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快晴それから旋風。
颯爽と、その長身は風を切った。
つうと空を行く燕にも、木の葉を巻き込む突風にも似たその強い足取りは、それだけでも周囲の目を引くに足りる、そんな姿だった。
だが。
その闊達な歩行とは、裏腹に。
普段ならもっと光の強いその眼は、なんだか酷く落ち着きが無かった。時折天を仰いだり、かと思うと地面に視線を落としたり、ぼうっと物思いにふけってみたりと、歩きながらもせわしない。
だって、…落ち着いている場合なんかじゃ無かったのだ。何故なら。
どこからともなく吹き荒れる旋風に、足下を掬われかけていたのだから。
…こんなふうに、彼女はたった今、その部屋を飛び出てきたのだった。
暗闇で捩れる虹色の輪を、Enterキー1つでかき消して。
スクリーンセーバーの下から現れ出た無機質なワープロ文字を、門屋嬢(0517)は深い溜息とともに眺めやった。
先程から、論文の最後の文字は『結論として』のまま停止状態だった。研究室へ着いたのが昼過ぎ、PCの電源を入れてから既に小一時間ほど経つというのに、ちっとも進んでいないではないか。げんなりとした表情で、嬢は緩く頬杖を着いた。何にも頭に入って来ない。目の前の画面を見ていたかどうかすら定かでない。研究にのめり込んでいる普段の嬢を知る者なら、『天変地異でも起こるんじゃないか』くらいは口にしてしまいそうな体たらくだ。
嬢自身も、さすがに、…ちょっとは、自覚があった。ここのところの自分は、全くもっておかしいと。
「調子が狂っちゃうよ…。」
はあ、と、つくのは大きな溜息。
PC以外に聞く者が無かったのは幸いだった。万が一友達や養父が側にいて、『どうかしたのか』とでも問われたら、一体何て応えれば良いんだ。
「何だって、こんなに調子が出ないのかねえ…」
机上のボールペンを手に取ると、気を紛らわせるようにくるくると回す。長い指の上で小気味よく回転するペン先は、しかし少しも嬢の心を晴らしてはくれなかった。
「あーあ…」
身の回りのなにもかもが、まともに手に着いちゃいない気がする。
昨夜なんか、自分の不注意で指先にちょっとばかり傷を作ってしまった。ああ、問題は傷そのものじゃない。その傷の原因が、魚を三枚におろしてたからって事なのだ。普段だったら目を瞑ってても、逆立ちしてたとしても、そんな間抜けな状況起こりっこないっていうのに。一体どれくらいぼんやりしたら、包丁で指が切れるっていうんだろう。
「…本当に…熱でもあるのか?お嬢ちゃん。」
大抵の事には動じない養父が、切った指先をみて目を細め、そう呟いたものだった。
「『結論として』、」
モニターにぼんやり滲む文字を、上の空のまま口にする。
ええと、自分は何を考えていたんだろう。結論、結論、…。
結論として、…だから、なんだって?
「違う!!」
浮かんできた自分の言葉を打ち砕くように、嬢は拳を振り上げる。
「あたしがあいつの事、…意識なんて絶対無い!!あり得ない!!100%考えられない!!」
握ったままの拳は、ここにいない誰かに向けてだ、なのに。
完全否定の三段攻撃は、いつもと違って歯切れが悪い。
「…いや、…そりゃ全然、気になって無いって訳じゃないよ、でも…」
誰もいない室内に、嬢の声だけがこだまする。
誰もいない室内だからこそ、こんな事言ってる気もするけど。
眼前の文字。つまり『結論として』、あいつをどう思っているかっていうと。
…ああ、もう何だか訳が分からなくなって来たよ。
「やめた!」
唐突に、嬢は叫んだ。広い窓から外を見遣る。冷たい水のような透明な空が、まっさらな雲を従えて嬢の前にある。良い天気の気持ちよさそうな空。こんな空みたいに、腹の底からすっきりした気分になれる、そんな場所は無かったか。
「…あるじゃないか。」
呟いて、取り出したのは愛銃。
こんな日は、スカッとしに行くに限る、うん。
ぱたんとノートPCを閉じる。同時に思考も閉じてしまう。
もとい、閉じた振りをする。
空を切るように白衣の裾をひらめかせて、嬢は足早に研究室を出て行った。
そうして。
嬢が向かったのは、少しばかりくたびれた、小さな射撃場だった。
手狭と言っても良いその建屋には、射撃台はたった三つしか備わってない。とはいえ射撃の為の機能は一通りそろっているし、時間撃ちにも早撃ちにもちゃんと対応しているから、特別不自由は無いのだ。もとより見た目より質と機能を重んじる嬢であったから、古さも小ささも気にしてはいなかった。
…それより。
そっと、嬢は己の銃を取り出した。
なけなしの小遣いを注ぎ込んで手に入れたそれは、無機であるが故に硬質な美しさがあって。
掌に隠れる程の、デリンジャー。
だがそのトリガーは、可愛らしくさえあるその外見に似合わず、ずしりと重い。
多少癖はあっても、見た目以上に骨太なこの拳銃が、嬢は好きだった。
引金に指をかけたまま、嬢は射撃台へと近づいた。グリップの握りがしっくり来るまで、手の内で何度か握り変える。ここに着くまで頭の中をループしていた、言葉と気分を落ち着かせるように。
「…大丈夫。気にならない。」
口にしながら、嬢は傍らのボタンに手を伸ばす。
射的の距離は25m。早撃ちの設定で。
慣れた手つきで的の距離と動きを設定すると、嬢は耳栓を手に取った。ぎゅうと奧まで押し込む。それから射撃台へと対峙して。
ふう、と知らず息が漏れても、聞こえないふりをして。
斜角45度にゆるりと腕を下げる。前方のライトが点滅して1秒後、次に伏せるまで3秒間。的の出る間隔は決まっていた。銃身の短いデリンジャーはどうしたって精度に難があるから、(事実、今まで中心を射抜いた事は無い)少しオープンに立ち、出来る限り反動を逃がして、弾丸が正面を向くように。
「集中、…集中、と。」
言い聞かせるようにそう口にする。芯を通すように体に気合いを入れる。ほら、大丈夫だ。もう気にならない。
ひらりと的が射手に向いた。キリと、嬢の虹彩が朱の光を宿して標的を刺す。
だのに。
「あ、ああ…」
直後に発せられたのは、…弾丸の爆ぜる音でなく、嘆き混じりの溜息だった。
早撃ちの的が消えるまで3秒。点滅と同時に瞬発的に跳ね上げた腕は、確かに的の真ん中に向いていたのに。
「…どうして、そこで、出てくるかな!」
その、顔。
何度か顔を合わせただけの、ほんの少し言葉を交わしただけの、その顔が。
的のど真ん中に沸いて出るから、思わず手が止まったじゃないか。
ぐいと顔を上げ銃を構え直す。続けざまに次の的。だけど一度掠めた顔立ちが、どうあってもどうやっても消えてゆかない。なんなんだ、もう。
「うわ、ちゃ…」
結局。
一度もトリガーに力を籠めず、標的は全て通り過ぎていった。
気分転換で銃撃ちに来たっていうのに、これじゃ的が通り過ぎるのを見物してるようなもんじゃないか。
鈍い銀色のデリンジャー、大枚はたいて手に入れたこの銃が、これじゃ泣く。ちょっとあいつの顔が浮かんだだけで、なんてザマだって。
「…なんだってのよ。」
何だか、腹が立ってきた。
何でこのあたしが、負けたみたいな気分になんなきゃならないんだ。
銃を構える。またあの姿がちらつく気がするけど、そんなのは無視して正面を狙う。
目指すは25m先のターゲット。嬢は思うさま睨み付けた。
あの背の高い背中だとか、あの深い瞳の色だとか。…そんなものに。
「負けるもんかっ」
ガン、と反動一つ。
またもや的の前に沸いて出たその横顔を、…はっ倒すくらいの勢いで、嬢はトリガーを引いた。
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門屋嬢様
はじめてのご依頼ありがとうございます。
それなのに、納品が遅れてしまい大変申し訳ございません。
銃の取り扱いと、恋愛になる前の微妙なぶれといったものが、なかなか大変でしたが、
シチュエーションの指定がしっかりしていましのたので、ずいぶんと助けていただきました。
それでも、食い違いがあちこち見られるかと思います。
イメージ等のご変更指示がございましたら、お気軽にご連絡いただけますよう、お願いいたします。
それでは、
どうか、門屋様に、喜んでいただけますよう。
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