|
第二話 トライアウト〜前編〜
こぼれたアルコールを毎晩すするバーのテーブルで、お互いの表情を真剣に伺う三人が座っていた。
ここはバーとしてアルコールを出すだけでなく、かなり遅い時間でも安くて手軽な軽食を出すのでビジターたちの溜まり場になっていた。
三人が賭けているのも今夜の食事で、このゲームで勝者が決まるのだから、自然カードを握る手にも力が入る。
幾度目か、カードを引いた無精髭の男が会心の笑みを浮かべて叫んだ。
「……ストレート!」
張り詰めた緊張の均衡を破ったのはフォルカー・シュトライヒだった。
セフィロトでの活動はまだそれほど長くないが、少年の頃からマスタースレイブに乗ってきた傭兵上がりのビジターだ。
「またフォルカーの勝ちなの? イカサマしてない?」
ワンペアだけのカードをテーブルに広げた少女、ジュリア・クロフォードが笑いを止めないフォルカーを睨む。
フォルカーは五連勝なのだ。
髪を両脇で三つ編みにし、そばかすを頬に散らした幼くあどけない印象を持ちながらも、ジュリアには兵器開発メーカー『キャサリン・ホイール』で過酷なテストパイロットを務めていた経歴がある。
「もうフォルカー誘うのよそうか、レイカ? 奢らされてばかりだしね」
「……また負けちゃったわ」
ワンペアすらも揃わなかったカードを持ったまま、レイカ・久遠が呟く。
――レイカでも一つくらい苦手なものってあるのね。
隣に座ったジュリアはそう思いながら苦笑した。
ジュリアよりもやや年上の娘レイカは、恵まれたボディライン、東洋の神秘を思わせる黒い瞳、滑らかに流れるストレートの金髪と、男性の目を惹き付けるだけでなく同性から見ても羨ましい存在だ。
そんなレイカが見せる小さな不得手が、不謹慎ながらジュリアにとっては親近感を覚えさせた。
「ねえ、どうしたら私も勝てるのかしら?」
「それを勝負相手に聞くなよ。ポーカーは運じゃなくテクニックだぜ。
さ、おごってくれお嬢さんがた」
意気揚々と二人をカウンターに促すフォルカーに、店の常連ビジターからお決まりの野次が飛ぶ。
「いいねぇ! 美人二人で両手に花!」
「またタダ飯かい、フォルカー!」
「うるせぇよ!」
軽い口調でフォルカーは返した。
フォルカーからすれば二人とも十以上歳の離れた相手であり、ジュリアに至っては娘と見られてもおかしくない。
異性として意識するよりも、子供のように無条件で庇護すべき対象といった思いの方が強いのだ。
しかしそれ以上に、年齢や性別を越えた仲間として信頼している。
二人と知り合ってからの時間は短いが、クールな物腰や控えめな言動の奥に、彼女らが秘めた情熱はすぐに伝わってきたからだ。
「食欲ない?」
「そんな事ないわ」
ジュリアの声にレイカを見ると、ポテトサラダにフォークを添えたまま浮かない表情をしている。
「悪い! もしかして財布の中身寂しい時期か!?
だったら今日は奢りナシでいいから。な?」
フォルカーは食欲の無さを自分のせいかと勘違いしうろたえた。
それがおかしくて、レイカは手を振って否定した。
「そうじゃなくて……もうすぐまたセフィロトの探索だから、ちょっとね」
レイカは以前セフィロトの探索に一人で挑み、敗れた。
その後二人との交流の中で、レイカはマスタースレイブの訓練を十分に積み――今再びセフィロトに挑もうとしている。
セフィロトでの体験はまだ強く恐怖として心に刻まれていたが、逆にそれがレイカを慢心に浸す事無く済んでいる。
――怖い。けれど、足を前に出さなきゃ……どこへだって進めない。
カウンターの向こうから、ブラジル風揚げパイ・パステルの皿が三人の前に置かれた。
「気を付けるに越した事はないよ。
最近のシンクタンクは、どんどん賢くなってるって言うし。
この前もいつもお店に来てる子がやられたんだって。物騒だねぇ」
店に来るお客全員、年齢性別問わず自分の子供のように愛するバーのママは、そう言ってため息をついた。
「ホント、気を付けてね。噂だからはっきりしないけど、三機で一斉に襲ってくるみたいよ」
「ママ、セフィロトはいつでも物騒なんだよ」
揚げたてのパステルを前歯でくわえたフォルカーが軽口をたたく。
「シンクタンクが、仲間を作って行動しているの?」
レイカの疑問にジュリアが答える。
「シンクタンクの人工知能は私たちが思ってるよりも、ずっと高度な戦術思考を持つらしいわ。
仲間――同系機と協力するのが有益と判断すれば、そう行動するかもしれない」
――行動を共有しあう事で思考ルーチンの発展させるのは、キャサリン・ホイールでも研究されていたテーマだけど……まさかね。
人工知能の適性検査を繰り返していたキャサリン・ホイールの研究者、それをジュリアは思い出していた。
知らず知らず力が入るレイカの肩を、フォルカーが軽く叩いた。
「今度の探索は三人で出るんだ。一人じゃないんだし、楽に行こうぜ? 力抜く所は抜いてさ」
「いつもリラックスしすぎだと、一緒に行動する方は困るんですけど」
何度かフォルカーと一緒に探索へ出かけていたジュリアが、わざと丁寧な口調で言った。
その目は笑っており、もちろん冗談だ。
さり気なく心の弱い部分を支えてくれる二人に感謝して、レイカは微笑んだ。
「そうね。少し頭で考えすぎてたかもしれないわ」
「そうそう。女の子はやっぱり笑ってた方がいいよ、うん。飯ももうちょっと喰えな」
食の進まないレイカにフォルカーがそう言ってピザの皿を引き寄せると、再び常連ビジターから野次が飛んだ。
「おっ、フォルカー口説きに入ってるのかー?」
「うるせぇよ! ……まったく、無責任に好き勝手言いやがって」
和やかな空気のままその夜は更けていった。
数日後、ヘルズゲートの前には三機のマスタースレイブが立っていた。
ゲートキーパーの男がビジター・ライセンスと書類の確認を行っている。
「えー……パイロット、レイカ・久遠搭乗、機体名『リッパー・BT』。
フォルカー・シュトライヒ搭乗、機体名『沙門』。
ジュリア・クロフォード搭乗、機体名『アコラス』……と。
三機なら、まあ……大丈夫かな」
「気になる事でも?」
歯切れの悪い言葉を最後に付け加えるゲートキーパーへ、リッパーBTの中からレイカが聞いた。
「うーん。最近ヘルズゲートの向こうで襲われた奴に聞くと、何故か三機でつるんで攻撃してくるシンクタンクが多くてな〜。
バグ形態、マスタースレイブ形態、タイプはまちまちらしいけど。
気を付けなよ、としか俺も言えないんだけどさ」
ジュリアがアコラスの中で呟いた。
「マスタースレイブ単機でいる時には危ないわね……」
「やめとくか?」
沙門の横でロングレンジ・ライフルのチェックをしていたフォルカーが言った。
三人のうち誰がリーダーをしている訳でもないが、少しでも不安要素があるなら数日探索予定を先に伸ばすのも手だとフォルカーは思っている。
「私はこのまま行きたいわ。今回は私たちも三機で出るんだし、ね」
レイカは探索を先延ばしにしたくなかった。
レイカの心のうちに、進まないセフィロト探索へのかすかな焦りが無いとは言い切れない。が、三機のマスタースレイブでの探索なら危険もかなり減るはずだ。
「……そうね」
レイカの言葉にジュリアも頷いた。
ジュリアはともすれば慎重すぎる自分も自覚しているだけに、時には後押ししてくれる言葉が欲しい時もある。
「決まりだな。ゲート開けてくれ」
フォルカーが沙門に乗り込み、ゲートキーパーの合図でヘルズゲートが開けられた。
三人は見通しの良い通りを選びながら、居住区を抜けてオフィス街へと進んで行く。
目的地は以前レイカの探索したビルで、そこには一箇所、ビルの上部がそのまま天井部に接合した場所があったのだ。
単身でセフィロトに進入したレイカはそれが上階へ続くエレベーターなのか確認できなかった。
しかし今回のように三人でならば、セキュリティを切って更にビルの奥へと進む事もできると考えたからだ。
それが果たしてエレベーターなのかわからないのだが――。
見覚えのあるビルが近付いてくると同時に、ケイブマンの群れに襲われた、忌まわしい記憶も蘇りそうになる。
完全にあの恐怖は消える事が無いのかもしれない。
――大丈夫、今は一人じゃない。
レイカは心の内でそう自分に言い聞かせた。
機裁カメラには今の所タクトニムの姿は無く、三機とも安全にセフィロト内部を進んでいる。
リッパーの横を進むアコラスから、ジュリアが声を掛けてきた。
「レイカ、目的のビルって?」
「もうすぐよ。2ブロック先を右に……」
「ああ、あれかな?」
後方を付いてくるフォルカーが言った。
まだレイカたちからは見えない場所もフォルカーには見えているようだ。
沙門の電子望遠カメラは、通常マスタースレイブに搭載されているものよりも高倍率で敵影を捉える。
それを精確に打ち抜くのがフォルカーの強みだ。
高倍率カメラを載せた機体だからと言っても、敵影が見えた者全てが弾丸を当てられる訳ではなく、そこには技術・経験が必要になってくる。
と、視界の片隅でフォルカーは何かが光るのを捉えた。
――何だ?
「避けろ!!」
たった今までリッパーとアコラスの立っていた場所に、銃撃の雨が降り注ぐ。
次いでマスタースレイブ三機がビルの上から降り立ち、レイカたちにオートライフルを向けた。
いや、マスタースレイブにしては全体が細く、人間を載せるスペースが無い。
――シンクタンク!?
マスタースレイブが通常人に近い形状をしているのに対し、それらの下肢は四脚で構成されている。
その機動性を生かして、三機は一気に先頭に立っていたリッパー、アコラスの懐に入った。
シンクタンクの腕に固定された高周波ブレードが、リッパーの高周波クローと烈しい共鳴を起こす。
――このままじゃ、パワーで押し切られる!
じりじりとリッパーBTは後退していった。
多脚タイプの重量とパワーは白兵型のリッパーBTにとっても脅威だ。
「レイカ!」
サブマシンガンでシンクタンクを牽制したアコラスが一旦離れた隙を逃さず、脚部関節を狙って沙門から遠距離射撃が行われる。
が、四脚のうち一脚が使えなくなった程度ではその機動性が失われはしない。
やや移動スピードが落ちた一機が後退し、無傷の二機が再び前衛に立って高周波ブレードを振りかざす。
シンクタンクの持つブレードの形状は細く、切るというよりも突き刺す動作に近い。
そのブレードの切っ先は装甲の厚い胸部ではなく、確実に動きを封じ込めるかのように関節部を狙っている。
ブレードの攻撃範囲に入らないようにしながらも、ジュリアは彼らの戦闘に違和感を覚えた。
一気に畳み掛けるかと思えば、彼らはじりじりと後退しているのだ。
――おかしい……誘ってるの?
気付いた時、レイカの乗るリッパーBTはアコラスと沙門の援護射撃範囲から大きく離れていた。
今までは単機での戦闘しかこなしていなかった為、仲間の射程距離をレイカは意識していないのだ。
「前に出すぎよ! レイカ!!」
「戻れレイカ! 退いた方がいい!!」
フォルカーもレイカに叫んだが、通信状態が悪いのか反応が返って来ない。
――ECMまで使ってんのかこいつら!
フォルカーは思わず舌打ちした。
この短時間でシンクタンクに妨害電波を出されるとは、フォルカーも思ってもみなかったのだ。
一方レイカは自分が誘い出されているとは思わず、三機がまわりに集まった一瞬を突いて高周波ワイヤーカッターを使おうと考えていた。
しかし、その一瞬がなかなか来ない。
が、シンクタンク三機のうち一機がバランスを崩し動きを止めた。
――今だわ!
「これが私の切り札……抜けられると思わないで!!」
肩に内蔵されたサブアームを展開させ、高周波ワイヤーカッターがしなった。
高周波を帯びたワイヤーが目の前のシンクタンクをバラバラに切り裂く。
しかしレイカが安堵したのも束の間、他のシンクタンク二機が破壊された一機の影から高周波ブレードとオートライフルで攻撃してくる。
「仲間を囮に!?」
リッパーBTは高周波ワイヤーカッターを再び振るおうとするが、シンクタンク二機に邪魔され、思うようにワイヤーを制御できない。
シンクタンクの高周波ブレードがリッパーBTの頭部センサーに狙いを付け、大きく振りかぶった一瞬。
真横からブレードに沙門のライフル弾が当たり、高周波で脆くなった刃が衝撃で折れた。
「これで三対二だ!」
リッパーBTの横に沙門とアコラスが並ぶ。
シンクタンク二機は不利と感じたのか後退し始めた。
――今なら、やれる!
「深追いするなレイカ!」
再びシンクタンクを追おうとするレイカに気付き、フォルカーはその前に出た。
シンクタンクは一機がその場に残り、もう一機は猛スピードで遠ざかっていく。
自らを足止めの役割と判断したシンクタンクは刺し違えようというのか、沙門のマスターアームへまだ折れずに使える方の高周波ブレードを突き刺した。
「フォルカー!!」
「くっ、そ……!」
マスターアームのフィードバック機構が断たれ、沙門は左手に抱えていたロングレンジ・ライフルを落とした。
「レイカ、援護急いで!」
ECMの効果が切れたのか、レイカの耳にもジュリアの叱責が届く。
とっさにレイカは使用限界の来ている高周波クローを使うのではなく、沙門の落としたライフルを拾ってシンクタンクを撃った。
弾丸が尽きるのと同時に、シンクタンクも沈黙する。
「フォルカー!! ハッチ開けられる!?」
医療キットを手にしたジュリアがアコラスから降りて叫んだ。
「いや……今、下手に開けると腕が落ちる」
フォルカーの腕はアームの中でかろうじて繋がっている状態のようだ。
レイカは何も言えず、ただカメラが映し出す沙門のアームから流れ出る血の赤さを見つめていた。
――私のせいだわ……。
「……喋れるなら何とか大丈夫ね。早く戻って病院に……レイカ?」
自分を責め動けないでいるレイカに気付き、ジュリアは強制的にリッパーのハッチを開けた。
涙を流す事もできずシートの中で震えているレイカを、ジュリアは見上げる。
詰め寄られるかと思ったレイカがびくりと身体を強張らせた。
「自分のせいだと思うなら、早くフォルカーを連れ帰らなきゃ。
意識があるうちにゲートに着けば、病院まで搬送してくれるわ。
……私、二人も運べないよ、レイカ。
だから、ちゃんと自分で歩いて」
ジュリアは穏やかな口調でそう言うと、再びリッパーBTのハッチを閉めた。
その後ゲートに着くまで、レイカは一言も口をきく事ができなかった。
ゲートから直行した病院で、フォルカーは左腕の手術にすぐ取り掛かった。
左上腕部の骨折に加えて筋肉が幾つか分断されていたが、命に別状は無い。
出血量も見た目程多くはなかったようだ。
ようやく面会を許されたフォルカーは左肩から固定され、左目にも眼帯をしていた。
「フォルカー……」
手術の間中自分を責めていたレイカも、そんなレイカを気遣うジュリアも顔色が悪かった。
「なぁ、二人ともそんな顔すんなって。腕、くっついたんだぞ。
目もホラ、まだ片方でレイカもジュリアもちゃんと見えんだし」
それに、ちゃんと生きてんだしさ」
いつもと同じ口調のフォルカーに、レイカは更にいたたまれなさを覚えた。
「ごめんなさい……私のせいで、こんな……」
繰り返し謝るレイカをベッドサイドに座らせ、フォルカーは言った。
「レイカ、人は歳取りゃ身体は動かなくなるし、老眼にもなる……いつまでもマスタースレイブ乗れるとは限んねぇよ。
まだ、二十年しか生きてなきゃピンとこねぇかもしれないがな。
まあ、まだしばらくはマスタースレイブで稼ぐつもりだから、二人にも付き合うぜ」
レイカよりは動揺から落ち着きを取り戻したジュリアが、フォルカーに言った。
「でもしばらく、探索は無理だね」
「それは仕方ないって……今日は二人とも帰りな。
美人二人が付き添いじゃ大口開けて寝られないだろ?」
レイカとジュリアはフォルカーの病室を静かに出た。
病院の待合室は照明が落とされて誰もいない。
手術が終ったのは既に深夜と呼ばれる時間だったのだ。
「私……フォルカーにどうしたら償えるの?」
「レイカ」
「だって、フォルカーの腕も目も、駄目になったら、私……!!」
悲鳴のような声を上げるレイカの身体をジュリアは抱きしめた。
自分よりも背の高いレイカの頭を、ジュリアは胸に抱えて囁く。
「レイカ……私も苦しいよ。でも、自分のせいだなんて思って、離れていかないで。
……生きてるのに、友達が離れていくなんて苦しいから」
しばらくの間二人はお互いを抱きしめあっていたが、
「……ごめんなさい」
レイカの方から離れていった。
それ以上引き止める言葉もかけられず、ジュリアは病院から出て行くレイカを見送った。
レイカはゲートで預かってもらっていたリッパーBTを引き取り、シートに身体を滑り込ませた。
誰も見ていないリッパーBTの中、レイカは嗚咽を堪えきれず涙を流した。
「私、フォルカーに……ジュリアに何をしてあげられるの!?
どうすれば、私……!」
――あのシンクタンクを、私が倒せば……。
レイカの前には無言で口を閉じたヘルズケートがある――。
(終)
|
|
|