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低迷と混迷
ライター:有馬秋人
照明を抑えた店内で、黒髪の人間がグラスを傾けている。カラリとなるのは中の氷だろう。
物憂げな顔で一枚の写真を眺めている。映っているのは幼い顔立ちの少年と、苦笑顔の青年だ。
けして、持ち主が映っているわけではない写真に視線を落とし、滲むのは寂しげな笑みばかり。
「―――、彼は元気だ。早く来てあげるといい」
私では代わりにならないぞ、と少しだけ茶化した口調で付け足すと、一気にグラスを呷った。
***
ゲートの向こう側に探索しにいった帰りは飲みに行くことがある。上手くいった探索の祝杯をあげることもあれば、下手をうった自分を慰めるためにもいく。アルコールが特に嫌いというわけでもなく、思考を停滞させる変わりに酩酊感を与えるのならば、ギヴアンドテイクで理にかなっている。
「あの辺りの地理は頭に叩き込めたし、まずまずよね」
次回においてどこに注意を向ければいいか分かっていれば基本行動が楽になる。地道な探索を続けるのであれば、明確な収穫ではなく無形の土産を喜ぶことも必要で。
うきうきとした足取りでジャンケーブにある酒場のドアをくぐった。いつもどおりに適度に賑わう様はけして煩わしいものではない。手近な席に座ろうとしたしたシャロンは照明の光が届き難い一角に目を向けた。気付けたのがちょっと不思議なほど相手はこの場の空気に溶け込んでいて、目を引く要素はほぼ皆無だった。気付けた自分に内心で拍手を送る。
「あら、夏野」
「………ああ、シャロン・マリアーノ」
「シャロンでいいわよ」
律儀に姓名全てを口にする相手に苦笑したシャロンは、相席の許可を問わずに椅子を引いた。手早くウェイターを呼び止めた。机上のグラスが空になっているのを指差して、にっこりと笑いかける。
「空っぽのグラスは味気ないでしょ。もう一杯どうかしら?」
「いや」
「固いこといわずに、ね」
てきぱきとウェイターに注文を済ませたシャロンに夏野はどこか困惑を滲ませた顔を見せた。けれど手の中の写真を一瞥すると、穏やかな微笑を口元に刻む。強引な相手は嫌いじゃないと言う様に。
写真に興味がないわけではなかったが、突っ込むようなことはしない。夏野がごく自然な動きでさそれを片すのを見るともなしに見た。隠す必要を感じていない動きから聞いて不味い事ではないのは分かるがアレコレ口だしするのはどうかとも思うのだ。
相手の手の動きを見ていたシャロンは先日知った事実を思い出してどうしたものかと視線を流した。黙っているのも後味が悪い。
「あー、あのね。ちょっと前まであんたのこと勘違いしていたお詫びとこの場であった縁ってことで、あたしの奢りね。いいかしら?」
「勘違い……それなら、まぁ頂こう」
ばつが悪いと顔に書いているシャロンにくすりと笑った夏野は自分のグラスに口をつける。カラリと鳴る氷を煩わしいとは思っていない顔で、テーブルに置きなおした。その表情はシャロンがいるせいか少しは楽しそうだが、それでも陰りが拭えていない。
「花鶏に聞いたのか?」
「え? 違うけど」
「自力か…凄いな」
アルコールが入っているせいなのか、口のすべりが滑らかだ。冷えたグラスを自分の頬に当て、静かに笑っている夏野が少し機嫌をよくしているのを察したシャロンは気分の重さ払拭する。
「私の性別を一目で見抜いた人は今まで一人だ。シャロンのように接して分かる人もそう多くない」
一人でも居たのが凄い目を丸くしたシャロンに夏野は肩を竦めた。酒精を含み、嚥下して、しまった写真の在り処にそっとふれる。
「なーんか浸りたい気分だった、とか。……おせっかいだとは思うけど一応ね。あんたが今の現状が嫌なら動いて行動、行動するのが拙いならじっと待って、最良の時が来るのを見逃さないよう努めるってのが大事なんじゃないかしら」
「ありがとう。浸っていたわけじゃないが、思い出したのは本当だな」
「で、このまま居てもいいなら居るし、聞いて欲しいなら聞くわよ?」
頭空っぽにして体動かしたいなら場所提供…っても畑仕事になるけど。
親身になって聞いてくるシャロンに、夏野は片手をふった。
「頭を空っぽにして体を動かすつもりなら花鶏の書棚の整理をしているよ」
「ああ、あれは…凄かったわ」
壁一面の書棚など、滅多に見れるものではない。思い出して呆れたシャロンに夏野は今度こそ一葉の写真を取り出して提示した。
写っているのは赤銅色の髪の小さな子供とくすんだ黒、墨色の髪の青年。
「全てこの人の影響だ」
その一言だけで全ての言葉は飲み込まれたようだった。赤銅色は花鶏。あと一人はシャロンの知らない人間。ただ印象的なのは、花鶏が、見たことないほど楽しそうに笑っているという一点。
「これまた小さい少年ね」
「そうだな。今でも頼めば見せてくれると思うが…頼み方次第かな」
「ああエスパーだっけ」
日ごろ使って見せないからすっかり忘れていたわとぼやくシャロンに夏野は穏やかな笑みを浮かべるだけだ。酔っ払っているのかどうかよく分からない顔色で。
酒場で、一葉の写真を囲んで酒をかっ喰らうには雰囲気はあまりに密やかで。周りの空気と一線を画している。けれどそれは悪いものではない為目立つことなく埋没していた。
「もう少し無邪気だったよ」
ぽつりと零したのは夏野の方。シャロンは黙って自分のグラスに口をつける。
「屈託なく笑っていた」
辿る指先は子供の輪郭を精確に沿っている。
「口の悪さは誰に似たのか……」
口元に浮く微かな笑みがすぐに消えた。シャロンが静かに聞いているのに目をやって、夏野は一度目を伏せる。
「シャロン」
「ん?」
「今じゃなくていい。いずれでいいんだ…彼の力になってくれないか」
「彼って花鶏?」
「ああ」
「そりゃ今でも色々っと…なんでもないわ」
プレゼントの相談に乗りましたとはいえない。夏野の手首にまかれた時計の存在に慌てて言葉を濁したシャロンは、隠すように頷いた。
「別にいいわよ。何か縁、でしょうし」
あんな出会い方をして、こうして話せる関係になった。それがそれだけで終わるような縁だとは思わない。そう告げたシャロンに、夏野は首を垂れて感謝を示した。
「今を選択した過去に後悔はない」
それでも、まだ望む未来(さき)はあるのだと囁く夏野を慰めるように頷いた。
夏野はしばらくして酔っ払いの戯言だ、話しすぎたと自嘲したが、シャロンは黙って向かい側に座っていた。
誰だってそんなときがあると知っているからだ。黙って酔いたい時や、誰かに少しでも話してしまいたいとき。胸中で凝った思いを砕きたい瞬間が。
自身の中に思い至ることがなくもないシャロンは、ただ静かに添っていた。
■参加人物一覧
0645 / シャロン・マリアーノ / 女性 / エキスパート
■登場NPC一覧
0204 / 花鶏
0207 / 佐々木夏野
■ライター雑記
お待たせしました……いや本当にです。
動きのないノベルになりましたが、場所と設定と主体NPCの性格上そういう形に。
少しでも娯楽になる文であることを願っています。
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