高層立体都市イエツィラーの、第1階層で襲いかかってくる敵は、タクトニムと呼ばれる。夜行性のモンスターもいるが、シンクタンクも多い。だから、一概に深夜になれば彼らの動きが目だって活発になり、危険が増すとは言えない。
 しかし、ビジター達の体力や集中力、持ち込める物品には限りがある。中には、数日塔に潜り続ける強者もいるそうだが、それは少数だろう。
 少なくとも、この酒場を贔屓にしているビジターは、夕暮れ時のまだ早い内にヘルズゲートから引き上げて来る。そして、翌日必要な物を買い揃えたり、傷の手当てを受けて、ここに立ち寄るのだ。
 そして、同じパーティの仲間と、或いはたまたま隣の席に居合わせた見知らぬビジターと、適度に酒を飲み、言葉を交わす。話の内容は武勇伝や、これまでに探索してきたエリアに関する情報が多いだろうか。
 一人で静かに酒を楽しみたい時には、さりげなくウエイトレスに目配せをして、隅のテーブルに席を取る。
 こうして一日の疲れを癒し、次の探索に備えてぐっすりと眠るのだ。
 適度なアルコールと美味しい料理。それに加えて、この店にはもう一つ、男女を問わず朗らかな気分を与える『妖精の微笑』があった。
 ドアに取り付けたベルが軽やかな音をたて、新たな来客を知らせる。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
 『炎の妖精』・ティアは、明るい笑顔で応じた。同時に視線を走らせ、客の人数と身なりをさっと確認すると、適当なテーブルに案内する。
 この酒場で働く前の経歴と合わせ、接客業はもう随分こなしてきた。今では、一見すれば客がどんな目的でセフィロトを訪れているのか、おおよそ見当がつくようになった。
(戦闘の装備は最低限。その割には測量具が多いですね。新しいお店でもできるのかしら)
 セフィロトの都市部分にあたるイエツィラーは、幾層も重なっている。外観からもそれは明らかだが、詳細な造りは、今もって知られていない。第一階層すら、まだ探索し尽されてはいないとか。
 とはいえ、ヘルズゲートが開いてから、それなりに長い月日が経った。入り口に近い部分なら、安全が保障されたと言える場所もある。イエツィラーの第1区画マルクトにも、少しずつ様々な店舗や施設が増えてきた。
(こういうお客様は、静かな席を好まれるわね)
「ティアちゃん、こっちビールのおかわりを頼む」
「はい、少々お待ち下さいね」
 新しい客の注文を取っている間にも、別の場所から声がかかる。極上の笑顔を投げかけて、ティアはてきぱきと客の注文をさばいていった。
「お待ち遠さま」
 カウンターに一人で座っていた男の前に、2杯目のビールを置く。この後暫く、注文は入っていない。
「やあ、ありがとう。ここはいつも盛況だね」
「グレンさんがご贔屓にして下さいますから」
 グラスを拭く手を休めずに、ティアは常連客に会釈する。
「今日の成果はどうでしたか?」
「さっぱりだ。俺は潜り始めたのが遅いからなあ。あの辺りで目ぼしい物は、すっかり先に取られちまってる」
 男は残念そうにジョッキを煽った。
「けどな。油断は禁物だ。もう少しで、奴らにやられる所だった。見てくれよ」
「まあ」
 突き出した男の腕を見て、ティアは小さく息をのんだ。
「無人区画を抜けて帰ろうとした時だ。微かに虫の羽音がしてな」
 耳に注意を集めつつ、慎重に辺りを見回す。
 何も無い。
 気のせいか、と足を踏み出した時だった。
 壁の割れ目から、足の折れた巨大な蜘蛛が、のそりと這い出した。
「羽音に聞こえたのは、そいつのモーター音だった。気付かずに進んでいたら、この程度の傷では済まなかったな」
「怖いわね」
 その場面を想像すると、恐怖と巨大な蜘蛛のおぞましさで、軽い身震いが起こる。そういえば、シンクタンクには虫の形をした物もあると、以前の客が言っていた。
 それから暫くの間、ティアはいささか誇張された、壊れかけのタクトニムとの格闘話につきあわされるはめになった。
「今回はこの程度だったが、そろそろもう少し先に行きたいしな。ちょっくら、トレーニングをしてみるかなあ」
 男は残り少なくなったジョッキを置いて、ポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
「それは?」
「あれ、見たことない? 多分、その内ここにも貼らせてくれって、持ってくるんじゃないかな」
 ティアは折り目がついたチラシを丁寧に伸ばした。
「ええと、『来たれ! セフィロト体験ツアー』?」
 内容にさっと目を通し、ティアは顔を上げた。
「何だか楽しそうですね」
「そうか? まあ、コース設定は希望に合わせて変えられるらしいからなあ。最低レベルなら、そりゃ遊園地の迷路並みかもしれんが」
「もう一度見せて下さいますか?」
 再びチラシを手にしたティアは、その内容と所在地をしっかりと頭に叩き込んだ。


 それから数日後。
「確かにこの辺りのはずですけれど」
 記憶違いかと、ティアは不安げに辺りを見回した。
 最近作られたと思われる塀が続いているが、人通りがまるで無い。
「ああ、あった。やはり、ここ……なの、です……ね」
 塀の切れ目に、華々しくデコレーションを施したアーチがあった。閑古鳥が鳴いているとは聞いていたが、ここまで寂れていたとは。
 どうしたものかと、足を止めて暫し考え込む。
(折角、ここまで来たのですもの。それに、物事は何でも体験してみなくちゃ)
 単純に遊びに来たのでは無い。勤務先の酒場へ、客として訪れるビジターの話題は、やはり探索に関する内容が多い。
(お客様に会話を楽しんでいただくのも、ウエイトレスの務めだわ)
 それには、自身がセフィロトについて、多少は実際に知っていなくては。
 そんな健気な思いから、休暇にわざわざ訪れてきたのだから。


 ヘルズゲートを模した入り口が、ティアの背後で閉じた。黴臭い冷やりとした空気に包まれた気がして、軽く深呼吸をしてみる。
(ここから先は真剣勝負)
 一般向けのコースとはいえ、相手はそれなりに襲ってくる。何より、緊張感を欠いたままでは、本物の状況を体感しようという意図にそぐわない。
 改めて掃除用のモップを握り直し、一歩一歩、前へと進んでいく。
 突き当たりに扉が見えた。当然のごとく、自動では開かない。
 この先に何があるのか。ひょっとしたら、扉付近にタクトニムがいるかもしれない。
 そっとノブを回して、押し開く。
 何も起こらない。
 ほっと一息ついて、開き切ったドアから首を除かせた。
(あの壁の穴はあやしいわ。それに、向こうの物陰も)
 順に目で追いながら、そろそろとつま先で地面を探るように進んでいく。
 最初に目をつけていた横穴に近づいた。
(何も……)
「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ!」
 もう一つの危険物に目を移しかけた時、横穴から不意に人影が飛び出した。
 ばしばしばし☆
 モップで力いっぱい叩きまわされて、ペイントを施した黒装束は、そのまま駆け抜けていった。
「び、びっくりした」
 ある程度心構えはしていたのだが、一気に心臓が高鳴っている。落ち着くのを待って歩き始めたが、膝が震えている。
 一つ目の部屋の出口が近づいてきた。
 ほっと息をつきかけた刹那、がくりと体が沈み込む。
「きゃあっ!!」
 思わずへたり込みかけたが、1ブロック分の床が、数十センチメートル落ち込む仕掛けだったらしい。
「ああ、そうね。ずっと放置されていたから、本物の塔内には、脆くなっている所もあるのだわ」
 或いは、侵入者を阻む為の罠。
 擬似装置は、ひやりとさせる程度になっていたが、落ち込む箇所がもっと狭かったり、深かったりすれば、大怪我をしていたかもしれない。
 そのまま数部屋は、何事もなく過ぎた。
(これで終わる筈はないわ。次はどこ?)
 ずっと神経を張り詰めている状態は、思った以上に疲れる。立ち止まって、少し休もうか。
 キキ。
 頭上から、微かに聞こえた金属が軋むような音に、はっとして見上げた。
「いやーっ」
 ぱっこーん☆
 何とも形容しがたいグロテスクな物体を、力任せに殴りつける。短い触手を、無意味に振り回していたそれは、数秒間宙に吊り下がっていたが、やがてするすると引き上げられていった。
 冷や汗を拭い、激しい鼓動が静まるまで深呼吸を繰り返す。
 緊張と不安で、中断ボタンを押したい気分になってきた。一方で、この先に何が待ち受けているのか楽しみな気分も、僅かに含まれている。
 それから暫くは、特に何も起こらなかった。
 ヒィィィィィィィィィィィィン……。
 どこからともなく、モーター音が響いてきた。
 近くにシンクタンクがいる。どこから来るのか。
 前か、後ろか。或いは足下か。
 ティアは息をつめて、耳を済ませた。
 襲ってくる気配は無い。
 とくとくとく。再び心臓の動きが速くなるのが感じられた。意識を集中していると、遠い記憶が呼び覚まされるような気がしてくる。
 不意に捕らえられかけた不思議な感覚を振り払うように、ティアは前に出た。2歩、3歩。
 その動きを追うように、ゆっくりとモーター音も移動してきた。
(なるべく広い場所の方が良いですね)
 広い部屋の中央で、ティアは立ち止まった。
 モーター音は、無造作に積みあがったあちこちのがらくたの間を、素早く移動し続けている。
 ガコッ!
 その内の一つが割れて、蟹に似た物体が突進してきた。
 リミッターを解除していれば、余裕で攻撃に移れたが、避け切れない。思わず身を縮めた。
 ぶぼぼぼぼぼっ☆
「ちょっと、何するのよ!」
 蟹もどきはティアに迫ると、盛大にあぶくを浴びせかけた。素早く引き下がり、からかうように足を踏み鳴らしている。鋏の部分は、折れて垂れ下がったままだった。
「よーくーもー、私の前で部屋を汚しましたね」
 ティアは徐に、床の泡をモップで拭った。
「あなたも、掃除してしまうから!」
 たたたたっと気丈に駆け寄る。そのまま、とんと床を蹴った。
 エプロンドレスの裾がふわりと広がる。
「えーい!」
 ぱっこーーーーん☆
 渾身の一撃を受けて、蟹もどきは沈んだ。


「お姉さん、絶対素質あるって。普通、ビジターでもない女の人が、初めてでこれだけ戦えないよ」
 少し慣らして、リミッターをとれば、中級コースも楽勝だ。係員はそう力説したが、ティアは丁重に辞退した。
 張り詰めた緊張感も、敵と遭遇した恐怖感も、十分に堪能した。これからは、今まで以上に酒場に来る客の心情が分かるし、彼らが見たものを明瞭にイメージできるだろう。
 そう思うと、ティアは満足だった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0633 / 『炎の妖精』・ティア / 女性 / 18歳 / 一般人】

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■         ライター通信          ■
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