PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


テーブル・マナー

 ――はじめは、ささいな疑問からだった。
 けれど、誰が考えただろうか。
 目の前にずらりと並ぶは、重ねられた皿、その上にどうしてこんな無駄なと思うほど綺麗に畳まれ形作られた布、その両脇にずらずらずらといくつも並ぶナイフ、フォーク、スプーン。
「さ、はじめましょうか」
 アデリオン・シグルーンがふんわりと微笑んで、がちがちに緊張している彩月の対面に腰を降ろした。

*****

「……うん?」
 最初にそれに気付いたのは月。
 『門』をくぐり、とあるフロアを探索している途中で休憩を取った時の事。
 アデリオンと月は元々あまり騒がしい方ではなく、探索中も事務的ではないもののあまり無駄話をせずにいたものだから、携帯食料を入れた容器や、フォークが触れてかちゃかちゃと音を立てるのを耳障りと思いつつ、しょうがないと食べ物を口に運んでいた月が、その音が聞こえてくるのが自分が食事するスペースからだけだと顔を上げてみれば、
「…………」
 流れるような動作で、アデリオンが食べ物を口に運んでいるところだった。
 月と同じような食事を、同じような容器に入れて持って来ていた筈なのに、アデリオンの方はほとんど音も無く、そして無駄の無い動きで食べ物を口に運んでいる。それは、月が思わず見とれて自分の食事が疎かになってしまうほどだった。
 かちゃ……っ。
 それが手の力の緩みに繋がったのだろう。器の端を叩いてしまい、はっと我に返る。
「どうかしましたか?」
 その時、始めて物音に気付いたようにアデリオンが顔を上げた。
「……うん。いや、キミがあまりにも静かに食べているものだから、驚いてしまって。どうやったらそんな風に出来るんですか」
「どうやったら、ですか?」
 食事の手を止めて、アデリオンが月の言葉に首を傾げ、しばし考えているような姿を見せた後で顔を上げてにっこりと微笑み、
「興味があるようですし、教えて差し上げますよ。そうですね……この探索を終えた日の夜、私の家まで来て下さい」
「え……そんな、教えて貰いたいとは一言も」
「興味を持ったじゃないですかー。それとも、あれはただの社交辞令とでも?」
「いえっ、それは違います」
「ですよねぇ。ああ良かった」
 ……結局何を言っても丸め込まれてしまうのだと最後の最後まで気づけなかった月が、え、あ、あの、ときょろきょろ助け舟を求めるように周囲を見渡し、ここには自分たちの他は誰もいないと改めて気付いて、楽しそうに笑顔を浮かべているアデリオンの顔を見る。
「いいですか? 私の家に、夜ですよ。約束して下さいますねー?」
「……はい。分かりました」
 他の答えを許してくれそうに無いアデリオンの様子に、月がしょんぼりした様子で頷いて、半ば強引にアデリオンの家へと行く事を約束させられてしまった。
 それが、油断に繋がったとは思いたく無い。思いたくは無いが、探索最終日になっても良いアイテムやその他の発掘品は見付からず、ただ疲労感だけが残っていた。
「はー……」
 ぽふっと布団に顔を埋めながら、全身の気だるさを感じて、このまま寝てしまいたい――そう思った月がごろんと寝返りをうち、軽くうとうととした後で、何か大事な事を忘れているような気がして身体を起こし――そして、がばっと起き上がった。
「しまった」
 慌ててばたばたと身支度を整えると、鍵をかけるのもそこそこに走り出す。
 きっと自分を待ていてくれているだろう、アデリオンの家へと。

*****

「いらっしゃい。お待ちしていましたよ」
 小ぢんまりとした二階建ての建物は、ごちゃごちゃと建物が立ち並ぶ場所でも比較的静かな区画に建てられている。
 壁の様子や建物全体の色合いからすれば相当古く感じられたのだが、月が実際に中に入って行くと、きちんと手入れをなされている家は実際の年月よりもずっと新しいものに見え、心地よさそうな雰囲気を醸し出している。
 そんな家の二階から降りてきたアデリオンは、見るからに『いいもの』と分かるスーツ姿にネクタイを締めて、ある意味ビジターの姿よりもしっくりと板についた格好だった。
「あ、あの……」
 いつもと雰囲気の違うアデリオンに気おされたか、月が早くも帰りたそうな仕草を見せるのをアデリオンが見逃す筈は無い。
「さあさあ、こちらに。大丈夫、何も怖がる事はありませんから」
 月が適当な事を言って退去しようとする前に、素早く月の手をそっと掴んで家の奥へと引きずって行ったのだった。……実際には、手を取って奥へ案内しただけだったのだが、月からすればそのくらいの心境だった。
 そうして、月が買おうとも思わない、それ以前にどうやって手に入れるのかさえ分からない布地の服を、月のサイズに合わせて次々と出しては仕舞っていくアデリオンを、半分硬直したままの月は見守る他無かった。
 ――全てが終わった後、満足げに微笑を浮かべるアデリオンが、今度は別の部屋へと消えて誰かに何かを指示しているような声が耳に届く。
 その声をぼんやりと聞きながら、月は、どうして自分がここにいるんだろう、と考えていた。着慣れない正装というやつで、全身を着飾った姿を大きな全身鏡に映しながら。

*****

 黒塗りの車までが出て来た時は、冗談かと思ったがそんな事は無く。こっそり何度も頬をつねって夢かどうか確かめたため、奥まった場所にひっそりとある店の前に車が止まった時には、月の方頬はほんのりと赤く染まっていた。
 店の名前に聞き覚えは無い。元々ビジターが食事に来るような場所じゃないと、看板や店の構えから十分に想像が付いたのだが、店の中に入り、音も無く歩いているウェイターや、店の中から聞こえて来るピアノの生演奏を聴いてその思いはますます強まっていた。
「……どうしましたか?」
 そんな月の反応が面白いのだろう。くすくす笑いながら、アデリオンの顔を見て足早に近寄ってきた、ウェイターには見えない年配の男へ何事かを囁きかける。
「かしこまりました」
 そう言った男――後で支配人と教えられた――が二人を案内した先は、商談や会食などで良く使用される個室。細長いテーブルを挟むようにいくつもの椅子が並んでおり、そのひとつに月を座らせて、アデリオンが微笑みながら真向かいの席に座る。
 染み一つ無い真白なテーブルクロスが、それだけでいくらするのだろうと、極力これからの事を考えまいとする月へ、
「料理をお願いしますー。ええ、お任せのフルコースで」
 のほほんとしたアデリオンの声が、さっくりと耳奥へ突き刺さった。

*****

 皿の上に置かれている綺麗に折りたたまれた布を、恐る恐る膝の上に広げる。
「まあ、そう緊張なさらないで。テーブルマナーの一番大事な事は何か、分かりますか?」
 広いテーブル席の端で対面に座りながら、アデリオンが微笑みかける。
「さ、さあ……行儀良く食べる、ですか」
 これからの長い時間を考えて本当に困った様子の月がそう答えると、アデリオンはゆっくりと首を振って、
「基本はそう教えますけれどね。本当は、出されたものを美味しく頂く、それに尽きるんですよ。後は、一緒に食べている人、隣り合わせた他の客、それからお店で働いている人たちを不快にさせない事。音を立てない、大声を出さないと言うのはその辺りを考えればすぐ分かる事ですよね」
「……なるほど」
 マナーと言うものはそう言うものでしょう?
 そう言って、アデリオンが優しく微笑んだ頃、前菜が静かに運ばれて来た。
「ナイフやスプーン、フォークの形や大きさが違うのは分かりますか?」
「え、ええ」
「これも出されたものを食べやすいようにと考えられたんですよ。やり方が分からなければ、私がお教えしますから、真似でいいので落ち着いて頂きましょう。知っていて損は無いですから」
 外側から静かに取るアデリオンの動きを真似て、必死に音を立てまいと月が苦戦しつつ、前菜を口に運ぶ。
 そんな状態で味など分かる訳も無いのだが、アデリオンは何も言わず、ゆっくりとした動きで料理を口に運んでいる。
 目で、鼻で、口でそれらの料理を楽しみながら。
「――」
 いつの間にか、月はそんなアデリオンの様子に目を奪われていた。食器の使い方もそうだが、それ以上に『食事を楽しむ』事に心を傾けている彼の姿をじぃっと眺めるうちに、ふっ……と、月の肩から力が抜ける。
「美味しく頂く、と言うのは、楽しめなければ駄目ですね」
「……その通りですよ」
 マナーとしてのタブーはいくつかあるが、それは目に付いた時に言えば良い。
 まずは、場の雰囲気に慣れて貰う事が肝要と、アデリオンは自分の真似をするようにと言う以外の言葉は発しなかった。
 尤も、小さい時から厳しくしつけられたアデリオンの動きはまさにお手本通りで、これ以上の教材は望んでも手に入らなかっただろうが。
 舌の上に乗せた料理の味が分かり始めた頃、自然に月の口元がほんの少しだけ綻ぶ。
 月は知らなかった。ここがこの界隈でも一、二位を争う高額なレストランであり、だが、味の評判では常にトップに輝いていると言う事。
 緊張を解いてゆったりと味わってみればなんと言う事は無い。
 そこは、とても美味しい店だったのだ。

*****

「なかなか良い動きでしたよ」
 アデリオンの『家』に戻って元の服装に着替えた二人が、アデリオンが入れた香りの高い紅茶を飲みながらゆったりとくつろいでいる。
「そうですか」
「ええ。それに、十分楽しんだみたいですね」
 この家にやって来た当初とは顔つきから違いますよ、と言われた月がほんの少し照れた様子を見せながら、
「だって、とても美味しかったですから」
 最後のデザートまで半ば夢中で過ごしたのだと正直に告白すると、にこにこと我が事のように喜んだアデリオンが、
「それで、いいんですよ」
 と、告げ。
「彩さんは、お店が一番喜ぶマナーで食事を楽しめたんですから、今日の採点は満点ですね」
「ええ――って、またですか!?」
 また行きましょうね――と、今日は何とか過ごせたものの、思い返せばまた緊張が蘇ってくる月に、にこりと微笑みかけたのだった。


-END-