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<東京怪談ノベル(シングル)>


■+ カミサマヘルプ +■


 「……はて」
 怪訝な顔で呟くのは、二十代半ばの男性である。
 短く切り揃えられた髪は、黒よりなお涅く艶めいていた。
 「俺は場所を間違えたのでしょうかねぇ」
 空惚けた風な顔で言うも、闇色の瞳は笑ってはいない。
 彼──リュイ・ユウは、己の鼻先に突きつけられた銃口を、奇異なものでも見るかの様に眺めていたのである。
 「それとも、貴方が相手を間違えているのですか? 老眼には見えませんけどねぇ。まあ、人は見かけに依らないと言う、良い見本でしょう。何でしたら、診て差し上げましょうか? 俺は高いですけど、まあ、腕の方は保証付きと言うことですから、損はしませんよ」
 勝手なことを並べたくるユウは、けれど恐れている様には見えないだろう。
 肝が据わっていると言うか、ふてぶてしいと言うか。とにかく彼の様子からは、銃を水鉄砲くらいにしか思っていないだろうことが、良く解った。
 もしもここに知り合いがいたとすれば『もっと驚いてやれよ』とか『ちょっとはビビったフリしろよ』と言うかもしれない。いや、知っているからこそ、大きな溜息をつくかも知れないが。
 「御託は沢山だ。命が惜しければ、言う通りに歩け」
 くすりと、ユウは笑った。
 口にすると、何とも陳腐であることか。
 得てして言われる命の重みは、計ることの出来ないそれを持っている。
 だが現実はそれ程大したものでもないと言うことくらい、世知辛い世の中を渡って来た者にとってはありふれた常識となっていた。
 そしてそれを楯にして脅してみると、常識以上に軽々しく聞こえてしまうから不思議である。
 勿論、その台詞は五歳の子供から出た様なものではなく、一目見て、その筋の人間であることが解る様な男から吐かれたものだ。剣呑な雰囲気ではあるも、それに飲まれた様子が全くなく、更にバカにするかの様な視線を向けているユウを、銃を突きつけている男が不審に、そして忌々しく思っても仕方がないだろう。
 男が徐に口を開いた。
 「……何処か涼しくなってみるか?」
 セーフティの外れる音がすることからみるに、なかなかアンティークなものを好む様だと、ユウは冷静に考えた。いや、セーフティ付きの銃は、今でもまだなお、現役でもあるのだが。
 「遠慮しておきますよ」
 肩を竦め言うユウは、全くもうと心中で溜息をつくと、そのまま男に従った。



 いきなり飛び込んできた柄の悪いチンピラは、ユウの診療所に飛び込んで来たかと思うと、悲壮な顔で『助けてくれ』と叫んだ。
 金と仲良しな人種しか相手にしない──と言うか、したくない──ユウは、チンピラを上から下まで一瞥すると、即座に『お断りします』と切って捨てた。
 だが話はそこで終わらない。
 彼がジャケットの胸ポケットから出したのは、可成りレアな腕時計であった。
 少なくとも、このチンピラが持っているには相応しくない。
 初めてユウの食指が動き、話だけなら聞いてやっても良いかなと思い始めたのだ。
 そんな雰囲気を見て取ったらしいチンピラは、必死になってまくし立てる。
 人語として成り立っているのかどうかも怪しい内容を要約すると、こうである。
 『今から言う場所に行ってくれ』
 『自分の兄貴が怪我をしてる』
 『報酬はいくらでも』
 『この時計は、兄貴のだ』
 以上。
 成程、時計の出所は解った。取り敢えず、チンピラの言う兄貴とは、血の繋がった兄ではなく、所謂ファミリー内の兄貴分のことであろう。マフィアには慣れているし、迫力や口撃で負ける気はしないから、何だか胡散臭さを感じたものの、守銭奴魂に則って動くことにしたのだ。
 そして言われる場所にてユウが拝んだのが、怪我人でもなんでもなく、件の銃口であったと言う訳である。
 確かにいたのは兄貴ではあった。
 だが、怪我はしていないばかりか、ぴんぴんしてユウを脅していた。
 そのまま叩きのめすのも悪い考えではなかったが、その兄貴くんの雰囲気が、何故か切羽詰まっている様に感じたのだ。
 だからユウは着いて行った。
 だが。
 車に乗ると共にされた目隠しを解かれると、そこには悪夢があった。
 連れて行かれたのは、悪趣味の極みが現実界に顕現すればこんな風であろうと、大きく頷くことが出来る様な邸宅だ。成金趣味と言うか、取り敢えず『金がかかっているもの全てを集めておいてみました。僕ってリッチ! 僕ってグレイト!』な感じである。
 「……何だか頭痛がしそうなところですね」
 ユウをして、そう言わしめたのは素晴らしいのかもしれない。
 大概のことなら、冷たい瞳でフリーズドライしてしまうのだから。
 だがその言葉にも、兄貴くんは沈黙したまま、背中に固定した銃口をぐりっと捻る。
 あまりに絶妙なタイミングでのことだから、きっと兄貴くんもそう思っているのだが、そんなことなど口が裂けても言えないのだろう、哀しきは宮仕え……などと、巫山戯た調子で考えているユウであった。
 屋敷内には、後ろの兄貴くんと同じ様な格好をした男達が、何処か気ぜわしげに行き来している。いや、殺気立っていると言っても良いかも知れない。
 何かあったことは、誰にでも解るだろう程に。
 ユウへと向ける視線も、可成り剣呑だ。だがその中にも、何処か縋る様なものがあることを、彼は感じていた。
 ここに来るまで、やたらと時間をかけて連れ回されたのは、場所を特定されない為だろう。屋敷内に入ってからも、回廊を回ったり、階段を下りたり昇ったりと、方向感覚を狂わせるのが目的であると解る様に歩かされた。
 『甘いですね。これしきで不覚を取る俺ではありませんよ』
 そう心の中で呟くと、口元へ笑みを刷く。
 『……酔っている時ならいざ知らず』
 とまれ。
 最終的に連れ込まれたのは、この悪趣味な館の中とは思えない程、センスの良い部屋だった。
 どうやらその内装から、若い女性がいるのだろうと察することが出来る。
 屋敷の中でも、可成り奥まった部屋。そしてその部屋の更に奥には、昨今珍しい天蓋付きのベッドがあった。
 どうやらそこへと行かせたいらしい。ぐいぐいと、銃口で背中を押している。
 「まさか本当に怪我人が?」
 振り返ると、兄貴くんは重々しくも頷いた。
 「お嬢さんだ。ちょっとしたごたごたでな。……撃たれた」
 つまり、マフィアのドンの娘なのだろう。
 「ほお……」
 「お前にはお嬢さんを診てもらう。死なせたりしたら、……解っているだろうな?」
 黙り込んだままのユウに、兄貴くんは何処か皮肉っぽく口を開く。
 「怖じ気づいたか?」
 その言葉に、ユウは笑いたくなっていた。
 とんでもない。
 ユウは、この上もなく楽しげな微笑みを浮かべて言った。
 「で? いくら頂けるんですか?」



 先程は二人っきり──いや、マフィアのドンの娘を入れると三人だが──だった部屋の人口は、現在五人にまで増えていた。その誰もが、ぐったりとした顔つきをしている中、ユウだけは、元気溌剌満面の笑みを浮かべている。
 大層有難い臨時収入が入ったからだ。
 取り敢えず、金さえ頂ければ、職業意識に基づき、誠心誠意治療をすることはやぶさかではない。
 ユウは、自分の手持ちを脳裏に浮かべ、足りないものを要求し、それが全て揃った後、ぐったりしている男達を一瞥した。
 「貴方達は、何時までここにいるつもりですか?」
 思いっ切り軽蔑した視線を向けると、ぐったりしている内の一人、娘の父親であるマフィアのドンは、漸く精神を復調した様だ。
 いきり立ってユウに喰ってかかった。
 「何時までいるかだとっ?! 儂の娘だ! 儂が手術に立ち会って何が悪い!」
 勢い余り、彼の手がユウの胸ぐらへと掛かる。
 「邪魔です」
 胸ぐらを掴んでいる手をクイと捻ると、彼が力を込めている分、派手に身体が宙を回った。
 その様子を見た舎弟達もまた、先のドンと同じくいきり立ち、ユウの元へと殺到する。
 だが一閃。
 鈍い銀の煌めきが、真ん中にいた男の頬を掠めて壁に刺さった。
 「耳が聞こえないんですか? 俺は『邪魔』だと言ったんですよ?」
 壁に刺さって微妙に揺れているメスとユウとを交互に見やり、男達の足が床へと接着した。
 「それとも覗きが趣味ですか?」
 言葉と共に、室内の気温が、マイナス値を示す。
 「もう一度言いますよ。ちゃんと人の言葉で言ってあげているんですから、今度こそ従って下さい」
 尻餅をついているドン、床と蜜月になっている男達を目の前に、ユウは静かに息を吸い込む。
 「邪魔ですっ!!」
 その一喝は、何フォン出ているのか解らない程の大音量だ。
 まるで魔法が解けた様に、一斉にして男達が飛び上がり、そのまま部屋を走り去った。
 それを冷たい視線で見やっていたユウだが、扉がバタンと閉まるのを確認して、漸く大袈裟な溜息を吐く。
 「全く。最初から素直に出て行けば良かったんです」
 ふんと、鼻で笑うと、彼はベッドへと近付いた。
 花嫁のベールを取り払う様に、ユウは眠っている女性へと静かに歩み寄る。
 「これは……」
 既に死人の様な相である。
 応急処置もそこそこに、彼女は苦悶の表情を浮かべて眠っていた。失神していたと言う方が正しいのかも知れない。
 だが、そんな状態でありつつも、彼女は大層美しかった。
 閉じている瞼が開けば、一体何色の瞳が出てくるのだろう。
 そんなことも楽しみに思える程の美貌だ。
 「取り敢えず、ここで鑑賞していても始まりませんね」
 一言そう漏らすと、ユウは手術を開始した。



 撃たれた箇所は、かろうじて動脈をそれていた。
 死相にも見えたのは、貧血状態が酷かったからだろう。
 弾が貫通していたのも、幸運であった。
 現在彼女は、輸血によって頬の赤みを取り戻し、痛み止めが効いているお陰で、安らかな表情に戻っている。
 このままあの五月蠅い男達を呼んでも良かったのだが、ユウはそれをしなかった。
 「このまま帰るのは、やはり、ねぇ……」
 ここに誰かがいたのなら、何がやはりだと突っ込んだろうが、誰もいない為に声は聞こえなかった。
 少し酷だとは思ったが、ユウは麻酔を浅い状態にしか打っていない。そろそろ、意識を取り戻しても良い筈だ。
 時計と彼女の顔を見つつ、ベッドの脇にある座り心地の良い椅子にふんぞり返っていると、微かに声が漏れ聞こえる。
 暫し観察していると、瞼が僅かに震えた。
 「……気がつきましたか?」
 その声に、ゆっくりと瞼を開けた彼女は、最初、焦点の合わない視線を向けていたが、徐々にそれが定まると、ユウの方へと顔を向ける。
 「痛みは抑えてある筈ですが、……どうですか?」
 医者の顔をしてそう尋ねると、彼女はゆっくりと頷いた。
 「結構」
 まあ、自分が治療したのだから、当たり前だと満足げに頷くユウだが、いきなり羽布団の中から伸びてきた腕に、しっかりと捕まえられてしまった。
 「? ……何か?」
 「……た、すけ、て」
 切れ切れにも言う彼女は、しかし瞳が怖いくらいに真剣だった。
 面倒事はご免だと思ったユウだが、腕に食い込む爪痕に、微かに眉をしかめながらも問いかける。
 「行かなきゃ……。待ってる、の」
 誰が? そう問いかけるまでもなく、彼女は途切れ途切れに語り出す。
 「駆、…け落ち、する筈、だったの。彼が、待って、るのよ」
 それはそれは厄介な話だ。人の色恋沙汰に関わると、碌なことにはならないだろう。
 ユウの顔にそんな色が見え隠れしたのか、彼女は一層必死に言い募る。
 「おね、がい。協力して……」
 『俺は医者なんですけど……』と言いたかった。事実、言おうと口を開きかけはしたのだ。
 だが。
 「……ちょっと待って下さい」
 無表情にそう言うと、そっと彼女の手を外す。痛い程の視線を受けつつ、そのまま持ってきていた自分の鞄を開けると、ユウはあるものを探し出した。
 「これをどう使うかは、貴方の自由です」
 覗いたままの手のひらに、そっと薬を握らせた。
 何? と問いかける視線に答え、ユウはぞっとする微笑みを浮かべて言う。
 「生きながらも、死ぬことの出来る薬ですよ」
 目を見開きながらも、彼女にはそれが何か通じた様だ。
 「伝言……。お願い、彼に、伝え、て」
 彼女はユウの首を抱え込む様にして、そっと耳打ちをした。



 ベッドから彼女の視線を感じ、ユウは入ってきた扉の前でふと呟く。
 「チャンスは一度きりです。……上手くやって下さい」
 彼女が頷いた気配がした。
 それを認めたユウは、ゆっくり扉を開けたのだった──



Ende