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<東京怪談ノベル(シングル)>


旅立つ君へ


 悩んだことは、一度や二度ではない。
 いや、常に迷っていると言った方が正しいだろう。
 アメリカの片田舎、そのさらに町外れにある小さな研究所で、ユリコ・カトウは心ここに在らずで外を眺めていた。
 とりあえず傭兵としての日々をこなしているが、そこに目的は何一つない。将来への展望も、叶えたい未来も。
 ユリコには、何も、なかった。
 ……昔はよかったと、そんな考えた頭の隅に過ぎる。それは決して、昔が楽しかったとかそういう意味ではない。
 もっと昔。『生きていた』頃は、なんの不自由もなく幸せな毎日だった。
 けれど今ユリコが思い出している昔、は。ただ、ラクだったというだけだ。命令に従い、戦えばいいだけの日々。
 傭兵として在る現在(いま)と似ているようで、だが、自由意志というものは存在しなかった。
 現在は、選択することができる。
 戦いを生業とするところはよく似ているけれど、いつ戦うのを止めてもいい。
「……私には戦う術しか残されていない……」
 生きていながら、生きていない。機械で成り立つ身体。戦う術にばかり長けたサイバーだ。
「どうした?」
 声をかけられ振り返る。
 そこには一人の老人が立っていた。
「準備……終わったの?」
「ああ、待たせたね」
「いいえ」
 老人の顔に、ふと、まったく別の人間の顔がダブって見えた。老人の親友であり、ユリコの、ある意味での生みの親だ。
 彼がいなければ、ユリコはいまこの時まで生きていない。
「そうだ。先に言っておこう」
 歩き出しながらの老人の言葉に、ユリコは過去へ遡ろうとする思考を一時止めた。
「これが、私にできる最後の整備になる」
「そう……」
「資金面の問題もあるが、何より、私自身、もう体が言うことをきかなくてね」
 いつか言われるだろうと思っていた。資金に関してはユリコが傭兵で稼いだ金もあるが、寄る年波だけは、どうしようもない。
「ありがとう。いろいろと、世話をかけたわ」
 浮かべた微笑は、どこか無機質な印象があった。
 老人は痛みを堪えるような瞳で笑みを返して、一言、短く告げる。
「いや」
 それ以上の会話のやりとりはなく。整備の間中、二人はずっと、無言だった。




 整備を受けている間、ユリコは昔のことを思い出していた。
 最初で、そして、最後。命令違反を犯した時のことだ。サイバー部隊に所属し戦地に駆り出されていたときのこと。
 あの時目に飛び込んできた光景は、今でもはっきりと覚えている。そしてその光景は、もっと過去の記憶と重なっている。
「何をしているの……」
 民間人が住んでいるだけの家。なのにそこには、血溜まりができていた。
「何って」
 友軍の一人である男が、無表情に言葉を返してくる。腕に仕込まれた銃をひょいと軽く見せて、壁に向けた――直後、銃弾の音が響く。
「決まってるだろ?」
 彼の足元には物言わぬ子供。そしてその両親。服も髪も肌も、全てが赤く染まっていた。
「なに固まってるんだ。敵は殲滅せよって命令だろう」
「敵? こんな子供が?」
 それ以上の言葉は出てこなかった。考えるよりも先に体が動き、目の前の男を屠っていた。
 思い出したのは、自分の家族が殺されたときの情景。
 あの時も部屋が血の色ばかりで赤く染められ、家族は流れた血の池に沈み、そして。そこで自分ひとりが、意識を保っていた。
 助けたかった。あの日、家族を。運良く、もしくは、運悪く。生き延びた自分。
 冷たくなっていく家族を前に何も出来なかった。
 あの日の光景がフラッシュバックされて……そして。目の前の、男が、家族を殺した強盗と重なった。
 気がついたらその場に立つのはユリコ一人となっていた。無差別に殺戮を繰り返していた友軍であるサイバー小隊……それをすべて、全滅させていたのだ。



 もちろんユリコのこの行為は後に大問題になり、ユリコには廃棄処分が下された。
「最後なんだし……言いたいこと、言わないの?」
 廃棄処分となるはずだったユリコを救ったのは、審判の日からずっと整備を続けてくれた目の前の老人の親友だった。彼はユリコを庇って、そのために死んだのだ。
 整備の終了を確認して告げたユリコの言葉に、老人はしばらく考えるような様子を見せた。
 それから、ゆっくりと口を開く。
「……自分の生きる意味を探したいのなら……セフィロトの塔に行くといい」
 予想外の返答に、ユリコは瞳を瞬かせた。ユリコのせいで、老人は親友を失ったのだ。恨み言のひとつくらい言ってもバチは当たらないと思うのだが……。
 けれど老人は、一度部屋の奥に向かったと思ったら何かを手に持ってすぐに戻ってきて、そして、言う。
「あんたが死にたいと言うのなら、その時は、いくらでも恨み言をぶつけてやろう」
 言い換えればそれは、使い古した言葉だ。
 ユリコを庇って死んでいった者のことを思うのなら、生きろ、と。
 そんなものは慰めにもならない……生き残った人間の勝手だ。そう言いそうになったユリコは、渡された物の中身を見た瞬間、動きを止めた。
 銃はいい。わかる。
 が。
 何故スクール水着なんだろう。
 ……なんだか力が抜けてしまった。抗議する気も起こらず、その二つを受け取る。
「さすがは年寄り。言うことが違うわね」
 ユリコの表情に小さく浮かんだ笑みは、暖かい命の宿る笑み。
 そうしてユリコは自らの生きる意味を探すため、セフィロトの塔へと旅立った。