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<東京怪談ノベル(シングル)>


『キラキラと光るココロ』

『精神の極限というものに達したとき、私は己の体内に神の鼓動を確かに感じた』
 あたしは親父の論文を読んで大きく息を吐いた。
「……神の鼓動ねえ。どんなんだろう」
 人間の極限状態というものを体感したくて、これまであたしは『食』や『睡眠』の極限に挑戦してきた。けれど、どちらも親父の論文に記されているような壮絶な体験や感覚を得ることができなかった。
 戦場という死と隣り合わせの緊張の中で親父が体験したものに比べれば、あたしが体験してきた極限など子供の遊びのようなものだ。いったいどうすれば、親父が出会った極限というものをあたしも体験できるんだろう。
「まいったな。全然親父に近づいてる気がしない」
 ずっと机の前で悩んでいるのだが、次の研究テーマが決まらない。
 いろいろと挑戦したいテーマはあるものの、傭兵として戦場を駆け抜けてきた親父の経験に比べて、どう必死にがんばっても、あたしの研究方法ではどれもこれも陳腐に思えてしまう。
 気づけば、ゴミ箱には大量のボツ案であふれていた。
「ああ、もう! 気分悪い。外に出てくるか」
 ノートをたたきつけるように閉じると、思い切って外へと出かけた。

 うららかな陽射しが街並みに降りそそいでいる。
 公園では小さな子供が両親と楽しそうに遊んでいるし、噴水の脇ではカップルが幸せそうな顔をして語り合っている。木洩れ日から降りそそぐ陽射しはあたたかく、頬を撫でる風もやわらかくて心地いい。
 公園に出てくれば心が晴れるかと思ったけれど、あいかわらず気分はよどんだまま。
 あたしは公園の端っこから、ぼんやりと平和な日常をながめていた。
「……みんなほんとに平和だねえ」
 コーラを飲み終えると、ベンチに横になって空を見上げる。
 親父の論文は戦場という死と隣り合わせの体験をしたことに裏打ちされている。あたしのような戦場から縁遠い平和ボケした人間が親父のような論文を書こうとするなんて、最初から無理だったのかもしれない。
「こんな平和な国で極限を体験しようだなんて、どだい無理だったのかな」
 親父は戦場という死の淵にいたからこそ、あれだけの論文を書けたのだろう。だったら、真の意味で極限を体験するためには、戦場におもむかなければいけないはずだ。
「でも、そんなこと言ったら親父怒るだろうなあ」
 たぶん平手打ちどころではすまないだろう。殴り飛ばされて反対されるのがおちだ。
 親父があたしを心配してくれるのはうれしいけれど、いまのままではどうがんばっても親父を超えることができない気がする。だったら、いっそのこと戦場でもどこでも向かって、死の匂いが充満するところと極限の世界で研究をするしかないだろう。
「でも、あたしに本当にそんなことができるの?」
 戦場なんて体験していないあたしが、戦場という狂気の世界に適応できるだろうか。
 大勢の死人が目の前に転がり、銃弾や断末魔の悲鳴が飛び交い、空や地面が紅く塗りつぶされていく。自分もいつ殺されるかわからない緊張の中で行軍する。
 そんな世界にいたら、恐怖のあまり発狂するかもしれない。
 狂気の世界の中、冷静に自分の内面と向き合いながら、人間の心理というものを客観的に分析していく。それはどれほどまでに精神力を要求されるものなのだろう。
 死の恐怖さえも抑え込む精神力と、研究への飽くなき探求心がなければ不可能だ。
 極限の中で支え合ってきた仲間さえも死んでいく姿を見たとき、果たしてあたしは親父のように冷静に自分の心と対話することができるだろうか。
「無理。あたしには、絶対無理」
 紛争地域を想像するだけで全身が凍りつくような恐怖に駆られる。
 手が小刻みに震え、目には涙さえ浮かんでくる。
 平和慣れしたあたしが戦場に出たところで発狂して逃げ帰ってくるのがおちだ。それでは、とても親父のような偉大な研究者になることなんてできない。
「所詮平和ボケしたあたしに、親父と同じ精神力を持てなんて、無茶なんだよ」
 ふと公街を見れば、まばゆい陽射しに照らされている街並みや人々が見える。
 すべての人々が祝福されたような景色。
 その景色を見た瞬間、心に一陣のさわやかな風が走った。
「そうか。そういうことか!」
 よどんでいた心が一気に洗われた気がした。
「あたしにはあたしのやり方をすればいいんだ」
 あたしは何を勘違いしていたんだ。親父の論文がすばらしいからといって、自分も親父と同じ体験をする必要はない。親父の背中を追いかけたところで、いつまでも親父を超えることなんてできない。
 傭兵として戦場に向かうだけの精神力がある親父だからこそ、あの論文が書けたのは事実だ。けれど、この平和な世界をいま生きているあたしにしか書けないものもきっとある。
 だったら、あたしにはあたしのやり方で人の心の謎を解き明かす。そうすれば、親父では見つけることのできない新しい『何か』を見つけることもできるはずだ。
「なんだ。簡単なことじゃないか」
 そう考えたら、すっと肩の力が抜けた。
 死に満ちた戦場という空間だけが人の心を知る手段ではない。平和に満ちた場所にだって人の心を知る手段があるはずだ。
「ようし。新しい研究テーマを見つけるぞ!」
 なんだかうれしくなって、あたしはキラキラと光る街並みへと駆け出していった。
 あたしにしか見つけることができない研究テーマを見つけるために……。


***あとがき***
 この度もご依頼していただきまして、まことにありがとうございます。
 とても詳しい状況設定なので大変書きやすかったです。
 今後も引き続きご依頼をお待ちしております。