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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


第一階層【ダークゾーン】闇の中を抜けて
 子供たち

 ライター:斎藤晃





【Opening】
 ダークゾーン‥‥暗黒地帯って奴だな。全行程の半分を、下水道が占めている。
 何が怖いって、ここには光って物がない。つまり、何にも見えないって訳だ。
 IRカメラじゃあ、空気との温度差がはっきりしている物しか見えない。
 スターライトカメラは、光を増幅して物を見る以上、全く光のない所じゃあ役立たずだ。
 音波カメラ‥‥無いよりはましだが、視界が荒いのは否めない。見えない訳じゃないんだが、とっさの時に後れを取るのは必須だ。
 懐中電灯? 良い考えだな。相手は懐中電灯の光に向けてぶっ放すだけで、お前を蜂の巣に出来るって訳だ。
 ここを抜ければ、未探索地帯に行けるとは思うんだが‥‥生きて抜けれればな。





【Prologue】

 暗闇がどこまでも続いていた。
 こうして闇の中にいると夜が存外明るいものなのだと思い知る。星の光、月の光。それらを分厚い雲が覆ってさえも世界は仄かに明るいのだ。オールサイバーになる前からそうだった、と思う。闇に目が慣れてしまえば微かな陰影を見て取る事が出来たし、オールサイバーになった今では、このサイバーアイが暗闇でも充分に世界を広げてくれたのだ。
 夜の闇よりも更に濃い闇に、トキノ・アイビスはこめかめに指をあてた。サイバーアイの暗視機能ではこの闇を見る事が出来ない。IR機能を使ったところで、さてこの微細な温度変化をどこまで読みきれるものか。
 トキノはゆっくり息を吸い込んだ。
 通常の人間ならこの汚水流れる下水道で深呼吸など狂気の沙汰かもしれぬが、オールサイバーである彼はこの悪臭とは無縁でいる事が出来た、
 目を閉じて静かに息を吐く。
 随分昔になる。狭い道場での修練の日々を彼は思い出した。
 開けていても閉じていても変わらぬ視界は、だが目を閉じる事によって彼の中の別の感覚が格段に鋭さを増す。全身を研ぎ澄ますことで、目では見えないものが、おぼろげに見え始めた。
 たとえば、空気の流れがその周囲の広さを教えてくれる。
 この世界には2つの音があった。自分を脅かす音、自分を脅かさない音。この世界には2つの気配があった。自分には害をなすことのないものの気配。そして自分に害をなしうるものの気配。
 サイバーアイの、そのどの機能を使ってさえも捕らえる事の出来ないものを、彼はその心の目で捉える。
 トキノは腰に佩いた小太刀の柄に手をかけると静かに抜き放った。刃は高周波振動する事によって鉄をもバターの如く切り裂くが、今は振動していない。よく斬れる刃とそれを持つ者の腕が重なりあえば、時に居合いで鋼鉄をも切ってしまえるものなのか。
 彼の白刃が斜めに闇を切り裂いた。
 漆黒の闇と静寂だけが彼にまとわりついてくる。
 それを払うようにトキノは静かにブレードを鞘に戻した。
 トキノはウェストポーチから手の平に小さくおさまるペンライトを取り出す。小さな光が、サイバーアイの暗視機能を有効にした。
 彼が一閃した先に、何かの尾っぽのようなものがのたうっている。視界の片隅でしっぽのないトカゲが闇に消えた。
「…………」
 彼はウェストポーチから蛍光ペンを取り出すと、おもむろに壁に何事か書きはじめた。
 しばらく、一心不乱に書きなぐっていた彼は、荒い息を吐きながらも、やっと怒りがおさまったかのような清々しい顔で、実際には出ていない額の汗を拭うようにして、しばらく壁を見上げていた。
 それからゆっくりと踵を返すと、彼は闇の奥へ歩きだしたのだった。





【first action】

「こんな横穴……以前来た時にはなかった」
 レイシア・クロウは長い髪を掻き上げながら、闇に続く下水道の奥を眺めやった。
「誰かが、作ったのではないですか?」
 シオン・レ・ハイが目を細め虚空を見やっている。
 セフィロトの塔内の地図、などというものは存在しない。審判の日以前の地図や設計図では用を成さないからだ。タクトニムたちによって増改築がすすめられ、奴らが新たに作った通路は迷路のように入り組むばかりだった。そして、今もなお、それは終わる事がないかのように続いている。だから地図を作っても次に訪れた時に、そこに同じ通路が存在している保証はどこにもなかったのだ。
 そしてもう一つ。タクトニムとビジターとの激しい戦闘により、壁に横穴が出来たり、いつの間にか道が出来てしまう事も多々あった。
 この横穴が、どのようにして出来たのかはわからなかったが、こういうことは往々にしてある。
 レイシアは一つ溜息を吐きながら、持っていたDMM(ディジタルマップメイカー)に新たな道を書き足した。
 変貌続ける道をそれでも地図に残そうとするのは、そこに至る道を確認するためではなく、動かざる場所――住宅街・オフィス街・ショッピング街・警察署・病院……その下に広がる下水道の先にあるゴミ処理施設――のそれぞれの位置関係を確認するためである。
 シオンがレイシアに目配せすると、レイシアは蛍光ペンを取り出し壁に印を付けて、持っていたペンライトを消した。光はタクトニム自分達の居場所を知らせながら歩くようなものだ。
 壁伝いに横穴へと足を進めていく。
 足下を流れる下水は悪臭を放っていたが、オールサイバーである2人には無関係であった。
 水音を殺すように、足音を殺すように、辺りに気を放ちながら、2人はゆっくりと進んだ。
 前を行くシオンに、レイシアはぴったり20歩分開けて進んだ。
 時々、確認するようにDMMを開く。バックライト式のそれが、周囲を仄かに照らした。
 レイシアが、ふと壁面に書かれた文字に気付く。
 レイシアはそれをしばらく無表情で読んでいたが、やがて蛍光ペンを取り出して『同意』と書き足した。
 足を止めたレイシアに気付いて、シオンも足を止めてDMMのバックライトの光を頼りにサイバーアイの暗視機能を働かせる。
 壁には蛍光ペンで、ここを通ったと思しきビジターたちの落書きが至るところに書かれていた。
 益体もない落書きである。
 しかし、それにまさか名指しされるとは思っていなかった。

『バーカ バーカ 貧乏人の要領なし シオンの親バーカ』

 益体もない落書きである。
 小学生の低学年かそれ以下の子供が書いたような落書きであった。怒るほどのものでもない。
 最後の『親バーカ』に矢印がついて『同意』と書き込まれていた。
 何となくシオンの視線がレイシアに向かう。
 レイシアは無言でDMMを閉じた。
 世界が闇に溶ける。
 シオンはペンライトをつけて、再び壁を確認した。それはどこか見覚えのある字だった。

『タクトニムがうさ耳などつけてメイドのかっこなどこの世の悪だ。闇に葬るべし!』

 コートのポケットから蛍光ペンを取り出すと、シオンはそれに矢印を引っ張った。『同意』と付け足しペンを戻す。
「ふっ。彼もここを通ったという事ですね」
 小さく呟いてペンライトを消すと、シオンは再びゆっくりと歩き出したのだった。



   ◇



「なんだ、ここは……」
 姫・抗は小さく呟いて、傍らにいたゼクス・エーレンベルクを振り返った。
 完全な暗闇状態でありながら、相手の居場所がきちっとわかるのは、彼の長袍の裾を相手がしっかりと握っているからである。
「おい、ゼクス。とりあえず光っとけ」
「とりあえず光っとけってなんだ。俺は蛍か」
 ぶつぶつ言いながらもゼクスは両手でボールを掴むように顔の前に翳してみせた。その両手の平の中に光が生み出される。
 冷たいコンクリートに囲まれた空間の足下を、汚臭を放つ下水が走っていた。両脇にかろうじて歩くスペースがある。
「おい。こっちになんか矢印があるぞ」
 ゼクスが壁に書かれている矢印を見つけて言った。抗が後ろから覗き込む。
「なんか腹が立ってきた」
 ゼクスが壁の益体もない落書きを見ながら口惜しそうに歯噛みした。普段滅多に表情を変える事のない彼だが、その分怒りに対してだけはストレートなまでに感情を露にしている。
「貧乏の要領なし?」
 抗が読み上げた。
「バカだから貧乏と言わんばかりではないかっ!!」
 ゼクスは忌々しそうに吐き捨てる。彼の視線は貧乏という言葉に強く反応し釘付けになっているようだった。
「…………」
 抗は貧乏とかバーカとか書かれたそこにある『シオン』という文字に小さく肩を竦めた。そういう名前の人物に心当たりがあるからだ。
 ゼクスが不機嫌に言った。
「抗、蛍光ペン」
「ないよ、んなもん」
「役に立たん奴だな……」
「その言葉、そっくりそのまま……って、おい。お前、肩の上に何のっけてんだ?」
「ん? のぉぉぉわぁぁぁ!!」
 謎の物体がゼクスに向かって這い寄って来るのに、抗は思わず飛び退った。飛んで火にいる夏の虫ではないが、ゼクスの放つ光に何かが群がっているようだった。
 足下にももぞもぞとそれが這う。
「巨大なまこか?」
 首を傾げた抗にゼクスが首を振った。
「こいつ、血を吸うようだぞ」
「冷静に言うな!!」
 抗がゼクスの肩に乗っている巨大なまこもどきにパンチをくらわせて弾き飛ばす。
「こら、食料は大事にしろ!」
 怒鳴ったゼクスに抗はそれを無視して彼の顔を覗き込んだ。
「お前、顔色悪いぞ。吸われてんじゃないの?」
「まだ致死量には達してない」
 ゼクスは腰に手をあて自慢げにふんぞり返った。
「いっぱい集まってきてるけど……」
「なら、さっさとなんとかしろ」
「自分でしろよ……ところでさ」
 抗が後ろを振り返る。
「なんだ?」
「さっきから、悲鳴……聞こえない?」
「うむ?」



   ◇



「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 メイリ・アストールは全力で走っていた。
 暗闇の中をただひたすらに走っていた。何も見えないほどの真っ暗闇だったが、そもそも彼は恐怖のあまり目を開けてすらいなかったので、大して関係はなかっただろう。
 とはいえ闇の中を壁に激突する事なく彼は器用に走っていた。足下の水音だけを頼りに、水音がしなくなると、その都度軌道修正しながら走っていたのである。勿論、それを意識してやるとなるとフルダッシュは難しかっただろう。逃走本能のなせるわざか、なかなかに侮れない。大体に於いて善良な一般市民である彼が、セフィロトの塔のヘルズゲートの内側に、たった一人でいるというのも思えばとんでもないはなしである。
 ここに至った経緯を語ると長くなるので割愛がするが、簡単に言えばいろいろ不幸な事故が重なったのであった。
 気付くと彼はダークゾーンと呼ばれる場所にいた。
 セフィロトの塔第一階層の地下に広がる下水道。その真っ暗闇の中をメイリは迷子にならないように最初は歩いていた。そして何かにぶつかった。
 冷たくて柔らかくてぶよぶよしていたから正面衝突でも怪我には至らなかった。とりあえずは。
 それがもぞりと動いた。
 生き物なのか。
 どうやら気持ちよく眠っていらっしゃったところを起こしてしまったらしい、と思った時には、それが何かをぶつける甲高い音を立て始めていた。
 真っ暗闇だったのでメイリにはわからなかったが、それはその生き物の歯噛みする音であった。
 メイリは暗闇の向こうのタダならぬ気配に一目散に走りだしていた。
 甲高い音が自分に迫ってくる。
 彼は逃走本能と体力だけを頼りに走れるだけ走った。
 どれくらい走り続けたのか、暗闇の向こうに微かな光が見えてくる。
 それに向かって全力疾走した。
 息が切れて心臓の音が全身で感じられるほど大きく脈打って、肺が悲鳴をあげそうだったが、少しでも足を緩めたら、得たいの知れない何かに掴まってしまう気がした。
 光の中に黒い影が見える。
 その向こうに人の形をした影を見つけて、メイリは飛んだ。
 飛んでその影に抱きついた。
「助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「うわっと……」
 メイリの抱きついた男がメイリを抱きとめた。メイリと同い歳くらいの、垂れうさ耳帽子を被った少年である。
 その傍らにいた、黒い塊が「うん?」と声を発した。遠くから見えていた時は太った黒い影だったが、それは近くに寄っても、黒い塊のままだった。しかし、どうやら光はそこから漏れ出ているらしい。
「ほほぉ。これはまた、面白いものがやってきたねぇ」
 垂れうさ耳少年は楽しそうに顔を歪めて、メイリを押しのけると、彼を追ってきたものの前に進み出た。
 今は光に照らし出されてそれが明らかになっている。
 それは巨大ミミズのようだった。ミミズをベースにしたタクトニムだろうか。目はないらしい。何に反応しているのか、ただ丸い口に円状の歯が並び、甲高い音をたてて開け閉めしていた。
 メイリは生唾をゆっくりと飲み込む。
「相手にとって不足なし!!」
 たれうさ耳少年はそう言うがはやいか何やら不思議な武器を持って跳躍した。
 メイリは固唾を飲んでそれを見守っている。
「さっさと、かたずけろよ、抗」
 傍らの黒い物体が、それに向かって声をかけた。メイリはぎょっとしてそれをマジマジと見る。どこかで聞いた事のある声だ。
「もしかして……あんたゼクス?」
「うむ」
 黒い塊が不機嫌そうに頷いた。
 メイリは恐る恐る尋ねる。彼を包む黒い物体を指差しながら。
「なんですか、それ……」
「食料だ」
 たとえば、自分が食料になっている可能性を全く考えない男――ゼクスは彼を包む巨大ヒルの群れに自慢げに答えたのだった。
「…………」





【Confluence】

 前を歩くシオンから20歩分ほど離れて歩いていたレイシアがおもむろに持っていたアサルトライフルを構えた。
 その銃口は前を歩くシオンの翻すロングコートに向けられている。漆黒の影は今にもこの下水道の暗闇と同化しそうだった。
 暗い下水道の中をペンライトの光の部分を握りこみ極力光の出力を抑えて歩いていた彼の足取りは、しかし地上にいる時と変わっていない。サイバーアイのスターライトカメラが極微量の光さえも増幅し、辺りを明るく見せているからだ。
 それはレイシアにとっても同様だった。シオンが放つ微量の光を頼りに、この空間を歩いているのである。
 彼女は照準機を覗いていた。
 その円く切り取られた中心に、シオンの後頭部がある。
 引鉄に当てられた人差し指がゆっくりと動いた。
 ――ぴちゃん。
 水がはねるような音とともにレイシアは引鉄を引いた。
 水音に足を止め、振り返ったシオンの頬を何かがかすめていく。それは少なくともライフルの弾丸よりは大きなものだった。
 レイシアがライフルを下ろす。
 シオンは『それ』の飛んでいった先を見やった。
 そこにこぶし大の爬虫類のようなものが背にライフルの弾を埋め込まれてもがいていた。T字型の頭部に剃刀のような歯を持ち、気を抜いたビジターの――時にはビジター以外もの――頚動脈を一気に斬り裂き捕食するモンスター、シュモック。
 まだ息絶えていないのか、シオンはそれを無造作に踏みつけて歩き出した。
 これで何匹目だろうか。壁や天井に張り付く得体の知れないものが、光に群がるように先ほどからぼとぼとと落ちてくるのだ。
「きりがないですね……」
 ぼそりとシオンが呟いた時だった。
 ぴちゃんとどこかでまた、水のはねる音がした。
 遠い。だが、水音は徐々に大きくなってくる。まるで、猛スピードでこちらに近づいてくるように。
 シオンはレイシアを振り返ると走りだした。互いに言葉は交わされなかったが心得ている。
 シオンは高周波ブレードを片手に跳躍した。
 右の壁は崩れ、巨大な何かが顔を出す。
 レイシアが間合いを開けるように後方に飛んだ。しかし想像を超えた巨大ミミズの如き巨体を避けられるだけの距離を飛んでいない。レイシアにその巨体が襲いかかる。
 上に跳んでいたシオンが天井と巨大ミミズ――ワームに挟まれる。圧死寸前、シオンはブレードを高周波振動させると、ワームの背を駆けるように後方へと切り裂いた。
 巨体に跳ね飛ばされ、したたかに背をぶつけたレイシアに、ワームから飛び降りたシオンが駆け寄る。
 レイシアは胸の辺りを押さえながらゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
 声をかけたシオンに、しかしレイシアはライフルを構えると間髪入れず引鉄を引く。
 まだ、絶命していなかったワームの尾がシオンを襲うように動いていたのだ。
 5発叩き込んで、マガジンを取り替える。
 シオンは振り返って再びワームの胴体を両断した。その先にもう1体。……いや、1体どころではない。
 円状になった鋭い歯をがちがちと噛み合せて、計5体がシオンたちに近づいてきていた。
 レイシアが照明弾を放つ。
 持続時間は5分。
 一旦ペンライトをポケットにほうりこんで、シオンはブレードを両手で構えなおすと駆け出した。



   ◇



 微量の光を灯す事が出来る船型のラジコンを下水の水面に走らせながら、トキノは発狂寸前だった。
 別に暗所恐怖症というわけではない。先ほどからぼとぼとと落ちてくる巨大ナメクジやらヒルやらシュモックやらも大した問題ではない。
 トキノは暗い溜息を吐き出しながら呟いた。
「この探索は失敗でした……」
 彼のお気に入りの服が、跳ねた汚水やら何やらで、台無しになってしまっていたのである。
 さっさとこんなところは抜けたいが、来た道を戻るというのもしゃくで、とりあえず蛍光ペンで印を付けながらトキノは前へと進むのだった。
 印がすぐに自分のものとわかるようサイン代わりに浮世絵のようなイラストを描いておく。憂さ晴らしにシオンの悪口も付け加えた。
 ちょっと気分が洗われて、一息ついていると、突然辺りが暗闇に覆われる。
 ラジコンが何ものかによって壊されたのだ。
 同時に何かがコンクリートを貫く音が聞こえた。ばしゃばしゃと水音も聞こえてくる。
 サイバーアイの暗視機能は、完全暗闇状態では使えない。
「……まずいですね」
 近づいてくる音にトキノは已む無くIRカメラに切り替えようとした。しかし、それより早く、辺りは明るくなった。
 ――誰かが光を……?
 光を放っていたのは女だった。綺麗な長い黒髪に緑色の目をしたしなやかな筋肉質の褐色の肌の女である。ライフルを背負い、右手にペンライト。左手にはナイフを持っていた。
 思わず見惚れてしまったトキノだったが、彼女の前に巨大なミミズのようなものがのたくっているのに気付いて、彼は腰に佩いた小太刀を一本抜き放った。
 女の蹴りに、しかし巨大ミミズ――ワームは、その肉壁に全くダメージを受けた様子はない。
 女はナイフでワームの肉を裂きにかかった。
 しかしナイフの刃渡りでは浅い。
 ワームの反撃に女が体勢を崩す。ナイフが甲高い音をたてて、地面に転がった。襲い掛かるワームの鋭い歯に、トキノは走りだす。
 ワームの鋭い歯は鋼鉄をも砕く。しかし高周波振動する彼の小太刀は、その円状に並ぶ歯を一閃していた。
 トキノの乱入で難を逃れた女は、後方に退くとトキノを援護するようにライフルの弾丸をワームに向かって叩き込む。
 ワームは仰け反るように暴れたが、やがてぱたりと動かなくなった。
「大丈夫でしたか?」
 トキノが小太刀で空を切って、その刃に付いた血肉を振り払うと鞘に戻して言った。
 女はトキノを睨み付けている。いや、睨んでいるつもりは本人にはないのだろう。彼女の常からの冷徹な眼差しがそう見えるだけだった。
「トキノ・アイビスといいます」
 律儀に挨拶をして、握手を求めるように手を出すと、女はその手を叩いて言った。
「レイシアだ」
 そして落ちたナイフを拾い上げる。
 彼女は多くを語らなかった。今のワームとの戦闘中、連れのシオンとはぐれてしまったレイシアである。もしその事をトキノに話していれば、事態は別の方向へ進んで……いるという事もなかっただろうが、少なくともトキノの心理状態に、何らかの影響を及ぼしていただろう。シオンとは浅からぬ仲である。
 とにもかくにも2人は連れ立って下水道の奥へ進むことになった。
 時折トキノが蛍光ペンで印と、余計な落書きをする。それにレイシアが『同意』と書き足しながら。



   ◇



「抗……強い」
 メイリを追いかけてきたワームを、危なげなく倒してみせた抗に、メイリは目を輝かせて言った。
 全身に飛び散った汚れを掃いながら抗が満面の笑みで戻ってくる。
「ふふん。当たり前だ。もっと言っていいぞ」
「すげぇ! 俺、一生あんたについてくぜ!」
「おう! 来い!」
「ふん。この程度で何を言うか。あれだけ原形を留めておけと言ったのに!!」
 相変わらず全身に巨大ヒルをくっつけたゼクスが憤然と言った。極度の貧血は治癒ESPで何とかしているらしいが、先ほどからずっと蒼い顔をしている。
「うるさいな。仕方ないだろ! 自分でやれよ」
「俺に死ねというのか!?」
「……分かってるだけにたち悪いよな……」
「ふん。しかし抗でも、あれは倒せまい」
 ゼクスが『あれ』にチラと視線を馳せて言ってみせた。何故だか偉そうである。
 抗とメイリがそちらを振り返った。
 そこにはワームがいた。但し、一匹ではない。
「全然。楽勝だぜ」
 抗が不敵な笑みを浮かべる。
「いいか。俺を守りながら、だぞ」
 ゼクスが胸を張って付け加えた。決して胸を張って言うセリフではない。
「あ、俺も、俺も!」
 メイリが手を挙げる。
「……お前らなぁ……」
 抗は呆れたように息を吐いた。
 そもそもである。何故ヘルズゲートの中などというこんな危険な場所に、自分の身も守れないような非戦闘要員がいるのか。しかも2人も。
「期待しているぞ。今度こそ原形を留めておけよ。傷つく事を恐れるな! 人間そうやって成長していくものだ。というわけで、怪我したら治してやるから、俺を守りつつミミズを手に入れろ」
 そうやってまくしたてるゼクスを無視して抗はメイリを振り返る。
「メイリ、走れる?」
 メイリは大きく頷いた。
 抗は、自分の足で走れる分だけこいつの方がマシだ、と思いながら、ゼクスの体を脇に抱えた。セフィロト髄一の貧弱男は長距離を自分の足で走れないのである。
「まさか逃げるのか。貴様不戦敗を選ぶというのか!?」
 大事な食料だぞ、と怒るゼクスに抗が言い返す。
「三十六計逃げるに如かず。これも戦術だぜ」
 大体である。ゼクスを抱えてどうやってワームまで持って行くというのだろう。
「じゃ、走るぞ」
 抗がメイリに言った。
「おう!」
 メイリは抗の長袍の裾を掴んで構える。
「…………」
 なんでみんな、そこを掴むんだろう……何となく疲れたように溜息を吐いたところへワームの群れが襲いかかってきた。しかし光に寄ってきた、という感じではない。なぜならゼクスではなく、明らかに抗を襲おうとしていたからだ。もしかしたら奴らは仲間の血の匂いに集まってくる習性でもあるのか。
 抗が走り出すのにメイリも走りだした。
 ワームが追ってくる。
 先頭の一体が、一番後ろのメイリに噛み付こうとした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ワームに驚いたメイリが抗の長袍の裾をしっかり握ったままつまづく。
 メイリの悲鳴に抗が反射的に子母鴛鴦鉞を投げる。
 その刃を高周波振動させながら、それはワームを切り裂いてブーメランのように彼の手の中に戻ってきた。
 バランスを崩したメイリが耐え切れなかったように大の字に前に転んだ。
「だぁぁぁぁぁぁ!? 俺の一張羅!?」
 ビリリと布が裂ける音に、抗の絶叫が重なる。
 先頭のワームが倒れたことで後続のワームたちが玉突き事故を起こしていた。
 抗は破れた長袍の裾を泣きそうな目で見下ろしている。
 破れた裾の切れ端を握り締めたまま、メイリが擦り傷だらけの顔をあげた。
「ごめん……抗……膝打った」
「へ?」
 メイリ。半月板損傷。




「や・く・た・た・ず!!」
 と、抗が怒鳴りつけた相手はゼクスだった。
 非戦闘要員回復専門のくせに、治癒も出来ないなど役立たず以外の何者でもない。
「お前、怪我したら治してやるっつったよな?」
 だが、ゼクスは怪我を治せなかった。かろうじて、痛みを緩和してやっただけである。
 ゼクスは、自分の貧血治癒にESPを使いすぎ、ついでに光を発し続けていたので、オーバーワークで治癒ESPが使えなくなってしまっていたのだ。
 全くもって役に立たない男である。
 とりあえず彼を包むヒルを抗は全部取り除いた。ゼクスは貴重な食料を、と怒ったが、このままでは失血死しかねない。ついでに、光は放っておいてもらわないと、暗闇の中、万一タクトニムに襲われでもしたら、しゃれにならないのだ。
 子母鴛鴦鉞を腰にさげて、ゼクスと、走れなくなったメイリを両脇に抱え、抗は一人で走りだした。
 ゼクスの放つ光が、段々弱まっていく。薄暗くなってしまった下水道を彼はまっすぐ駆け抜けた。やがて、遠くに小さな光が見えてくる。
 抗は迷わずそちらに走りだした。
 たとえそこが敵の巣窟であったとしても、真っ暗闇よりはきっとマシに違いない。
 明るい場所へ。
 そこに見知った顔を見つけて抗は安堵に声をかける。
「久しぶり、シオンさん」
 シオンはブレードを構え、一体のワームと対峙していた。
「君は……」
 シオンは声の方を振り返って絶句した。仲間、とか、応援、というよりは、逆に見えた。何と言っても抗は両脇に2人も抱えているのである。
「何なら手を貸すぜ。だからその代わり、後ろの奴ら、何とかするの手伝ってくんない?」
「…………」





【last battle】

 彼らはいつの間にか大量のワームに追い込まれ、周囲を囲まれていた。どうやらここは奴らの巣窟の中心部らしい。全ての道はローマに通ず、ではないが、いくつもの通路がここに集中しているようだった。
 あまり好ましい状況ではない。
 それでも場を明るくするためか、シオンがおどけたように言った。
「ハンバーグが何個出来るでしょうか」
 抗の作ったPKバリアの中で割れた半月板を押さえていたメイリは、内心で『食べるんだ……』と呟いた。とりあえず、あまり笑えるジョークには聞こえなかったらしい。ミミズは高たんぱく質で栄養価が高い、などと言ってた奴がいたからだ。そいつはヒルでもあのボキちゃんでさえも食料とのたまっていたのである。タクトニムを食べる。それは冗談には聞こえなかった。
 一方、同じくバリアの中で憤然としていたゼクスは、『これだけあれば、しばらく食うに困らないな』と考えていた。
 ちなみに言った本人も、冗談っぽく言ってはいたが、若干本気めである。しかもゼクスと違って自分が食べるわけでもないので『店が開けるかも……』と目論んでいた。
 そんなシオンの内心に気付いているのかいないのか、抗は溜息を吐く。
 ――なんでこいつら、自分が餌になる可能性を考えないんだろう……。
 抗はもう一度呆れたように溜息を吐くと、手にしていた得物を目前のワームに向かって放った。
 走れない2人を連れていくには、どちらにしても1人が2人を担ぐ事になる。そして残りの1人が1人でこれだけのワームを相手に蹴散らし道を切り開いていかねばならない。3人を守りながら。或いは、ここにいるワームを2人で完全に蹴散らしてしまうか。
 どちらにしてもあまり現実的とは思えない。
 戦闘要員が後、1・2人欲しいところだ。
 抗は跳躍した。
 彼のいた場所をワームの牙が噛み砕く。
 抗は空中で、返って来た得物を掴み取ると、そのスピードを殺さないように一回転して再び投げた。
 投げながら舌を出す。
 ワーム達の中に、更に一回り大きいのを見つけてしまったからだ。あの大きさなら、自分たち4人くらい軽々と飲み込んでしまいそうである。
 だが――――。
 その奥に光が見えた。
 黒髪に長い髪の毛先が白い男。
 それから。
「レイシアさん!」
 抗は戻ってきた得物をキャッチするとそのまま飛行ESPでワームの群れを飛び越え、彼らの元は着地した。
 これで助かる、と抗は思った。
 抗はまだ知らなかったのだ。

 彼と彼の因縁について。



   ◇



 ここで会ったが100年目。

 シオンは高周波ブレードを両手で掴み、中段に構えていた。
 トキノは高周波振動する2本の小太刀を両手で持ち、2刀流の構えであった。
 2人は互いに互いの方を向いていた。
 ワームなど視界にも入らないといった顔つきで。
 実際、入っていなかったのだろう。
 ダークゾーンで風など殆ど吹いたりしない。汚水の流れるこの湿度の高い空間に、乾いた砂埃すらありえない。
 だが、一触即発で対峙している2人の間には確かに砂塵が舞っていた。波しぶきのあがる音まで、今にも聞こえてきそうである。
 この巌流島で2人の対決は今正に始まろうとしているのだ!! ――勿論、過言。
 次の瞬間、両者が動いた。
 高周波振動する刃と刃が宙で出会う。それは互いに甲高い音をたてて別れた。
 刃擦れに鉄粉が舞い、火花が飛び散るほどの斬合。
「あのぉ……」
 と、抗が遠くから控え目に声をかけた。
 レイシアは呆れているのか二人には目もくれず、ライフルとマガジンの残弾を確認している。
 ワームは彼らを囲むようにして、暖かく見守っていた。
 いや。
 そんなわけがない。
 ワームたちはじりじりと包囲を狭めていた。そして抗が見た、あの巨大なワームが彼らを飲み込まん勢いで前へ進み出たのである。
 しかしトキノとシオンはワームも何もかもそっちのけで因縁の対決に夢中であった。
 抗は眩暈をおぼえながら、縋るようにレイシアに言った。
「あの……怪我人が1人いるんですけど」
 するとレイシアは、ワームに向けていたライフルの銃口をおもむろにトキノとシオンに向けた。
 ズガガガガガガ……
「…………」
 突然襲い来るライフルの弾丸に、2人が対決の手を休めてレイシアを振り返る。
「行くぞ」
 それだけ言ってレイシアはワームの群れに向き直った。
 抗はバリアを解いて、ゼクスとメイリを両脇に抱えあげる。
 怪我人じゃなくても非戦闘要員である。抗はぼんやり思った。怪我しててくれて良かった、と。でなければ、あの2人の対決は止められず、レイシアも止めようとしてはくれなかったかもしれないのだ。
 ビバ、怪我人。グッジョブ。メイリ、ありがとう! ちなみに、そんな抗の中のメイリへの感謝の気持ちが一転するのは、そう遠い未来ではない。
「逃げるぞ」
 声をかけた抗にメイリが言った。
「俺、道、覚えてる! あっちだ!」
「では、私が行こう」
 トキノが道を開くように、メイリが指した通路のワームを蹴散らした。そのすぐ傍らを抗がメイリとゼクスを抱えて走る。
「何を言うか! 宝を目前に!!」 
 とゼクスが喚いたが、煩いだけで暴れる余力はないらしい。抗は無視する事に決めた。
 トキノを援護射撃するように、レイシアが後に続く。
 しんがりのシオンは、バルカンを肩に担ぐと、ここに至るまでに見つけたいくつものトキノの落書きを思い出して、腹いせのように次々とワームの腹に弾丸を叩き込んでいった。但し、貧乏性なので、無駄撃ちはしない。
 追ってくるワームを蹴散らしながら、シオンは前を行くレイシア達の後に続いた。
 先頭を行くトキノの傍らで、メイリが指示を出す。
「そこ右! 次を左!!」
 ほぼ最短距離を走ったのか、程なくして長いトンネルが終わりを告げるように、その先に光が見えてきた。
「やった! 出口だ!! 凄いぞ、メイリ!」
 抗が一番乗りとばかりに光に向かって力いっぱいジャンプする。
 そこに、地面はなかった。
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
 ダークゾーンのその先には廃棄物一次処理プラントがある。下水道を通ってきた汚水はゴミ沈殿槽という汚水をたたえた巨大なプールに注ぎ込んでいた。
 3人は、そのプールにダイブしていたのである。
「……メェ〜イィ〜リィ〜……」
 汚水にまみれながら地獄から響いてきそうな声音で抗が言った。メイリが首を傾げる。
「あ…あれ?」
 ダークゾーンが、実はあの巣窟を中心に点対称に道が伸びていた事に、彼らが気付くのは……永遠になかった。
 とりあえずは落ちたのが、水に浮かない性質の為に泳ぐ事の出来ないサイバーでなかったのが、唯一の救いかもしれ……。
「えぇい!! ここが貴様の墓場となれ!!」
 対決再び。
 沈殿槽に沈んでいくシオンを見ながら、抗はぼんやり思うのだった。

 ――誰が彼を引き上げるんだろう……。





 ■大団円■





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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【0375】シオン・レ・ハイ
【0289】トキノ・アイビス
【0289】レイシア・クロウ
【0641】ゼクス・エーレンベルク
【0644】姫・抗
【0727】メイリ・アストール

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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 たいへん遅くなりました。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
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