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ゴージャス・ナイト
街にも夜行性というものがあるらしい。
そう言われたら信じてしまいそうになるほど、そこは昼間とは印象を全く異にしていた。
きらびやかな電飾がきらきらと店内を飾る。しかし光がある分、影の濃い部分も存在している。
そんな、聖と魔が混在した場所だ。ランクで言えば中の上程度のこのカジノは、間もなく開店のときを迎えようとしていた。
「よろしくね、ティアちゃん」
開店前でどたばたとしている店内の隅で、たくさんのウサギたちが内緒話をしている。周りから見ればそんなほほえましい光景だろう。
その実は、カジノの中で人々に飲み物を配ったり用件を承ったり……さまざまな業務を請け負う、バニーガールたちの最終打ち合わせである。
新しく加わるティアに、皆の好意的な視線が集まる。週末は人が集まるため、人手が増えたという嬉しさからだろう。しかも、ティアは接客は経験者だ。頼もしいことこの上ない。
「あ、はい。精一杯頑張ります」
「マフィアの方々は、別室を設けてあるから、危険そうだったらオーナーを呼んでね」
「自警団の方々も。絶対に頭ごなしに否定しちゃダメよ。とりあえずおだてておけば問題ないわ。根が単純だから」
「それから、お客さんに何かされそうになったら合図を送ってね。すぐに助けが行くから」
何かされそうになるとはどういうことか、そんな野暮なことは聞き返さない。それはまぁ、そういうことなのだ。
ティアはこっそり、他の仲間たちと自分の姿とを見比べた。体のラインがもろに出る、粒子を吹き付けるタイプの衣装。これを衣装と呼んでいいものか少し迷う。頭には、うさぎの耳を模したカチューシャ。
「同じ赤毛仲間ね。よろしく」
ティアと同じ赤い髪を持った少女がティアの肩を叩いた。と同時に、開店の合図が鳴り響いた。
「ねぇ、ちょっとのどが渇いたんだけど」
「小腹が減ったな……。何かないのかい?」
「このディーラー、私にこっそりイカサマしてないかね!」
始終誰かがバニーガールに話しかけている。
「失礼いたします。スコッチでございます」
「こちらのお客様に何か軽食を」
「大変重要なご意見ありがとうございます。おっしゃりたいことがあればどうか、あちらでどうぞ」
3番目の発言をした客は、バニーガールの迅速な判断により黒服が呼ばれ、外へと引きずり出されてしまった。
座る暇どころか、立ち止まる暇も、ため息をつく暇さえもない。
がやがやとした喧騒は、ウェイトレスをしていたときとあまり変わらないのだが、漂う雰囲気が違う。ただ飲食を楽しむのとは違う、人間の欲望が皮一枚に包まれた状態でそこに満ちているのだ。
「ぎらぎらしてますね……」
しかし、ティアもお金を稼ぐためにしていることなのであまりえらそうなことは言えない。まっとうに稼ぐか、一攫千金を狙うかという違いだろう、おそらくは。
「誰か、トレイ持って来て!」
「はーい」
厨房からの声に、ティアは反射的に返事をした。だてに鍛えられたわけではないのだ、この身体は。
とある客の空になったグラスを受け取る。ごく普通の動作なのだが、その客は違っていた。ティアの手首を握ってきたのだ。
「君、見ない顔だね。新人かい? よかったら、このあと僕と食事に行かないか」
「え、あの、……?」
「そう怯えなくていいよ。僕はここいらじゃあ結構な有力者だ。悪いようにはしない」
つまり、誘っているのか。
けれど、ティアはすでにある人の愛人だ。ほかの人とそういった仲になれるわけがない。
「すみません、申し訳ありませんがその……」
しどろもどろになりつつ、その客から離れていった。残念そうな顔をしている男の横顔が見えなくなる位置まで来て、ため息をつく。普通の接客なら対応はなれたものなのだが、ああいったものは少し困る。
賭け事に興じる人々の合間を縫って、フロアの端へと向かおうとしたときだった。
臀部の辺りに快とも不快とも取れない奇妙な感覚が走った。ぞっとするのに、ジワリと熱を持っていく。
「……もしかして、お尻を触られました?」
この間のオーバーホールのときに、性交渉の機能もインストールした。そのせいだろうか、感覚が鋭敏になっているようだ。
お客さんも興奮しているのだから、偶然腕が当たってしまったりしたのだろう。
おっとりしているティアはそう考えて、それっきりそのことを忘れようとした。が、一度ではすまなかった。
ポーカーの台と、ルーレットの台の間を通るときだ。必ず、あの感覚がティアを襲う。
何度か往復した後、開店前にティアの肩を叩いていった赤毛のバニーガールが、物陰から手招きしているのを見つけた。何事かと思い、あたりに気をつけながら歩み寄る。
「どうしました?」
ティアが訊ねると、彼女は辺りをうかがうようにきょろきょろと見回して、それから慎重に言葉を紡いだ。
「ねえ、あの辺りに、いるわよね」
「いるんですか……。って、なにがですか?」
「天然? いるって言ったら、何か勘違いしちゃってる客よ」
「勘違い……」
ティアのあまりの察しの悪さに、少女は頭をかかえた。
「触られたでしょ? なんかすごくいやそうな顔してたもの。そういう時はちゃんと誰かに頼って。ね?」
心配そうに言われ、ティアは思わず素直にうなずいた。そんな顔をしていたのか、という驚きを隠す。今は自分のことを考えている場合ではない。
「じゃあ、勘違い君を追い出してもらいましょうか」
少女は何かたくらんでいる笑みを浮かべると、ティアに耳打ちをした。
「失礼しま〜す。お飲み物はいかがですか?」
ティアは先ほどと同じように銀のお盆にカクテルを載せたままフロアを移動する。不自然さを出さないように、細心の注意を払いながらテーブルの間をすり抜けていく。
例の、ポーカーとルーレットの台の間。ティアはことさら足取りをゆっくりとして、そこを通った。
脂ぎった男と目があった。間違いなくこの男だ。葉巻をくわえ、でっぷりと太った身体を椅子に預けている。
「――どうしたんだね、お嬢さん」
ティアが自分を見ていると分かると、男は世にもいやらしい笑みを浮かべた。
「随分と、私のことを気に入ってくれたようだが、よければ上に部屋をとろうか」
テーブルを見てみると、彼のカジノの成績は一勝一敗といったところだ。ティアが来たのを引き際と考えたらしい。
「お飲み物は、いかがですか?」
あくまでティアが笑顔を崩さずに対応すると、
「飲み物よりも、欲しいものがあるんだよ」
男は席を立ち、ティアに本格的に迫ろうとした。ティアはちらりと視線を男からはずし、少し遠くに立つ赤毛の少女に目配せした。
その直後だ。
「お客様、そういった話はわたくしが伺います」
背の高いティアよりもさらに上から声が落ちてきた。カジノの用心棒、黒いスーツを着たいかめしい顔つきの男である。いわゆる、黒服。
「ま、待ってくれ。私は別に……わ、私は客だぞ!」
太った男は先ほどのいやらしい雰囲気から一転、自己弁護の姿勢をとるが、
「ですから、そういった話も含めて、ここではなくもっと静かな場所でお伺いしますので」
丁寧ながら有無を言わせぬ口調で言い、男はこの「困った客」をフロアから連れ出していった。それにしても黒服、対応がスピーディーだ。
「ティア、冷静だね〜」
「いいえ、そんな……ありがとうございます」
騒ぎが収まってから、赤毛の少女がティアを手放しで誉めた。ティアは照れながら返事を返す。
「まあ、たまにああいう客もいるってことよね。――さて、まだまだ頑張るわよ。なんたって、夜は長いんだから」
少女が拳を握って気合を入れるのを見て、ティアもまねをする。
「そうですね、頑張りましょう」
<了>
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