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第一階層【居住区】誰もいない街
『そして蜘蛛はなお闇で踊る』
ライター:MA
ここいら居住区は、タクトニム連中も少なくて、安全な漁り場だといえる。まあ、元が民家だからたいした物は無いけどな。
どれ、この辺で適当に漁って帰ろうぜ。
どうせ、誰も住んじゃ居ない。遠慮する事はないぞ。
しかし‥‥ここに住んでた連中は、何処にいっちまったのかねぇ。
そうそう、家の中に入る時は気を付けろよ。
中がタクトニムの巣だったら、本当に洒落にならないからな。
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「覚えてるだろ? 一年前のこと」
そう尋ねられた瞬間、兵藤レオナ(ひょうどう・れおな)は軽く唇をとがらせた。
なんて当たり前の、つまらないことを聞くんだろう。
返す答えなんて、一つしかないに決まってる。
同時に彼女の胸を満たすのは歓喜と恐怖と怒り。いずれも人を支配するには充分すぎる感情だ。
「――そんなの、忘れるわけないよ」
その瞬間レオナが浮かべていたのは、ひどく凄惨で静かな、鋭さを持つ笑みだった。
「こちらカトウ。レオナ、聞こえる? オーヴァー」
『聞こえてるよー、そっちはどう?』
片耳をふさぐヘッドホンから、快活な女性の声が滑り込む。無線を通した声だが、直接会う時と変わらぬ朗らかさだ。
そこに小さなノイズが含まれているが、無線の感度に問題があるわけではない。無線から放たれる情報が瞬時に暗号化してから送信され、受信時に解読される。その動作音がわずかな雑音を生んでしまうのだ。
それを知っているユリコ・カトウ(ゆりこ・かとう)にとっては、むしろクリアな音質といえた。
「……受信、送信ともに正常。問題ないわ。オーヴァー」
色のない声音でそう答えてから、一端マイクを口元から外し、周囲を見回す。
(噂には聞いていたけど、本当に人気がないのね)
その名に反して、生命の気配を一切残さない場所――【居住区】。
こうして見渡す限りは普通の町並みだというのに、あるべき気配を感じられない。なんと奇妙な区画だろうか。
「ん? もしかして、ここに来るのは初めてなのか?」
不意に、後方にいた守久・龍樹(もりひさ・たつき)がそう声を上げた。
つられてユリコが目を向けると、視線をどう解釈したのか、龍樹は小さな笑みを口元に浮かべて見せる。
「違ったら悪い。なんかキョロキョロしてるから気になってな」
「……確かに、ここを訪れたのは初めてよ」
「へえ、それでか。気持ちは分かるぜ。変な場所だもんな、ここ。あっちこっちに生活の跡が残ってるのに、人っ子一人見当たらない。ここまで静かだと俺でも気持ち悪いや」
(……饒舌な男)
胸によぎった感想を、ユリコが口にすることはない。ただ無言のまま周囲を警戒し、いつ襲い掛かってくるとも知れない敵を待つばかりだ。
この静寂は、平穏ゆえのものではない。この静けさの向こうに無数の怪物が潜んでいることは、ギルドに納められた多くの報告書が教えてくれている。
否、例え報告書に目を通すことなくこの場に訪れていたとしても、この街の異様さは肌で感じ取れたことだろう。外観とは裏腹にピンと張り詰めた空気。ここに身をおいてなお危険を感じられない者に、戦いへ身を投じる資格はない。
利き腕とは逆の手でそっと太ももをなぞる。指先に触れるのは、足のホルダーに収められた愛用のオートマチック・ピストル。触り慣れた固い感触が、少しだけユリコの緊張をやわらげてくれた。
(──どこまで、戦えるかしら)
ユリコが今の体を手に入れて、どれほど時間が経っただろうか。なにせ『審判の日』よりも前の、古い話だ。
(最低限のメンテナンスはした。けど、所詮は最低限……)
旧時代のオールサイバー用交換部品など、そうそう手に入るものではない。戦いに赴くためではなく、ただ動かし続けるためだけの整備でなんとか生き長らえている日々だ。
(今回の敵が、レオナたちの言った通りの相手なのだとしたら──)
ここに来てから……否、この話を聞いてからずっと、頭の隅で警報が鳴り続けている。
限界が、近いのかもしれない。
「なぁ」
ユリコの横顔をじっと見つめていた龍樹が、短い沈黙を破った。
「もしかして、怖いのか?」
「っ」
予想外の問いかけに息がつまる。
「……分からないわ」
かろうじて返すことができたのは、本音だった。
『おーい、ヒカルー。そっちはどう? 聞こえてるー?』
短距離暗号無線機を通じて聞く少女の声は、相変わらず快活だ。
命がけの戦闘が待っていると知ってこの地に踏み入れているというのに、悲壮さが感じられない。
「……そう叫ばなくとも聞こえている」
『そっか、よかった。そんじゃ見張りよろしくね!』
「ああ、分かった」
小さく頷きながら、パワードプロテクターに身を包んだヒカル・スローター(ひかる・すろーたー)は居住区内で最も高い家の屋根に陣取ったまま、静かに眼下を見下ろした。
街を一望できるとまでは言えないが、広範囲をカバーすることができる場所だ。ここから死角になる地点も存在するが、それをカバーするためにユリコと龍樹が別働隊として待機しているし、ヒカルとユリコたちをそれぞれ頂点に、正三角形を結ぶように距離を取った場所にはレオナたちが控えている。
そしてその中央、三点から引いた線が等しい距離で交じり合う場所にある、一件の家屋。その内部こそ、今作戦の目標、シンクタンク製造プラントが出現したとギルドに報告された地点だ。
だが、ヒカルたちは馬鹿正直にその家屋に侵入する作戦はとらなかった。敵の強大さと、その特徴を知っているからである。
今回の敵は、シンクタンク製造プラント。それも自律し、常に移動しながら様々な怪物を生み出し続ける厄介な相手だ。
経験則から、ヒカルたちは敵が一点にとどまる可能性は薄いと判断した。おそらく、奴らは今も家屋から家屋へ移動しているはずだ。だが、居住区に並ぶ家屋の内部をすべてを調査するとなると、途方もない時間と労力が必要になる。確実な手段だが、現実的な計画とはいえなかった。
ゆえに今回は、敵が移動時、外に姿を現す瞬間を捉え、一気に三方向から急襲する作戦に出たのだ。
できる限り広範囲を見張るため、ヒカルは屋根の上を陣取った。当然、どこに敵が出現してもすぐ対応できるよう、充分な武装と移動用の車は既に用意してある。
「──だからって、なにも装甲車までレンタルすることなかったんじゃ?」
黒い球状のものを手の中で転がしながら、アルベルト・ルール(あるべると・るーる)が助手席で小さく肩をすくめて見せた。
「しかもわざわざ屋根の上まで乗り付けて。この家の屋根が装甲車の重量に耐えられなかったらどうするんだよ」
「そんなやわな建築物を拠点にわざわざ選ぶと思うか、この私が」
「選ばないと思いたいけど、さすがに信じきれないって。そもそも、持ち込む段階で無理しすぎ」
そう言ってアルベルトが指差したのは、見るも無残な瓦礫の山だ。
「失礼な。必要に応じて、不必要な家屋を潰してならして、ここに至るまでの道を作っただけだろう」
いくら奇妙な場所とはいえ、外観は普通の住宅街なのだ。装甲車が屋根の上に乗り込むための道などない。
だが、いつ襲われても対応できる武装は外せないし、どこに現れても対応できる移動手段と見晴らしのよさは必須だ。どちらも妥協できないとなれば、多少強引にでも道を作るしかないだろう。
パワーアシストを重視するパワードプロテクター・スプリガンは、こういう場合にも重宝する。
「それが無茶だって言ってるんだけどな、俺は」
「よく言う。無茶はお互い様だろう」
横目でアルベルトをちらりと見て、ヒカルは小さく苦笑いを漏らした。視線の先には、アルベルトの手の中で弄ばれている鉄の塊がある。
「その手榴弾、ちゃんと母上の許可を取って持ってきたのか?」
「はは、だって敵はあいつだぜ? これくらい用意しないと対抗できないじゃないか」
黄金色の細い髪の下で笑うアルベルトの目に、剣呑な光がよぎる。
──答えになっていない。
そう指摘することは簡単だったが、ヒカルはあえて何も言わなかった。
(──我々は、敵を待ち望んでいる。それも、一度敗北を喫した敵を)
滑稽なことだと思う。
一年前の大敗を思い出すと、今でも苦虫をかみ締めたような気持ちにさせられる。あの戦いは、本当に悲惨な結果だけがもたらされた不愉快なものだった。
アルベルトは意識不明の重体に、レオナは用意したばかりのボディをスクラップ同然にされた。他の仲間も大小さまざまな傷を負い、未だ癒しきれてない友人もいるほどだ。
そんな中、ヒカルは比較的軽症で済んだ。済んだが、だからといって舐めさせられた敗北の味の辛酸さたるや、忘れられるはずもない。
あの激しい戦闘の最中、負けを悟った段階でヒカルは逃亡した。連れて逃げることができたのはたった一人だ。それは長期的な勝利のために必要な行為だったが、戦う仲間を見捨てたという事実までは拭えない。
そこまでせざるを得なかった相手だというのに再戦を望んでいる。装甲車を用意し、手榴弾を積み上げ、それでも敵わないかもしれないと予感しながら、なお。
(しかも、一度は仲間を見捨てた私を含めて、だ)
今回の討伐を提案したのは、ヒカルに見捨てられた一人であるはずのレオナだ。彼女は今日までヒカルに笑みを向け続けたし、今回の討伐への参加も快く受け入れてくれた。重症を負ったまま置いていかれたはずのアルベルトも、ヒカルを責めることなくこうして助手席に座っている。
(それが、あの子たちの快活さゆえだと分かっている。分かっている、が……)
アルベルトから視線を外し、首をめぐらせてから唇を噛む。静かな町並みという、混沌を覆う薄い皮膜をじっと睨んだ。
(……暗雲が、晴れない)
あの日からずっと、ヒカルの心を覆うものがある。それはこの町並みのように、ひどく静かで、脆く危うい。
だからだろう。自分が、一度敗れた相手にあえて挑もうとしているのは。
──勝算はある。あるからここにいる。
「あ」
不意に、アルベルトが呟きを漏らす。声につられて顔をあげると、彼がヒカルが見ていた方向とは別の場所をじっと凝視しているのが分かった。だが、同じ方向に視線を走らせても、そこには相変わらずの静寂があるばかりだ。
「どうした、何か見えるのか」
問い掛けても、アルベルトは答えない。ただ何かを探すように、彼が持つ翡翠の目が動くだけだ。
「アルベルト?」
もう一度問い掛けると、ようやくアルベルトは口を開いた。
「……一瞬、なんだけどさ。遠くにちらっと見えた気がしたんだ」
彼らしからぬ緊迫した声音だった。
「だから、何をだ」
「だから──」
「──蜘蛛が」
「見えた?」
東郷紅香(とうごう・べにか)は、背中合わせに立つレオナの問い掛けにかぶりを振った。
「いや、全然」
軽く舌打ちしながら、周囲に目をこらす。だが、そこには相変わらずの静寂があるだけだ。
「おかしいな。確かに一瞬見えたのにね」
「ああ。ったく、どこ行きやがった」
つい舌打ちしてしまう。
一瞬ではあったが、確かに地に這いつくばった巨大な蜘蛛を見たはずなのだ。
「わかんないけど……とにかく、みんなに知らせるね」
「頼んだよ」
頷くと同時、小さなノイズが耳に触れた。暗号無線の通信を開始する音だろう。
「みんな、聞こえる? 今、前方に奴が――」
無線を通して報告し始めたレオナの声を聞きながら、紅香はさらに周囲を警戒した。
――数日前、とある報告がギルドにもたらされた。
『誰もいないはずの居住区に、シンクタンク製造プラントが現れた』との一報は少なからずギルドを沸かせ、すぐにビジター達の間に伝わり、震撼させた。無論、紅香も例外ではない。
正直言って、にわかには信じられない話だった。
シンクタンクを製造するプラントがあるという話は以前から噂になっていたし、実際多くのビジターがプラントを探して塔の中をさまよったと聞いている。だが、それを発見したという正式な報告がギルドにもたらされることはなく、シンクタンク製造プラントが都市伝説として扱われるようになるまで時間はかからなかった。一年ほど前までは、噂を信じる者は容赦なく『セフィロト七不思議の信者だ』などと揶揄されることもあったほどだ。
その七不思議が現存したなどと言われて、簡単に信じられるだろうか。
(まあ、普通は信じないね)
胸に沸いた疑問に対して、紅香はあっさりと、そう結論づけた。
実際、今も半信半疑だ。無数のシンクタンクを生み出し続けるプラントが、いったいどういう理屈で動き、なにを材料に永久に生産し続け、なんのために存在するのか。まったくもって理解できない。
信じようと思ったのは、その報告の一端に友人がかかわっていたからだ。
正確な話をしよう。
実はシンクタンク製造プラント出現の発見がなされたのは、これで三度目になる。
一度目は随分前の話だ。それこそ都市伝説扱いされるほどに前。塔が発見された直後に提出された、あまりに多いタクトニムに驚いたビジターによって書かれた創作とも言われる報告書が存在する。
二度目は一年前のこと。この時オフィス街で発見されたのは自律式のプラントで、あるビジター一行の手により討伐が計画され、そして失敗した。
その、二度目の報告を受けて討伐を計画したビジターというのがレオナたちチーム『タンクイェーガー』一行なのだ。
当時紅香は、計画を耳にしてはいたが参加しなかった。興味がなかったと言えば嘘になるが、ほかにいくらでも興味深い事件は起こっていたし、なによりプラントの存在自体への疑心がそうさせた。
だが、三度目の今回は黙っていられなかった。
レオナは、紅香にとって大切な友人の一人だ。否、レオナだけではない。アルベルトもヒカルも、ほかの前回討伐参加者たちも、軽視できない存在である。
だから、レオナがもう一度プラントを襲撃すると決めたとき、一も二もなく参加を希望した。彼らの力になりたかったのだ。
そして今日、シンクタンク生産プラント討伐隊の一員としてここにいるのだが。
『――レオナ、間違いないな?』
「うん、奴だよ。間違いない。前回と同じ、蜘蛛みたいな形だった」
討伐隊各員への報告を背中で聞きながら、紅香はわずかに首をひねる。
前回の戦闘に関する報告書は、当然一通り目を通してきた。
敵は蜘蛛と似た形状のフォルム。自律し、戦車のようにずりずりと移動しながら、ずっと身を隠していたという。自ら生み出すスコーピオンとソーサーのほかに、人型のガーディアンを二体従えている。それらはいずれも強敵で、レオナ達以外にも多くの精鋭に傷を負わせたほどらしい。
――ここまで詳細な報告を、しかも大切な友人から受けながら、それでも紅香が半信半疑だったのにはわけがある。
誰の目から見ても異様な、シンクタンクを生み続ける巨大蜘蛛。挙動が素早いとは言えず、しかも多量の付き添いが常にいる怪物だ。
そんなものが、どうして二度目の報告まで見つけられなかったのか。
二度目の報告で襲撃を受けながら、どうして奴は逃げおおせたのか。
そして三度目の今日まで一年間。奴が前回発見されたオフィス街から居住区まで移動しているにもかかわらず、その間一切発見報告がなかった。その理由は不明なままだ。
報告書に目を通しても、それに対する回答は得られなかった。だから、心のどこかに疑心がとどまり続けていたのだ。
(けど、この目で見た)
遠目に、それも一瞬だったが、確かに奴はいた。見失った今でも、あれが幻だったとは思えないほどはっきりと。
(これは……あるな、何かが)
報告書の中には見られなかった真実を、あの蜘蛛はまだ隠している。
そんな確信を彼女が胸にした瞬間――それは、訪れた。
銀色が閃くのを見た、と思った。
「ちぃっ!」
次の瞬間、龍樹は身を翻し、同時に腰から刀を抜く。幾つもの戦場をともに駆け抜けた相棒、名刀『明鏡止水』だ。
「え……」
ユリコが小さく驚きの声を上げるのを聞きながら、その背後にあるものを一刀のもとに切り伏せる。同時に、白濁した体液を巻きながらぼとりと何かが落ちた。
長い銀色の爪を持った、腕だ。
「──タクトニム」
突如屋根の上からタクトニムが現れ、二人に襲い掛かってきたのだ。
そう悟ってからのユリコの行動は早かった。ホルダーから素早くピストルを抜き、安全装置を解除。そこから突如沸いて出た敵に照準を合わせるまでを含めても一秒とかからない。
(へえ)
思わず龍樹は口角を上げ、戸惑いなくユリコに背中を向けた。
敵は三体。いずれも二足歩行し、前肢に長い爪を供えた奇妙な怪物ばかりだ。
(今日はツいてる)
刀を使い敵に肉薄する。複数の敵に対して一人で特攻するなど、どれほど実力があろうとただの愚策だ。それを分かっていてなお、龍樹はさらに一歩、先刻腕を切り落とした隻腕の懐に踏み込んだ。
左右から二本の腕が振り下ろされる。それを一つ一つ処理する間などない。龍樹は目の前の隻腕にだけ集中した。奴の腕はすでに一本切り落としているのだ。もう一本落としてやれば、ほぼ戦闘不能にさせることができる。
迷いなく明鏡止水を振り上げる背後で二発の銃声が鳴る。ほぼ同時に、頭上で金属音が二回、龍樹の耳をしびれさせた。
(やっぱりな)
確信が現実に変わったことを喜びながら刀を振るう。
(あの女──できる)
ユリコが小さな拳銃ひとつで、二体もの怪物に攻撃の手を鈍らせたのだ。
怪物の皮膚は厚く、一発の銃弾でダメージを与えることができるような的ではない。それを知っていて、ユリコは引き金を引いた。狙いは、細く長い爪の先だ。どれほど固い爪だろうと、その形状ゆえに外側からの力には弱い。どうしても銃弾の勢いで体勢を崩されるのだ。いくらタクトニムでも、体勢を整え攻撃に転じるまで数秒を要する。
その数秒が数回あれば、十分だ。
──斬ッ!
一匹目から腕を奪い、返す刀で二匹目の腹を裂く。三匹目には背を向けることになるが、ほとんど警戒しなかった。
──パン! パンパン!
破裂音にも似た銃声が、何度も何度も鳴り響く。
銃声が途切れない限り戸惑う必要はない。ユリコは敵味方双方の能力を把握し、自分が役に立つ最大限を見極め、冷静に動いてくれている。敵が龍樹を狙い続ける限り、彼女は何度でも引き金を引くだろう。
龍樹の仕事は、敵の目を自分に向けること。そしてユリコの厄介さに敵が気づくより先に、屠ってしまうことだ。
二匹目の身体が地に伏せる。残り一匹……脳裏でそうカウントした瞬間、新たな気配を頭上に感じた。それも一つ二つなどではない。
「……数えきれないわ」
同じ気配を感じ取ったのだろう。ユリコが小さく呟く。言葉のわりに、やけに冷静な声音だった。
「やばいな。くそ、奴らどっから沸いてきやがるんだ?」
三匹目の処理にかかりながら、龍樹は軽く舌打ちする。肝心の目標はま別にいるのだ。雑魚に気を取られている場合ではないのに。
「──龍樹、今通信が入ったわ。レオナたちが目標を確認したみたい」
「そうか……ますます雑魚掃除してる場合じゃねーな。連中は無視してプラントまで走るか?」
「無理ね」
「あ?」
すべてのタクトニムが形を崩して動かなくなったのを確認してから、龍樹はユリコへ怪訝そうに視線を向けた。
「一旦は目視できたそうだけど、すぐに見失ったらしいわ。ただ、目標の移動速度を考えれば付近にいることは間違いない。死角に移動した可能性が一番高いと見て、今捜索中だそうよ」
「死角に?」
「建物が居並ぶ区域だもの、死角は多いわ。……とはいえ、その説明を信じるには時間がかかりすぎている――っ!」
言葉の終わりでユリコが鋭く息を飲む。
「ユリコ? どうし――『あああああああああっ!』
続いて、龍樹の問いかけをさえぎるようなタイミングで無線から声が漏れた。それは無線機を持たず、充分に距離を置いているはずの彼の耳までつんざく。
その声が誰のものか、龍樹に分からないはずがない。
「今の、レオナ……か? 一体何があった」
龍樹は、ついきつい声音でユリコに問いつめてしまう。音声でしかやり取りできていない以上、返すべき明確な答えなどないと分かっていながら、それでも彼女を頼らずにはいられなかった。
「レオナから、敵と交戦状態に入ると報告されてたのよ。プラントをようやく見つけたって。だけど突然、あんな風に叫んで──……」
「だから、何があったと聞いてるんだ!」
「分からないわ。確認するより先に、通信が切れてしまったから」
眉ひとつ動かさずに告げるユリコの声は理性的すぎて、ひどく冷たく聞こえる。
「くそっ!」
気づけば、悪態をつきながら身を翻し、走り出していた。
「危険よ! こっちだってもう敵の群れがそこに――」
ユリコの声に引き止められても、立ち止まる気にはなれない。
今の声はレオナのものだ。
レオナに危機が訪れているのだ。
「――無茶よ!」
そうユリコが叫ぶ頃には、敵が龍樹の視界に入っていた。道を覆わんばかりに群れを成し、彼の進行を妨害するように立ちふさがっている。そのほとんどがスコーピオンやイーターバグで、一対一ならば龍樹が圧勝できる相手ばかりだが、これだけ数を揃えられれば話は別だ。
だが、それでも龍樹は足を止めなかった。走り続けながら、逃走用にと用意しておいた閃光弾を点火し、隣接する敵に叩きつける。
「っ!」
塔の中で、比較的安価で手に入れることができた閃光弾は旧式のスタン・グレネードだけだった。
敵の動きを封じるために開発された閃光弾に、殺傷能力は本来必要ない。だが、MK141とも呼ばれるそれは閃光弾という名称とは裏腹に、容器内で1平方センチメートルあたり約2.1トンもの圧力波を発生させる。至近距離で使用すれば、ちょっとした小型爆弾程度には敵に重症を負わせることも可能な代物なのだ。同時に、同じ傷を自分も負うことになるのだが。
眩しい光の中、激しい熱が龍樹とタクトニムの皮膚を覆う。これほど肉薄した中で使用したのだ、お互い火傷は免れないだろう。
けれど、その傷みを感じる間はなく、衝撃と光で動きが鈍くなったタクトニムの隙間を縫うように、龍樹は前へ前へと進み続けた。
(──なんてことを……!)
とっさに目を閉じることで閃光から逃れたユリコだったが、龍樹の規格外な行動に愕然とし、完全に全身の動きを止めてしまった。
視界を奪う閃光と激しい爆風の中に、龍樹は自ら飛び込んだのだ。
誰に指示されたわけでもなく──レオナを救いに行く、ただそれだけのために。無線を手にしていない彼には、何が起こったのかも分からないはずなのに。
(そんなことができるものなの?)
不思議なものを見た気がした。
(仲間のためだから? それとも……レオナのためだから?)
次々と胸に湧き上がる疑問。ユリコはそれらを必死に押しとどめようとした。口にしてはならない。表情に出してはならない。周りに誰もいなくても、ここは戦場なのだから。例え他の誰がどうしようとも、自分だけは私情を挟んではならない。
そう自分に言い聞かせ、無理やり頭を切り替える。
龍樹の後は追わない。彼のような無茶はできないし、する気もない。龍樹と自分は大きく距離を離してしまった。支援をと思っても、敵の群れが壁として立ちはだかる以上、簡単には実行できない。かといって、龍樹の後を追って自分一人であの群れに飛び込むことは、自殺と同義だと言っていい。
ユリコは無線機を通して得られる情報と、頭に叩き込んだ区域のマップ、感じられる敵の気配から最も効率よく仲間と合流できる方法を導きだす。結論が出るまで、ほんの数秒。オールサイバーである少女のブレインは、実に効率的な働きをした。
光がおさまるより早く、彼女は龍樹が走り去ったのとは逆方向へ、敵の群れから離れるように走り出した。
龍樹が閃光弾を使ってくれたのは幸いだった。加えて、彼は群れの中に飛び込んでいったのだ。あそこにいたすべてのタクトニムが龍樹に集中するだろう。おかげで容易に距離を稼ぐことができる。あとはタクトニムとの接触を避けつつ進めれば、遠回りながらも一人でレオナたちの元までたどり着くことは可能なはずだ。
(一人、か)
不意に、そんな言葉が引っかかり、不安が胸に湧き上がる。同時に、必死で動かす足のどこかが軋む音を聞いた気がした。
(──大丈夫、まだ戦える)
ユリコは足を止めない。自分の力を役に立てるために、進むべき場所へ向けて走りつづけた。
アルベルトの目前で、タクトニムが一匹、己の腹部を引き裂いた。
「まったく、次から次へと──きりがねぇ!」
吐き捨てる彼の柳眉が苦々しく歪むが、それは目の前の汚物に対してではない。奴が突然自決したのではなく、アルベルトのESPが干渉し、その肉体を操ったのだ。アルベルトにとっては、何も驚くことではない。
「意外に悪趣味なことをするんだな」
ヒカルはプロテクターの下で、怒るでもなく嫌悪するでもなく、ただ少しばかり呆れたような顔を作っている。現状に対する憂さ晴らしなのだと知っていて、あえてそうからかっているのだろう。
「趣味悪くもなるだろ。緩急があるにもほどがある」
唇を尖らしながら、さらに別のタクトニムを操る。つい数分前までの静寂が嘘のような阿鼻叫喚の地獄絵図を前にしているのだ。気が立つのは当然だと主張したい。
壁をよじ登り、屋根に這いつくばり、ヒカリが用意した装甲車にまでしがみついて、無数のタクトニムらが襲い掛かってくる。端から引き剥がし、倒し続けているというのに、一向に数が減らなかった。
「なぁ、いい加減にしようぜ。ここに留まって敵を待つ意味はもうない。分かってるんだろ?」
なんとかこの状況を打開しようと提案するも、ヒカルはうなずいてくれなかった。
「なんでだよ、こんな単純なこと、気づかないあんたじゃないだろ?」
「確かにな、主張自体には同意だ。この雑魚掃除に意味などない」
そう、この終わりのない戦いには意味がないのだ。この無数のタクトニムがどこから、なんのために襲ってきたか、二人はうすうす気づいている。
「だが、チームで動いている以上、勝手な単独行為ができないのも事実だ。レオナからの連絡を待つべきだろう」
「そりゃ、分かってるけどさ」
心底うんざりしながら、それでもアルベルトはヒカルに従わざるを得なかった。
一人一人の戦闘力だけでぶつかって勝てる相手でないことは、アルベルトも身をもって体験している。
アルベルトが無茶をした結果、重症を負うのは彼以外の誰かかも知れないのだ。もう、誰かを失う恐怖を味う気はない。
「――ん、来た」
不意に、ヒカルは耳にあてたヘッドホンに手をそえた。
(やっと、か)
蜘蛛確認を報告しあってから途絶えていた通信が再開したらしい。
タクトニムの断末魔を含めた様々な雑音に阻まれて、通信の声は彼の耳まで届かない。だが、恐らくレオナたちが、ようやく目標を見つけたのだろうと、アルベルトはほっと安堵の息を吐いた。
ならばすぐ動ける態勢を整えようと、装甲車の前をふさぐように群れる敵に向けて力を集中させようとする――の、だが。
(え……)
ヒカルに向けた目線をタクトニムへと切り替えようとした、その一瞬。アルベルトの鋭敏な瞳が、それを見てしまった。
いつも理性をたたえている、冷ややかな印象すら与える切れ長の瞳が、わずかに見張ったのだ。
(一体、何を)
彼女ほどの人が、一体何に驚いたというのか。
ほんの刹那、アルベルトの脳裏を様々な可能性の糸が巻きついて行く。
(通信の、相手は)
来た、とヒカルは言った。ずっと待ち望んでいた相手――つまり、蜘蛛を比較的近くで目視したというレオナもしくは紅香からの通信だったはずだ。そうでなくとも、通信の要はずっとレオナだった。通信の相手がレオナである可能性はひどく高い。つまり。
(つまり……ヒカルを驚かせるほどの何かが……)
あまたある可能性の糸のうちたった一本が、アルベルトの脳をきつくきつく締め付ける。
(レオナの身に、起こった……?)
「――全く」
無線用のヘッドホンから手を離したヒカルは、アルベルトの表情を覗き見て、かすかな嘆息を漏らした。その顔色から多くを読み取ったのだろう。
「君は鋭い目をしているな、不幸なことに」
「……うるせぇ」
思いのほか低い声音が喉の奥から漏れた。助手席に腰を下ろしたまま前方を睨み、ESPを次々と放つ。
「暴走して、今すぐ助けに行くなどとは言わんのか」
「勝手な単独行動はできないんだろ?」
「なるほど、道理だ」
ふ、と満足げな笑みを口元に浮かべ、ヒカルは装甲車のエンジンをふかす。低いエンジン音と共に、がくんと車体が揺れた。
「報告はな、目標捜索中のレオナと紅香がプラントと再遭遇、戦闘に入った――というものだった。だが、報告が終わらないうちに打撃音と悲鳴……だろうな、あれは。戦闘中、なんらかのアクシデントがあったのは間違いない」
「……っ!」
ぎり、とアルベルトは唇を噛んだ。そこまで分かってなお、なにもできない距離にいることが悔しい。
「だが、あの報告自体が本来応援要請を目的としていたことは想像に難くない。となると、我々が取るべき行動は一つだ」
ハンドルをにぎり、薄い笑みを口元に浮かべて、ヒカルはちらりとアルベルトに視線をよこす。
「――では、作戦通りに行こうか」
「おう!」
一も二もなく頷いて、アルベルトは居住いをただす。彼が手の中の手榴弾を確かめるように力をこめるのと、ヒカルが思い切りよくアクセルを踏むのとが、ほぼ同時だった。
お互い行き先の確認をしあうことはない。二人の目の前に群がる怪物たちが、全てを指し示しているのだ。連中が群れを成すきっかけが何なのか、群れがやってくる方向に何があるのかなど、悩むまでもない。
そんな大量のタクトニムを生み出すものこそ、彼らが追う敵なのだから。
装甲車が屋根から道路へ、様々なものを弾ませながらダイブする。来る衝撃に備えて、アルベルトは全身に力を込めた。
それは突如、本当に突如現れた。
(ああ、やっと)
いくつもの角を曲がった先に佇む巨大な体。そこから伸びる八本の足。がばんと開いた口から、次から次へと溢れ出すタクトニム。
(やっと見付けた……!)
間違いない、あいつだ。
一年前、レオナをスクラップ同然まで追い詰めた、あのプラントだ。
「……こちら、レオナ」
沸き上がる高揚感を無理やり押さえ付けながら、レオナは無線に囁きかける。
「最終目標を、至近距離で、確認」
プラントは、数十のタクトニムを吐き出したあと、静かにその口を閉じていく。
「今から、交戦に入るよ……」
告げながらレオナは大剣に手を伸ばし、腰を落とした。ちらりと横に視線を流し、無手のまま構える紅香と目配せを交し合う。
心ははやっている。
はやく、はやくこの敵を倒せと衝動的に叫んでいる。
だけどここは耐えねばならない。衝動で倒せるような相手ではないし、なにより同じ悔しさを持つ仲間や、信じられる友人達の手を待って、共にこれを倒さねば意味がないのだ。だから、皆が同じ地点にたどり着くまでの時間を稼ぐ必要がある。
そう心を決めた瞬間――プラントの姿がかき消えた。
「き、消えた……」
一瞬、何が起こったのか分からず、レオナは完全に凍りつく。
すぐに周囲を見回して目標を探すが、いない。何匹もの怪物が群れをなして、今にもこちらに飛びかかろうとしているのが目に見えはするが、やはり蜘蛛の姿はなかった。
「な、なんで?」
「くそ、どこ行きやがった!」
紅香と二人して戸惑いの声をあげながら、どの方向から襲われても対応できるよう、周囲を警戒する。それ以上はどうしようもなかった。
また見失った、などと言える状況ではない。距離も随分近かったはずだし、ここからどこかに素早く移動したとしても後は追えたはずだ。
なのに、プラントは消えた。多量のタクトニムを残して、完全に消失した。
「まさか、瞬間移動……?」
「いや、そんな力は感じなかったよ」
一つの可能性について呟いた途端、紅香に否定される。
ボクサーであると同時に、短距離テレポートなどのESPを使いこなす彼女の言葉には説得力があった。
「だけど、じゃあ――」
胸に沸いた疑問を口にするより早く、レオナの体が激しい衝撃に打たれ、宙に浮く。
遅れて顔側面や片腕や足に痛みを感じた彼女は、そこでようやく横から巨大ななにかで殴られたのだと知った。
ズザアッ
「ああああああああああああっ!」
レオナは痛みよりも全身を貫く不条理さと戦うように声をあげる。
受身は間に合わなかった。石レンガに叩きつけられ、同時にバチンと胸元で火花が散る。無線機が衝撃に耐え切れずショートしたのだろうか。
そこに、次々とタクトニムが群がってきた。
鋭い爪が、濡れた牙が、歪んだ腕が、汚れた足が、それぞれにレオナの体を潰そうと降ってくるのだ。
「くっ!」
床に伏せた態勢から大きな剣をうまく振るえるはずもなく、二、三匹にダメージを与えはしたものの、全てを倒すまでにはいたらない。体を転がし横に逃げようとしても、怪物の体にすぐ阻まれてしまった。
「レオナっ!」
だが、救いの手はすぐに差し伸べられた。紅香の力強い手が、山となったタクトニムを次々引き剥がしてくれる。
「サンキュ、紅香!」
なんとか立ち上がるだけの余裕が生まれた。レオナはすぐに態勢を整え、改めて剣を構える。その背後を守るように紅香が背中合わせで立った。
「――ねぇ」
「ん? なんだよ」
次々襲いくる敵に向けて、剣を、拳をそれぞれにふるいながら、二人は顔を合わさぬまま言葉を交わす。
「今の、何で殴られたか見えた?」
「……いや、見えなかった」
「ほんとに?」
「ああ、まったく。急にあんたが浮き上がって跳んでいったように見えたよ」
「そっか……」
一体何に殴られ吹き飛ばされたのだろう。
タクトニムに殴られた、というわけではないだろう。
集団であれば確かに脅威のタクトニムたちだが、レオナはたった一体の手に殴られて吹き飛ばされるほどやわではない。
だとすれば、考えられるのは……。
(まさか、プラントに直接攻撃された?)
突然かき消えたと思ったプラントが、すぐ側にいて攻撃してきたということか。
(前はそんなことなかったのに、なんで……)
「レオナ!」
後ろからドン、と軽く紅香に肘でこづかれた。
「え、なにっ」
「横だよ、出た!」
言われて紅香が指差す方向に目を向けると、少し離れた位置に蜘蛛がまた現れていた。
「い、いつの間に!?」
慌ててそちらに向かおうとするが、多量のタクトニムが彼女の進行を妨害する。
「ああ、もう!」
それでも大きく剣を振り、それらをなぎ払って道を作るのだが、やはりすぐに埋められてしまう。
急がなければまた消えてしまうかもしれない。焦る気持ちとは裏腹に、じりじりとしか進めないことが悔しくて、レオナはぐっと唇を噛んだ。
タクトニムの壁の向こうで、蜘蛛は大きく体を揺らし、口を開ける。
途端、あたりに漂う微かな異臭。わずかに湯気もあがっていた。ごぶり、と嫌な音がして、中に満たされた液体から水泡が浮き上がり割れる。
「あ……」
その液体の中に浮き上がる影を見たとき、さっとレオナの顔色が変わる。
「まさ、か……」
今までは、無数といってもタクトニムのイーターバグや、シンクタンクのスコーピオンばかりで、恐ろしい相手だとはいえなかった。たとえ他の敵がどれだけ現れても、どうにか倒せるはずだとレオナは信じている。
だけど、蜘蛛の中から今まさに生まれようとしているあれは。あれだけは。
「……ビジター、キラー」
その名前は、いつだって絶望的な響きを伴う。
あの紫の体に、いったいどれだけのビジターたちがほふられたことか。
背中がぞくぞくと震える。死の予感が、急速に近づいた気がした。
ビジターキラーは蜘蛛の中から吐き出され、ずるんと甲殻をすべり、ゆったりと道路に着地する。表情のない顔が舌なめずりを見せることはない。だが、確実な戦闘への意思を感じさせられた。
「――あ」
ビジターキラー出現に震えるレオナの隣で、紅香が小さく声をあげ、舌打ちする。
「また、消えやがった。どういうつもりだ、あの蜘蛛野郎!」
以前の報告書には、ステルス能力があるなんて記述はなかったのに。どうにも卑怯な裏技を駆使されているような気がして、ひどく憎たらしかった。
だが、そんな風にいらだっていられるのも一瞬のこと。
――ざうんっ!
「な……」
ほんの一瞬で、ビジターキラーがレオナに肉薄した。レオナがなぎ払うのに苦労したタクトニムの壁など、まるで最初からなかったかのように簡単に突き破って。
さらに左腕を掲げ、内臓された銃口をレオナの喉元に向ける。こんな至近距離から発砲しようというのか。
レオナはわずかに体の軸をそらして、銃弾から逃れようとする。だがビジターキラーの狙いは違った。向けた銃口などただのおとり。背中から伸びる腕が、彼女のわき腹を狙って横からなぎ払おうとしてるのだ。
「危ない!」
それに気づいた紅香が、テレポートで彼女をかばう位置に飛ぶ。あの腕に殴られては紅香でもただでは済まないだろう。だが、生身で素手の紅香より、オールサイバーのレオナの方が蜘蛛に対しては有効な一撃を与えられる。自分より先に負傷させるわけにはいかなかった。
「紅香!」
レオナの声を聞きながら、痛みを覚悟して彼女は全身に力をこめた。せめて一撃は耐えて、あの腕を受け止めてみせる。
――ダウンっ!
腕は、紅香の胸に勢いよくたたきつけられた。
「ぐ……」
肺をつぶされるような痛みで、一瞬完全に息が途切れる。必死で足を踏みしめ耐えたおかげで、吹き飛ばされはしない。ただ、石畳の道路が紅香の足の形でひび割れ、少し沈んだ。
衝撃に、ぐらりと彼女の体が揺れる。反撃に転じるどころか、このまま意識を失ってしまいまそうだった。それでも倒れることなく耐えきれたのは、鍛え上げられた体の強さというより意思の固さゆえだろう。
「く、は……っ」
「――よくぞ耐えた、紅香」
苦しむ紅香に、やけに涼やかな声がかけられる。え、と顔を上げた瞬間、激しい光が辺りを満たした。
「な、なに!?」
驚きの声はレオナからあがる。
「無事か、レオナ!」
「へ、龍樹?」
彼の声は、先刻の涼やかな声とは別の方角から聞こえる。同時に、シギャアアアとビジターキラーが悲鳴を上げた。
そしてどちらの声とも違う方向から、レオナはくい、と軽く手をひかれた。
「え?」
普段ならすぐ振り払えるような力加減なのに、光で視界をふさがれているせいか、レオナはなすがままになってしまう。
「ちょ、ちょっと!?」
「ごめん、ちょっと耳ふさがせて」
「ええ?」
抵抗する隙も与えられず、レオナはひやりと冷たい手に耳を包まれてしまった。
――と、同時に。
ドウンッ!! ドウンドウン!!
激しい爆発音が、二度三度と繰り返し彼女の全身を揺らした。
「……あーあ」
黒い煙を上げて燃える家屋を見上げながら、アルベルトはレオナの耳をふさいだ態勢のまま肩をすくめた。
多くのタクトニムが焼けただれ、弾け、ぐずぐずと焦げてくすぶっている中、かろうじてレオナたちだけが無事でいた。
「やっばいな。これギルドに怒られない?」
「手榴弾を叩き込んで火災を発生させたんだ。始末書は間違いないだろう」
「お、お前らな……」
火災現場のすぐ脇で、龍樹が批難の声を上げる。
「俺が攻撃してるときに、手榴弾なんか叩き込んでくるなよ! 死ぬかと思っただろうが!」
「ああ、悪い。でも、なんせ相手がビジターキラーじゃ、これくらいしないと倒せないしさ。それに、龍樹ならちゃんと逃げてくれると思ってたよ」
にっこり、と不思議な擬音が聞こえそうな笑顔でアルベルトは謝罪する。あまり悪いと思っているようには見えなかった。
「あ、あの、アルベルト」
レオナは頬を少し赤らめて、アルベルトの腕を叩く。
「ん? どした?」
「あの、耳……そろそろ離してほしいんだけど」
「ああ、ごめん。気づかなかった」
すっと耳が開放され、アルベルトの体が離れた、ほっと安堵の息を漏らしてから、改めて周囲を見ると、何故だか険しい表情の龍樹と視線があってしまう。
(な、なんで怒ってるんだろ)
声をかけるのをためらうような目で射抜かれて、レオナは思わず目をそらしてしまった。
「さて――ビジターキラーはこれで倒せたとしても、まだプラントが残っているはずだが」
ヒカルが周囲を見渡しても、それらしき姿はない。
「……ステルスよ」
ふと、別の家屋の影から、少女が姿を現した。
「プラントは、ステルス機能を有しているわ。生産機能に比べれば低性能な、逃走用としては充分実用的な性能のステルスのようね」
「ユリコ!」
「なるほど、ね……それで、今までアレほど探されてたのに、隠れ続けることができたってわけかい」
まだどこか痛むのか、わずかに表情をゆがめながらも紅香はようやく納得したと何度も頷く。
「だけど恐らく、しばらくすればプラントはステルスを切って出現するわ」
「へ、なんで? 奴が逃げようとするなら、透明なまま逃げた方がいいだろうに」
「言ったでしょう、低性能だって。無制限のステルス機能なら、最初から姿を現す必要はない。ギルドに見つかることなくタクトニムを生産し続ければ良かったはずよ。そうじゃないということは、つまり……」
「なるほど、ステルスはあくまで逃走用。常時使い続けられるものではなく、制限時間や使用条件があるということか」
ヒカルの的確な答えに、ユリコは短く頷いた。
「でも、一年前はそんなことしなかったよな? なんで今に限って……」
「ガーディアンがいたからだろう。あの二体がいる限り、戦闘中に姿を隠すような必要はなかったんだ」
狂気ともいえる強さを誇った小さな守護者たちを思い出して、ヒカルは小さく身震いをした。あの時の敗北は、ほぼあの守護者によってもたらされたものだった。
「そっか。一年前、ボクたちが負けた後、誰かがガーディアンだけは倒したんだ」
守護者を失い、落ち込んだ戦力を補えなくなったプラントは、生きながらえるために戦闘中でもステルスを駆使し続けなければならなかったのだろう。そしてそれが万能でないと知っているから、おとりにするためタクトニムを撒き散らし続けたのだ。
「条件の全ては分からないけど、恐らく生産中には使えないという仕様があるのは間違いないと思うわ。そうでなきゃ、ビジターキラーを吐き出す時に姿を現す必要はないもの」
「え……あの時、いたんだ?」
予想外の言葉に、レオナは思わず目を丸くした。わずかに良心が痛んだのか、ユリコは少し目を逸らしうつむいてしまう。
「悪いと思ったけど、少し様子を見させてもらったの。私一人が先行して合流しても、戦力上昇は望めないと判断したから」
「そんなこと……」
フォローしようとするレオナの言葉を、ユリコは首を振ってさえぎった。単純にこれは事実なのだ。慰めの言葉など必要ない。
「とにかく、全員固まって周囲を警戒して。さっきの爆発で、辺りのタクトニムはほとんど潰された。プラントがおとりを必要とするなら、少し距離をとった上で、タクトニム生産のためにステルスを切るはずよ――ほら、今みたいに」
ユリコの言葉に、全員がえ、と凍りつく。彼女の視線は、ユリコに注視する五人の背後に向けられていた。
「な……っ!」
慌てて踵を返す。
確かに、彼らの背後からそっと逃げ去ろうとするかのように距離をとった位置に、あの、蜘蛛がいた。
「――い、急げっ!」
それが誰の合図なのか、確認する間などなかった。
とにかく時間がない。奴がタクトニムを生産し、逃げる態勢を整えるより先に倒さなければ。
まず紅香が痛みをおして蜘蛛の隣へテレポートする。
龍樹とレオナはそれぞれ得物を、アルベルトは新たな手榴弾を手に駆け出した。
ヒカルが装甲車のエンジンをふかし、ユリコは素早く銃を、ピストルからライフルに持ち替え、構えた。
「はあっ!」
蜘蛛がばかんと口を開くのを横目にしながら、紅香は固い拳をたたき付ける。
一撃では、無論ダメージなど与えられない。そんなことは最初からわかっていた。だから何度も何度も同じ場所に同じ攻撃を叩き込んでやるのだ。固い装甲を、この拳が貫くまで。
「おらよっと!」
アルベルトは、紅香とは逆の道を選んだ。
装甲を断ち切ることができないなら、内部から破壊してやればいい。抗ESP材で作られた奴の体に自分の力が及ばないことは知っているが、それなら物理的にぶち壊してやるだけだ。
幸い、母から無断で拝借した手榴弾は持てる限り持ち込んでいる。大きく開いた口に次々とそれらを投げ込んだ。
「――爆振牙!」
それに対抗するかのように内部破壊を狙うのは龍樹だ。攻撃を超スピードでかいくぐり、装甲を力ではなく充分な速さを乗せて殴る。装甲を振動させ、内臓へダメージを与えようと言うのだ。
一件無茶とも思えるその試みだが、鍛え上げられた身体と明鏡止水の力が、それを見事に達成させた。
三人の攻撃から逃れようと、蜘蛛はもがきながら移動しようとする。――だが。
どうんっ!
荒々しい衝撃が、それを妨害した。
「ふ、逃げようと言うならその足を折るだけだ」
装甲車から乗り込んだヒカルが、ミサイル砲撃で足を狙ったのだ。
何度ステルスを駆使しようとも、動けないなら意味はない。いくら装甲が分厚く、巨大な身体を支える太い足といおうとも、準備を重ねに重ねた対戦車ミサイルならば充分対抗できるはず。
ボディへの攻撃は完全にほかに任せ、足へ執着し続ける。それは同時に、蜘蛛の退路をふさぐ効果をもたらした。
無論、その間にもタクトニムは生産され、排出される。だが、その中で戦士らに攻撃を加えるまでにいたるのはほんのわずかだった。怪物のほとんどは、生まれ落ちた瞬間にユリコのアサルトライフルにたやすく打ち抜かれてしまうのだ。
(私は、私にできることを……)
もう自分には激戦に耐えうる力がないと、ユリコは冷静な評価を下していた。だからといって安全な場所でなんの役にもたたず呆けるなどもっての他だ。蜘蛛にダメージを与えられないかわりに、雑魚だらけとはいえ厄介な取り巻きを減らす役目を自ら負っていた。
ステルスも、次々と生み出されるタクトニムらも、もうほとんど意味をなさない。
障害は、分厚い装甲と激しい抵抗だけ。だけどそれも、意思を持ち耐え続ければ、いつか必ず打ち抜くことができる。
「今度こそ、今度こそ……」
一年前の悔しさを胸に、レオナも二刀の高周波ブレードを打ち下ろし続ける。
スクラップにされたことも、仲間を痛めつけられたことも、あの強大さに敵わなかったことも、ずっと胸にしがみついて離れなかった。
この蜘蛛は、絶対に乗り越えねばならない敵だ。皆で力をあわせ倒すこと以外で、この気持ちを晴らす術などない。
「……今度こそ、勝つんだあああああああ!」
――その日、ヘヴンズドアが一つの噂に騒然となった。
「おい、レオナ! 聞いたか!?」
いつものようにドアをくぐったレオナに、店員が興奮気味に話しかけた。
「どうしたの? 珍しいね、慌てて」
「慌てもするさ! ほら、一年前から噂になってたろ。自律型生産プラント、ジグラット! あれと『同型もの』が破壊された状態で発見されたんだぞ!」
「ああ……その話か」
つまらない話を聞いたとばかりに、レオナは小さく肩をすくめた。
「おいおい、そんなつまらなそうな顔しないでくれよ。一台だと思われていたプラントが複数台あることが確定したんだぞ? 大体、お前も一年前にあのジグラットと対峙してるじゃないか。覚えてるだろ? 一年前のこと」
「――そんなの、忘れるわけないよ」
凄みを含んだ笑みを浮かべ、レオナは店員にそう返した。
「じゃあ、興味ないはずない――」
「ごめん、今日はボクちょっと疲れてるんだ。はやくご飯食べちゃいたいから、またにしてくれる?」
彼女はらしくない不機嫌な態度で話をうちきる。あまりに珍しい態度に驚いて、店員はきょとんと目を瞬かせていたが、すぐに思いなおしたように態度を切り替えた。
「……悪かったよ。今日はいい魚が入ってるんだ。おごるから食っていきな」
謝罪する店員に軽く手を振って、レオナはいつもの席に向かう。
――本当に、今日は疲れているのだ。今日なにかをしたわけではないが、先日の疲労が、まだ取れない。
あの蜘蛛には勝利し、見事破壊することに成功した。したが、それは一年前に倒した敵とは違う名前を冠した蜘蛛だったのだ。
『バーバヤガー』
崩れ落ちたボディに刻まれた、敵の名前を見つけた時の感情は、筆舌につくしがたい。
勝利の喜びを胸に残しながら、悔しさと怒りがこみ上げた。そして、こんな敵がこの塔には何匹もいるのかと思うとぞっとした。
「……いつか、必ず倒してやる」
いつものテーブルの上で握った拳は、ずっと小刻みに震えていた。
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■登場人物紹介
0536/兵藤・レオナ(ひょうどう・れおな)
0535/守久・龍樹(もりひさ・たつき)
0541/ヒカル・スローター(ひかる・すろーたー)
0552/アルベルト・ルール(あるべると・るーる)
0707/ユリコ・カトウ(ゆりこ・かとう)
0763/東郷・紅香(とうごう・べにか)
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■ライター通信
お待たせしたました。パーティノベル、居住区をお届けします。
納品が遅れまして、大変申し訳ありませんでした。必死で書き続けた結果、こうも遅れたわけですから、言い訳のしようがありません。
しかしながら、執筆自体は大変楽しいものでした。捻りがあるといいますか、ほとんどの方が一度敗北した敵へのリベンジを指定する中、主発注された方からは違う名前が敵として提示されているという事実が実に興味深かったです。
これをうまく料理せねばと自分なりに努力してみたのですが、いかがでしたでしょうか。
ご無沙汰しておりました間にちょっぴり人間関係に変化があったようですね。
他の仕事で恋愛モノスイッチが入っていたこともあって、いろいろ余計な描写を差し挟ませていただきました。楽しんでいただけるものであればよいのですが。
それでは、またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。失礼いたしました。
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