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Yard which shakes beautifully
「新しいケーキを焼いてみたのですよ」
自身が住まう豪奢な邸宅のドアを開き、客人を招きいれながら、クレイン・ガーランドは華やかさを絵に描いたような微笑みを満面に浮かべた。
「……新しいケーキ、ですか」
招き入れられた客人――リュイ・ユウは、眼鏡を指の腹で押し上げ、眼前にいるクレインの顔にちろりと一瞥を向ける。
――――確か、つい先日もこうやって招かれた事があったような気がする。あれは果たしていつの事であっただろうか。先週か……あるいは先々週であっただろうか。
舌先に蘇る味に、リュイは夜の漆黒を映した双眸をゆらりと細め、真っ直ぐにクレインを見据えた。
「ああ……あなたが手がける新作ケーキは最高ですね。……なんでしたっけ、前回いただいた、あの」
「塩バターキャラメルケーキ」
「ああ、そうそう、それでしたっけ。あの、ガレットに見立てて作ったとかいう」
「そば粉を使いましたからね。あのそば粉も最高級のものを取り寄せたものでしたが、やはり材料の生産地にもこだわりは持っていたいものです」
「……しかし、ローズソルトを使うといった発想は、少しばかり度が過ぎた感がありましたね」
「ああ、お恥ずかしい。あれもなかなか良い案だとは思っていたのですけれど」
恥ずかしげに首を傾げるクレインに、リュイは小さな――悟られない程度のため息をひとつ吐いた。
「……それで、今回はどのようなケーキを?」
訊ねつつ、クレインの顔を見やる。クレインはリュイの視線を受けて微笑み、
「ピスタチオを使ったケーキなんですよ。今回は砂糖ではなく、ハチミツを使ってみたんです」
そう残して、いそいそとキッチンの奥へと去っていった。
クレインの邸宅内のリビングは不必要なほどの広さを持っている。大きな窓ガラスは一点の曇りもなく磨かれ、その向こうに広がる庭には科学が生んだものとは到底思えないほどの、美しい緑が揺れている。
耳障りではない程度のボリュームで流されているクラシック音楽。
腕組みの姿勢で庭の緑を見つめながら、リュイはふつりと目を細ませた。
――クレインはピアニストだったのだ。
今、リビングの端々までをも充たしていく音楽は、音色にはうるさいクレインが選択したものなのだ。
リュイはそっと睫毛を伏せて、流れる音へと心を寄せる。――曲名さえも知らないその曲は、しかし、自分でも幾分か不思議なほどに、リュイの中へと浸透していくのが分かった。
流れていたその曲が終わって次の曲へと変わる頃、キッチンの奥で何やら支度をしていたらしいクレインが顔を覗かせた。
「お待たせしました。――リュイさんの口に合えば良いのですけれども」
そう述べながらも、クレインの表情には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
リュイは伏せていた睫毛を持ち上げてクレインに一瞥し、それからその視線をゆっくりと下降させた。
テーブルの上には長四角い形をしたケーキが乗っている。スポンジは緑色をしていて、薄めにカットされていた。そのスポンジの間にはスポンジの色よりは幾分か薄めだが、やはり緑色をしたクリームがたっぷりと挟み込まれてある。
切り分けられ、皿に盛り付けられたケーキを横から覗き込む。
「いつもの事ながら、趣味で作っているものとしては、随分と手間をかけたケーキですね」
そう言葉をかけて小さな息をひとつ吐き出した。――それは感心を示したため息だった。
スポンジとクリームとで作り上げた三層の上には、乳白色のババロアが載せられていたのだ。しかも、そのババロアの一番上には小さくカットされた色とりどりの果物が散らされて、薄い――おそらくはゼラチンか何かだろうと思われる層で覆われている。
リュイの褒め言葉に、クレインはやんわりとした笑みを浮かべて目を細ませる。
「せっかくなのですから、見目も美しくあった方が楽しいじゃないですか」
そう返して首を傾げるクレインに、リュイは小さなうなずきを見せた後、白磁の皿の上のケーキにフォークを伸ばしたのだった。
クラシック音楽は、どこから聴こえてきているのかも知れないほどに、さわりさわりと、静かに部屋の中を満たしていく。
クレインは絹糸のような閃きを放つ銀髪を片手で押さえながら、頬杖のような姿勢でテーブルに着いている。その紅い双眸がゆったりと細められ、向かい側に座る友人を真っ直ぐに見やっているのだ。
庭の木々が少しばかり大きく揺れている。――風が出てきたのだろうか。
しばしの間沈黙を守り、無口なままにケーキを食していたリュイの手が、カットされたケーキの半分ほどまでを終えた後に、ぴたりと動きを止めた。
「いかがですか?」
淹れたばかりのコーヒーを勧めながら、クレインは頬杖を解いてリュイに問い掛ける。
「カフェオレの方がよろしかったでしょうか」
そう続けて発したクレインに、リュイは小さなかぶりを振った後に小さな唸り声にも似た声をあげた。
「うーん……」
ポケットから取り出したチーフで口を拭いつつ、リュイは皿の上のケーキへと目を向ける。
「なるほど、確かに、凝った作りがなされていると思います」
そう答えた後に、リュイはミルクも砂糖も入っていないコーヒーを口にした。
上質な豆を使っているのだろうと思われるそれは、しっとりと広がる湯気と共に、実に心地良い香りでリビングの中の空気を染めていく。
リュイが述べた感想に、クレインがほっと胸を撫で下ろした、その矢先。
「しかし」
リュイの口が再び言葉を成した。その黒檀色の眼差しが、クレインの喜びをいささか制するように光を帯びた。
「甘さを控え目に作ったものだと思われますが」
「え、ええ。コーヒーに合わせるなら、甘みは少なめの方が良いだろうかと」
答えたクレインの言葉を遮るように、リュイの手がコーヒーカップを受け皿の上へと置いた。
「甘みが少なすぎるのも問題でしょうね」
クレインの目を見つめながら、リュイは眼鏡のフレームに指を伸べて位置を正す。
「……ハチミツが足りませんでしたか?」
リュイの視線を真っ直ぐに受けた後、クレインもまた、自分で作ったケーキにフォークを差し入れた。
スポンジはふわりとしていて、クリームもしっとりとした出来になっている。ゼラチンの固まり具合も申し分ない。
ビスタチオの香りを楽しみながら、差し入れたフォークを口許へと運ぶ。
「……」
食し、クレインは目をしばたかせた。
――――確かに、甘みが不足しているようにも思える。コーヒーと共に口にするものであるとしたら、それは余計に如実なものとなるだろう。
「……なるほど」
ゆるゆるとうなずき、手にしていたフォークを皿の上に置く。
「美味しくないというわけではないのですよ。確かに甘みは少しばかり不足しているかもしれませんが、これが、例えば多少甘みのある飲み物と共に楽しむものであるならば、難はそれほどには目立たなそうですし」
リュイの手は、止めていたフォークを再び動かして、皿の上の残り半分を口にする。
コーヒーの香りで満たされた空気の中に、静かに流れる音楽が、融け入るように旋律を奏でる。
クレインはしばしケーキをフォークでつついたりしていたが、リュイのその言葉もあってか、やがて再び笑みを浮かべ、髪を掻き混ぜた。
「次回には、問題などひとつもないものを作ってみます」
そう述べたクレインに、リュイは頬を緩めてうなずいた。
白磁の皿のケーキは、ひとかけらも残さずに無くなっていた。
しばしの談笑の後、曲が鳴り止んだのを気にかけてか、クレインはゆっくりと腰を上げて部屋の端へと足を向けた。
カップの中のコーヒーが残り少なくなってきていたのを確かめながら、リュイはクレインの動きを見守る。
「気になっていたのですが、クレインさん。――あまり顔色が優れないようだが」
クレインの手が、新しい音楽を鳴らし始めたのを見やりつつ。リュイはふとカップを置いてそう問うた。
再び流れ始めた音律の中、クレインはゆっくりと踵を返してリュイの傍へと戻ってきた。
「――今朝方、夢を見てしまいました」
ぽつりと落とすようにそう述べたクレインの言葉に、リュイはわずかに眉根を寄せる。
「……夢」
「内容までは覚えてはいないのですよ。……ただ、ひどく暗鬱としたものであったような気はします」
椅子に腰を下ろし、クレインはふと目をしばたかせた後に弱々しく笑みを浮かべた。
リュイはクレインの顔をちらりと見やり、冷めかけたコーヒーを一息に干した。
「しかし、私の顔色までをも同時に診てくださっているとは。――さすがはお医者様といったところですね」
弱々しい笑みを浮かべて首を傾げるクレインは、どこか儚げな印象さえも漂わせている。
カップを受け皿の上へと戻し、小さな笑みを浮かべかぶりを振って見せているリュイは、クレインの言葉に、ふと睫毛を伏せて口をつぐんだ。
「――風が出てきましたね」
リュイの表情がかすかな変化を帯びたのを見やり、しかし、クレインはそれには触れずに窓の外へと目を向ける。
木々は大きく揺らぎ、芝生の上を彩っている花々がその花弁を重たげに揺らしている。
「コーヒーのお替りをいただけますか」
窓の向こうに視線を向けたクレインを、リュイの声が呼び戻す。
クレインは、ふとクレインに視線を向けなおし、それからやんわりとした笑みを浮かべてうなずいた。
「今度はカフェオレにしますね」
心地良い音楽が空気を震わせている。
再びキッチンの奥へと姿を消していくクレインの背中を見つめながら、リュイは小さな――そう、悟られない程度の大きさのため息を吐き出した。
視線を庭へと投げれば、どこか安穏とした景色が広がっている。
テーブルの上のリュイと、キッチンの奥へと進み入ったクレインと。
ふたりがその安穏とした景色を見やりつつ、果たして何を思い考えていたのかは――――
それは、ふたりの心に染み入っていく音律ばかりが知っている。
―― 了 ――
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