|
第一階層【居住区】誰もいない街
ライター:有馬秋人
ここいら居住区は、タクトニム連中も少なくて、安全な漁り場だといえる。まあ、元が民家だからたいした物は無いけどな。
どれ、この辺で適当に漁って帰ろうぜ。
どうせ、誰も住んじゃ居ない。遠慮する事はないぞ。
しかし‥‥ここに住んでた連中は、何処にいっちまったのかねぇ。
そうそう、家の中に入る時は気を付けろよ。
中がタクトニムの巣だったら、本当に洒落にならないからな。
***
生きるということの指針は予めインプットされていた。
行動を規制する根源とはなんだろう。エノア・ヒョードルにはよくわからない。彼女が分かっていることは、たった一人を守るために自分が存在しているという一点だ。
守るべき対象の姿かたちはもちろんのこと、声音抑揚行動パターン、意識の展開全てを粒さに見てきた。
この相手が自分の理由なのだと。この形に傷を与えないように守るのが自分なのだと理解していた。理由なぞ知らない。知る意味もない。
クン、と浅く跳ね上げた銃口はぴたりと相手の額に当たっていた。そのまま引き金を絞るが脳内データ処理に失敗してタイムラグが発生する。その隙を突かれて対象は焦点から脱していた。舌打ちというプログラムは入っていないが、そういう気分で地面を蹴り、敷き詰められた舗装物質を砕いてしまう。煙幕のような感覚で。
はじめる前
から薄々察していたとこではある。今回の相手は悪すぎる、と。
空になったマガジンを一挙動作で入れ替えて、反対の手に持ち替えた。あいた右手は壁を殴る。先ほどまで行われていた銃撃戦と、それより先に展開していたと思しき戦闘が元々壊れかけていた建物を崩壊に追い込んでいた。辛うじて残っていた外壁も今崩した。遮蔽物が必要なのは確かだが、それよりも先にチェックメイトしたかった。これ以上は自分の中に組み立てられた論理ルールに抵触しそうで苦しい。
視界の隅にで翻る影に向かってトリガーを絞る。二度ずつ打つセオリーどおりのダブルタップだが、相手に当たったかどうかの確証はなかった。いつもならばそんなことはない。いつものように、標的をしかと視認しての射撃なら、確実にしとめていた。
全ては繰言にしか過ぎなくて。この現状。不利だという事実。
切れた額からオイルが滲み出していた。裾を切り裂いて長い布を一枚つくり、無造作に縛る。
目に入ったオイルを瞬きで追い出して、改めて視界を確保したエノアは、悠然と佇む人影に打つ手が限られてきたことを知った。
視線の先にある面差しは、自分とよくにた造作だ。それはすなわち守るべき対象と同じ顔。体つきも似ていて。
惑わされる。
理性が認識していても、咄嗟の判断は常に反射神経の賜物なのだ。
「………レオナ」
ぽつりと守るべき者の名を口にして、エノア・ヒョードルは地面を蹴った。
ヒカル・スローターは地面を蹴った。何度も執拗に。次第に強くなる力に、靴が床を噛む音が響く。それに気付いてようようと動きを止める。
組んでいた腕を解き、髪をかき上げて。
「遅い」
吐き出された単語は短いが、苛立ちは十分に篭っている。本当なら待っている時間も惜しいのだ。けれど待たないとどうしようもない。無意識にまた地面を蹴りかけ、近づく足音に顔を上げた。
「おぬしか」
「どうなってる?」
露骨にがっくりとした顔をするヒカルだが、守久は構わず問いかけた。相手の様子をみれば一目瞭然に等しいが、万が一という場合だってある。楽天家ではないが悲観主義でもない思考展開。
「目撃情報待ち、といったところか」
「他の連中に声はかけたんだよな」
「一応は、だが、こうも急では間に合わまい」
守久が駆けつけただけでも行幸、そう嘯いて口元を引き締める。
「しかし、あいつ、一体なんで……」
舌打ちまじりにぼやく守久にヒカルは首を振った。差し出すのは握っていたせいでぐしゃぐしゃになった手配書だ。
「何だこれ、おい」
「手がかりとしては些かならずとも心細いが、間違いなくこれであろ」
ウォンテッドの文字が添えられた画像はかなり不鮮明だが、もしレオナを知るものが見たならこれをレオナを断じていただろう。そしてさらにレオナを知るものはこれはレオナではないと断じた上で、もう一つの名を呟いたろう。
ノスフェラトゥにも見える人影。
「……コレだけで動くほど焦っているようには見えなかったぜ」
「私もだ、だが現状を鑑みるに謀られたと判断してよろかう」
謀る(たばかる)とは穏やかでない言いようだ。しかして守久もその言葉に賛成だった。謀られたとしか言いようがない。おそらく、間違いなく、あの相手は自分たちに心配をかけまいとしていたのだろうが、その結果がこれでも冗談にもならない。
「確かレオナやつ、そろそろメンテじゃなかったか」
「明日の予定ではあった。しかし、これではまた日延べする他ないな」
「…大丈夫なのかあいつ」
歯噛みするようにぼやいた守久に頷くことで同意して、ヒカルはもう一度手配書に目を落とした。
不鮮明な画像が伝えてくるのは黒髪と長身の形だ。目は何色か分からない。ただその形の持つ雰囲気は、確かに似ているのだ。無機質をベースとした人間のような感覚。生身とは言い切れない気配のような。違和感。
しかしもし相手がノスフェラトゥであるならば、今の状態のレオナでは返り討ち確実な上、万全な状態ではない自分達も危ない。
それでも行くのかと問うこともなく、向かうことは決定していた。
理由はいるだろうか。相棒を助けたいと思い行動することに、何か理由は必要だろうか。おそらくそれは、駆けつけた守久も、駆けつけることができずにいる仲間も同じはずだ。
手配書を手の中で潰して丸めてしまう。これが原因だと気付くまでに半日かけてしまった。この情報の出所や詳細を問い合わせているが手際の問題なのか、今更ニュースソースは極秘だといっているのかギルトの対応は遅い。こんなことしている暇はないと苛立つ心を押さえ込んで、ヒカルは唇を噛んだ。何も考えずに手配書に指摘されている目撃ポイントに行けば少しは苛立ちも収まるだろうか。その場にレオナがいるならいい、しかし賞金首が目撃ポイントにそのまま止まっているはずもなく。レオナもそう考え動くはずだ。姿を探して右往左往するよりは、精度を上げて追いかけるべき。そう必死に理性で体を止める。
耳に残るのは先日から微かに聞こえていた異音。本人も気付いていないはずがないのに。
このところ無理を重ね続けていた義体の各所は、負荷が限界値に近づいている。そんなことは明確なのに。
「…急くな」
そんなに急ぐな。望むなら手を貸そう。望むなら傍観だってしてみせよう。望むなら確実にしとめられる様、堅実なバックアップをしてみせる。だから、こんな風に独りで急くことはない。
届かない声だった。相棒がいま何をしているのかも分からない。それがもどかしい。無事なのかもわからない。それが歯がゆい。
腕を組んで、唇を結んだヒカルに守久は何も言えず。同じように待ちの体勢を取る。詳しい事情なぞ何一つ聞く暇なく駆けつけたわけだが、最悪も想定して武装は完全だった。愛用している麒麟と明鏡止水はもちろんのこと、袖口や靴に仕込んでいる暗器にも不足はない。
浅く呼吸を繰り返す。相手がノスフェラトゥであるならば、自分にできることはそんなにないのだと分かっているからこそ。全力を尽くさなければならない考える。
勝つことは難しくても、撤退することならできるはずだ。相手のデータにはおそらく自分の項目もあるだろう。それに対して自分の手元にある情報は少ない。進化していくということしか知らない。以前のようには行かないかもしれない。けれど、レオナだけは守り抜くと決めている。
無事でいてほしい。自分達が付くまで無事でいてくれたのなら、どんなことをしても守り抜くのに。
もう少し頼ってくれもいいんじゃないか、なんて言葉が頭の中でぐるぐる回っている。
「なぁヒカル」
「なんだ」
「あいつ見つけたらさ、叱ってやろうな」
「……興味深い提案ではあるな」
守久の科白にヒカルは僅かに口元を緩め、首肯した。先走るのも大概にしろ怒鳴ってしかって無事なら殴ってやるのだ。
空気がほんの僅か緩んだタイミングを狙ったかのように、ギルト係員が肩を喘がせて飛び込んできた。その手にする紙を素早く奪い、ヒカルは細く息を吐き出す。沸点を越えかけた感情を宥める。横から紙を覗き込んだ守久も、鋭く息を吐き出して、拳を固めた。
拳を固めて殴りかかる。弾薬が空になった銃を牽制に使ったあとは空手だ。相手の武器を奪おうにも、決定的なタイミングをはずしてしまう。
敵の動きはレオナというよりもエノアに似ているようだった。それがあって漸くこの相手を敵と認識できているも同然だ。
拳をかわされたあとに一旦距離を取る。けれど飛びのいた距離をさらに詰められて、腹部に一撃を喰らう。咄嗟のガードも間に合わず、幾つかの機器が異音を発するのがわかった。そのまま横に転がる。体を起こすタイミングもつかめずに何度も横転して攻撃をかわし続ける。このままでは埒があかないと焦った瞬間、今までよりも早いテンポの打撃を喰らって義体が吹き飛んだ。
建物に直接ぶつかって、体を真っ直ぐに支えている背骨の機能を持つものがダメージの深さを脳に放つ。
四肢が鈍くなった。体を動かすというよりも操るという感覚に摩り替わり、上手く動かせない状態で。次の一打で機能停止に追い込まれるかもしれないと脳が判断する。
一時的にか不能になった聴覚では相手の音が捉えられない。焦るような思いを胸にエノアは指を少しずつ曲げ、身体機能の回復を促す。早く、と急く意識が先行する。
ここで停止するわけには行かなかった。ここで倒れるということは、レオナを守れないということだ。そんなわけには行かない。焦る意識が視界を回復させ、聴覚を正常値にまで引き戻す。音はあった。それも近くに。
追撃が来るかと思ったが、予想外に衝撃はなく、視線を転じたエノアは眉を潜めた。殺意を向け切れない自身に苛立っているうちに、保護対象と引き離されていたらしい。敵が向かったのは意識を失っているレオナの方角だ。
決定打を悉く逃すエノアに気付いたのか何なのか、敵は背を向けて走っている。
「…好都合」
保護対象に接近されて焦るのではなく、エノアはゆるりと唇を両端に引いた。それはまるで笑みのようだった。戦っているうちに相手の正体は見えていた。相手はTTだ。データバンクに間違いがなければ、ノーフェイスという暗殺型のTTだろう。顔がないゆえに他の存在をコピーできる、確かそういう性質を持っていたはずだ。けれどただ一つだけ姿を変えられない時がある。
捕食の時間だ。その時ばかりは相手も写した容貌ではなく、自らの型を露わにせざるえない。
叩きつけられていた建物の壁には窓が嵌っていた。エノアはその外枠を無理に引き剥がし、掴んだまま走り出す。追いつかなくともいい、姿さえ変わってくれればこの程度の相手、一瞬で事足りる。
義体の故障箇所は常にないほどで、走るという動作を起こすにもエラー音が聞こえそうだった。それでも、引きちぎられて尖った枠を片手に、走る。
視線の先ではエノアに気付いているだろうに、決定打を放てないと舐めているノーフェイスが姿を崩しだしている。地面には意識を失っているレオナ。顔色が良くない。ああそうだ、この相手を倒した保護対象を治療のできる場所に運ばなくてはいけない。そんな思考を紡ぎながら、エノア・ヒョードル、別名ノスフェラトゥは窓枠を投擲した。
ざぐん、とめり込む枠を押し込めるべく、勢いのついたままの体で蹴りを放つ。レオナに覆いかぶさるようにしていた敵は絶叫を放ちながら地面に転がった。起き上がろうとするより先に、枠をさらに押し込み貫通させた。鋭利な刃物で貫いたのではない、ギザギザのサッシだ。たとい金属とはいえ生半可な力でできる行為ではなく、それ故にノーフェイスの痛みはただ事ではなかったはずだ。エノアは地面に串刺しになっている敵を一瞥すると、レオナの傍に寄った。最初に見たときから傷が増えていないのを確認すると、傍らに落ちている大きなブレードを拾い上げる。
「借りる」
ぽつりと言葉を落とすと、そのまま踵を返し何の感慨もなく、敵の首を切り落とした。梃子摺らせたとか、よくもだとか、そういった感情の発露は一切なく。淡々となすべきことなした顔でブレードについた体液を振り払うとレオナの横に戻した。
改めて相手の義体の調子を確認する。現状としてはエノアの義体もオーバーホールが必要な状態だが相手はそれを上回っているように見られた。あの敵にやられた怪我でけではなくて、蓄積された負荷が義体を壊しているような印象だ。命に別状はないだろう。けれどこの義体を直すには大変な思いをするはずだ。
病院に連れて行くべきか、それともいっそこのまま自分の潜伏場所につれて行こうか迷い、結論のでないまま手を伸ばす。その頬に触れた。人工の皮膚だと分かっている。けれど触れた先から何か安心できるような気持ちが湧いてくるのが面白かった。
「……… 、」
語りかけようとしたのか、それともただ名を呼ぼうとしたのか。エノア自身も判断できないまま延ばした手は離された。そのまま地面を蹴って高い建物の上に行く。
「レオナっ、どこだ!」
「返事をせんかっ」
拾い上げた音声で照合して合致したデータを想起する。
「レオナ!?」
保護対象を発見し、掛けていく姿を見つめながら、エノアは握っていた拳を解いた。抹殺対象がいると分かっている。過日に襲撃して失敗した対象だ。焦りを滲ませ武装も完璧ではないように見られる今なら、倒すことも可能だろう。
動かない表情の下でどのくらい考え込んでいたのだろうか。レオナが抱えあげられるのを黙ってみていたエノアは、静かに姿を消した。
彼女が万全の体勢であったのならば、標的を殺して保護対象を連れて行ったろう。けれど今はレオナを完璧に守れるかどうか自身がない。だったら、あの相手に委ねておくのも仕方ない。そんな言葉が聞こえてきそうな目をしていた。
意識はたゆたう。
水底から空を見上げているような不思議な感覚だった。自分の輪郭もぼやけているようで、けれど世界は光で眩しい。晴天の日に河に潜ったときを思い出す。
ぼんやりと見あげていたレオナは苦笑を零した。
少し前まで自分の中には苛立ちがあったはずなのに、どうしてかそれらが全て綺麗に霧散していた。相棒が襲撃を受けたと聞いたとき体の真ん中が凍るかと思うほど冷たくなった。怖くなった。この相手までもが奪われてしまうのかと恐怖に体がすくんだ。そしてそれはそのまま激怒に代わり灼熱に変容していた。許せるだろうかそんな事が。許せるはずがない。
ヒカルを心配し、逆に周りに心配され、それを誤魔化すように屈託なく振舞って、相手が自分の前に現れるを心待ちにしていた。
姿を見せたとたんに切り捨ててやろうと愛用のブレードの手入れも欠かさずさらに良い武器はないかとマーケットを回ったりもした。それが過ぎてオーバーホールの時期を過ぎてしまったときは慌てもしたが。
「そっか、もうそれも無駄かも」
体の感覚が欠如していた。自分が見あげているということは分かるが、視線を転じることができなかった。
動かない体を持て余すことなく、つらつらと考え込む。ふつ、と苦笑が途切れて曖昧な形になった。
持て余していたのは少し前までの激情だ。表面上穏やかに振舞いすぎて、内面では煮詰まりすぎて。手配書に見覚えのあるモノが出ていると認識したとたんに飛び出したというのは我ながら不味過ぎる。
考えてみればメンテ前で尚且つ相棒に何も言わなかったのも不味い。その上返り討ちにされたとあっては、取り繕うことも出来やしないではないか。
「…負けちったもんなぁ」
負けたのだ。そんな感慨を微笑とともに吐き出した。対峙した相手はノスフェラトゥではなかった。よく似ていた。よく似ていたけれど、違っていた。レオナでなければ分からなかったかもしれない些細な違いだ。それに戸惑っている間に戦闘になり、いつものように攻撃していればよいのに考え込んで、隙を突かれて防御も出来ずに何発も銃弾を喰らってしまった。
しかし、銃弾を喰らったにしては感覚がない。まるで神経系が欠落したかのような意識のあり方に、やはり死んだのだろうかとため息をついた。
心残りばかりだと、そう悔しい思いを噛み締めて。
「死に切れないなぁ」
「誰が死んだか馬鹿者」
「……へ」
憤然とした声音。耳に馴染む、大切な相手の抑揚。
視界が急激に開けたような気がした。体は相変わらず動かない。感覚も繋がらない。視界を転じるのも上手くいかない。
水面に浮上するように、意識は現実にリンクしていく。
水中だった景色は白く光のある色へ、そしてようようと認識した。
「ヒカル?」
「やっと起きおったか馬鹿者」
「そうだバカヤロウ」
「龍樹?」
両脇にそろっていた仲間二人にレオナは目を丸くする。丸くして、口を開いた。
「生きてたんだ、ボク」
その発言に二人が更に怒ったことは言うまでもなかった。
2006/05/..
■参加人物一覧
0536 / 兵藤・レオナ / 女性 / オールサイバー
0535 / 守久・龍樹 / 男性 / エキスパート
0541 / ヒカル・スローター / 女性 / エスパー
0716 / エノア・ヒョードル / 女性 / オールサイバー
■ライター雑記
エノア嬢で暴走しましたすみません。
主体のレオナ嬢が意識のない状態が長いながい…そしてエノア嬢。見せ場奪いすぎです。あぅ。
前回に続いた形でのご指名有難う御座いました。楽しんでいただけたでしょぅか。
この話がご希望に沿うていることを切に願っております。
|
|
|