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<東京怪談ノベル(シングル)>


Keepsake


 カランと、グラスの中で氷が小さくなった。指で揺らしてやれば、氷はまた音を立ててグラスを滑る。
 窓枠に腰をもたらせながら、饒・蒼渓は一人そんなことをしていた。
 特に上等というわけではないホテルだが、こうやって窓から覗く景色はそれなりにいい。ただ鈍く光る光を眺めながら、彼はそっと胸元の認識章をさすった。そうすることで、何故かホッとして、そして少し寂しくなる。
「……」
 言葉はない。言葉を交わすべきものもいないし、特に交わしたいとも思わない。
 カランと、また氷がなった。

 なくなった琥珀色の液体をグラスに注ぎ、彼はまた窓際へと戻る。そうして、また胸元にある認識章をさする。こうしていると、まるであの日が戻ってくるように感じられて。
 彼は一人、郷愁に浸るのだ。





* * *



 気がつけば、戦場だった。
 タタタタ、タタタタと。軽い音なのに、その音が響くたびに誰かの命が散っていく。
 物心をついた頃には、その音の意味は知っていたし、自分もその音を鳴り響かせて誰かの命を奪っていた。
 それは、自分の親がそういう存在だったからで。そして、彼も否応なしにそれに付き合わされることになった。
 何のことはない、この世界ならそういう存在は別に特別というわけでもない。
 ただ彼の親は傭兵で戦争屋で、そして自分もそうであっただけのこと。

「聞いたか、あいつ」
「あぁ、また一人減ったか…」
 そんな会話が、当たり前だった。この世界で、誰かが死ぬのは当たり前のこと。自分が生きるために、誰かが死ぬのだから。
 特別仲間意識が強いわけではなかった。しかし、それでも自分と同じ部隊のものがいなくなると、少し寂しくはなる。
 所詮は傭兵部隊。それでも、一度出会ってしまうのだから。
「だが、それは余計な感情だ」
 それを伝えたとき、父は否定した。
「この戦場で、そのようなことを思えば死ぬ。例外はない」
 それが、父の口癖だった。

 思えば、父との会話は必要最低限のものだけだった。
 ただ生殺の術を教えられ、戦闘技術を叩き込まれ。そこにあるのは、凡そ普通の家族の其れとは全く違う。親子ではなく、ただ殺し合いの部隊における、上官と部下の関係。
 蒼渓は、それを哀しいとは思わなかった。この世界では当たり前のことだと子供ながらに思ってはいたし、それに不思議と寂しさは覚えなかったから。

 玩具を磨くことは許されず、磨かれることが許されたのは銃身だった。
 頭を撫でてくれる手はなく、顔を殴る手だけがあった。
 そんな幼き日々。
 それでも、そんな日々が当たり前のようで、大切だった。





* * *



「蒼渓、蒼渓!!」
 ある日、普段は話もしない部隊の隊員から蒼渓は呼ばれた。
 今まで一切の接点がなかった男に、しかし蒼渓は黙ってついていく。少なくとも、彼が今裏切ることはないと知っているから。
 歩いた先にあったのは、一つのテントだった。そしてそれは、彼にとっても馴染み深いもの。
 鉄の匂いがする。濃すぎる鉄の匂いが。
 何時だったか、初めて人を殺したときもそんな匂いがした。
 …そこは、医療用天幕という名の、死体安置所だった。

 慣れてしまっていた蒼渓は、黙ってその中に入る。鉄の匂いが、より一層強まった。
「…これを見ろ」
 男が顎をしゃくった。その先にあったのは、もう千切れてしまってその先がない左腕と衣服。
「…なんで、自分にこれを?」
 当然の疑問だった。戦場では見慣れた光景ではあるが、だから何だと言うのか。
 男はその疑問に答えるように、「よく見ろ」とだけ言ってもう一度顎をしゃくった。
 蒼渓は、じっと動くことのない腕を見る。
「…まさか」
 ドクンと、胸が一度なった。
 よく見れば、あの腕はよく自分を殴っていたあの腕じゃないのか?
 あの腕の縫い目の解れ方、認識章、やはりよく見覚えがある。
 ドクンドクンと、心臓が高鳴った。
「…隊長だ」
 世界の全てだった父親との別れは、急にやってきた。

「しかし、隊長が死んだとなると俺達も身の振り方考えねぇといけねぇな…」
「この部隊は解散だろうからな。まぁ幸い仕事には不自由しないが…」
 人一人が死んで、その子供が目の前にいるというのに、男達の声は容赦ない。しょうがない、それが当たり前なのだ。
 そして、蒼渓もまた張り付いたように動かなかった。普通の子供なら、親が死んだというなら泣くくらいのことはするだろうに、表情の変化もない。
 それは、慣れていたこともあったし、何よりもそのときは何も分かっていなかったのだ。





* * *



 それから彼は、小さいながらに傭兵として戦場を転々としていた。
 変わらない硝煙の匂い、鳴り止まない銃声、失われていく命。
 酷く、無感動だった。

 仲間はいなかった。戦友と呼べるものたちも、気付けば彼の隣から姿を消していた。
 ただ、独りだった。
 それでも彼は生きるために殺し続けた。死ぬのは、嫌だったから。
 特別な理由などない。生きているなら、死にたいと思うのは嘘だからだ。そう思ったときには、彼はすぐさま死んでいただろう。

 独りだったが、耐えられないわけではなかった。理由は、彼にもはっきりとは分からない。





* * *



 そうして彼は生き延び、成長して、今に至る。
 そんな彼が、街の中で出会った一組の親子。
 息子が笑い、そんな子供を嬉しそうに眺める父親。どこにでもいそうな、幸せそうな親子だった。
 それを見たとき、不意に胸を締め付けられるような思いが彼の中に生まれた。
 まるで羨望を抱き、そして嫉妬するような。そんな感覚。だから、彼は親子を見ると目をそらす。

 何なんだろうか、この感覚は。独りになると、彼はそっとそれを考える。そうして、そういうときには必ず自分の胸元に縫い付けられた、父親の認識章を触るのだ。そうすると、何故か落ち着くことが出来るから。
 思えばあの日、父の遺品は他にもあったのに、何故これを縫い付けるように頼んだのだろうか。
 きっとそれは、彼と父の関係そのものだったからだろう。
 そしてそれを、彼はここまで大きくなった今思い知る。

「…なぁ親父」
 触れながら、蒼渓は呟く。誰もいないけれど、こうやって触っているうちは、父が傍にいるような気がして。
「考えたら…あんたのこと、父親らしい呼び方なんて一度もしてないよな」
 それはそうだろう。父とは上官と部下の関係でしかなかったのだから。しかし、今はそれも少し勿体無いような気がする。

 独りになって、誰とも知らぬ家族を見て、気付いたのだ。
 自分は、今寂しがっていると。
 考えても見れば、あの頃は独りではなかった。たとえ父と子の関係でなかったとしても、それは関係なかった。
 ただ、父はそこにいて。自分もその傍にいて。そして他の誰かがいて。
 独りだったことは、終ぞなかったと知る。
 孤立したことはあった。死にそうになったこともあった。
 しかし、それでも傍には父がいてくれた。独りではなかったのだ。
 その事実は何よりも確かで、彼の支えだった。

 こうやって独りになって旅をしていくうちに、殺し合いの中で成長を止めた幼かったままの心は成長した。だからこそ、そのことに気付けた。
 だから、今更こうやって父のことを強く想うのだろう。

 しかし、彼はまた同時に気がついた。
 父はもういない。そして、自分はそれでも生きている。頼りとしたものを失って、なお。
 強くなったから? 何かが違う。
 きっと、それはやはり父が教えてくれたからだろう。こうやって生きていけば、自分はまだまだやっていけるという術を。
 思えば、全て父が教えてくれたことだ。生殺の術も、生き残る術も、そして、生きていく方法も。
 確かに父親らしい父ではなかったのかもしれない。しかし、それでも父が教えてくれたことは彼の中に残り、こうやって彼を生かしている。
「…あれが、最初で最後のあんたの父親としての教えだったのかもな」
 父として、子にやれるものがないから。父として、子が生きていく強さだけは与えたのか。

 なんて不器用な人なのか。
 そう思うと、不思議と笑ったことのない父の顔が、自分の中で笑ったように見えた…。



 もう一度、窓の外に視線をやってみる。そこに、一組の親子がいた。
 それを見て、もう一度思い出に浸る。



 玩具を磨くことは許されず、磨かれることが許されたのは銃身だった。
 そうしているうちに、父に少し追いつくことが出来たように思えた。

 頭を撫でてくれる手はなく、顔を殴る手だけがあった。
 それでも、一つ殴られるたびに、何か強くなるような気もした。

 そんな幼き日々。全ては、気のせいだったのかもしれないけれど。
 それでも、そんな日々が当たり前のようで、大切だった。
 独りじゃなかった、あの頃は。きっと、自分にとっては全てが輝いていたのだろう。





 カランと、氷が小さくなった。
 あぁ、たまにはこうやって、過去に浸る一日も悪くはない。
 胸元の認識章を触り、そして上着の裾の裏に縫い付けられた自分の認識章を触る。
 懐かしい感覚に触れ、その思いにただ身を任せる。
 また明日から、独りで生きなければならないのだから。
 今はただ、こうしていよう――。





<END>