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<PCパーティノベル・セフィロトの塔>


【専用オープニング】ホワイト・ノート
 第一回セフィロトの塔〈命が掛けの?〉サッカー〈殺過ー〉大会!!


 ライター:斎藤晃





 【Opening】

 ブラジル北部アマゾン川上流域に聳え立つ高層立体都市イエツィラー。審判の日以後ロスト・テクノロジーを抱いて眠る過去の遺物は、もしかしたらその目覚めを静かに待っているのかもしれない。
 忘れられ続けた軌道エレベーター「セフィロト」に集う訪問者たちの手により、ゆっくりと目覚める日を。
 そしてこれは、決して安全とは無縁のその場所で、繰り広げられる訪問者たちの日常と非日常である。






 【1】

 スイカ模様の入ったサッカーボール、通称――マーダーボールが1人の少年によって高々と天井近くまで蹴り上げられたのは、セフィロトの塔第一階層の、誰もいない街とあだなされる【居住区】の中央に特設された、広場の時計が15時丁度を指した時の事だった。
 黒い垂れうさ耳の帽子をかぶり背中に可愛い天使の翼を付けた少年が、その愛らしい天使とは裏腹に、ふてぶてしいまでの自信に満ち溢れた顔で、空中のサッカーボールを軽々とキープすると、その広場を駆け抜けていく。
 そんな少年の前に敢然と立ちはだかったのは1人の女性だった。褐色に近い小麦色の肌に縮れた黒髪をスカーフで束ねたその女性は、ただ冷徹なまでに無表情な緑色の眼差しを少年に向けていた。
「やるのか?」
 少年は口の端をあげて不敵な笑みを浮かべて尋ねる。
 女性はにこりとも返さなかった。ただ、相変わらずの無表情を貼り付けたまま、無言で手にしていたバズーカ砲らしきものを構えている。今にも発射しそうな顔つきではないが、素振りはそのものだった。
 少年は一瞬躊躇うように足を止めたが、それも束の間、地面を蹴ると一気に女性に向かって突進する。
 足元のボールを地面に弾ませて、少年は一瞬体を右へ捻ると、その足で地面を蹴って反転しながら左に走り抜けた。
 初歩的なフェイントはあっさり彼女を抜きはなったかに見える。
 だが、確かに彼は無傷で彼女を背にしていたが、足元にあった筈のボールはなくなっていた。きょとんとした顔で後ろを振り返った少年が、呆気に取られたように口をポカンと開ける。
 一体、どれに驚いていたのか。
「ああ、いけません!!」
 彼女から少し離れた場所にいた、黒のレザージャケットに彼女と同じスカーフを首に巻いた男が、慌てて止めようとしたが間に合わなかった。
 ボールは彼女の大きな手の平の中にあった。
 彼女は無言で、持っていたバズーカ砲らしきものにボールを装填した。
 それとほぼ同時だったろう、高らかに笛の音が鳴る。
 笛を吹いた審判と思しき人間が高々と黄色いカードを掲げて宣言した。
「ハンド!!」



   ◇



 セフィロトの塔内では、殺伐とした世界に飽きたように時折サンバカーニバルをはじめとした娯楽が各所で催されている。この大会も参加者達にとってはともかくとして、極一部の人間にとっては娯楽の1つであったろう。

 『第一回セフィロトの塔サッカー大会』

 タイトルだけを取れば、ただのサッカー大会に思える。しかしこれが極一部の人間にとってのみ娯楽となりえたのは、サッカーが行われるグランドと、サッカーとはかけ離れたその非常識とも思えるほど単純なルールゆえであったろう。

 一.反則はボールに手で触れる事のみ
 一.第一階層【居住区】全域をフィールドとする
 ※当大会の参加に於いて死傷者が出ても主催者側は一切の責任を負いません。

 つまり、反則以外のどんな手段を使ってもゴールにボールを叩き込めば良いという事である。武器の携帯は勿論許可されていた。なんと言っても開催されるのはタクトニムが徘徊するヘルズゲートの中なのだ。
 参加選手達にとっては、ボールも死守、ゴールも死守、ついでに自分の命も死守、という命がけのサッカー大会でも、観戦者たちにとってはそうではない。
 このサッカー大会が娯楽たりえる極一部の人間、この大会の協賛でもあるルアト研究所の所長エドワート・サカは、ゲーム開始早々のチーム『SDR』のイエローカードに軽く舌打ちしながら、手にしていた電卓を叩くと、○秘手帳の『サッカートトカルチョ』と書かれたページを開いた。ペンを取り、その先を湿らすように舌で舐って、チーム『SDR』のオッズの欄を修正する。
「もう少し頑張ってもらわんと、収益が出んかったら賞金が払えんじゃないか」
 ぶつぶつと独りごちながらエドワートは手帳を閉じ、テレビに視線を戻した。
 【居住区】のいたるところに死角なしと言わんばかりに設置されたテレビカメラには、両チームのメンバー全員が映し出されている。
 チーム『SDR』――メンバーの名前の頭文字を順に取ったという――はFWにディー・D、MFにキャプテンのシオン・レ・ハイ、DFに饒・蒼渓という布陣であった。皆、同じユニフォームは着ておらず私服であったが、一様におそろいのスカーフを身に付け、アイスホッケー用の特製スティックを握っていた。
 一方、敵対するチーム『らびーちゃんと愉快な天使たち』は、FWに姫・抗、MFにキャプテンのらびー・スケール、DFに怜・仁を配していた。こちらも同様に私服であったが、うさ耳バンド・改と背中に可愛い天使の翼を付けている。ただ、抗だけはうさ耳バンド・改の上からうさ耳帽子を強引にかぶっているようだった。
 ちなみに、下馬評では『らびーちゃんと愉快な天使たち』が優勢である。こんなでたらめな大会に八百長もへったくれもあるとは思えなかったが、なんと言っても大会に協賛しているルアト研究所関係者がいる、というのがその大きな理由だったようだ。但し、協賛しているのはエドワート個人であって、仁もらびーも研究所がこの大会に協賛してる事は知らなかったのだが。
 エドワートは受話器を取りあげるとそのぶよぶよな手で電話のプッシュボタンを押した。2コール後に出た秘書と思しき女に取次ぎを頼む。
 目的の相手が電話の向こうに出た。

「あー、次からハンドはもう少し甘くしてね」





 【1】

 ハンドでイエローカードを喰らったディーに駆け寄って、シオンは小さく呟いた。
「ディーさん、手でボールに触ったら駄目ですよ。次にもう1度イエローカードが出たら退場になってしまいます」
 そう言うと、ディーは無表情でシオンを振り返り、申し訳なさそうな声音で、しかし淡々と言った。
「そうか。すまない。気をつける」
 相変わらずの無表情である。いや、よくよく見れば口も真一文字に結んだまま話していた。オールサイバーである彼女のボディーは高性能だったが、唯一表情筋だけは機能していなかったからである。
 そんなディーに何となく慣れない顔でシオンは頬を引きつらせながら、宜しくお願いします、と頭を下げて視線をボールへ戻した。
 そこには、黒い垂れうさ耳の帽子の少年――抗がボールを足で踏みつけ、腹話術のように話すディーをマジマジと見ながら、立っていた。
 シオンは少年の周囲をゆっくり見渡す。
 この広場には当たり前だがゴールはない。フィールドはこの居住区全域なのだから、家々に阻まれて見えないのは当然である。ゆえに、彼が捜しているのはそんなものではない。
 FWが1人前線に出ている筈はない。必ずや傍で、いつでもフォローに入れるように待機している、おぞましきタクトニムもどきがいる筈である。ピンクのウィッグにピンクのうさ耳バンド。同じく目を疑いたくなるようなピンクのフリフリのエプロンドレスを着た、うさ耳まっちょ親父メイド。その名もキャプテンらびー。
 キャプテン――自分と同じ。
 そんな言葉が脳裏をよぎって、一瞬口許を押さえて嗚咽を漏らしてしまったシオンに、審判の再開のホイッスルが重なった。



   ◇



 その頃、短い黒髪に緑の目を持ち、サバイバルジャケットを着込んだ1人の元傭兵が【居住区】の目抜き通りで匍匐前進を続けていた。
 蒼渓。彼はサッカーの何たるかを知らなかった。
 とりあえず、手でボールに触らなきゃいいから命がけでボールを死守してくれ、と頼まれて、参加に至ったのである。
 彼はそれを、ボールを奪い合う殺し合いだと理解した。
 ボールは現在、この目抜き通りの先の中央広場にあるらしい。
 そこへ、敵に察知されずに赴き、ボールを奪取し、死守する。
 その為の武器としてアイスホッケー用のスティックを渡されたのだが、今一つ手に馴染まなかったので、それは背中に背負って今は両手にライフルを握っている。一緒に手渡されたスカーフは腕に巻いていた。
 そうして彼は、ゆっくりと、ゆっくりと、ボールへ近づいていた。
 しかしその時、ボールは彼よりも遥かに早いスピードで遠ざかっていたのである。


 ホイッスルと同時に抗がボールを蹴り出した。
 再びその前にディーが立ちはだかったが、先ほどに比べて動きがぎこちなく見えるのは気のせいだろうか。どうやら、先ほどのイエローカードで『退場』という言葉に体が萎縮してしまっているらしい。
 まるで一昔前のロボットのようにカチコチに動くディーにシオンが声をかける。
「手を使わなきゃ大丈夫です。私が手本を見せますから!」
 そう言ってシオンはアイスホッケーのスティックを忍者の刀のように背中に背負って身構えた。スティックはあくまで対タクトニム他――用である。
 彼の言葉に抗が眉を顰めた。
「ほぉ……。手本って事は取れるんだ?」
 どこか愉しそうな顔つきでもある。
「はい」
 シオンは珍しく挑発的に頷いて、言うが早いか高機動運動にスウィッチした。サイバーだけが有する特殊戦闘移動である。電力消費が激しいため、1日にそう何度も使える技ではなく、こんな簡単に披露すべきところでもなかったのだが、賞金が入れば後で返せると、借金して増加バッテリーを買い置きしているのでいつもよりは少々太っ腹だったらしい。取らぬ狸の皮算用。
 瞬く間に抗の足元にあったサッカーボールがシオンの足元に納まった。
「あれま?」
 抗が肩を竦めてみせる。負けず嫌いの彼にしては随分と余裕のある顔をしてみせたが、内心は穏やかではないだろう。
「なるほど。わかった。足を使えばいいんだな」
 ディーが頷いて走り出す。
「はい、そうです」
 と、シオンが答えるよりも早く、彼女はシオンからボールを奪い取ると、足で器用にそのボールをバズーカ砲らしきものの発射口に入れ、猛スピードで駆け出した。
「ディーさん……」
 1人取り残されシオンが呆然とその背を見送る。
 彼女の背は瞬く間に通りの角に消えていった。
 どうやら彼女には味方にパスをする、という考えがなかったようである。
 シオンの傍らで、抗はうさ耳バンド・改に搭載されているマイクを口許に近づけると小さく呟いた。
「キャプテン。そっち行った」



   ◇



 猛スピードで、道を駆け抜けるディーの前に、らびーが踊り出たのは、丁度匍匐前進中の蒼渓が、一匹のタクトニムに遭遇している時だった。
 そして、ディーとらびーの攻防が終わった時、蒼渓とタクトニムの攻防も終止符を打った。
 どちらも一瞬だった。
 踊り出てきたらびーにディーが足を止めなかったせいである。
 ディーはらびーを踏みつけて進んだのだった。
 一方、蒼渓もライフルの鉛弾を一発、タクトニムの急所に叩き込んで終わった。
 どちらも短い攻防であった。


 まるで車に轢かれた蛙のように、ディーに踏みつけられたらびーは、更に後からきた、サイバーアイの調子が悪いらしいシオンに、これでもかというぐらい足踏みされて、やっと抗に助け出された。
 どんどん先へ進んでしまうディーに、シオンは屋根に攀じ登ると、ゴールまでショートカットを試みる。その後を、らびーと抗が追いかけた。
 ディーは方向感覚に多少の難があったのか、猛スピードの割りにあちこちで道に迷って遠回りを繰り返した為、ショートカットしたシオンにあっさり追いつかれた。その代わりというべきか、先回りしようとした仁を悉くかわしているので、実はもしかしたら本能というやつかもしれない。
 ディーは視界の片隅に、遠近法にしても小さな――あれがサッカーゴールと同サイズなら【居住区】のはるか彼方にあると思われる――ゴールポストを捕らえると、即座に肩に担いでいたバズーカ砲らしきものを構え、有無も言わせずフルパワーでそれを振った。
 ボールがバズーカ砲の発射口から飛び出しゴールに向かって一直線に飛ぶ。
 その先にゴールがある。
 ゴールに向かってらびーも高機動運動でボールを追いかけた。ボールを追い越す。
 しかしゴールの前にはGKがいた。
 イニシャルGK。真の名を口にするのもおぞましく縮めてゴキ。いや、それにしてはでかすぎる。ゴキをベースにした忌まわしきタクトニム――ボキちゃんの群れ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 野太い悲鳴が【居住区】一帯を震撼とさせた。
 最も遠くにいた蒼渓でさえも、全身に鳥肌が浮き上がるほどだったのだから、その凄まじさは並ではない。
 ボールはボキちゃんの背中に当たってぼよよんと跳ね返った。ボキちゃんがボールをぶつけられてムッとしたように振り返ったが、そこへらびーが狂ったように超高速で殴りかかっていた。
 普段はタクトニムと遭遇しても、お仕事用具の兎印の箒で綺麗に一掃するらびーだったが、ボキちゃんだけは、どうしても生理的に受け付けないらしい。彼を生理的にどうしても受け付けられない人間はたくさん存在するが、そんな彼にも、生理的に受け付けられないものが存在するのであった。
 ボキちゃんが、瞬く間にモザイク処理が必要なほどのミンチになっていく。気付いたら、そこにはディーも参戦し、こちらはアイスホッケー用のスティックで、やはりモザイク処理が必要なほど叩きのめしていた。
 GKに当たったボールはフィールドを割らずにまだ、生きていたが、少なくとも2人はそれどころではなかったようである。
「チャンス!」
 呟いたシオンに抗が反応する。
「クリアだ」
 そう言って跳躍しようとした抗の足元に、シオンはポケットの中からスベールばなな君・改を投げた。
 スベールばなな君・改。ザンゲスト青果が何の為に開発しているのかは今もって謎だが、先ごろスベールばなな君の改良に成功し商品化にまで漕ぎ着けた特殊アイテム、よく滑るバナナの皮である。
 スベールばなな君から更にパワーアップし当社比120倍というそのバナナの皮に抗が足を滑らせている隙に、シオンは屋根から飛び降りると、飛んでくるボールに華麗なオーバーヘッドを決めた。
 再び、ボールは小さな、アイスホッケーぐらいの大きさのゴールを目指した。いや、ゴールを目指しているように見せかけて、実際にその軌道はゴールポストからはずれているように見える。
 もはやGKはらびーとディーの手によってハンバーグの種の如きになっていた。
 にも関わらず、ゴールポストを外れているのは、単にノーコンだったからなのか。
 いや、違った。
 シオンは匠ともいうべき正確さで、らびーの鳩尾をそのボールで抉っていたのである。彼が狙っているのは賞金だけではない。勿論、賞金も貰うつもりだが、あわよくばらびー駆除も。
 らびーの鳩尾からボールが零れ落ちる。
「……やるわね、シオンちゃん……」
 らびーが腹を押さえつつ片膝を付いてシオンを睨みつけた。
 ボールはかつてGKだったものの肉塊の上に落ち、高い方から低い方へころころと転がっていった。
 ホイッスルが鳴り響く。
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOL!!」
「え?」
「あ……」
 ボールはちょこんとゴールポストの中に収まっていた。
 ここまでもシオンの計算だったのか。しかしシオンの鳩が豆鉄砲でもくらったかのよう呆気にとられたような顔を見る限り、単なる偶然の産物だったように思われた。
 『SDR』VS『らびーちゃんと愉快な天使たち』。最初の得点は、キャプテンらびーによる、オウンゴールだった。

 そして、その頃、やっぱり蒼渓は匍匐前進の真っ最中だった。





 【2】

 らびーのオウンゴールの後、両者攻めあぐね互角の攻防をみせた前半戦は1−0で終了した。
 シオンは1点とった安心感もあるのか終始らびーを追いまわしていたし、ディーは力の加減を知らない上に、方向感覚に多少の難があった為、ボールを時々あさっての方向に蹴飛ばしては、タクトニムの巣を壊滅していった。抗は体力温存のつもりか、それらをのんびり眺め、時折ディーのシュートをクリアしていた。蒼渓はそんな攻防とは全く無縁の場所で相変わらずボールを求めて匍匐前進を続けていたのである。
 そして、『らびーちゃんと愉快な天使たち』が1点ビハインドで迎えた後半戦。
 『SDR』ボールで試合は始まった。
 シオンが軽くボールを蹴り出した刹那、見事なスライディングでシオンを向かいの家の塀にめり込むほどふっとばし、あっさりボールを奪いとったディーが、前半戦でみせた見事な足捌きでバズーカ砲らしきものにボールを装填すると広場を駆け抜けていく。
「ふん。2度も同じ手は食わないっつーの」
 抗は彼女の前に仁王立ちになった。
 別段、構えたりなどはしていない。パワーでは生身の抗はオールサイバーである彼女に劣る。既に諦めているとでもいうのか。
 しかし、無策というわけではない。
 抗の両端の唇がわずかにあがる。
「ああ……いけません……」
 壁にめり込む顔をやっとあげたシオンが、それに気付いて声をかける。しかし、その声は疾走するディーの耳までは残念ながら届かなかった。
 スベールばなな君・改。
 抗が前半戦にシオンにしてやれたそのアイテムを、彼はこっそりポケットに仕舞いこんでいたのである。
 ディーが一歩を踏み出すその先に、抗はそっとスベールばなな君・改を投げた。
 ディーがバナナの皮を踏む。
 一瞬の攻防は呆気なく決した。
 バズーカ砲らしきもの――いや、それは間違いなくバズーカ砲だったのだが、ディーはその使い方をきちんとマスタしていなかったようである――からボールを取り出し、抗はそれを足でキープする。
 ディーはバナナの皮で滑って、目の前のシオンを下敷きに壁にめり込んでいた。
「ぐえっ」
「成仏しろよ」
 一応両手を合わせて抗はボールを蹴り出すとドリブルで敵陣へ乗り込んだのだった。



   ◇



 彼がハーフタイムの間、何をしていたのかは、同じチームでありキャプテンでもあるシオンですら知らなかった。
 前半戦の間ずっと匍匐前進を続け、いつの間にか自分が戦力外になって――忘れさられて――いたことにも気付かないでいた戦争バカ、こと蒼渓も、さすがにこのままではいけないと気付いたのか作戦を変更する事にしたらしい。
 でなければ、このままではボールに辿り付く事さえ出来そうになかったのである。
 彼は世界各地の戦地を転々とし、そこで培った戦闘技術を駆使して、罠を張ることにした。
 ハーフタイムを使って、というよりも戦場にちょっと休憩などという概念はないので、彼自身はそんなものの認識もしていなかったのだが、結果として丁度その時間に、彼は敵が攻め込むルートを想定し、その随所に罠を張っていたのである。
 それはかつて、ベトナム戦争に於いてベトコンがアメリカ軍の戦車をも駆逐したといわれる、古代から存在し、今もなおその効果が期待できる罠。通称――落とし穴。
 しかし、ハーフタイムという短期間で、アスファルトの道に、それほどの穴を開けるのは困難だろう。
 だから彼は、マンホールを利用することにした。
 そんな事は露とも知らない抗がボールを蹴り、目抜き通りを駆け抜けてくる。
 ディーやシオンを抜き去った今、よもや敵チームにまだこんな伏兵があろうなどとは思いもよらない抗であった。相手は、なんと言っても前半戦ではついぞ顔を見なかった選手である。
 後はゴールにこのボールを叩き込むだけ。
 そんな油断が命とりになった。
 マンホールの横を駆け抜けようとした抗の足元に一発のライフルの弾が穿たれる。
 それは正確にボールと抗の足の間に撃ち込まれていた。
 条件反射の如く飛び退った抗はマンホールに着地する。
 それは、蒼渓がハーフタイムに丹精こめて作った罠の上だった。
「!?」
 抗の体が足場を失ってマンホールの穴へ落ちる。
 ボールは地上に転がった。
 蒼渓がそれを奪取しようとした時、それよりわずかに速くソレがボールをキープしていた。
「…………」
 蒼渓の思考が停止した。状況認識に於ける判断力と、即時対応力に於いては群を抜いている彼の思考が、きっかり5秒停止した。
 ソレは――愛らしいピンクのうさ耳に……以下略、ことらびーであった。らびーは抗をフォローする為、すぐ傍を一緒に走っていたのである。
 蒼渓は、らびーを見るのがこれが初めてであった。
 彼の脳裏から『ボール奪取→ボール死守』という図式が綺麗さっぱり消え去り、代わりに『抹殺』という2文字が大きく浮かび上がった。
 この世には、我慢できる事と、我慢出来ないことがある。
 数多の戦場を駆け抜け、大抵の事は我慢できる忍耐力を備えた蒼渓も、どうやらこれだけは生理的に我慢できなかったらしい。
 何か、恐らくは本能のようなものがずっと、警報を打ち鳴らしていたが、戦場ではよくある事だと思っていた。危険のない戦場など存在しない。ましてやここは、タクトニムの徘徊するヘルズゲートの中なのだ。
 しかし、まさかこれほどの脅威だったとは思いもよらなかったのである。
 最早、それが人間であるのかタクトニムであるのかを判断する必要はないと思われた。
 存在する事が既に悪なのだ。
 とりあえず背中に天使の翼をつけているのでソレが敵である事は間違いない、というのも1%くらいはある。
 危険は排除すべし。
 そうと決まれば話ははやい。
 蒼渓はライフルを両手に構えると全弾をこれでもかというほどらびーに叩き込んだ。マガジンがなくなると、彼に支給された特注アイスホッケー用スティックに持ち替え、らびーに襲い掛かる。
 らびーは、突然襲撃に困惑しながらも、何とか兎印の箒で応戦した。
 かくて2人が熾烈な攻防を続ける中、マンホールに落ちた抗である。
 彼はマンホールの底まで落ち込む事もなく、ふよふよとそこに浮いていた。
 彼には天使の翼が装着されていたのである……というわけではなく、単にESP飛行によるものであった。
 彼が飛行でマンホールから出てきてみると、このマンホールの落とし穴を用意していたらしい男は、今正にらびーと格闘を繰り広げることに手一杯のようだった。
 ボールは忘れられたようにそこに転がったままになっている。
 抗は気配を殺してボールを奪取した。
 しかし、それに気付いたのか蒼渓は、らびーのこめかみをスティックで力いっぱい殴り飛ばすと、一瞬出来た隙にウェストポーチからナイフを取り出して抗に向かって投げていた。
 反射的に抗がPKバリアを張る。
 ナイフがバリアの壁にあたって地面に落ちた。
「…………」
 ここで自分の使命を思い出したのか、蒼渓が抗に向き直る。
「抗ちゃん、行って!」
 らびーが、背を見せた蒼渓を後ろから羽交い絞めにした。
 抗はらびーに軽く手をあげて、ボールと自分をバリアに包みこむと、PK飛行で地面のない上空を駆け出した。
「くそっ……離せ!!」
 蒼渓は、らびーに後ろから抱きつかれている事実に半狂乱になりながらも暴れたが、らびーは手離そうとはしなかった。
 そこへ、空を駆ける抗の姿を見たシオンが駆けつける。
 ディーの体に押しつぶされそうになりながらも、一応オールサイバーであったシオンは、何とか紙になることを免れ、這う這うの態で逃げ出し、抗たちを追いかけていたのだった。
 しかし、完全に彼らを見失っていたシオンは正確な彼らの位置まではわからなかったのだ。それが、抗が飛行PKを使ったことで判明したのである。
 シオンは高機動運動にスウィッチして駆けつけた。
 そこには宿敵らびーが、すっかり存在を忘れていた自分のチームの仲間を羽交い絞めにしている。シオンはまるでパブロフの犬の如く、抗を追うよりも先にらびーの後頭部をスティックで殴りつけていた。
 らびーが不意打ちをくらって蒼渓を手離し蹲る。
「すみません。ボールと間違えました」
 シオンはシレッと言って、抗を追いかけた。
「早くサイバーアイを治した方がいいわよ、シオンちゃん」
 らびーが心配そうに呟いた声は、しかしシオンには届かない。
 そんならびーを見下ろしていた蒼渓は、自由になったことに安堵しつつも、らびーと密着していた背中を不快そうに片手で祓っ……掃って、やり場のない怒りを手にしていたスティックにこめると、ゴルフのスウィングのように力いっぱいそれを振った。
 スティックが、蹲っていたらびーの後頭部に炸裂する。
「な…ぜ……?」
 地面に倒れながららびーが尋ねた。
「すみません。ボールと間違えました」
 蒼渓が言った。



   ◇



 今度こそ、行く手を阻む者はなかった。
 そもそも、これだけ見晴らしのいい上空を飛んで、更にはPKバリアも張っているのだ。
 このままゴールまで飛べば楽にゴールできると思われた。幸い、敵チームにエスパーはいない。ついでに、抗ESP効果をもつような高価なアイテムを持っているような連中もいそうにない。
 そして、GKは既にどちらもミンチになっているのである。
 彼を阻む者は確かにないように思われた。
 彼はまっすぐにゴールを目指した。
 しかし、彼にとって見晴らしのいい上空を飛ぶという事は、他の者達からもよく見えるという事に他ならない。
 彼はこの時、迂闊にも余計なものを呼び込んでしまっていたのである。
 ゴール前に、白い影。
 ぶっちゃけ単なる通りすがりのにくい奴。
 体長150cmは大きい方なのか小さい方なのか。両前足には二挺のリボルバー、背中にはバズーカー。ふわふわもこもこの真っ白い羊毛100%で覆われた体躯をもち、二足歩行する見た目は羊。草食動物でありながら肉食獣のような獰猛な目で抗を睨みつけている。但し右目には激しい戦闘をくぐりぬけてきたかのような十字の傷があった。故にばってん羊。
 抗の宿敵である。
 ばってん羊を前に、彼の脳裏からは『サッカー』とか『華麗なるシュート』といった単語は抜け落ちた。
 売られた喧嘩はすべからく買う。
 買った喧嘩は全て勝つ。
 敗北を知らない――忘れる――男。
 抗は、ボールもそっちのけでばってん羊と対峙していた。
 互いにぎりぎりの攻防が続く。
 とはいえ、実際に戦闘は行われていなかった。一定の間合いを開けたまま、両者脳内でシミュレーションを繰り返しているだけである。
 どれくらいの時間が経ったろう、恐らくはそう長い時間ではない。そこへ、シオンと蒼渓とディーが駆けつけた。
 ボールは抗とばってん羊の間に転がっている。
 シオンがボールに向かって走り出した。
 割って入る形となったシオンに、抗とばってん羊の間の均衡が崩れる。
 シオンはボールを奪取するとドリブルで抜けようとした。
 だが、抗はともかく、無視された形のばってん羊がそれを見逃すような事はない。
 蒼渓が威嚇するようにライフルを構えたところに、ばってん羊が右前足のリボルバーを一発撃った。
 それは正確に蒼渓のライフルの発射口を狙っていたが、彼は戦場で培ったある種の勘と反射神経でそれをかわす。
 ばってん羊の左前足のリボルバーがシオンを追いかけていた。
 しかし、その銃口がふと、別の方へ向く。
 刹那、発射された弾は何かにあたった。
 その何かが、ぼとりとシオンの前に落ちる。
 それは、シオンがあらゆる所に設置していたスベールばなな君・改だった。
「!?」
 シオンがそれを踏んだ瞬間滑る。
 滑った先に、やっと駆けつけたらびーが現れ、シオンはらびーと一緒くたになって滑った。
 らびーと密着している事実に暴れると、右に左に重心が移動するため、まっすぐではなくくねくねと曲がり始める。そして2人はその場にいた、ディーや蒼渓をも巻き込んだ。
 PK飛行で上空に退避していた抗だけが難を逃れる。
 くんぐほぐれつで滑りながら、シオン同様蒼渓も半狂乱気味に暴れ出し、事態は更に悪化した。落ち着いて対処すればよかったのだろうが生理的嫌悪感の前に理性は埋没してしまったらしい。
 4人が滑る。
 無駄に滑る。
 何とか止まろうともがけばもがくほど更に加速する。
 やがて、4人はそこに転がっていたボールに向かって滑っていた。
 ボールがもがくシオンの足にあたる。
 ボールはころころと転がっていく。
 間にそれを止めるものは何もなかった。
 少なくともそれは、ばってん羊にとってはどうでもいい事だっただろう。抗が止める理由などどこにもない。
 ホイッスルが鳴り響いた。
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOL!!」
「え?」
「あ……」
 ボールはちょこんとゴールポストの中に収まっていた。
 壁に激突し、らびーをクッション代わりにして何とか止まったシオンと蒼渓とディーが呆気に取られたようにそれを見つめている。
 壁に半分以上めり込んだらびーが振り返った。
 『SDR』VS『らびーちゃんと愉快な天使たち』。2度目の得点は、キャプテンシオンによる、オウンゴールだった。





【3】

 1−1のまま、試合終了のホイッスルは【居住区】全域に鳴り響いた。
 PK戦は、あまりに小さすぎるゴールと、通りすがりのGKのおかげで両者とも得点できないままサドンデスに突入した。50回に及ぶ攻防。
 誰もが疲れ果てた。
 かくて、主催者側の一方的な判断により、この勝負は『引き分け』となった。
 結果、勝者がいないので賞金は支払われない、ということになった。
 賞金を期待していた選手の面々――特に赤貧のシオンや抗などは大いに落ち込んだ。更に賞金をあてにして借金をしていたシオンなどは見るも無残なほどの消沈振りである。それに追い討ちをかけるように、らびーとお揃いのオウンゴールであった。
「本当に仲良しなんだな」
 と、抗に肩を叩かれシオンはその場で気を失った。


 サッカー大会の結果発表をテレビの前で見ていたエドワートは○秘手帳を片手に満足げに笑った。
「引き分けは大穴じゃったな」
 サッカー大会協賛者であり、サッカートトカルチョ主催者な彼である。
 引き分けに賭けている人間は全くと言っていいほどいない。つまりは主催者側の1人勝ち。
 しかも、賞金はこのトトカルチョの収益金から支払われる予定だったのだから、これほど美味しい結果はなかっただろう。


 この事を、シオンが知るのはしかし意外に近い未来であったという。





 ■大団円■





■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

【0375】シオン・レ・ハイ
【0295】らびー・スケール
【0644】姫・抗
【0649】ディー・D
【0654】饒・蒼渓

■━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━□

 ありがとうございました、斎藤晃です。
 たいへん遅くなりました。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。