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黒鋼の牙へ遺されたもの
都市マルクトの住居や店舗がまばらな一角に、瓦礫や廃材が小高く積まれた場所があった。
セフィロト崩壊以前はマルクト建設の資材置き場として使われていたようだが、審判の日以降その資材は生活に逞しい住人たちによって持ち去られ、代わりに大型の廃棄物が投げ捨てられている。
中央が高く盛り上った廃棄物の山は裾野に多くの死角と崩れやすい足場を持ち、セフィロトの住人からマスタースレイブの訓練に使う場所として、ギルドの訓練場と共に親しまれている場所になった。
ギルドの訓練場には広さで劣ったが、実際にヘルズゲートの向こうに広がる廃墟と近い事や人目につきにくい事から、一人で訓練に励みたい駆け出しのマスタースレイブ乗りがよく利用している。
その訓練場に古代竜を模したマスタースレイブが進み出てきた。
巧みに尻尾型スタビライザーでバランスを取りながら、瓦礫の上を危なげなく進んでいる。
マスタースレイブに付けられた『護竜』という名前は、搭乗している青年の養父が付けたものだ。
その養父が急逝してから、青年――神代秀流は父の遺したものに相応しい存在になろうと努力してきた。
父の遺してくれたものは血の繋がらない妹、高桐璃菜。
供えられた花がまだ色を変えていない墓石の前で、璃菜をこの世界全ての悲しみから守ろうと誓ったあの日、秀流は雨に濡れたままその場を動かない彼女に差しかける傘すら持っていなかった。
そんな自分への歯がゆさが、秀流の原動力の一つになっているのかもしれない。
歳月が流れ、璃菜は秀流にとって恋人になり――それよりももっと深い部分で繋がった『家族』になった。
秀流はもう一つ父の遺したものを受け継いだ。
それが子供の頃に憧れた古代竜の姿そのままのマスタースレイブ・護竜だったのだ。
璃菜もまたサソリ型のシンクタンク・アリオトのパイロットとして、護竜と共に瓦礫の上を這うように移動している。
多脚タイプの形状はこういった足場の悪い場所では特に有利に動ける。
アリオトの性能もあってか、璃菜も秀流に遅れず、一定の距離を保ちながら歩行動作を確認していた。
二人は護竜・アリオト、両機の動作確認の為ここを訪れたのだった。
「新しいスタビライザーのバランスはどう?」
「うーん、ウェイトが増えた分、バランス取るの難しいな……」
メカニックでもある璃菜は秀流の言葉に、
「機動性が落ちちゃうね」
とモニター越しにため息をついた。
振り回す事で打撃を加えるスタビライザーをより重いパーツに替える事で、更に攻撃力を高めようとしたのだ。
しかしいたずらに重いパーツを組み込めば、その分護竜の敏捷さは損なわれてしまう。
「元のパーツの方が良かったかもな」
大抵のマスタースレイブ乗りが最初に当たる壁、移動すらままならなかった頃を秀流は思い出した。
今ではスレイブアームとマスターアームにあった違和感とずれ、それすらもベストなバランスに感じられる。
「ツールも持ってきてるし、ここで前のパーツに戻そうか?」
璃菜の言葉に秀流は目を見張った。
「準備がいいな、璃菜」
「メンテナンスは私のお仕事だもの!
いつでも私、護竜とアリオトと、秀流の世話はできるように準備しておいてるんだから」
悪戯っぽくモニターの向こうでそう言ってみせる璃菜に、秀流は苦笑を返す。
「俺は最後なのか?」
「だって一番世話が焼けるの、秀流なんだよ。すぐ怪我して」
少し拗ねた口調で言葉を返す璃菜の瞳は笑っている。
真紅の瞳に宿った光は穏やかだ。
その曇りのない明るさに何度も秀流は救われ、励まされてきた。
最近は女性らしさが増してきたようで、長い間一緒に過ごしてきた秀流でさえどきりとする表情を見せる事がある。
そんな気持ちをごまかすように、秀流はわざと肩をすくめて見せた。
「じゃ、スゴ腕整備士さんに見てもらおうな? 護竜」
「もうっ、ふざけて!」
コクピットの中、今は両手に馴染んだトリガーに指を添えながらふと二人は思い出した。
束の間、護竜と初めて引き合わされた日と、その後を――。
父が亡くなった後案内された整備工場に、護竜は待っていた。
自分の為に父がカスタムしたというマスタースレイブは、強靭なバイトファングと鋭いスタビライザーを備え、恐竜を思わせる姿で秀流たちの前に佇んでいた。
脚部から背にかけてのどっしりと安定したフォルムが、常に一本芯の通った生き方を貫いていた父と重なる。
荒々しくも優しい……そう父は自分の事を見ていたのだと秀流は初めて知った。
そしてそんな秀流の可能性の先を、父は護竜に託してくれたのだと。
護竜にすがって泣いた日を境に、秀流と璃菜は手探りながらも二人で生きていく道を探し始めた。
秀流は璃菜を守れるだけの力をつける事、璃菜はそんな秀流を支えられるしなやかさを持つ事。
護竜はすぐに秀流たちの暮らす家のガレージに運ばれたが、しばらくの間はそのままにされていた。
当時の秀流は思った。
――まずは銃の腕を磨いてからだ。
両手で標的の中心が狙える位、リボルバーを使えるようにならないと。
何もかも全部、一度にやろうとしたって失敗するだけだ。
頑なに銃の訓練だけを積み、どうにか自分でも形になってきたと思えた頃――ようやく秀流は護竜の前に立った。
ガレージの中、見上げた護竜に秀流は話しかけた。
機械に心はないのかもしれない。
マスタースレイブに話しかける自分は、滑稽に見えるのかもしれない。
それでも、父が託してくれた護竜に秀流は自分の気持ちを打ち明けずにはいられなかった。
「もう、乗ってもいいよな」
そっと触れた護竜の脚部は、銃の訓練で熱を持った秀流の手を心地よく冷してくれた。
「ほら、マメだらけだ……この手、ようやく父さんと同じになったんだ」
何度も皮膚が破れ厚くなった手の平は、懐かしい父の手の感触を思い出させる。
「お前に乗る資格、できたろ?」
黒鋼の牙は見上げると笑っているように見えるのだと、秀流は感じた。
そして恐竜は優しい生き物だと教えてくれた、父の思い出が護竜に重なる。
その後ガレージから外の訓練場へと歩む護竜の姿は、お世辞にも生物の頂点に君臨する暴君竜とは言えなかった。
形こそ成竜と同じとはいえ、一歩踏み出すごとに足元が揺れる護竜は卵から孵ったばかりのようだった。
「秀流、大丈夫かなぁ」
よちよち歩きの護竜を訓練場の端から璃菜が見守っている。
マスタースレイブの訓練を始めて数日、最初の日は酷い震動酔いで、秀流は訓練もそこそこに寝込んでしまったのだ。
普段の自分とは違う高さの視点、上手く制御できないバランスと揺れが三半規管に影響を及ぼした結果だ。
「あ、また……!」
璃菜の視線の先で、護竜はわずかな段差に躓いて転倒した。
地面にあった廃材で足がもつれてしまったのだ。
――秀流、中でぶつぶつ言ってないかなぁ……。
何となくコクピットの中で自分自身に声を荒げている秀流を想像し、璃菜は少し笑った。
護竜はそれでも、何度も立ち上がって再び訓練を始める。
繰り返し立ち上がる護竜を見ていると、その中で汗をかきながら頑張っている秀流の姿も見えそうだ。
――秀流と護竜の一番傍で、応援するのは私だよね?
溝に嵌ってしまい動けない護竜をクレーンで引き上げながら、璃菜は思った。
情けなくて、秀流も本当はこんな姿見せたくないかもしれないけど。
――そんな所も全部、応援してるよ。
「今日はもうやめる?」
「……まだ、やめない!」
護竜の中から秀流の声がスピーカーを通して響いた。
「それじゃ私も、もう少しここにいるね。今度は遠慮なく溝にはまってもいいよ」
「もうはまらないって! な、護竜?」
璃菜が見守る一匹と少年一人は、数日で不思議な絆を持ったようだ。
――疲れちゃってるくせにカラ元気出しちゃって。
男の子は見栄っ張りだから頑張って早く大人になるんだって、誰かが言ってたな。
事実、秀流は自己流ながら護竜の扱いを随分と早いスピードでマスターしていった。
「できたっ、と」
無骨なパーツを馴れた手付きで外し、璃菜はあっという間に護竜のスタビライザーを付け替えた。
「秀流、ちょっと振ってみて?」
璃菜が離れたのを後部カメラで確認してから、秀流は浮かせたスタビライザーを左右に振った。
「うん、やっぱりこっちの方がいいな」
「秀流はこのウェイトに慣れてるもんね……もう溝には嵌らないかな?」
すぐに秀流は、璃菜が護竜を初めて動かした頃の事を言っているのだ気付いた。
「璃菜とアリオト、まとめて抱えても溝くらい跳び越せるさ」
「ホントに? 今度ヘルズゲートの先に行ったら確かめようっと」
アリオトに乗り込んだ璃菜が指を拳銃の形にし、モニターの秀流を狙う仕草を見せた。
唇が「ウソツキは死刑だよ」と動いてウィンクが添えられる。
「璃菜こそアリオトで床を踏み外すなよ? 最近重くなってそうだし」
「あ、ひどいなぁっ!」
他愛ないやり取りの中に、護竜とアリオトの存在がある。
それが二人にとって今はごく自然で、当り前の事に感じられる。
「……もっと、上手く操縦できるようになりたいな」
「それは今でも、俺も思ってるよ」
秀流と璃菜は改めてお互いのパートナーと……護竜とアリオトも含めて――分かり合いたいと思った。
(終)
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