PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


都市マルクト【繁華街】ヘブンズドア
ある日の投影

珠洲





【オープニング】
 いらっしゃいませ。ヘブンズドアへようこそ。
 まずは一杯。貴方の生還を祝って、これはこの店のバーテンの私がおごりましょう。
 貴方の心を潤す一杯になったなら何よりです。
 さて、今日は誰かと待ち合わせですか? 愛する人と二人きりも良し、テーブルに行って仲間と語り合うのも良いものです。
 それとも、今日はお一人がよろしいでしょうか? そうとなれば、貴方の大切な時間を私が汚してしまった事を許してください。
 さて、それとも‥‥今日は何かを抱えて店にやってきた。辛く苦しい事。重苦しく、押しつぶされそうで‥‥
 そんな時は、誰かに話してみてはどうでしょう? こんな私にでも話してみれば、少しは心が晴れるかも知れません。
 夜の時間は長い様で短い。せめて、その一杯を飲み干すまでは、軽やかな心で居られますよう。心より願っておりますよ。



 ** *** *





 がたん、と椅子を蹴倒す音に揺れる細い肩。
 身を竦ませた少女を包むように添えられた手の主が「大丈夫だよ」と声をかけて。

 酒場の奥で喧騒を避けるようにして呑んでいた倉橋葵とレオン・ユーリーが、騒がしくなってきた出入口近くの遣り取りに振り返って見たのはそんな場面だった。
「ジェイドじゃねーの」
 何杯目かなど定かではない酒の入ったグラスを置いてレオンが言う。
 彼の声に細身の男がひょいと気軽な様子で顔を上げると「あれ」と顔を綻ばせた。
「葵サンにレオンさん。偶然だなぁ」
「俺が声かけたのに後回しかよ」
「あはは、ごめん」
 軽い遣り取りの間に葵は手の中のグラスを空けて、挨拶の意図で腕をごく短く掲げておく。
 返すようにジェイド・グリーンが腕をこちらはひらりと軽快に振りつつ傍らの――葵の記憶の底を浚うどこか儚い風情の少女に顔を向けると「弓弦ちゃん」と呼んだ。
 応じて上げられた面は白く髪も限りなく色の失せた銀で、そして瞳は赤い。
 その血潮の色を透かす眸を揺らしてジェイドを見返す少女を先客二人はそれぞれの態度でもって興味深く、友人からの紹介を待つ。横たわる空気と短い遣り取りの様子から関係を推し測るのは容易であるのだが。
「弓弦ちゃんが会うのは初めてだよね。あの二人は――」

 金髪をさらりと流して少女を覗き込むジェイドが話す声。
 友人の、普段の女性に対するのとはまた違う調子のそれに耳を傾けつつ葵とレオンは互いの顔を窺った。



 ――その高遠弓弦という少女は丁寧な物腰の、酒場という空間には馴染み辛そうな人物だとまず感じる。
 けれど「恋人か」と紹介の直後からレオンにあれこれ突っ込まれているジェイドの隣、ごく自然に微笑む彼女は殊更に周囲から珍しげに見られることもない。恋人と一緒であるからか、彼女自身が控えめに立つような人物であるのか、そこまでは今回だけでは確定も出来ないが、と葵はグラスを揺らしつつ弓弦を視界に納めていた。
 ジェイドとレオンは弓弦に話題を振りながら――葵が積極的に会話に参加するような人間ではないことは彼らはよく理解しているのでやたらと振らない――よく笑う。男達に比べて酒に慣れていないだろう弓弦に合わせてジェイドだけでなくレオンも今はアルコールを控えているのだが、元が陽気な傾向の人間二人は酒があろうとなかろうと会話の弾み具合にたいした違いはないらしい。
「じゃあ何か、仲良く本読んで過ごしたと」
「そこはかとなく不満そうだなぁ、レオンさん」
「気のせいじゃねーかぁ?」
 ぽんぽんと、けして忙しない程にはならず声を挟めるテンポでの会話。
 時折「だよね、弓弦ちゃん」だのとジェイドが身体ごと隣の少女に向き直る。
 ひっそりと静かな雨に似た様子で弓弦が微笑み頷いたり短く答えたり、それでジェイドが笑いレオンがそこにまた口を挟む。葵は稀に突っ込んでみる程度。
 ごく自然に互いが馴染み、無意識に踏み込む限界を悟って言葉を交わして。
「そういえば」
 会話の内容が内容だ。
 流れからすればじきに出てもおかしくはなかった。
 葵と二人で飲んでいたときとは比べ物にならない度数の酒をぐいと呷ってからレオンが楽しそうに、含みのある風に唇を笑みの形に引く。そうしてからゆったりと、問うたそれは。

「お前さん達は結婚はするのか?」

 予定が立てば祝ってやろうじゃねーか、といった類の言葉を長い付き合いの親友は言うつもりだったのだろうと葵は思う。
 だが「え」とジェイドにしろ弓弦にしろ奇妙な間を空けたものだから、彼もぱちりとまばたきを落としてそこで言葉を切った。ふんと揶揄の色を再び刷いて笑ってみせて場を凌ぐ。
「ええと、結婚、かぁ」
「……」
 葵は弓弦の表情が一瞬、本当にごく一瞬だけ崩れたのを見ていた。
 ジェイドがそれを察しているのかは解らないけれど緑瞳の友人は、人の様子を見るのに聡い。特に大切な相手であれば尚更だろうからきっと、気付いている。
「いや改めて聞かれるとなんだかこう、ね」
「そりゃ悪かったな」
 ごく軽く交わす言葉を耳に入れながら葵はつと焦点を弓弦に据えた。
 気付いて白い姿の中で浮き上がる赤の双眸がそれでもひっそりと、緩やかに向き直る。
「悪いな」
「……いいえ」
 目線でレオンを示して詫びた葵にそっと首を振り微笑む弓弦。
 どこか希薄で存在感に欠けるのは外見の儚さゆえであるのか、当人の何かがあるのか。
 それでも話題に対して悪い感情でもって対しているのではない様子を見て取って、小さく頷くと葵はグラスをごく軽く触れてからレオン達の方へ意識を向けた。弓弦も同様に二人を見る。
「でも急いで約束するのが絶対良いとかは俺は思わないし――」
 言葉を選びながらレオンと話すジェイドのまとめた金糸が揺れては薄暗い灯火に光る、その向こうの表情を彼女は見る。
 揺れて光る金色の向こうを揺れる赤い瞳で見ている。

(目は口ほどに、と言ったか)

 葵はまた弓弦を視界の、中心に納めていた。


 ** *** *


 ジェイドと連れ立って訪れた酒場は賑やかで、けれど騒々しいとも取れる程だ。
 席に着くどころかテーブルに腰掛ける者、立ったまま通路の中央を占拠する者、些細なことから立ち上がり襟首を掴み合う者達、それらを器用にすり抜けて注文を取り運ぶ店員。
 溢れ返る人々の向こうに今は金色の、優しい髪が見える。
 静かに腰掛けたまま弓弦はジェイドの背中へ瞳を向けていた。動く人の身体に隠れては現れ、現れては隠れる恋人のすらりとした後姿。
『カタチに拘る必要はないと俺は思ってるし、そういうのじゃなくて』
 結婚、という言葉に真面目に考えて、噛むようにゆっくりと話したジェイドの言葉を思い出す。ついさっきのことで、それは弓弦の耳に容易く甦るものだ。
『うん。ゆっくりでいいんだよ。二人で一緒に色々考えながら――ね、弓弦ちゃん』
 日の光を受けて輝く緑はきっとこの瞳なのだと。
 ぼんやりと思わせるジェイドの翡翠の眸を見返して、弓弦はじわと目の端から潤みかけたのだ。瞬いて堪えたそれはきっとジェイドには気付かれていただろうけれど、彼は素知らぬ風に笑ってくれた。
 だから弓弦もようよう微かながら頷いて。
「どうやって」
 飲み物と軽い食べ物を頼もうと、どうも件の騒ぎが広がりかけている関係で奥まで来ない店員に声をかけにジェイドが立ってから、ずっと無言だった弓弦がぽつりと唇を開く。
 己の内へ意識を向けている様子だった彼女に話しかけず、無言で度の強くない酒を空けていたレオンと葵はその細い声に顔を向けた。
 薄暗い店内で幻想的な白をまとって座る少女。
 恋人の背中を見たまま動かずに呟いた彼女は、二人の目が向くのを待っていたかのような頃合で半身を巡らせる。
「どうやって、人は」
 赤い瞳が客達の向こうに見える恋人を一度捕らえてから。

「相手の方と結婚したいと望むのでしょう」

 それは決まりきった解答なんてない質問だ。
 どんな答えであっても真実弓弦が求める答えにはなりえない。
「どうやって、ってなぁ」
「方法なんてないだろ」
 だから葵とレオンも正直に応じる。
 肩を大仰に竦めてみせたレオンの銀髪の一つ編みが小さな振り子のように揺れた。赤いメッシュといい、顔立ちといい、葵とは対照的な派手さがある男だ。
 けれど大家族なだけあって面倒見は良い。
「……弓弦はジェイドのこと好きだろ?」
 その面倒見の良い男がグラスを脇に押しやって――それは葵が自分の空の分と合わせて積んでおく――テーブルに僅かばかり身を乗り出す。
 ひどくストレートな言葉に弓弦は咄嗟に反応が出ず、ちょうど一拍置いてから落ち着かなげに瞳を伏せた。少しだけ困り顔で「はい」と頷く。肯定の言葉は小さいながら鮮明で、それにレオンは満足そうに笑った。
「ならいいんだよ。まずそこだ」
「……そこ、ですか」
「じゃねーの?相手が好きで、相手も好きで、まずそれがねぇと」
 ま、と付け加えて彼は笑う。
 くっきりとした造作のレオンが明瞭な笑顔を浮かべると、ごく自然に相手にもそれが移る。
 弓弦も同様にほろと唇の力を緩めて笑んだ。
「俺にも妹がいるからなー」
「大家族でな、こう見えて世話焼きだ」
 挟んだ葵の言葉にまた笑う。
 こう見えては余計だとかなんとか言う長年の友を慣れた風にあしらいながら、葵は弓弦の零した笑みが収まるのを待った。ジェイドは店員を捕まえるどころかカウンタまで言ってあれこれと腕を動かしているのが見える。
「嫌い訳じゃないならいいじゃん。俺はそう思うぜ」
「はい……でも」
 でも、と止まった言葉を繰り返す。
 揺れている赤い赤い瞳がじわと更に震える。
「…………」
 少女よりも年嵩の、幾つもの人を見てきた二人はつと目線だけを交わす。
 その途上で弓弦が唇を小さく動かしては閉じるのを見、一度レオンに瞳を向けたのを見、そこで葵は席を立つことにした。喧騒が少しばかり遠いテーブルでは椅子を動かす音が意外と響く。
「引っ張ってくる」
 戸惑った風に見上げる白い娘にくいと僅かな顔の動きで行き先を示した。
 先刻より物騒な音が混ざりがちな出入口側の、つまりジェイドを呼びに行くと。
「じゃあ、あの、私も」
「大丈夫だ。待ってろ」
「だな。どうもバカが得物持ち出しそうだ」
 歩きざまにぽんとごく軽く肩を――立ち上がりかけた弓弦の細い肩を叩いて葵。
 レオンが言葉を引き継いでいるのを背中に聞きながら、握り込めそうだった肩に触れた己の手を持ち上げる。見遣る先の掌には、何も。
 ただ通風孔から洩れる音のような弱い気配で記憶が揺れるだけだった。


 親友だと誇らしく語れる男の些細な仕草をレオンは当然見咎めている。
 けれどあえて踏み込むつもりもなく引き止めた少女を見ると、まだ気に掛かるのか葵の向かった先を窺っていた。微笑ましくて、どうしても唇が綻ぶのは妹を思い出すからだろう。
 近い年頃の妹と重なってそれで。
 たいした世話焼きだと培った気質に内心で笑いながら、心持ち首を傾げてみせれば弓弦は動く気配に気付いたかレオンに向き直った。
 すみませんと小さな声。
 元の身長差の為に腰掛けてからも違う顔の位置。どうしたって上目遣いになる睫毛の下の瞳を見ながら思う。この年頃の子はみんなこんな風かな、と。
(いやいや、この子のがウチのより色々考えてそうか)
 身内の気安さは思考にも移るようだ。
 本人が聞いたら頬を膨らませそうな比較をしながら弓弦を見る。
 まだレオンに何か窺う風な様子なので「うん?」とただ少しだけ不思議そうにしてみせた。


 目の前の人は不思議と親しみやすい気がする。
 家族、妹がいるという話だったから――弓弦には居ないけれど兄というものはこんな雰囲気であるのかもしれない。おそらくは気を使う意味もあったのだろう、立ち去った葵の方つまりジェイドの居る方をもう一度ちらりと見遣ってから弓弦はグラスを取り唇を湿らせた。
 ぬるくなってきた飲み物は半端な感触を咽喉に残す。
 まるで――まるで。
(残された、私みたい)
 姉も、父も母も、近しい愛おしい人達は居なくなった。
 家族という特別な枠の中に在ったのに今は枠の中には弓弦一人。
『結婚は』
 その問いの意味。
 つまり特別な枠の中に入るということで、つまり、それはつまり。

「……不安、なんですきっと」

 約束するかしないか。
 特別な枠に一緒に入るか入らないか。
 今は誰も居ない一人きりの世界で弓弦はそれを一人で決断しなくてはならない。
 そしてその誰の意見も得られず相談出来ずに果たすべき状況だけでなく決断そのものを恐れるのは、その後に恐れを抱くからでもあるのだ。おそらくは。
 姉と父と母と。
 弓弦だけを遺してしまった人達と、心の中で知らず重ねてしまう。
「不安で」
 目の奥にじわりと熱が滲んで瞼を閉じる。
(ジェイドさんも居なくなってしまうことが)
 二人で過ごす何気ない時間の中で弓弦だって考えることはあるけれど。
 例えば明日は彼とどうしているだろうか、来週は、来月は、そして来年は未来はと考えてそして。でも今は。

「俺にも恋人いるんだよ」

 と、弓弦の呟きにうんと頷いていたレオンが声のトーンをまったく変えぬまま唐突に話し出した。
 閉じた瞼を押し上げて彼を見る。
 鮮やかに浮かぶ赤のメッシュがまず目に入り、それから変わらず笑顔の整った顔の彼自身。
「同じ傭兵稼業で――俺は傭兵だって言ったか」
「はい」
「ああそう、それでまあこれでも浮気もしないで一途なんだぜ?けど結婚はしてない。ちなみに約束もしてないし予定もない。どうしてかってーと、死ぬから」
 当たり前のことだとばかりに言われたけれど、弓弦はぎくりと鎖骨から肩口に力を入れた。
 レオンの表情は変わらない。少しだけ、苦く重い。
「こうやって酒場で飲んでクダまいてるよりはるかに死にやすいから、どうしたってなー」
「…………」
「比較じゃない。参考に俺の立場だってだけだぜ」
 けどまあ、とレオンは何もない壁へ顔を向けた。
「妹なんかには、相手が死ぬの考えて不安に泣きそうな顔して欲しくはねぇよな。ずっとそんな顔は困るから――どうしたもんかな」
 最後には呟きのようになって聞き取るのもぎりぎりだった。
 一度唇を閉じてから「な?」と弓弦にまた笑う。ずっと彼は笑顔で弓弦に向き合っている。
「……あの」
「ん?」
 向き合う彼のきっと兄めいた笑顔に背中を押されたのなら。
 言葉と気持ちとを探す。拾い上げる。それらの象徴である大切な人を探して視線を滑らせる。喧騒の中から狙いすましたようにその人が、葵と一緒に皿を持って歩いて来る。
 決断への不安。別離への恐れ。
 でもどうしたって。





「弓弦ちゃんが、人を好きになることに対して恐れを抱いてるのは解ってるから」
 レオンと向かい合って座る少女を愛しげに見遣りながらジェイドは歩く。
 途上の言葉に葵はつと切れ長の目を彼に向けた。

 喧騒はまだ微妙に燻りを残している気配だったが自警団なりが出張るような、例えば銃撃戦だのサイバーやエスパーが暴れるだの、そういった展開までには至らなかった。
 お陰で二人は悠々と皿を持って(葵は追加の酒瓶だが)歩いている次第である。

「結婚、なんて具体的にさ、誓約することでその恐れをはっきりさせてしまうなら」
「はっきりさせて決断するかもしれない」
「無理させたくないよ。本当に、カタチに拘らなくても良いと俺は思ってるし」
 ごく自然にジェイドはそう話して笑った。
 含みのない人に好まれる笑顔は少女を想ってのものだ。
「だってさ、葵サン」
「?」
 ぱちと明滅する照明に眉を寄せたところでジェイドが唐突に足を止めた。
 ぶつかるようなヘマはしないが眉を寄せたまま彼を見る。
「今の俺は弓弦ちゃんと当たり前のように一緒にいるんだよ?ならそのまま自然に……なんて言うのかな、本人達が納得してたらいいわけだし」
 言うなれば『心の夫婦』というものか。
 止めた足に自然と力が入って振り返り、そして自分が話すのを葵は静かに聞いている。内心を見せない――それはある意味ではジェイド自身も同じだ――友人に説明しながら、浮かぶ言葉に自ら頷きそうになった。
 心の夫婦。
 そう、言葉も文章も形に残すものを必要としない、当然のように寄り添い歩む姿はジェイドが考えて望むことのある関係だ。カタチは後のもので、無くてもいいくらいで。
 どれだけ考えても変わりはしないジェイドの考え。
「いいんだよ」
「今のままで?」
「というか、こうして一緒に歩んでいく中で自分だけじゃなくて相手と一緒に考えていけたら」
「そうか」
 首を動かして弓弦の姿を捉えながら繰り返す。
 相変わらず素っ気無いばかりに聞こえる相槌の葵の声を聞きながら、白い姿が薄暗い店内に浮かぶのを見る。レオンだって短髪一部メッシュとはいえ銀髪なのに弓弦ははるかに際立ってジェイドに映る。
 長い髪にかくれて表情は解らない。
 今はどんな顔でレオンと話しているのだろう。

「そのなかで二人が幸せになる道を一緒に見つけられたら、いいね」

 言葉を括りながら、ひたと細波を思わせる繊細な微笑みを想像した。





「だって未来を思い浮かべるのは自由なんだから」
「――え」

 会話の流れとはいささか合わない言葉に、しかし弓弦は驚いて足を止めた。
 行き過ぎることなくジェイドも止まる。
『未来を思い浮かべる位の自由は』
 大丈夫ですよきっとレオンさんみたいなお兄さんがいれば、なんて当たり前の話をしながら自分に告げているのだろうと察していた。ぽつぽつと考えながら胸中で今恐れる自分について考えて。
 そのときにせめてと思ったことを今ジェイドが言った。
 聞こえていたはずもないのに。
「ねえ弓弦ちゃん」
「はい」
「このまま一緒に居られたら、それが一番だよね」
 太陽光なんてない空間で彼の笑みに目を眇める。
 ようよう「そうですね」と頷くとまた彼も「うん」と笑う。
「また一緒に行こう」
「はい。また一緒に」
 揃って振り返った酒場の方。
 洩れる光が酒場のものか、他所のものかはもう判別出来ないけれど。

 悪酔いしてるのが居るみたいでちょっとやばいな、と荒事慣れしているジェイドの友人達が言うので出て来た自分達。
 見送るレオンの声と掲げられたグラス。それから葵が付き合って掲げた腕。

 ――恋人達の未来に乾杯!


 ** *** *


 並んで去る背中を見送ってレオンは腕を下ろす。投げた声に含んでいた陽気さは少なからず姿を潜めていた。
 傍らの男はまだ出入口の弓弦の去った場所へ瞳を向け。
「失くすときには失くす」
「そうだな」
 吐息交じりの呟きに言葉だけ返してグラスに遠慮していた強い酒をなみなみと注ぐと葵の分も容赦なく入れた。
「言わなかったな」
「……参考どころか、不安を煽るだけだろ」
「まあなあ」
 咽喉を鳴らす程の勢いで空けてまた注ぎ入れる。
 隣の男がかつて守れず失った少女の記憶を胸の奥深くから浚ったのだろうことを悟っている。そして相手もレオンが恋人に何の約束も出来ないことについて整理しきれない感情を持っていることを悟っている。お互いにそれを引き出さないだけの話だ。
「――っと」
「今日は多いな」
「まったくだ」
 ガタガタとまた響き出した争いの音に仲良く呆れた息を吐く。
 ジェイドが追加してきた皿をつついてしばらくは和やかにしていたけれど、小さな怒鳴り合いが普段以上に続くことからお開きとした。原因であるところの諍いの声はまた起きたらしい。
 大事に発展する気配を確かめて、見当たらないと判断してからまた酒を呷る。
 酒豪と呼ぶに相応しい友人だがそれにしてもペースが速いと横目で葵は思う。
 だがおそらく当人も承知しているのだろうし。
(……俺達には、遠い)
 愛情に保証も約束も、確かに必要ないともいえる。
 けれど心を安らがせる為に必要な面だっておそらくはあるのだ。
 レオンは――恋人も自分も傭兵稼業だからとそれらを持たない。持つことは不可能ではないが守れない可能性を考えてしまえば持てない。
 自分には叶わない、それを。
「投影か」
「あ?」
「いや」
 独り言だといえばふんと鼻辺りからの声で返された。
「しかし幸せになってもらいたいもんだ」
「二人に」
「それでいいぜ。弓弦が俺はまあ心配だが」
「ジェイドがいるだろ」
 いやまあそうだがそうじゃなくてほら妹と同じ頃だと思うと。
 酒に潰される程には飲んでいないだろうにまとまりなく話している。
「大丈夫だ」
「……そりゃそうだろ」
 グラスを置く音は意外な重さで手に戻った。
 親友とは対照的にペースを落とした葵はもう一度客達の向こうに見える出入口へと顔を向けて、二人は今並んで戻っているだろうかと考える。


 舞台のような、物語のような、人伝に聞く見知らぬ誰かの人生のような。

 知人のことだとは思えないほどに葵の中でジェイドと弓弦の関係は意識から遠い。あまりにも自分から離れた世界だからだろうか。
 親しい人間のことなのに、遠く。


「憧れるだろうレオン」
「――否定はしねーよ」
 そこで言葉は消えた。
 沈黙の広がるテーブルからそれぞれにグラスに酒を満たして手に取る。
 揺れるアルコールに朧に映る自分の顔。瞳。
(投影だが)
 自分達には叶わない遠い場所の幸福を、いつかあの二人が掴めるようにと願う。

「幸いあれ」
「乾杯」

 かちとグラスが触れて酒の雫が散った。
 恋人達は今このとき、共に在り笑っているだろうか。





 ――幸せになって欲しい。
 約束を失い、約束の叶わない、二人の分も二人に。
 それはある日の投影。






■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

【0652】 倉梯葵/21/男性/エキスパート
【0002】 高遠弓弦/16/女性/エスパー
【0526】 ジェイド・グリーン/21/男性/エスパー
【0653】 レオン・ユーリー/21/男性/エキスパート

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

 はじめまして、ライター珠洲です。
 たいそうお待たせした上に読み辛いかもしれないと思うと申し訳なくなりますが、心情は滲んでいるといいなと思います。
 どなたもそれぞれに考えているご様子でしたが、どなたも最終的な決断なりを急がず考えたり待ったりされる風に感じました。のでどれもがっちり結論出したりはないつもりです。
 明るい空気は不足気味かもしれませんが、後ろ向きではないとライター自身は信じてお届けしたいと思います。ありがとうございました。