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記憶の笑顔
ライター:有馬秋人
私が私だと理解したのは彼女が居たからだった。
あの頃の自分はそれが何なのか表現できなかったが今は曖昧ながら言葉にすることができる。
輪郭が曖昧になる闇の中に、不意に生じたような。「意識する」という事象自体に混乱してもおかしくない状態。普通は覚醒と同時に必要な知識が与えられていると今では知っているけれど、あの時の自分の中に「私」という概念はなく。「他者」というラインもなかった。自分に肉体と呼べるものが備わっており、瞼をあけることで外界が認識可能な程度には稼動していると言う事がなんとなく理解できた。
コードに繋がれているという現実が体があると知ったとたんに実感できる。ああ、コードというものかすら解らなかった。ただ、意識すれば何かの紐が解かれるように、その事象に対する言葉、単語と言うものが思い出せる。どこかにしまいこまれていたらしい外界で生きるためのワード。名前を理解できるという一つのスキルが身についているのが解り、内部に閉じこもっていなくてもよいような気がした。
その意識に促され、初めて目を開けるとそこは「白い部屋」だった。稼動させようとした体はまだ意識と上手くリンクしていない。起き上がろうとした上体はコードに引かれ、止められる。体に接続されていたコードが何かの機器に繋がれていると知る。その、ただ横たわるだけの体を女の固体が見下ろしていた。
「お…」
目が合うと固体は少し驚愕したような顔をして、笑う。身動きせずにただ凝視するこちらに警戒もなにもしていないのか、にこにこと自分を眺めては何かしら頷いている。その漆黒の瞳の中には固体と同じような造作の顔が映っていた。それが何なのかは言われずと察せられる。
「ノスフェラトゥ?」
確認するように尋ねられるが特に反応は返さない。この様な場合にどういう反応を返せばよいのかデータには無く、また返す必要性も感じなかった。案の定固体は特に何も言わずとも一人で納得して頷いている。
その楽しそうな、嬉しそうな表情がどうしてか興味深いものとして目に映った。
一人で騒がしく、騒々しく、にぎやかに、私が反応せずとも一人で話し続ける固体は「レオナ」と名乗り、私の中に一つの単語を残していった。その「友達」は私メモリにある外部情報記憶層の最初に記録された。
意味は知っている。けれど自身に適応されるとは思ってもいず、動揺せずにはいられなかった。それは欠片たりとも表情に採択されなかったが。
固体、レオナは話すだけ話したあとに手を振りながら部屋を出て行く。その後の記憶は曖昧だ。いや、思い出すことは出来るが意味のある記憶とは言えない。何もなく、ただ時間が流れていく。
流れていくだけの時間に変化が生じたのはもう一度扉の開く音が合図だった。複数の足音が入ってくる。その程度は目を開けずとも、聴覚だけで解る。目覚めた私の中には、その類の、つもりは戦闘に特化したスキルばかりが内臓されていた。今のは索敵の初歩だ。レオナという固体が部屋を出て行ってから自己の情報を認識した。記憶はレオナがいたとき以前はなく、代わりのように戦闘スキルのデータが幅をきかせている。
本当に自分はそういう存在だっただうかという逡巡も僅かに生じるが、それらはすぐに周りに立つ者たちによって阻まれた。頸部から頭部の辺りに接続されているコードから強烈な、命令とも言える事項が流し込まれてくる。聴覚は周りに立つ、白衣の集団が発する声を拾っている。「意識」「適応」「レオナ」「蓄積」「学習」「進化型」流し込まれるデータの強さに拾うことの出来たデータの認識が遅れるが、それでも一つにだけひきつけられた。「レオナ」とは、私を「友達」と呼んだ固体のことだ、と。
また、外部記録の最下層に無理に押し込まれてきたのは「レオナを敵から守れ」というワンセンテンス。
そのセンテンスの中にはワードがある。私が反応してしまう固体名と、最初のデータの製作者の名。ああ、その命令に抗う意味はない。抗うという意識自体が生じるはずもなかったが、おそらくあの固体がインプットしたワードが私の中の何らかの変化を与えたのだろうと思う。
白衣の者たちが言うように、私は作られたオールサイバーだ。コードネームは「ノスフェラトゥ」で。けれど、けれどだ。他にも何か名前があったはずなのに。
それは記憶にない。
若干の混乱はいずれ収束していくはずだった。記憶がなくとも、自分の名に対する違和感が生じようとも、私が私である為のデータは揃っており、白衣の命令のままにレオナを守っていくはずだった。
全てのデータの移行が完了する寸前に繋げられていたコードに異変が起きなければ。
「どうしたっ」
「電力供給ダウン、あと二秒でストップします。停止しました!」
「データ送信にエラーっ」
「接続タグは!?」
「ダメです。解除になりました」
「非常発電システムはっ?」
「――あ……で……」
記憶が途切れる。
耳元でがなるように響いていたはずの白衣の声が消失する。意識が切れる。ふつりと、絹糸をきるかのように。
コードからメインコンピュータのエラーの影響が進入していたのだろうと推測したのは後になっからだ。あの時はただただ、わけもわからない現実に翻弄された。
意識の暗闇。
浮上するのは光のようなセンテンス。
そして私という存在にもっとも先に与えられていた名前。
私、エノア・ヒョードルは、兵藤レオナをあらゆる存在から守る為に存在する。
ノスフェラトゥも私の名であるのだろう。けれど、私はエノアであり、レオナの守護者だ。そう強く意識すると五感を遮るように広がっていた内部の暗闇が消失し、外界に接することができた。
無意識に与えれていた命に従っていたのか、私の両手は鮮やかな朱色に染まり、空気に触れるたびに色を暗くしていく。不意に強い視線を感じ振り返るとレオナが、見ていた。
憎悪と呼ぶにも生ぬるい、懇願でもなく嫌悪でもなく、ひたすらに強烈な何かを秘めて、私を見ていた。それはけっして迎合するような顔ではない。
どうして、そのような顔をするのだろう。私は私の存在意義を満たしただけだ。彼女を守ることが私の意味であり、彼女の為にもなるのに。
それ以上あの目の前に立つことができず、私は、逃げ出した。
どれほど遠くに行っても、あの目が張り付いているような気がして。彼女のあの視線が私を捉えているような気がして。
その場に居続けるのはできなかった。
その後、あまたの戦場を駆け、私は高き塔のあるコミュニティに来た。彼女をあらゆる存在から守るためにスキルを磨き。
彼女の笑顔を再び見るために。
再びあった彼女には敵がついていた。急激に距離を付けていく敵に排除を決行した。私には支障はないが、敵には不利であるはずの闇の中でありながら敵は手ごわく。
何よりも動揺したのは、彼女が私に向かってきたことだ。
私が彼女を傷つけるわけにはいかない。引くしかなかった。
「私は、強くならなくては……」
彼女を傷つけることなく、敵を配することができるように。
そして再び彼女のあの笑顔を見るために。
2005/11/..
■参加人物一覧
0716 / エノア・ヒョードル / 女性 / オールサイバー
0536 / 兵藤 レオナ / 女性 / オールサイバー
■ライター雑記
ご依頼ありがとうございました。有馬秋人です。
発注の内容および、エノア嬢の設定から推察しての作成でしたが如何でしょうか。
以前書かせていただきましたノベルも多少意識していますが、このだけでも楽しんでいただければと思います。
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